天は合っているとも、違うとも、言わなかった。
ただ、にっこりと笑って俺を見ていた。

「………奥宮って、本当に、道具だったんだな」

少し前に、予想はついていた。
もう、分かっていた。
だから、それほどショックは、なかった。

奥宮は、宮守の家の礎。
闇を抑え、地を守り、先宮に力を与え、宮守を繁栄させる。
なんて、効率的で合理的な存在。
尊い、家の守り神。
家中から貴ばれる存在。

「俺は何も言わない。言えない」

天は笑いながら、肩を竦める。

「でも、まあ、うちみたいな広い土地を治めるには、それなりの犠牲は必要ってことだね」
「………」

人一人が犠牲になるだけなら、確かに犠牲は少ない方だろう。
俺がこの身を捧げれば、家は続き守られ繁栄する。
それなら、誰かの役に立ちたいと思っていた俺に、ぴったりかもしれない。
どうせ、共番の儀をするまでは、何もできなかった。
一人で行動することも、外に行くこともままらなかった。
だったら、ここで奥宮として、先宮と共に家を守るのも、いいのかもしれない。
もう、それで、いいかもしれない。
みんな、それを、望んでいる。

「共番の儀は、先宮と奥宮を、つなぐためなんだな」

先宮と奥宮は、対の存在。
おそらく、共番の儀は、先宮と奥宮をつなぐもの。
言葉通り、番うべく、つなぐための儀式。
父さんと二葉叔母さんが、俺と一兄と天が。
血のつながった者同士で食らい合う、忌まわしい儀式。

「………俺が、選んだ方が、先宮になるのか?」

儀式は三回。
では、あと一回は、どうなる。
二人とするのか。
それとも、どちらかを選ぶのか。
先宮が二人で、奥宮が一人ということは、おそらくないだろう。
そういえば、栞ちゃんも、天が先宮となって、自分が奥宮になるのが夢だと言っていた。

「だから、お前は、自分を選べって言ったのか?」

あの時、俺と一兄が儀式をした後、珍しく感情を荒げた天を覚えている。
あの怒りは、先宮になる可能性が一兄まで広がったことを、怒っていたのか。

「お前は、先宮になりたいのか?」

その深い深い黒い目を見つめると、弟は自嘲するように笑った。
そして自分の手を見つめて、握りしめる。

「なりたいよ。すごく、なりたい。ずっとずっと、なりたかった」
「………」

その声は切実で、どこか苦しげで、嘘を言っているようには思えない。
でも、違和感を感じる。
言っていることに、矛盾がある。

「お前の、言うことは、おかしい」
「何が?」
「お前は前に、当主になりたくないって言った」

そう言っていた。
そんな面倒なことはしたくないと、言っていた。
なのに、先宮にはなりたいと言う。
天の言うことが本当なら、それはどちらも嘘ではない。

「当主には、なりたくない。でも、先宮には、なりたい。当主と先宮は、同じ存在じゃないのか?」

四天は俺をじっと見てから、小さく首を傾げる。

「そうだね。先宮になったら、自動的に、当主にもなるか」
「じゃあ、どういうことだ?」
「そうだな」

そこで天は口を閉ざし、顔を上げる。
俺の後ろを見つめるので、俺もつられて後ろを向く。

トントン。

その瞬間、ドアがノックされてびくりと飛び上がる。
天は慌てた様子もなく、返事を返す。

「はい」
「四天様。先宮がお呼びです。急ぎおいでください」
「かしこまりました」

ドアの向こうにいるのは、あの人形めいた老人。
聞きたいことも、知りたいことも、沢山ある。
でも、今日はこれ以上、話すことは出来ないだろう。

「………」
「あーあ、お呼びだ。俺は行ってくるね。兄さんも部屋に戻りな」

天に促され、ため息をつく。
何も知らない。
何も分からない。
一歩も前に進めない。
ずぶずぶと、泥の中に生きながらにして、埋まっていく。
このまま沈んで息絶えるまで、俺は何も知ることが出来ないのだろうか。
何も得ることは出来ないのだろうか。

「兄さんは本当は、頭がいい。こんな風に本当はなんだって分かったはずなんだ」
「………天」

通りすがりに天が耳にそっと小さく囁く。
ぽんと、猫のように肩を叩く。

「でも仕方ない。兄さんはそういうものだから。そういう風に作られたから」

作られた、か。
そうだな。
俺はそういうモノなんだ。
知らず、考えず、分からず。
全てを管理され、奥宮となるべく作られたモノ。

「おやすみなさい、いい夢を」

だったらもう、モノとして生きることが、俺にとって、最上の道なのかもしれない。



***




「また、顔色悪い」

岡野が俺の顔を覗き込んで、不機嫌そうに綺麗に描いた眉を顰める。
そんな顔をしていても、乱暴な口調でも、やっぱり岡野は可愛くて、優しい。
冷たくなった心が、岡野を見るだけで、ふわりと温かくなる。

「そう?」
「そう!」

苦笑して聞き返すと、岡野は更に眉を吊り上げる。
岡野が怒りっぽくなるのは、心配しているから。
それはもう、知っている。

「またなんかうじうじうじうじ悩んでるんだろ」
「………岡野は鋭いなあ」
「もう、一年も見てれば、分かる」

そうか、もう一年なんだ。
俺が岡野のことを知ったように、岡野だって、俺のことを知ってくれた。
俺のことを知っていてくれるのが、嬉しい。
たとえ作られた出会いでも、確かにここに、本当のことはある。

「そうだな。もう、一年か」

去年は、こんな風になるなんて、思ってなかった。
ただ力がなく、役立たずな自分を嘆き、兄弟たちに寄りかかるのを恥じ、天を羨み憎んでいた。
友達もなく、一人で、周りの温かいものを指を食わえて眺めていた。

「早いな」

この一年で、随分変わってしまった。
力は得た。
友人も得た。
温かなものを手に入れることは、出来た。
もう、それで十分なのかもしれない。

「付き合え」

ぼうっとそんなことを考えていると、頭をはたかれた。
何を言われたか分からなくて顔を上げると、岡野が睨みつけている。

「え?」
「放課後、付き合え。いいな」
「えっと」

放課後は、どこかに寄るなら藤吉と一緒にいろと言いつけられている。
そんなのは嫌だったから、まっすぐ帰るつもりだった。

「いいな!」
「はい!」

でも強い口調で言われて、つい頷いてしまった。
この強引さは、本当に気持ちがいい。
岡野の強さが、とても、心地い。

いいか。
怒られても、いい。
今更、なんだっていい。
そんなの、どうだっていい。
それより、岡野と、みんなと少しでも一緒にいたい。

「忘れんなよ!」
「分かってるよ」

どれだけ一緒にいられるか、分からない。
でも、少しでも長く、一緒にいたい。



***




放課後はすぐに訪れた。
最近ぼうっとしているうちに、あっという間に時が過ぎる。
何もできないまま、ただ残された時間だけが、失われていく。

「行くぞ」
「あ、うん」

岡野が宣言通り席まで迎えにきてくれて、俺も鞄を持って慌てて立ち上がる。
そこに、槇が駆け足でこちらに近づいてくる。

「彩、帰るの」
「うん。ごめん、チエ、今日はこいつと帰るから」
「………分かった。うん」

槇は少しだけ間をおいてから頷いた。
どこか、暗い顔をしている。
どうかしたのだろうか。

「槇、どうかした?」

近づいて問うと、槇は顔を上げて、俺を見上げる。
やっぱりどこか、いつもの朗らかな様子とは違う。
なんだか、不安そうな顔をしている。
まだ、心配しているのだろうか。
本当に、優しい子だ。

「あの、ね」
「うん?」

槇が俺の腕を掴み、まっすぐに俺を見つめてくる。
いつもの穏やかさをなくして、堅い、けれど真摯な声で告げる。

「宮守君は、何も悪くない。いい?何も、悪くないからね。自分のことだけ、考えればいいから」
「………槇?」

何を言われているのか分からなくて、首を傾げる。
すると槇はふんわりと、いつものように笑った。

「私は、宮守君と出会えて、すごく嬉しいよ」
「え、と、うん、俺も嬉しい」
「うん。覚えておいて」

嬉しい。
けれど、なんだろう。
なにか、不安になる。
気のせいだ。
何も、ない。

「おい、遅い!」
「あ、ごめん!」

岡野に呼ばれ、槇が手を離す。

「じゃあ、いってらっしゃい」
「あ、うん。じゃあ、また」
「うん」

慌ててもうすでに歩き出している岡野の背中を追いかける。
駆け足で追いつくと、岡野は不機嫌そうに口を尖らせていた。

「岡野、ごめん、遅くなって」
「別に。お腹空いた。なんか食おう」
「あ、うん」

別にと言いながら、やっぱり不機嫌そうだ。
考えているうちにもすたすたと歩いて、さっさと校門から出てしまう。

「で、どこいくんだよ」
「え、俺が決めるの?」
「あ?」
「ご、ごめん」

苛立ちを隠さない、とげとげしい声。
思わずびくびくとして、慌てて知っている食べ物屋を脳裏に並べる。
そして浮かんだのは、前に訪れたことのある、小さな店舗だった。

「あ、そうだ。たい焼き、あるんだ。あの商店街。すごくおいしいんだ」
「ああ、そういえばあるね」
「うん。前に、天と食べたんだ」

天と、一緒に、たい焼きを食べた。
焼き立てのたい焼きは、本当に、おいしかった。

「四天君と行ったの?」

ああ、そして、もう一度、行ったんだ。
三人で並んで、焼き立てのたい焼きを、食べた。
とてもとても、おいしかった。

「うん、天と、それと、友達と、食べたんだ」

たい焼きを初めて食べたと嬉しそうに言った。
一緒にいれて、楽しかった。
とても、楽しかった。

「あんたに私ら以外の友達なんていたんだ」
「………ひどいこと言うなよ」
「あはは」

岡野の言葉に、一瞬だけ間が空いてしまった。
でも気づかずに、朗らかに笑ってくれる。
岡野の笑顔は、とても綺麗で、可愛くて、胸が締め付けられて、ほっとする。

「でも、そっか。友達、いるんだ」
「なんだよ」

もう一度確かめるように、岡野がつぶやく。
ちらりと見ると、岡野はこちらを見て、小さく笑った。

「ううん。別に」

なんだか、嬉しそうに、笑っている。
きゅうきゅうと、胸が痛む。
苦しい。
嬉しい。
哀しい。
温かい思いが、溢れだしそうだ。

二人で並んで商店街までの短い道のりを歩く。
他愛のない会話でも、ほんの些細な仕草でも、全て覚えておきたい。
大事にしたい。

「岡野、何味にする?」
「そうだなー。あんたは?」
「俺は、あんこかな」
「カスタードは好き?」
「カスタードも好きだけど、あんこが一番好き」
「そ。じゃあ、カスタードにするわ」
「なんだよ、それ」

またからかわれたのかと思って憮然として言うと、岡野が悪戯っぽく笑う。

「半分こしよ。私もあんこ食べたい」
「………」
「なんだよ?」
「う、ううん。そう、だな」

もう、泣き出してしまいそうだ。
この子と出会えてよかった。
それだけは、一兄や藤吉や佐藤に、感謝する。

「うん、半分こしよ」

温かな想い。
切なくて苦しくて悲しくて、でも優しい温かな想い。
これを知ることが出来て、よかった。
誰かを、好きになれて、よかった。

「尻尾と頭じゃ、なんか不公平だよね」
「へ?」
「絶対偏るじゃん」

岡野が焼き立てのたい焼きを見ながら、悩ましげに言う。
そんな些細なことに真剣な岡野が可愛くて、つい笑ってしまう。

「じゃあ、縦に割る?」
「それも難しいな。食べづらそうだし。やっぱり横だよね」
「だな」

言いながらごつい指輪のついた手で器用にたい焼きを割る。
俺もそれを見て、手にあったたい焼きを同じように割る。

「じゃあ、あんたはあんこの頭ね。で、カスタードの尻尾」
「そうだな。じゃあ、こっちの尻尾は岡野の」
「ありがと」

そして相変わらず人気のない公園で、並んでたい焼きを食べる。
熱々のたい焼きは、この時期には汗ばんできてしまう。
同じことを感じたのか、岡野が小さく笑う。

「なんか、季節外れ」
「う、そうかも、嫌だった?」
「ううん、別に。おいしいし」
「よかった」

天と食べて志藤さんと食べて岡野と食べている。
なんだか、不思議な感じだ。
元々好きだったけど、もっとたい焼きが好きになりそうだ。

「宮守、なんかあった?」
「え?」
「また、なんか、うじうじ悩むようなこと、あるんだろ?」

なんてことを考えていると、岡野がぼそりと言った。
俺の顔を観察するように、じっと覗き込んでいる。
心臓がびくりと跳ね上がる。
じわりと、手の平に汗を掻く。

でも、言う訳にはいかない。
言っても、どうにもならない。
ただ、心配させるだけだ。

「そうだな。家のことで、色々悩んでる。でも、いずれ、解決するから」

だから精いっぱい平静を装って、笑う。
頼むから誤魔化されて。
岡野に、心配なんてさせたくない。

笑っていてほしい。
泣かないでほしい。
幸せでいてほしい。

「………」
「岡野、どうかした?」
「ばーか」

いきなり頭をはたかれて、たい焼きを取り落しそうになる。

「った、な、何?」
「………知らね」
「お、岡野?」

岡野は不機嫌そうに黙々とたい焼きを食べる。
何か怒らせたかと心配になって、焦る。

「お、俺なんかした?」
「何もしない!」
「え」

尻尾の最後を口に放り込み、ペットボトルのお茶をごくごくと煽る。
そして飲み終えると、吐き捨てるように言った。

「へたれなら、へたれらしく、大人しく人に頼れ、ばーか」
「………」

その耳は赤くて、口調は乱暴だ。
でも、知ってる。
岡野は、怒っている訳じゃない。

「心配、してくれたの?」
「うっせ、ばーか」
「ありがと、岡野。大丈夫。大したことじゃないから」
「………」

優しい優しい岡野。
温かくて強くて、真っ直ぐな女の子。

「本当だな」
「うん。ありがとう。岡野も槇も、本当に優しいな。心配してくれて、ありがとう」
「別に、優しくなんてないけどさ」

でも優しいと言うと、岡野はやっぱり不機嫌そうに眉を寄せる。
こんなに優しいのに、どうして、それを否定するんだろう。
器用なのに、不器用で、意地っ張りで、天邪鬼で、でもそんなところも愛しい。

「なんか、チエとあんた、仲いいよね」
「え」
「この前も二人で話してたし」

岡野も槇も、二人とも優しい。
俺の残された、友人。
大事な大事な、尊いもの。

「槇も、一緒だよ。俺のこと心配してくれた」
「………そう」
「ありがと、岡野。二人に会えて、本当によかった。本当に、嬉しい」

心からの言葉を告げると、岡野は一気に顔を赤くした。
そして大きく振りかぶって、頭をもう一度叩かれる。

「あんた、本当にこっ恥ずかしい!」
「った、痛い!痛いってば!」

ばしばしと何度も叩かれてさすがに抗議する。

「この、馬鹿!」
「ご、ごめん!?」

思わず謝ってしまうと、攻撃の手は止んだ。
岡野は真っ赤な顔で、俺を睨んでいる。

「お、俺、またなんか無神経なこと言った?ごめんな」
「………」

口を尖らせて、ちょっとだけ俯く。
迷うように少しだけ間を置いて、小さな声で囁くように言う。

「………別に、いいけどさ。ていうか、ごめん。いつも殴って」
「あ、え、ううん?」
「この、へたれ。少しは怒れ」
「え、だって」

岡野がぷいっとそっぽを向く。
横顔と耳は、ほんのりと赤く染まっている。
強気な態度と裏腹に、岡野は照れるとすぐに分かる。
怒りっぽくて、顔を赤く染める。
それがとても可愛くて、見るのが好きだ。

「でも、あんたのそういうところ、嫌いじゃ、ないし」
「………岡野」

岡野がぼそりとそっぽを向いたまま、呟く。
微笑ましくなって、笑ってしまう。
岡野の顔は赤い。
そして、どこか、緊張しているようにも見える。

「………」

ざわりと背筋に寒気が走る。
温かい気持ちと、それと同時に不安でたまらなくなる。
ああ、なんだっけ、これ。
つい最近、感じた、この、たまらない、不安定な気持ち。

『はじめての愛』

熊沢さんの声が、脳裏によみがえる。
綺麗な想いの籠った、綺麗な青い石。
あの時の、感じだ。

ああ、違う、その前にも感じたことがある。
あの時、だ。
岡野が、風に巻き上げられた髪を抑えた。
そして、とても嬉しそうに、はにかんだ。
その時に、感じた。

哀しくて、切なくて、苦しくて、全身を掻き毟りたくなるほどの、不安。
泣き叫んで、逃げ出したくなるほどの、焦燥感。
ああ、そうだ、そしてこれは、怖いんだ。
恐怖、だ。

「宮守は、いい奴って、私、知ってるし」

岡野は目元を赤く染めたまま、ちらりとこちらを見る。
駄目だ、勘違いだ。
そんなの嘘だ。
有り得ない。
聞くな、逃げろ。

『あなたがなにより愛しいです』

この一年、とても幸せだった。
友達が出来た。
好きな人が出来た。
沢山の、幸せをもらった。
この一年間、本当に楽しくて、嬉しくて、夢のようだった。

一瞬未来を夢見たけれど、どこかで有り得ないと、分かっていた。
でもただ、少しでも長く一緒にいられればいいと思っていた。

十分だった。
それで十分だった。
もう、これで、いいと思った。

「嫌いじゃないっていうか………」

俺は、共番の儀をするまでは、何もできなかった。
一人で行動することも、外に行くこともままらなかった。

元々、漠然と、長く生きられはしないだろうと思っていた。
家から出られず、ひっそりと生きて、そして潰えるだろうと、思っていた。
でも、一時だけでも、友達が欲しかった。
温かいものが欲しかった。
そんな我儘を夢見て、嘘に満ちていたとしても、それは叶えられた。
長くは一緒にいられなくても、ずっと一緒にいるなんて不可能でも、一瞬でも長く一緒にいて、思い出を作れればと、思っていた。

『あなたを心よりお慕いしています、三薙さん』

志藤さん、違う。
それは、違うんだ。
それは、駄目だ。
そんなのは、駄目なんだ。
そんなの、違う。
こんなことあったら、いけないんだ。
こんなの、嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。

「割と、す、す」

笑っていてほしい。
泣かないでほしい。
幸せでいてほしい。

岡野、志藤さん。
あなたたちを、俺は、とても大事に思っていた。
最後に残った、真実だった。
あなたたちを想うと、まだ温かい気持ちになれた。
希望を感じられた。
あなたたちといれて、嬉しかった。
だから、あなたたちに甘えてしまった。
そんなの、いけなかったのに。

「あー、もう!」

岡野が癇癪を起したように、栗色の髪をくしゃくしゃに掻き回す。
それから決意したように、その吊り目がちの大きな目できっと睨んでくる。
まるで敵に挑むかのような強い視線は、いつだって見惚れてしまった。

「………」

出会えてよかった?
機会を作ってくれたことに感謝する?
自分の浅はかさに、吐き気がする。

一兄、天、父さん、双兄、熊沢さん。
今、あなたたちを、初めて、心から、恨み、憎む。
どうして、こんなことをしたんだ。
こんな、酷い、残酷なことを、したんだ。

「割と、す、好き、な、感じだし」

岡野が俺を睨みながら、消え入りそうな声で、真っ赤な顔で、囁く。
それがとても可愛くて、胸が締め付けられて、絶望に沈んでいく。

ああ、誰か、一年前まで、時を戻してくれ。
今までのことを、なかったことに、してくれ。
こんなの、ない。

あの人たちが、憎い。
誰よりも、自分の存在が、呪わしい。

出会わなければ、よかった。
一人で朽ち果てればよかった。

俺は誰かに、好かれたりなんかしたら、いけなかった。





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