俺に出来ること。 俺に出来ないこと。 俺にしか出来ないこと。 俺がしたいこと。 俺がすべきこと。 俺に残された、選択肢。 選べる選択肢は、多くない。 ベターなものを選んで、為すべきことを為す。 何を選んでも、後悔は絶対にするのだから、少しでも後悔の少ない選択をするしかない。 そう、一兄も天も、繰り返し、教えてくれた。 俺は何を選べる。 何を、選びたい。 今日も玄関先には、クラスメイトが困ったような笑顔で待っていた。 朝早くからご苦労なことだ。 でも、今日は一人しかいない。 そのことには、少しほっとする。 「おはよう、三薙」 ずっと反発していても、面倒だ。 苛立って接するのも、疲れる。 「おはよう、誠司。佐藤は?」 「あいつは今日用事があるってさ」 そうか、いないのか。 よかった。 藤吉よりもずっと、佐藤といる方が疲れる。 そのまま、会話は少なく、学校へ向かう。 ちょっと前まで、二人で話しながら歩くのが、あんなに嬉しくて、楽しかったのにな。 ずっと憧れていた藤吉と友人になれたことが、嬉しくて、仕方なかった。 そんな俺を、こいつはどんな目で見ていたのだろう。 佐藤は、分かりやすく俺を嘲笑っていたけど。 「………誠司と佐藤は、仲がいいの?」 「やめてくれ」 藤吉は珍しく顔を歪め、忌々しそうに吐き捨てる。 「あいつは、バケモノみたいなものだ。近くにいるだけで寒気がする」 確かに、間違いなく人でありながら、間違いなく人とは異質な存在。 会話するのにも、精神力がガリガリと削られる。 「………佐藤って、なんなの?」 藤吉はゆるりと首を横に振る。 「俺も知らない。これは本当に。隣の管轄の人間らしいけど、出自も、どういう存在なのかも知らない」 「そう、なんだ」 「ああ、ごめんな」 その言葉が本当かどうか、俺には知る術はない。 例え嘘で、藤吉が何か知っていたとしても、黙っていると決めたなら、俺に言うはずもない。 じゃあ、聞くだけ無駄だ。 佐藤の正体は気になるけれども。 「誠司は、妹のために、宮守に、仕えてるの?」 「………」 この前、佐藤がちらりと言っていたこと。 そういえば、妹がいると、前に言ったいたことがあった。 そして金のために、宮守に仕えてると言っていた。 妹さんのために、金がいるのだろうか。 「お前はそういうの、気にしなくていい」 けれど藤吉は、表情を硬くして、首を横に振る。 立ち止まり、俺の目をしっかりと見つめる。 「お前は、俺の事情なんて、気にしなくていいんだ」 事情を知りたいと思うのはいけないことだろうか。 そもそも、理由を見つけたら、俺は楽になれるのだろうか。 仕方ないと納得することができるのだろうか。 「お前は、お前のことだけ、考えていれば、いいんだよ」 「………誠司」 「俺も佐藤も、それに、一矢さんも四天君も、全員自分のことしか、考えてない。自分勝手なことしか言わない。だから、三薙も、自分勝手になっていい。人の事情なんて、感情なんて、気にしなくていいんだ」 知らない方がいいのだろうか。 それでも、知りたい気がする。 でもそうしたら、人を憎しむ恨む気持ちが薄れるだろうか。 それは、いいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。 「………自分勝手か。俺、結構自分勝手だと思うんだけどな」 「もっと、もっと、なっていいんだよ。我儘言っていいんだよ。お前は、もっと、色々、勝手にすれば、いいんだよ………っ」 最後に、感情が堪えきれなかったように、声が弾む。 藤吉の顔を見ると、苦しそうに顔を歪めていた。 ああ、やっぱり、藤吉は佐藤と違う。 藤吉はまだ、俺に、心を見せてくれる。 感情をぶつけてくれる。 それが、嬉しい。 「誠司は、それでいいの?俺がそんなことして」 「………俺は俺で勝手にする。だから、お前も勝手にすれば、いいんだよ」 これは、もしかしたら演技だろうか。 演技じゃないといい。 せめて、俺に対する感情が、少しでも残っていてくれればいいのに。 「こっち来い」 「う、うん」 休み時間のわずかな時間に、岡野に屋上に引っ張り出される。 こんな時間に、それでもちらほらと人がいた。 でも、距離があるせいか、お互いの会話は聞こえない。 抜けるような青空、初夏の陽気の中、風が涼しくて気持ちがいい。 「まーだ暗い顔してやがる」 「ごめん」 岡野が不機嫌そうに、俺を睨みつける。 何と答えたらいいか分からず、つい謝ってしまった。 ただ謝っても、岡野は怒るだけなのに。 案の定、岡野がますます目を細める。 だから、慌てて、言い訳のようなことを言ってしまう。 「でもちょっと、浮上してきた。岡野とか、藤吉のおかげで」 「………本当に?」 「うん」 浮上と言えるのか、分からない。 でも徐々に、心の整理はついてきている気はする。 後少し。 後少しなんだ。 「もうちょっと、話聞いてもらっていい?」 「言え」 岡野は躊躇いなく、頷いた。 ああ、本当に、かっこいいなあ、岡野は。 こんな風に、強く潔くなりたかった。 「俺さ」 「うん」 「皆、守りたかったんだ。俺に、関わってきてくれた人、俺に優しくしてくれた人、俺を好きになってくれた人、そんな人たち全員、守りたくて、幸せにしたかった」 岡野も槇も、それに、藤吉も佐藤も守りたかった。 一兄も双兄も天も、父さんも母さんもみんな大事にしたかった。 守りたかった。 「でも、俺、何も出来ないんだよな」 いつだって守られる立場でいるのが嫌で、守りたかった。 俺だって、皆を守りたかった。 でも、俺はそんなこと、期待されてもいなかった。 俺みたいなちっぽけな存在では、何もできない。 「誰も、守れない」 宮守の家も、栞ちゃんも五十鈴姉さんも守りたい。 でも、俺に出来ることなんて、ほとんどない。 「った」 岡野が容赦なく俺の頭をはたく。 「な、なに」 「当たり前だろ」 「当たり前か」 確かに、俺には力も何もない。 ただの宮守の道具だ。 何も、出来ないのは当たり前だ。 「あんたが何言ってんだか分からないけど、大勢の人を幸せにする、とか、そんなの、簡単に出来るわけねーだろ」 「うん」 「特にあんたなんて、へたれなんだから、あんた一人で、何が出来るのよ」 「うん」 「あんたの周りには、頼れる人がいるんだから、頼ればいいでしょ」 頼れる人は、ほとんど失ってしまった。 そして少しだけ残った天と志藤さんも、引き離されてしまった。 人がいなければ、俺は本当に何も出来ない。 「………頼りすぎて、俺は、人を傷つけてばかりなんだ」 志藤さんも天も俺に関わったばかりに、こんなことになってしまった。 俺が二人に縋らなければ、こんなことにはならなかっただろうか。 分からない。 「そりゃ、人は生きてりゃ、喧嘩とかするし、全員と仲よくなるってのも無理でしょ。誰かを傷つけないなんて、無理だ。そんなの、誰とも関わらないで、ぼっちでいるしかない」 岡野は俺の言葉を誤解したのか、天と喧嘩した話とでも思ったのだろうか。 でもそれでもいい。 真実を言う気もない。 「前にも、言ったけど、とりあえず、あんたが出来ることやればいい。全部やろうなんて思わなくていい。あんたは、へたれだけど、へたれなりに、強いし、頭いいし、頑張ってる」 強くない、馬鹿で、行動力もない。 もう、どうしたらいいのか、分からない。 「あんたが、出来ることやれば、きっと、いい方に向かうよ」 今までいい方向に向いたことなんて、ほとんどなかった。 全ての行動が、裏目に出てきた。 いい方向なんてあるのだろうか。 俺が進む未来に、いい未来なんて、あるのだろうか。 「そう、かな?」 「自分が信じられない?」 「うん」 自分ほど、信じられないものはいない。 もっと、強く賢く自信に満ちて、一兄のように、天のように、なれればよかった。 「じゃあ、私を信じろ」 岡野はやっぱりすぐに、俺の顔をじっと見て、そんなことを言った。 一瞬何を言われたのかよくわからない。 「岡野、を?」 「そう。私はあんたが割と結構出来る奴だって知ってる。そんで、前にも言ったけどあんたがやることを信じてる」 岡野が強く光り輝くその眼で、俺をじっと見つめる。 「あんたを信じてる、その私を、信じろ。あんたに賭けた私に損をさせるな」 一瞬、校庭の声も、下の教室の椅子を引く音も、辺りの音が全て消えた気がした。 周り音も、周りの景色も、一切が、消える。 ただ岡野の姿と声しか、存在しなかった。 「なんて、こっ恥ずかしいこと言ってるけどさ!!!」 言った本人の岡野は頭を掻き毟って、顔を一気に赤くする。 「あー、もう、何言ってんの!あんたの恥ずかしい発言が移った!」 「恥ずかしくなんてないよ」 「くっそ!」 くしゃくしゃと頭を掻き回してから、踵を返して、逃げ出そうとする。 その腕を捕まえて、引き寄せる。 岡野の赤く染まる耳を見ながら、気付かれないようにその髪にそっと口づける。 「岡野。ありがとう、岡野」 「………くそ」 悔しそうに、漏れる声。 その声が、愛しくて嬉しくて、泣き出しそうだ。 「うん、俺は、岡野のことなら、信じられる」 そうだ、信じよう。 何があっても、俺のやったことは、正しいのだと信じよう。 だって、岡野が信じてくれてる。 だから、信じよう。 「ありがとう、岡野」 そうだ、そうだったんだ。 岡野も槇も、そして志藤さんも、俺の意思を尊重してくれた。 守ろうとしてくれた。 俺は、信じられていた。 天も、俺の選択肢に従うと言った。 岡野、何をしても、嫌わないでいて。 槇、ずっと友達でいて。 志藤さん、俺を忘れないで、その記憶に、刻み込んだ、俺の名残を、覚えていて。 そして天、どうか、俺の願いを、聞いて。 「もう、迷わないことに、する」 俺はもう、選ぶしかない。 俺に出来ること。 俺に出来ないこと。 俺にしか出来ないこと。 俺がしたいこと。 俺がすべきこと。 俺に残された、選択肢。 選べる選択肢は、多くない。 ベターなものを選んで、為すべきことを為す。 何を選んでも、後悔は絶対にするのだから、少しでも後悔の少ない選択をするしかない。 そう、一兄も天も、繰り返し、教えてくれた。 奥宮になりたくない。 栞ちゃんと五十鈴姉さんを奥宮にもしたくない。 次代の奥宮なんて、絶対に作りたくない。 でも、場を荒らしたくなんて、ない。 宮守の家を守りたい。 岡野や槇を守りたい。 皆を守りたい。 矛盾することばかり。 選べないことばかり。 俺に残された選択肢。 俺が出来ること。 俺に許されていること。 俺が信じられる人。 それは、本当に、わずかなこと。 でも、何も為さず、何も選ばず終わる訳にはいかない。 そんなことはしたくない。 ただ、ひとつでも、出来ることがあるのなら、したい。 しなければだめだ。 しなければ、後悔する。 せめてベターな道を選び、それを為すために、力を尽くす。 俺はこれから、人を傷つけるだろう。 俺を、愛してくれたなら、愛してくれただけ、その傷は深いものになるだろう。 もし、俺になんの感情も持ち合わさなければ、傷はつかず、俺は、何も成せない。 どちらを、願っているかは分からない。 でも、もう決めた。 俺は、俺を愛してくれた人たちに、呪いをかける。 |