天に手を引かれ、暗い道をただひた走る。

息が、苦しくなってきた。
体が重い。

この先に何があるかなんてわからない。
どこに行けばいいか、なんて分からない。
このままでは、すぐに家の人間に捕まってしまうだろう。
ここは、宮守の支配下。
先宮の、治める地だ。
ああ、でも今は奥宮がいないから、先宮の支配もそれほどではないのだろうか。

「天、これから、どうするんだ」
「………」

俺の手を引いてまっすぐに走っている天に問う。
でも、天は答えない。
当てもないのかな。
まあ、ないよな。
なんて考えていると、天がいきなり足を止める。

「………うわ!」

考え事をしていたせいもあって、天にぶつかりそうになり、慌てて止まって、前につんのめる。

「な、何」
「兄さん、一矢兄さんの力、いったん受け取るのやめることできる?」

天は質問には答えず、俺を振り向くとそれだけ端的に聞いてくる。
ああ、そうか、一兄の力がつながっている状態じゃ、すぐに分かってしまう。

「え、あ、うん、たぶん」

さっきと、同じだ。
大丈夫だ、出来る。
目を閉じて、体の中を巡る、力の源を辿る。
目が眩むほどのまばゆい白と、深い深い夜の海のような深い青。
その中の青い力を更に辿り、根っこの部分を見つけ出す。
湧き出る泉の源泉を、閉じる。
ゆっくりと、焦らず、力の源に、石をおいて、塞ぐ。

「………大丈夫、だと思う」

天が俺の腹に手をあてて、目を閉じる。
そして小さく頷いた。

「うん、平気かな」

それから呪を唱えて、何かの術を俺にかける。
これは、結界だろうか。
薄い膜で、全身を覆われたような、不思議な違和感。

「今のは?」
「一応めくらまし。ま、これでどうにかなるか分からないけど」

どうにか、なるのだろうか。
一兄はこれで、誤魔化されてくれるような人だろうか。

「後、顔拭いて」

おもむろに天は着ていた薄着の上着を脱ぐと、袖を切り裂いて俺に渡す。

「え」

更にもう一つの袖を切り裂くと、それで自分の腕を拭う。
もう止まっているようだが、血が流れ伝っていた腕を。
さっき、一兄との打ち合いで、怪我をしたところだ。

「あ、鼻血」

それでようやく自分も血に汚れていたことを思い出した。
無理に一兄の力を奪ったせいで、鼻血を出してしまったのだ。
今までどんな間抜けな顔をしているんだろう。
慌てて天にもらった布で顔を拭う。

「まだついてる」
「いた!いだい!いた!」

乾いたせいかうまく落ちなかったようだ。
ぐいぐいと雑巾がけのように、乱雑に拭われる。

「痛いっつってんだろ!」
「んじゃ、行くよ」
「え、うん」

俺の抗議はいつものように無視して、すたすたと歩き始める。
その後ろを慌てて、追いかける。

「あ、いたいた。よかった」

天が角を曲がると同時に、明るい声を出す。
そして、足早に駆けていく。
俺も同じように曲がると、そこには壁にぴったりとくっつけるようにしてタクシーが止まっていた。
天がコンコンと窓を叩くと、わずかに窓ガラスを開けてくれる。

「すいません、お待たせしました。連絡していた山田です」
「ああ、遅かったね。もう帰ろうかと思ってたよ」
「ごめんなさい、準備に手間どっちゃって」

天がにっこりと礼儀正しく言うと、タクシーの運転手はそれ以上特に何も言う気はないらしい。
黙って、後部座席のドアを開けてくれる。

「ほら、兄さん行くよ」
「あ、うん」

促されて、タクシーの乗り込む。
天はタクシーの運転手に、少し先の割と大きな駅の名前を告げる。
運転手は頷いて、ゆっくりと車を発進させた。

車の中が、静まりかえる。
窓の外に、見知った街が流れていく。
どこに、行くんだろう。
これから、どうすればいいんだろう。

「………天」

言いようのない不安にかられて隣の弟に話しかける。
けれど弟はわずかに微笑んで、俺の呼びかけを黙殺した。
今は、答える気が、ないのか。
まあ、そうだよな。
タクシーの運転手にも、おかしく思われる。

くつろぐ天を横目に、俺もシートに背中を埋める。
今にも後ろから、何かが追いかけてくる気がして落ち着かない。
でも、天がくつろいでいるのなら、大丈夫なのだろう。

疲れた。
すごく、疲れた。
手足が重い。

これから、どうしよう。
どこまで、行こう。



***




「ありがとうございました」
「えーと、おつり」
「待っていただいたお礼です。取っておいてください」

天が学生らしくないやりとりをして、代金を払う。
それから駅舎の中にすたすたと歩いて行ってしまう。
駅にはまだまだ人が多く、店も開いていて、賑わっている。
その明るさに、ほっとしてしまう。
疲れた顔をした人たちばかりだが、でも、生きている人の気配は落ち着く。

駅で何をするんだろう。
天には色々聞きたいことはあるけど、今聞いても答えてくれない気がするので、黙って後についていく。
急いでいるんだろうし。

「コインロッカー?」

そして駅舎に入ってすぐ右手にあったコインロッカーの前に立ち止まる。
天は何やら電子的なパネルに、数字を打ちこんでいる。
するとロッカーの一つが、パカリと開いた。
なるほど、今のコインロッカーは、鍵はいらないらしい。

「あった」

天は大きめのボストンバッグを取り出して、抱え上げる。
もしかして、荷物を用意していたのだろうか。
こいつはいつから、こんな備えをしていたのだろう。
驚いてじっと見ている俺の前で、天はバッグを開いて、いつも持っているものとは違う携帯を取り出す。

「………」

そしてしばらくその携帯を操作する。
5分ぐらい、だろうか。
操作を終えて天が俺にようやく視線を向ける。

「おっけ。じゃあ、行こうか」
「電車に乗るのか?」
「ううん」

天はまたすたすたと駅舎の外に歩いて行ってしまう。
急いでるのは分かるけど、少しくらい説明しろ。

「なにここ。バス停?」

そして辿り着いたのは、駅から少し離れたところにある、広場のようなところだった。
バスが何台か止まり、こんな夜なのに結構人がいて、騒がしい。

「高速バス。長距離移動用のバスだね」

高速バス。
聞いたことはあるけど、見るのは初めてだ。

「こんな夜にバスがあるんだ」
「寝てたら目的地に着くってのが売りかな」
「あ、なるほど」
「狭いけど我慢してね」

その後、まだバスの時間まであったのでパンと飲み物だけ買ってバスに乗り込む。
なんだかぼうっとしている間に、天がさくさくと物事を進めてしまった。
器用で頭のいいやつだと思っていたが、本当にしっかりしている。
タクシーも荷物もバスも、何一つ俺には思いつけなかった。

「結構人いるな」
「そうだね。紛れていい」

バスは左右二列づつで、ほぼ満席のように見える。
天が言った通り前とも横とも幅が狭い。
シートはそんなに悪くないが、窮屈だ。
でも、ざわざわと静かな喧騒に包まれるバス内は、割と居心地がいい。

「………なんか、楽しいな」
「ん?」
「こんな時にアレだけど、ちょっと、楽しい」

このバスに乗っていたら、どこかに、つけるのだ。
遠い、どこかに。

「懐かしいな。二人で、東条家行った時みたい」
「ふーん」

天は俺の言葉に興味なさそうに生返事を返す。
ちょうど一年ぐらいか。
あの時は電車だったけど、今と同じように二人だった。
あの頃から俺の置かれた状況も、天との関係も大きく変わってしまった。
一年前は、考えもしなかったことばかりだ。
ただ無為な安息を、ぬるい焦りを感じながら、過ごしていた。

「やっぱり狭いな。起きたら足むくんでそう」

天が不満そうに、足を少しぶらぶらと動かす。
その仕草が少し子供ぽくて、微笑ましい。

「タクシーとか、電車じゃ駄目だったのか?」
「タクシーは子供の家出とか言われたら、記録洗われてどこ行ったかすぐ分かっちゃう。未成年のタクシー長距離移動なんてそもそも怪しすぎだし。電車も一緒。カメラだらけ。バスもドライブレコーダーぐらい付いてるだろうけど、まだマシなんじゃないかな。多分」
「多分、て」
「俺だって、詳しくは分からない」

まあ、そうか。
どうやったら家出が成功するのか、なんて分からない。
宮守の目をごまかすのはどこまですればいいのかなんてわからない。

「ずっと、用意してたのか?」
「荷物は最近用意してた。いざという時、どうやって動こうかは、考えてた。今回はバスが空いてたから、バス」

天が靴を脱いで、シートに深く背を預ける。
その顔には深い疲れが見える。
それに怪我も、しているんだ。

「………そう、か」

また俺のために、こいつを無理させた。
もう怪我もさせたくないし、おんぶに抱っこではいたくないのに。
でも結局、今日もただ天に着いていくことしかできなかった。

「何?これみよがしにため息ついて」
「いや、またお前に任せっきりで、悪いなって」
「兄さん世間知らずなんだから仕方ないでしょ」
「………悪かったな」
「悪いとは言ってない」

天の毒舌は、相変わらずだ。
でも、言っていることは本当で、落ち込みそうになる。
落ち込んでも仕方ないのに。

「ま、今回は俺が連れ出したんだし、エスコートくらいはするよ」

フォローなのかなんなのか。
落ち込んでいたが天の言いように、笑ってしまう。

「今頃、家、大騒ぎなんだろうな」
「大捜索中かな」

あの家では、今俺が一番最重要人物だ。
血眼になって探してくれてることだろう。
本当、こんなに大事にされる日がくるなんて思わなかった。
ずっと無駄飯喰らいの役立たずだと、鬱々と過ごしてきたのに。
今やVIP中のVIPだ。
そんなことを考えて、つい笑ってしまった。

「………でも、よかった」
「え」
「その、一兄とか、藤吉とか、佐藤とかに、ちょっと、仕返しできて、嬉しかった」

自分でも性格が悪いと思うが、やっぱり嬉しかった。
あいつらに痛い目を合わすことが出来て、楽しかった。

「すっきりした」

少しだけ胸が梳いた。
みっともない姿を見れて、満足だった。
俺ばっかり好きにされるのは理不尽だ。
猫を噛む鼠に、少しはなれただろうか。
あいつらも少しは、悔しがってくれるだろうか。
悔しがってくれると嬉しいんだけど。
そうしたら俺も対等の人間だったのだと、思える。

「ありがとう、天」

その機会を与えてくれたのは天。
バスの隣の席に向き合い、礼を言う。
天は俺の視線を受けて、肩を竦める。

「どういたしまして。ようやく反抗期がきたみたいでよかったね」
「反抗期って」
「ざまあみろって、リアルではじめて聞いた」
「う、うるさい!」

やっぱり、あれは言わない方がよかっただろうか。
よくよく考えれば、すごく子供っぽい。
だってあの時、あれしか浮かばなかった。
一兄に恨み言の一つでも言いたかったのに、出てきたのはアレ。
さすがにちょっと恥ずかしい。

「でも、俺もすっとしたよ。兄さんが、一矢兄さんや藤吉さんに言い返すの見て。兄さんも一応、仕返ししてやりたいとか思う機能備わってたんだね」
「………だって、少しくらいいいだろ」
「いいと思うよ。少しじゃなくて、いっぱいでもね。もっとやればよかったのに」

今度は俺が肩をすくめる。
俺にはあれが精いっぱい。
だって、必要以上に傷つけたいわけじゃないんだ。
誰であっても、傷つけるのは嫌なんだ。

「そうかもな。でも俺はあれですっきりした。天のおかげだ」
「そりゃよかったね」

天がつまらなそうに鼻を鳴らす。
本当に攻撃的なやつ。

『まもなく消灯の時間となります………』

バスの中にアナウンスが流れる。
そしてしばらくしてバスの中の照明が落とされる。
おしゃべりする人がいなくなり、バスの中が静まり返る。

「じゃあ、ちょっと俺、寝るね。疲れた。おやすみ」
「うん」

天が小さな声で言って、目を閉じる。
俺もシートに身を沈める。
静かな暗闇に、少しだけ恐怖と焦燥が沸きあがってくる。

狭い車内は、隣のシートとの距離もほぼない。
ふと、俺の手のすぐ隣に天の手があることに気づいた。

「ありがとう、天。おやすみ」

その手の上でに自分の手を乗せる。
大きな手の頼もしさに不安がゆるゆるとほどけていく。

温もりを感じながら、俺も目を閉じた。





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