目覚めると、胸のあたりに温かい感触があった。
何か柔らかいものが首筋と胸元にあたって、くすぐったい。
確かめようとして身じろぎするが、体がうまく動かない。
頭だけ動かして下を見ると、俺の胸に顔を埋めるようにして寝ている志藤さんがいた。
朝日に照らされている眼鏡を外したその顔は、いつもよりずっと幼く見える。
動けないのは、志藤さんに腰に抱き着かれているせいだ。

「………」

その無防備な寝顔を見て、なぜか自然と顔が緩んだ。
温かい気持ちでいっぱいになる。

愛しい愛しい愛しい愛しい。

感情が溢れてくる。
その頭をぎゅっと抱きしめる。
昨日よりずっとこの人が近く感じる。
ずっと愛しく感じる。
そういえば、天とも、距離を狭めることができた気がした。
あれは気のせいかもしれないけど、これは気のせいじゃないといい。

愛しい、嬉しい。

でも、やっぱり、岡野に対する感情とは、違う気がする。
触れたくて、抱きしめたくて、守りたくて、でもその強さに惹かれて、守られているような気すらして、眩しくて眩しくて、祈るように見ていた。

志藤さんとは、どうなのだろう。
触れたい、肌を重ねたいという、強い意思はない。
でも、抱きしめたいとは思う。
守りたい、一緒にいたい、一緒に歩きたい、対等でいたい。
守って守られて、くじけて立ち上がって、一緒に成長して。
可愛くいてほしい、俺の言葉で一喜一憂してほしい、俺を強く欲していてほしい。
ひどいだろうか。
ひどいだろう。
最低だ。

でも、この年上の男性が可愛くて愛しくて、たまらない。
俺の言葉で傷つくことすら、今では可愛いと思えてしまう。
自分の中にこんな嗜虐的な感情があったなんて、驚きだ。

「………みな、ぎさん?」

頭を抱えていた手に力を入れてしまったからか、志藤さんが目覚めたようだ。
手を離し、俺を見上げる男性のレンズ越しではない目を見つめる。

「おはようございます、しと、縁さん」

俺の声はかすれていた。
昨日、泣いたり叫んだりしたので、喉を痛めただろうか。
志藤さんは少しだけぼんやりと俺の顔を見た後、俺の腰に巻きつけていた腕に力を込めた。
胸に顔を埋められると、室内着の布越しに息の湿った感触が伝わってくる。

「………おはよう、ございます」

志藤さんの声も、わずかに擦れていた。
いつもより低くしゃがれた声は、男らしい色気がある。
なんだか昨夜のことを思い出してしまいそうだ。
女性的ですらある繊細な容貌に、興奮と獰猛さを浮かべた志藤さんはすごく男らしかった。
やばい、顔が熱くなってきた。

「………」
「三薙、さん?」

俺の胸に顔をうずめてぎゅっと抱き着いてくる志藤さんの髪を撫でる。

「はい、どうしたんですか?」
「目が覚めたら、あなたがいない気がしたんです」
「俺は、ここにいいますよ」

今はまだ。
最後の言葉は、言わないでおいた。
今この夢の続きのような時間に、言うことでもないだろう。

「縁さんの隣にいます」
「………よかった。夢じゃ、なかった」

志藤さんがぎゅうぎゅうと俺の腹に抱きついてくる。
まるで、迷子の子供が母親にしがみついているようだ。

「あなたを失っていなくて、よかった」

その声が切なくて、縋るようで、胸がきゅうきゅうと痛くなる。
志藤さんの頼りない様子に、なんでもしてあげたくなる。
怖いものを全部取り払ってあげたくなる。

「三薙さん………」
「縁さん、ちょっと苦しいです」
「あ、すいません!」

俺が少し抗議すると、いつものように我に返って力を抜いてきた。
不安そうに俺を見上げて揺れる瞳に、つい笑ってしまう。
なんだろうこれ、もしかして母性本能みたいなやつなんだろうか。
俺、男なんだけど。

「縁さん、我儘、聞いてくれてありがとうございました」
「………」

志藤さんが切なげに眉を顰める。
そして、懇願するように、言う。

「これからも、我儘を仰ってください。私を利用してください。ずっとずっと」
「………」
「そんな、全てを諦めたような顔は、しないでください」

志藤さんを、不安にさせている。
その髪を、頬を撫でても、落ち着く様子はない。
目から恐れが消えない。

「怖い。今になって、余計に、恐ろしい。あなたを失うことが怖くて仕方ない」

怖いものを全部取り払ってあげたくなるのに、彼に怖いものを与えるのは俺なのだ。
俺が一番、志藤さんを傷つける。

「私から、あなたを、奪ないでください」

この人に、傷をつけたことはよかったのだろうか。
どちらにせよ後悔はするだろうと、思っていた。
この一途で健気な人が、ずっとではなくても、少なくともしばらくは、傷つき、苦しんで生きることになることを考えると土下座して謝りたくなる。
昨日に遡って何もなかったことにしたくなる。
今だって後悔している。

でも、こうして、求められ、俺の存在を認めてくれる人が欲しかった。
志藤さんを引きずり込まなかったら、それはそれで、後悔していただろう。
俺を求めるこの人を、失うなんて考えられない。
傷つけ、苦しませても、ずっと忘れてほしくなんてない。

「………好きです、縁さん」

だからもう、俺はこの言葉しか言えない。
謝っても仕方ない。
俺はこの人を利用し引きずり込んだ。
今更だ。

「大好きです」

あなたが昨日くれた、愛していると言う言葉は、返せない。
その重みも熱さも、俺には分からない。
言えない。

でも、好きだ。
愛しい。
あなたと一緒にいたい。
ずっとずっと、一緒にいたい。

「大好きです。昨日より、一月前より、半年前より、ずっともっと、あなたが好きです。きっと、明日はもっと好きになります」

体をつなげることになんの意味があるのだろうかとも思った。
ただの、接触、ただの性欲処理。
そこに俺の求める意味などあったのだろうか、と。
でも、やっぱり意味は、あった。
何がと問われると、明確に答えらないけど、でもこの胸に広がる後悔と、それを大きく上回る安堵感と充足感。
これに意味がないとは、思えない。

「………三薙さん」
「ん」

下に引き寄せられて、唇に唇が触れる。
少しだけ乾燥して、かさついた唇。
昨日は、ずっと濡れていたのに。

「ん」

ちゅ、ちゅ、と音を立てて、何回かキスを繰り返す。
昨日も沢山のキスをもらった。
幸福感が胸が満ち溢れる。

ピピッ。

その時、ベッドサイドにおいてあった時計のアラームが小さな音を立てた。
一兄にもらったお気に入りの時計は、今日も正確に時を刻んでいる。
もう、朝だ。
夢は、終わる。

「そろそろ、起きましょう。朝食、ダイニングですよね。準備しないと、天が怒る」
「………はい」

志藤さんが名残惜しそうに、唇を離す。
名残惜しかったのは俺だっただろうか。
温もりが失われるのが寂しくて、手を伸ばしてしまいそうになる。
駄目だ、そろそろ動かなきゃ。

「風呂、先に借りてもいいですか」
「はい、勿論です」

気分を切り替えるためにも、勢いよく体を起こした。
そのまま、迷いを振り切るためにも、ベッドから降りる。
志藤さんがすかさず手をかしてくれようとした。

「あ、大丈夫です」

その手をそっと押しのけて、絨毯に裸足で降りる。
ここの室内着は薄いパジャマのようなものなので、浴衣のように裾が乱れてないのがいい。
ていうかズボン履かないで寝たんだな、俺。

「わ」

なんて考えて歩こうとしたら、膝に力が入らずその場に座り込んでしまった。
腰から下が、なんか自分のものではないようにだるく、痺れている。

「三薙さん!」

志藤さんが慌てて飛び降りて、俺の隣にしゃがみこむ。
やっぱり力が入らなくて、やっぱり不思議な感じだ。

「大丈夫ですか?どこか、痛いですか?」
「いえ、大丈夫です。ただ、力が入らなくて」

痛みや筋肉痛などはあるにはあるが、前の儀式の時よりずっとマシだ。
その代り、しびれるような感じで、うまく力が入らない。
だるい、疲れているっていうのが、相応しいかもしれない。
使いすぎたからだろうか。

「………三薙さん」
「一日で、三回もしたの、初めてだったんで、ちょっと体力ついていかなかったみたいです。ごめんなさい」
「っ」

安心させるために言い訳をすると、志藤さんが息を飲む。
ショックを受けたような顔をしたので、慌てて更に付け足した。

「志藤さんは、俺の後始末までしてくれたのに、本当に情けなくてすいません」

俺が気を失うように倒れこんだ後、後始末をしてくれたのは志藤さんだった。
儀式の時も一兄と天にやらせたみたいだし、本当に俺は体力がない。
昨日だって、少しは志藤さんを歓ばせたいと思ったのに、ついていくのに必死なだけだった。
熱に巻き込まれて、息をするのも絶え絶えで、溺れそうになるの怖くてを、志藤さんにしがみついていた。
俺は、ちゃんと、出来たのだろうか。
せめて、いい思い出になってるといいのだけれど。

「そういえば、えっと、その満足、できたでしょうか。俺、たぶん、下手だし」
「………頼むからおやめください」
「え」

恐る恐る聞くと、冷たい声で遮られた。
やっぱり駄目だったのかと焦って顔を上げると、志藤さんは額に拳を当てて目をつむっていた。
沈痛な面持ちで、なんだっけあれ、そうだ、考える人みたいだ。
そのまま、目を開けないまま、口を開く。

「その、ご無理をさせて、申し訳ありません。無体を働きました。本当に申し訳ありません」

俺の体力がないばっかりに、無理をさせたと落ち込んでいたのか。
無理なんてしてない。
俺がしたくて、したことだ。
ああ、でも結構、嫌とか言ってしまった気がする。
気にしてしまっただろうか。

「えっと、大丈夫ですよ?あ、二回目の時は、ちょっと辛かったから嫌っていっちゃったけど、あ、辛いっていっても、強すぎて怖くて辛いってだけで…」
「だから、おやめください!」

言葉は途中で遮られた。
また口をふさがれそうな勢いだ。
そして志藤さんはとうとう頭を抱えてしまった。

「………今ものすごく埋まりたい気分です」
「えっと、俺、大丈夫ですよ?」
「よくよく考えれば、三薙さんはまだ高校生なんですよね………。どう考えても犯罪です」

なんて今更なことを。
志藤さんも学生なんだし、別に大した年齢差でもない。
でも、法律的にはそういえばアウトなんだっけ。
こんな状況で法律もないもんだけど。

「でもほら、俺、初めてじゃないですし、そもそも兄弟でしてるし、犯罪とかそういう…」

顔をあげた志藤さんが、珍しく険しい顔をしいてた。
また、無神経なことを言った。

「問題じゃないって問題でもないですよね」
「………」
「………ごめんなさい」

じとっと睨まれて、つい謝る。

「その、少しでも、縁さんが、言い方アレですけど、楽しんでくれてたら、いいなって」
「………」
「………えっと駄目でした?」

志藤さんが、もう一度頭を抱える。
そして小さな声でぼそりといった。

「………よくなければ、三回も致しません」
「そ、そっか。よかったです」

そうか、それだけ、俺を欲しがってはくれたのか。
それなら、嬉しい。
何もできなかったけれど、満足してくれたなら嬉しい。

「俺、すごく、その、気持ちよかったです。縁さんも気持ちよければ、よかったです」

せめて、いい思い出に出来たならいい。
脅迫するみたいに無理やりしてもらったのに、悪いばかりじゃ申し訳ない。

「三薙さん」
「わ」

志藤さんが不意に顔をあげて、俺の肩をがしっとつかむ。
そして睨みつけるように、俺の目を真剣に見る。

「朝から、私の理性を試すおつもりですか?」
「え」
「三薙さん、私の理性は、あなたもご存じの通り、それほど堅牢ではありません。というか脆弱です。脆くすぐに打ち崩れます。お分かりですか?」
「えっと」

分かりますかと言われても分からなくて、首を傾げる。
志藤さんが、目を細める。

「すぐにでも、あなたをベッドに引きずり戻したくなるようなことは、これ以上おっしゃらないでください」
「あ………」

言われて、分かった。
顔に血液が集まって、熱くなってくる。
そんなつもりはなかったのだが、確かに変なことばかり言っている。

「………ごめんなさい」
「お分かりただけたのなら、問題ありません」

志藤さんがそう言い切ると、ゆっくりと、俺の体を立ち上がらせてくれる。
今度はなんとか立つことができた。
慣れてきたら、歩くことぐらいは出来そうだ。

「バスルームまでご案内します。その後はその、大丈夫ですか?」
「多分、大丈夫だと思います」

歩くことは出来そうだし、頭ははっきりしている。
座ってシャワーを浴びることぐらい、問題ない。

「お手伝いして差し上げたいところなのですが、それこそ、抑えが利かなそうなので………」
「は、はい」
「でもご無理でしたらおっしゃってください。例え目隠ししてでもお手伝いしますから」
「目隠しって」

志藤さんが目隠して、俺の入浴を手伝ってくれるのだろうか。
想像して、つい笑ってしまった。

「体洗ってもらうのとか、難しそうですね」

そこでまた、志藤さんの目が剣呑になった。

「………三薙さん」
「………ごめんなさい」

いや、今のは俺が悪いのだろうか。
ふったのは志藤さんではなかろうか。
なんて言ってても仕方ないか。

「縁さんのお力を借りる必要は、たぶんないです」
「ありがとうございます」

俺も少しは、クールダウンしよう。
なんだかふわふわとして、現実味がない。
もう、夢は終わるのに。

「その、三薙さん」
「はい」

手を貸してもらいながらゆっくり歩いていると、志藤さんが隣で俺を呼ぶ。
隣を見ると、さっきとは全く違う、志藤さんは静かな目で俺を見ていた。

「この部屋を出たら、私のことは今まで通り、志藤とお呼びください」
「………」

昨日、縁と呼べと言われた。
特別になれた気がして、嬉しかった。
でも、もう、特別を取り上げられる。
黙りこんだ俺に、志藤さんも表情を歪める。

「勝手を申し上げてすいません。でも、あなたは嘘がつけない人です。一矢さんや先宮に、気取られてはいけないの、ですよね」
「………はい」

特定の誰かと、親しくするのは禁じられていた。
友人たちですら、彼らによって用意されていた。
もし、志藤さんと、こんなことになっているなんて知られたら、どうなるのだろう。

「もし、知られたら、どうなるか、分からない。縁さんだって………」
「私はどうなろうとかまいません。でもあなたが傷つくことだけは、あってはならない」

首を大きく横に振る。

「俺は、あなたが傷つくのだって、嫌です」
「はい。存じております。ですから、お願いいたします」
「………分かりました」

仕方のないことだ。
夢はもう終わり。
我儘を言うのも、終わり。

「………今、この部屋の中だけだったら、いいんですよね?」
「はい」

立ち止まり、隣の志藤さんを見上げる。
志藤さんも切なげに眉を顰めていた。

「縁さん」
「はい」

儚げな見た目とは裏腹に、綺麗な筋肉のついた実は逞しい体に抱き着く。
昨日、ずっとこの匂いに包まれていた。
この体にしがみついていた。

一兄とも天とも違う、手、体、匂い。
俺が触れ合う、きっと最初で最後の、他人。
ずっとずっと、覚えていよう。

「縁さん、縁さん縁さん」
「三薙さん」

志藤さんも、俺の体を強く抱きしめてくれる。
優しくて可愛くて強くて弱くて脆くて逞しくて、そして俺を愛してくれた人。

「大好きです、縁さん」
「はい、私も、あなたをお慕い申し上げています。三薙さん」

頬を掴み、こちらに引き寄せ、キスを強請る。
それはすぐに与えられて、吐息を受け止める。

夢は終わる。
とても綺麗で楽しい夢だった。





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