俺に出来ること。
俺に出来ないこと。
俺にしか出来ないこと。

俺がしたいこと。
俺がすべきこと。
俺に残された、選択肢。

選べる選択肢は、多くない。
ベターなものを選んで、為すべきことを為す。
何を選んでも、後悔は絶対にするのだから、少しでも後悔の少ない選択をするしかない。
そう、一兄も天も、繰り返し、教えてくれた。

俺は何を選べる。
何を、選びたい。



***




今日も玄関先には、クラスメイトが困ったような笑顔で待っていた。
朝早くからご苦労なことだ。
でも、今日は一人しかいない。
そのことには、少しほっとする。

「おはよう、三薙」

ずっと反発していても、面倒だ。
苛立って接するのも、疲れる。

「おはよう、誠司。佐藤は?」
「あいつは今日用事があるってさ」

そうか、いないのか。
よかった。
藤吉よりもずっと、佐藤といる方が疲れる。

そのまま、会話は少なく、学校へ向かう。
ちょっと前まで、二人で話しながら歩くのが、あんなに嬉しくて、楽しかったのにな。
ずっと憧れていた藤吉と友人になれたことが、嬉しくて、仕方なかった。
そんな俺を、こいつはどんな目で見ていたのだろう。
佐藤は、分かりやすく俺を嘲笑っていたけど。

「………誠司と佐藤は、仲がいいの?」
「やめてくれ」

藤吉は珍しく顔を歪め、忌々しそうに吐き捨てる。

「あいつは、バケモノみたいなものだ。近くにいるだけで寒気がする」

確かに、間違いなく人でありながら、間違いなく人とは異質な存在。
会話するのにも、精神力がガリガリと削られる。

「………佐藤って、なんなの?」

藤吉はゆるりと首を横に振る。

「俺も知らない。これは本当に。隣の管轄の人間らしいけど、出自も、どういう存在なのかも知らない」
「そう、なんだ」
「ああ、ごめんな」

その言葉が本当かどうか、俺には知る術はない。
例え嘘で、藤吉が何か知っていたとしても、黙っていると決めたなら、俺に言うはずもない。
じゃあ、聞くだけ無駄だ。
佐藤の正体は気になるけれども。

「誠司は、妹のために、宮守に、仕えてるの?」
「………」

この前、佐藤がちらりと言っていたこと。
そういえば、妹がいると、前に言ったいたことがあった。
そして金のために、宮守に仕えてると言っていた。
妹さんのために、金がいるのだろうか。

「お前はそういうの、気にしなくていい」

けれど藤吉は、表情を硬くして、首を横に振る。
立ち止まり、俺の目をしっかりと見つめる。

「お前は、俺の事情なんて、気にしなくていいんだ」

事情を知りたいと思うのはいけないことだろうか。
そもそも、理由を見つけたら、俺は楽になれるのだろうか。
仕方ないと納得することができるのだろうか。

「お前は、お前のことだけ、考えていれば、いいんだよ」
「………誠司」
「俺も佐藤も、それに、一矢さんも四天君も、全員自分のことしか、考えてない。自分勝手なことしか言わない。だから、三薙も、自分勝手になっていい。人の事情なんて、感情なんて、気にしなくていいんだ」

知らない方がいいのだろうか。
それでも、知りたい気がする。
でもそうしたら、人を憎しむ恨む気持ちが薄れるだろうか。
それは、いいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。

「………自分勝手か。俺、結構自分勝手だと思うんだけどな」
「もっと、もっと、なっていいんだよ。我儘言っていいんだよ。お前は、もっと、色々、勝手にすれば、いいんだよ………っ」

最後に、感情が堪えきれなかったように、声が弾む。
藤吉の顔を見ると、苦しそうに顔を歪めていた。
ああ、やっぱり、藤吉は佐藤と違う。
藤吉はまだ、俺に、心を見せてくれる。
感情をぶつけてくれる。
それが、嬉しい。

「誠司は、それでいいの?俺がそんなことして」
「………俺は俺で勝手にする。だから、お前も勝手にすれば、いいんだよ」

これは、もしかしたら演技だろうか。
演技じゃないといい。

せめて、俺に対する感情が、少しでも残っていてくれればいいのに。



***




「こっち来い」
「う、うん」

休み時間のわずかな時間に、岡野に屋上に引っ張り出される。
こんな時間に、それでもちらほらと人がいた。
でも、距離があるせいか、お互いの会話は聞こえない。
抜けるような青空、初夏の陽気の中、風が涼しくて気持ちがいい。

「まーだ暗い顔してやがる」
「ごめん」

岡野が不機嫌そうに、俺を睨みつける。
何と答えたらいいか分からず、つい謝ってしまった。
ただ謝っても、岡野は怒るだけなのに。
案の定、岡野がますます目を細める。
だから、慌てて、言い訳のようなことを言ってしまう。

「でもちょっと、浮上してきた。岡野とか、藤吉のおかげで」
「………本当に?」
「うん」

浮上と言えるのか、分からない。
でも徐々に、心の整理はついてきている気はする。
後少し。
後少しなんだ。

「もうちょっと、話聞いてもらっていい?」
「言え」

岡野は躊躇いなく、頷いた。
ああ、本当に、かっこいいなあ、岡野は。
こんな風に、強く潔くなりたかった。

「俺さ」
「うん」
「皆、守りたかったんだ。俺に、関わってきてくれた人、俺に優しくしてくれた人、俺を好きになってくれた人、そんな人たち全員、守りたくて、幸せにしたかった」

岡野も槇も、それに、藤吉も佐藤も守りたかった。
一兄も双兄も天も、父さんも母さんもみんな大事にしたかった。
守りたかった。

「でも、俺、何も出来ないんだよな」

いつだって守られる立場でいるのが嫌で、守りたかった。
俺だって、皆を守りたかった。
でも、俺はそんなこと、期待されてもいなかった。
俺みたいなちっぽけな存在では、何もできない。

「誰も、守れない」

宮守の家も、栞ちゃんも五十鈴姉さんも守りたい。
でも、俺に出来ることなんて、ほとんどない。

「った」

岡野が容赦なく俺の頭をはたく。

「な、なに」
「当たり前だろ」
「当たり前か」

確かに、俺には力も何もない。
ただの宮守の道具だ。
何も、出来ないのは当たり前だ。

「あんたが何言ってんだか分からないけど、大勢の人を幸せにする、とか、そんなの、簡単に出来るわけねーだろ」
「うん」
「特にあんたなんて、へたれなんだから、あんた一人で、何が出来るのよ」
「うん」
「あんたの周りには、頼れる人がいるんだから、頼ればいいでしょ」

頼れる人は、ほとんど失ってしまった。
そして少しだけ残った天と志藤さんも、引き離されてしまった。
人がいなければ、俺は本当に何も出来ない。

「………頼りすぎて、俺は、人を傷つけてばかりなんだ」

志藤さんも天も俺に関わったばかりに、こんなことになってしまった。
俺が二人に縋らなければ、こんなことにはならなかっただろうか。
分からない。

「そりゃ、人は生きてりゃ、喧嘩とかするし、全員と仲よくなるってのも無理でしょ。誰かを傷つけないなんて、無理だ。そんなの、誰とも関わらないで、ぼっちでいるしかない」

岡野は俺の言葉を誤解したのか、天と喧嘩した話とでも思ったのだろうか。
でもそれでもいい。
真実を言う気もない。

「前にも、言ったけど、とりあえず、あんたが出来ることやればいい。全部やろうなんて思わなくていい。あんたは、へたれだけど、へたれなりに、強いし、頭いいし、頑張ってる」

強くない、馬鹿で、行動力もない。
もう、どうしたらいいのか、分からない。

「あんたが、出来ることやれば、きっと、いい方に向かうよ」

今までいい方向に向いたことなんて、ほとんどなかった。
全ての行動が、裏目に出てきた。
いい方向なんてあるのだろうか。
俺が進む未来に、いい未来なんて、あるのだろうか。

「そう、かな?」
「自分が信じられない?」
「うん」

自分ほど、信じられないものはいない。
もっと、強く賢く自信に満ちて、一兄のように、天のように、なれればよかった。

「じゃあ、私を信じろ」

岡野はやっぱりすぐに、俺の顔をじっと見て、そんなことを言った。
一瞬何を言われたのかよくわからない。

「岡野、を?」
「そう。私はあんたが割と結構出来る奴だって知ってる。そんで、前にも言ったけどあんたがやることを信じてる」

岡野が強く光り輝くその眼で、俺をじっと見つめる。

「あんたを信じてる、その私を、信じろ。あんたに賭けた私に損をさせるな」

一瞬、校庭の声も、下の教室の椅子を引く音も、辺りの音が全て消えた気がした。
周り音も、周りの景色も、一切が、消える。
ただ岡野の姿と声しか、存在しなかった。

「なんて、こっ恥ずかしいこと言ってるけどさ!!!」

言った本人の岡野は頭を掻き毟って、顔を一気に赤くする。

「あー、もう、何言ってんの!あんたの恥ずかしい発言が移った!」
「恥ずかしくなんてないよ」
「くっそ!」

くしゃくしゃと頭を掻き回してから、踵を返して、逃げ出そうとする。
その腕を捕まえて、引き寄せる。
岡野の赤く染まる耳を見ながら、気付かれないようにその髪にそっと口づける。

「岡野。ありがとう、岡野」
「………くそ」

悔しそうに、漏れる声。
その声が、愛しくて嬉しくて、泣き出しそうだ。

「うん、俺は、岡野のことなら、信じられる」

そうだ、信じよう。
何があっても、俺のやったことは、正しいのだと信じよう。
だって、岡野が信じてくれてる。
だから、信じよう。

「ありがとう、岡野」

そうだ、そうだったんだ。
岡野も槇も、そして志藤さんも、俺の意思を尊重してくれた。
守ろうとしてくれた。
俺は、信じられていた。
天も、俺の選択肢に従うと言った。

岡野、何をしても、嫌わないでいて。
槇、ずっと友達でいて。
志藤さん、俺を忘れないで、その記憶に、刻み込んだ、俺の名残を、覚えていて。
そして天、どうか、俺の願いを、聞いて。

「もう、迷わないことに、する」

俺はもう、選ぶしかない。



***




俺に出来ること。
俺に出来ないこと。
俺にしか出来ないこと。

俺がしたいこと。
俺がすべきこと。
俺に残された、選択肢。

選べる選択肢は、多くない。
ベターなものを選んで、為すべきことを為す。
何を選んでも、後悔は絶対にするのだから、少しでも後悔の少ない選択をするしかない。
そう、一兄も天も、繰り返し、教えてくれた。

奥宮になりたくない。
栞ちゃんと五十鈴姉さんを奥宮にもしたくない。
次代の奥宮なんて、絶対に作りたくない。
でも、場を荒らしたくなんて、ない。
宮守の家を守りたい。
岡野や槇を守りたい。
皆を守りたい。

矛盾することばかり。
選べないことばかり。

俺に残された選択肢。
俺が出来ること。
俺に許されていること。
俺が信じられる人。
それは、本当に、わずかなこと。

でも、何も為さず、何も選ばず終わる訳にはいかない。
そんなことはしたくない。
ただ、ひとつでも、出来ることがあるのなら、したい。
しなければだめだ。
しなければ、後悔する。
せめてベターな道を選び、それを為すために、力を尽くす。

俺はこれから、人を傷つけるだろう。
俺を、愛してくれたなら、愛してくれただけ、その傷は深いものになるだろう。
もし、俺になんの感情も持ち合わさなければ、傷はつかず、俺は、何も成せない。

どちらを、願っているかは分からない。
でも、もう決めた。

俺は、俺を愛してくれた人たちに、呪いをかける。





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