ひとまず藤吉と佐藤を無力化したことでほっとして、大きく息を大きくつく。 手足が重い。 まだ胸と腹はずきずきと痛む。 疲れた。 高揚感はまだ残っているものの、疲れた。 キィン。 金属が触れ合う耳障りな音が響いた。 慌てて、後ろを振り返る。 そこには、鍔迫り合いの接戦を演じる長兄と末弟の姿。 そうだ、ほっとしている場合じゃない。 あっちではまだ、続いている。 もう一度大きく息を吸って吐いて、心を落ち着ける。 大丈夫。 大丈夫だ。 俺は、大丈夫。 「よし」 短剣を握り直し、そちらに駆け寄る。 二人は身の丈の半分ほどもある長い剣を軽々と扱いながら、一太刀浴びればただじゃ済まない斬撃を相手にふるいつづける。 「くっ」 一兄が上段から振り下ろす剣を、天が辛うじて受け止めて、払いのける。 天の額には汗がびっしりと浮かび、顔にはわずかに焦りが浮かんでいる。 天が、劣勢、だ。 一兄も汗を掻き、疲れは滲ませているが、表情に余裕は見える。 「人数は多いし、俺監禁明けで鈍ってるし、ちょっとハンデ、ありすぎじゃない?弟相手にみっともなくない?兄のプライドは?」 息を乱しながらも、減らず口を叩く天の言葉に、思い出す。 そうだ、天は今まで、どこかで謹慎していたんだ。 体力が、落ちているかもしれない。 それに、天は今、黒輝と白峰を顕現させている。 二体とも、力の強い意思を持つ使鬼。 いくら天の力が無尽蔵だといえど、その負担は決して小さくないはずだ。 「お前の実力はよく知っている。侮り、ことにあたる方が失礼だろう。全力を尽くさせてもらう」 末弟の挑発に、けれど長兄は小さく笑って、更にその剣をふるう。 天は辛うじてそれを受け流しながらも、唇を歪め笑う。 「この場合は、侮ってほしかったなあ。でも、一矢兄さんのそういうところやっぱり好きだね」 「俺もお前のその血気盛んなところと、脆いほどに真っ直ぐなところは気に入っている」 「相思相愛だね。敬愛するお兄様」 「そうだな、可愛い弟よ」 紛れもなく命のやりとりをしているはずなのに、二人はじゃれ合うように笑いあう。 でも、このままじゃ駄目だ。 このままじゃ、二人のどちらかが、たぶん天が、少なくとも怪我をする。 そんなの駄目だ。 嫌だ。 「………っ」 どうすればいい。 どうしたらいいんだ。 あの二人の間に割って入るのは、俺の腕では無理だ。 俺が怪我をするのはいい。 下手すれば、そのせいでどちらかに怪我をさせる。 それは、嫌だ。 「………」 辺りを見渡すと、輝く黒と白の光が視界の隅に入る。 そうだ、それに、黒輝と白峰は、まだ戦っていた。 しっかりしろ。 呆けている場合か。 まず、あの使用人の二人を、どうにかしよう。 黒輝と白峰の力を使わなければ、天の負担も少しは軽くなるはずだ。 「黒輝、白峰、こっちこい!!」 それぞれ一対一で組み合う人と獣。 黒と白の獣は一瞬こちらをちらりと見た気がしたが、そのまま無視される。 「………あいつら」 そちらに駆け寄って、もう一度、気高く力ある鬼の名前を呼ぶ。 「黒輝、白峰、来いってば、もう!」 そこでようやく、二人が、隙を見て二人の使用人から離れる。 そしてこちらに駆け寄ってきてくれる。 疲れを見せることのない人ならざるものは、俺の前まで来るとくるりと振り返り、後ろから追いかけてくる敵に対峙する。 俺を庇うように。 「………ありがとう」 そして二人を追ってくる、二人の男性。 三浦と太一って、一兄が呼んでいたっけ。 三十代ぐらいの男性と、二十代前半ぐらいの男性。 顔は知っている。 家には、住んでいなかった気がする。 「三薙様、こちらへ。四天様に惑わされないでください」 「傷つけたくはありません。おいでください」 俺を前にして、慇懃に声をかけてくる。 そんなこと言って、若い方はさっき俺に思いきり攻撃してきたくせに。 まあ、この人たちも仕事だから、仕方ないよな。 この人たちが悪いわけじゃない。 ていうか俺が迷惑かけてる立場でもあるな。 「………ごめんなさい」 なので一言謝って、思いきり背を向けて走り出す。 塀まであと少しだ。 「行くぞ、黒輝白峰!」 二人はすぐに反応してくれて、後ろから追いかけてくる気配がする。 ちらりと後ろを振り返り、そっと小さな声で囁く。 「黒輝、白峰、牽制してくれ。でも、あっちにあまり近寄りすぎるな」 小さな小さな声だったが、鬼である二人にはきっと聞こえたはずだ。 黒輝がぐるると、小さく唸る。 「待て!」 三浦さんと太一さんが追いかけてくる。 式か何かを投げつけてきたのは、黒輝か白峰が跳ね除けてくれる。 そのまま塀の近くまで来たときに、振り返り、口の中で唱えていた呪を解き放つ。 「宮守の血の力により、我が敵をを寄せ付けぬ塞となれ!」 「うわ!」 短剣を振り払うとともに、力を放つ。 壁型の、結界を作り上げる。 攻撃力がある訳ではない。 ただ、害意を持つものを少しだけはじく、簡単な結界。 咄嗟に作ったので、力は弱い。 「つっ」 でも、一瞬足を止めるには十分。 思いきり結界にぶつかり、はじかれた二人がたたらを踏む。 「宮守の血の力により、我が内なる世界よ、ここにあれ。我が敵、我が友、全てをつつむ、優しき檻を顕現す」 その隙に、走りながら撒いていた天の水晶の力を借りて、結界を作り上げる。 馬鹿の一つ覚えだが、俺が出来ることなんて、本当にほとんどない。 簡単な術が、いくつか使えるだけだ。 天の水晶様様だ。 もう大盤振る舞いしちゃったから、ほとんど残ってないけど。 後で怒られるかな。 「やめろ!」 「解くぞ!早く!」 二人が、焦っている。 そんなことさせない。 解かせない。 強く太い格子で包まれた、檻のイメージ。 でも、別に痛みを与えたい訳じゃない。 優しく優しく、二人を、ことが終わるまで閉じ込めておいてくれればいい。 イメージを想像し、創造し、広げ、閉じる。 「世界よ、閉じろ」 方々に散った力を編み上げ、結び上げる。 最後にぎゅっと結べば、出来上がり。 藤吉にはかなわないかもしれないけど、俺だって結界は得意な方だ。 こんな風に世界をつくる結界はさっき初めて作ったけど、結構いけるもんだ。 「………よし」 しん、と辺りが静まり返る。 どうやらちゃんと世界を閉じることができたようだ。 まあ、あの二人も強いみたいだったから、すぐ破られるだろうけど、その間に逃げればいい。 術返し喰らったら大変だから、俺から切り離しておこう。 直接の支配を切り離し、力をその場に置いてくるイメージ。 出来るかな。 出来るはずだ。 俺は、出来るはずだ。 そっと、作り上げた球体を、放り出す。 「………、出来たかな」 自分から切り離したらもう強化も出来ないし、耐久力は落ちる。 でも、少しの間で、いい。 長く時間をかけている暇はない。 「出来る、もんだな」 多分成功して、切り離したはずだ。 大きく息をつく。 疲れた。 でもまだまだ、力は残ってる。 少し力を使っただけで、疲労困憊して立っていることすら辛かった頃とは大違いだ。 常に共にあった、飢え。 今はもう、懐かくすらある。 「………力があるって、いいな」 こんな力が、欲しかった。 強くなくてもよかった。 一人で立つことのできる力が欲しかった。 借り物の力で、俺はようやく生きている。 今も一兄と天の力は、変わらず俺に注がれ満たしてくれている。 「………力、か」 今も力を奪い続けているが、二人とも大丈夫なのだろうか。 金属音の方を見やると、長兄と末弟はいまだ切り結んでいた。 「………」 天の動きが、先ほどよりも鈍っている。 一兄の剣を受け止めるのもようやくに見える。 後退して避けることが、増えた。 「………血」 天の腕が赤く染まっている。 剣を受けてしまったのか。 まだ剣を振るえているから、酷い怪我ではないのだろう。 でもあれでは、体力がますます奪われる。 もうすぐ、追い詰められてしまうだろう。 「ぐるるっ」 白峰が一際大きな唸り声をあげて、天の方に向かおうとする。 「黒輝、白峰、待って!」 声をかけると、一応二人は足を止めてくれる。 けれど振り向く白峰の眼は、怒りに満ちている。 今にも邪魔する俺を食い殺してしまいそうなほどの、怒り。 「俺が、やるから」 二人が行ったら、今度は一兄を食い殺してしまうかもしれない。 それはそれで、駄目だ。 駄目、なんだ。 「………はあ」 大きく、息をつく。 俺はどっちにも、大怪我や、ましてや死んだりなんて、欲しくないんだ。 タイミング。 タイミングが、大切だ。 タイミングを間違えたら、全てが終わってしまう。 「………黒輝、白峰、少しだけ待って」 剣を切り結び、払い、打ち、突き、薙ぐ。 お互いを憎むかのように、切迫した剣戟。 けれどじゃれ合っているかのようにも見える。 洗練された動きは、優美にすら見える。 楽しそうにも見える。 俺はあそこに入ることが出来ないから、少し羨ましさすら感じる。 「………」 キィン。 綺麗な、金属の音。 打ち合う。 払う。 避ける。 「………」 自分の中の、力の流れを辿る。 俺の身を巡る力は、どこから来てる。 注がれてくる力の源。 目もくらむような眩しい白。 黒とも見紛う、深い深い青。 二つの力が、俺の体を巡っている。 その源は、どこにある。 「………」 出来る、大丈夫だ。 大丈夫。 出来るはずだ。 「………」 打ち合う。 払う。 避ける。 近づき、切り結ぶ。 そして、天が一兄の体を、蹴りつけて、いったん体を離す。 二人の体が、離れる。 「………っ」 いまだ。 これは、一兄、あなたが教えてくれたことだ。 「来、い!!」 俺の力の源の一つ。 青い青い力の源。 そこから、力を、更に吸い上げる。 その力を、奪いつくす。 「なっ」 天と対峙していた一兄が、かくん、と膝から力が抜けたようにその場に座り込む。 けれど、手にした剣を地に刺し、なんとか倒れこむことを堪える。 「くっ」 一兄の戸惑ったような声。 もっと、もっと、もっと。 その力を、もらう。 でも、苦しい。 「ぐぅっ」 思わず声が漏れてしまう。 無理やり奪った、許容量を超えた力は強すぎて、処理できない。 自分の力に変換できない。 暴れ狂う力をなんとか押さえていると、鼻の奥がツンと痛む。 口の中に、どろりとした鉄っぽい味がする。 鼻血が出てしまったようだ。 頭がガンガンして、体が支えられない。 耐えきれず、その場に俺も座り込む。 「み、なぎ………」 一兄の声がする。 「………兄さんの仕業か」 急に倒れこんだ一兄の様子を見ていた天の、苛立った声。 そしてその手の剣を振りかざし、足を進めようとする。 力を急激に枯渇させた一兄は、動けない。 「て、ん!ダメだ!」 なんとか、叫んで、弟の動きを制止する。 そんなの、してほしい訳じゃない。 そんなの、見たいわけじゃないんだ。 それじゃ、駄目なんだ。 「こっち、に」 手を伸ばし、弟を呼ぶ。 そして、なんとか、よろけながらも、立ち上がる。 「天、こっちに」 「………」 霞む視界でけれど、しっかりと天を見つめる。 天はすごく忌々しそうに眉を顰め、唇を噛む。 「………分かったよ」 けれど大きなため息をつくと、表情を消した。 俺に背を向け、ちょっと離れたところにある剣の鞘を取る。 振り向いた時には、いつもの飄々とした表情だった。 そして、こちらに来てくれる。 よかった。 一兄に剣をふるう姿なんて、見たくないんだ。 俺の傍まできた天は、やっぱりつまらなそうに、吐き捨てた。 「………まさか、兄さんに助けられるとはね。ま、兄さんにしては上出来」 ああ、なんだ。 そうか。 お前、俺にフォローされて悔しかったのか。 「もっと、ちゃんと褒めろ」 俺の言葉に天が、くすりと小さく笑う。 そして肩を竦めると、よろける俺の手を取り、走り出す。 「ほら、いくよ」 「うん」 頭痛と吐き気を堪えて、なんとか走る。 一兄も、他の奴らも、すぐに復活するはずだ。 それに、他の家の人間も来るはずだ。 今のうちに、行かなきゃ。 ここまで騒げば、十分だろう。 「兄さん」 手を離し、塀の前まで走った天が背を向ける。 意図を理解して、軽くうなずく。 軽く助走をつけて、その勢いで跳び、天の背を踏み、塀にかけのぼる。 「よっと。ほら、天」 塀の上で、こちらを見上げる天に手を伸ばす。 天が俺の手をとり、塀に上り、そのまま下に降りる。 「三薙」 俺も降りようと、塀の下を見たとき、後ろから声が駆けられた。 声の主は、分かっている。 いつだって、俺の傍にあった頼もしく優しく、俺の一番大好きだった声。 「………一兄」 力を奪ったせいでだいぶ辛いのだろう。 その飢えの苦しみは、よく知っている。 剣で体を支えながら顔を歪めている姿は、今まで見たことがない。 俺をまっすぐに、見つめている。 一兄、今、何を考えている。 「………」 胸が、キリキリと痛む。 いつも悠然としていた尊敬する兄が、膝をつく姿。 そんな姿も本当は、見たくなかった。 やっぱり一兄には、いつだって、強く賢い憧れの兄でいてほしかった。 でも、これくらいの意趣返し、許されるよな。 許してよ。 俺は、今までずっと、あなたのいい子の三薙だっただろう。 優しい兄だった。 厳しい兄だった。 誰よりも俺を慈しみ愛してくれた人だった。 誰よりも俺を想い導いてくれた人だった。 あなたが、憎い。 あなたが、愛しい。 やっぱり、一兄を、ただ嫌いにはなれない。 だって、俺の世界で、ずっとあなたが一番だった。 「………」 でも、今少しだけ、膝をつくみっともない姿を見て、嬉しさを感じてる。 復讐の喜びを感じている。 俺を道具として育て利用する人の、無様な姿に溜飲を下げている。 「兄さん、早く」 「分かった」 下にいる天に促される。 飛び降りようとして、もう一度振り返る。 「えっと、その」 何か、言いたかった。 この、愛しく憎い兄に、何か、言いたかった。 少しだけ考えて、思いつくまま口を開く。 「ざ、ざまあみろ!」 それだけ言って、後ろを見ずに、天の横に飛び降りる。 「………」 最後に見た一兄の顔は、目を丸くして、鳩が豆鉄砲喰らったようだった。 「くっ」 そして地面に下り立つと同時に、塀の向こう側から、声が響く。 「く、はは、ははは、はは」 さも愉快げな、笑い声。 一兄の、声だ。 あんな風に笑うところなんて、滅多にない。 やっぱり、ちょっと、子供っぽかっただろうか。 言わなきゃ、よかったかな。 「行くよ、兄さん」 天が肩を竦めて、俺に手を差し伸べる。 行くって、どこに行くんだろう。 どこへ行けばいいんだろう。 どこに行ってもきっと破滅しかない。 そんなの、分かってる。 「………うん」 でもまあ、いいか。 今はただ、この手を取ればいい。 ただ、この暗い道を、天と共に走り抜けたかった。 |