ふと、頬に冷たい感触がして、意識が現実に引き戻される。 「ん」 「起きた?」 目を開くと、月明かりを背負った天が俺の顔を覗き込んでいた。 タオルかなにかで、俺の顔を拭ってくれていたようだ。 「あ、俺、寝てた………?」 ゆっくりと体を起こしながら天窓を見るが、月はまだ高い位置にある。 そんな長い間寝ていたわけではなかったようだ。 「寝てたというか、意識飛ばしたというか」 「………」 快感からか、疲れからか、気を失ってしまったのか。 最後に覚えているのは、俺の中を突き上げる天の、熱にみちた目。 熱い手、熱い息、熱い体。 ざわりとまた、あの熱が、体に蘇りそうになる。 「………っ」 「普通のセックスは、気持ちよかった?」 「………馬鹿野郎」 耳元でささやくように言う天は、すでに服を着ている。 自分が何も身に着けていないのに気付いて、慌ててシーツを手繰り寄せ、自分の体に巻きつける。 べとべとしていないってことは、天が拭いてくれたのか。 「ひどいな、頑張ったのに。ていうかその恰好やめてくれない?エロい」 「ば、ばか!!」 「俺だってもう疲れたんだからやめてよ」 そう言いながらシャツを投げられる。 天から体を隠す様に横を向いて、そそくさと着替える。 その姿をまじまじと眺めていた天が、ぼそりと言う。 「シャツだけっていうのも十分エロいね。駄目だ、勃ちそう」 「本当にお前馬鹿!」 「もうしないって。疲れたから。で、ね、気持ちよかった?」 ああ、もうこいつ、本当にアホだ。 ていうかこんなアホだったっけ。 「気持ちよかったよ!お前が一番知ってるだろ!」 みっともない声をあげて、体を揺らし、天にしがみつき泣きながら、イった。 それを全部見ていたくせに、今更聞くのがおかしい。 「一応聞いておきたかったの。まあ、女と違って男は分かりやすけどね」 天がくすくすと笑いながら、俺の耳にキスをする。 耳に熱が灯る。 「まあ、お気に召してくれたならよかった。俺も気持ちよかったよ」 「………なら、よかった」 恥ずかしいし、馬鹿にされているようでちょっとだけ腹も立つけど、でも、気持ちがいいならよかった。 天に少しでも快感を与えることが出来ていたならよかった。 俺は、何も天に渡すことはできない。 俺は、こいつから奪い尽くすことしかできなかった。 「うん、お前の、力、すごい分かる」 押さえた腹の中に、天の力を強く感じる。 儀式は成功して、つながりが更に強くなっている。 天の鼓動と吐息すら感じそうな、密接なつながり。 くすぐったいような、苛立つようなこれは、天の感情だろうか。 「うん、俺も分かる。兄さんが、すごく近い」 「………うん、四天が、いる」 「疲れてるのに頑張った甲斐があったね」 天も自分の喉元を抑えて、俺の力をたどっているようだ。 これで、つながった。 これが意味があるかは分からない。 でも、少しでも、意味があるなら、いい。 「天、疲れた?」 「兄さんにすごいもってかれて、へとへと」 「………変なこと言うな」 天の意味深な言い回しに、顔が熱くなってくる。 なんか俺が天を襲ったかのようだ。 て、まあ、それに近いんだけど。 「本当のことでしょ。力もアレも搾り取られてもう俺何も出ない」 「お前、本当に実は下ネタ大好きだよな!」 綺麗な顔して、言うことは直接的で割と下品な方に入ると思う。 でも綺麗な顔しているからあまり分からなくなってしまう。 でも、本当にこいつはえげつないことばっかり言う。 「だって男だし。あー、つっかれたー」 羞恥に熱くなった顔を冷まそうと深呼吸をしていると、天がそう言って乱暴にベッドに倒れる。 あまり新しくないだろうベッドのスプリングがぎしりと軋む。 その顔には本当に疲れが滲んでいて、胸がつまり苦しくなる。 まだ年若い、俺の弟。 この前まで中学生だった、まだまだ子供の弟。 それなのに俺はこんなに天に頼っている。 「ありがとう、天。ごめんな」 「………」 寝ころんだ天の額にキスをして、礼を言う。 感謝しているんだ。 本当に、感謝している。 「静かだな」 「そうだね」 俺も天の横に寝転んで、冷たい手をとり指を絡める。 「懐かしいな。昔はこうして、よく一緒に寝たよな」 「そうだね」 懐かしい、懐かしい思い出。 遊び疲れて一緒に並んで眠る時間は、今思えば泣きたくなるほど幸福だった。 何も知らず、ただじゃれて、愛しく思っていられた。 「俺、お前のこと、本当に、大事だったんだ」 「そう」 天は、屋根についた窓を見上げたままこちらを見ることもない。 「そう、ばっかりだな」 「そろそろ眠くなってきた」 「疲れてるな、本当に」 天の目はとろんとしていて、確かに眠そうだ。 珍しい、無防備な姿。 「覚えてるか、天」 「何?」 「前に俺がお前に力をあげようとしたことあっただろ」 「ああ、あったね。へたくそだったけど」 気まぐれに力をくれと言われて、天に分け与えた。 あんまりうまくできなかったんだけど。 「ちょっとやってみようか」 「はあ?」 「お前も少しは元気になるかもしれないだろ」 「元々それ、俺の力なんだけど」 「だから、少し返すよ」 「なにそれ」 元々天の力で、今ももらっているものを返して、意味があるのかは分からない。 与えた力がすぐに俺の元に来るだけな気もする。 天もそう思ったのか、軽く笑う。 「ま、試し試し。えっと」 もう一度起き上がり、術をイメージして、組み立てる。 力を練り上げるために、呪を唱え、形を作っていく。 「宮守の血の絆に従いて、我が血族のものに我が力を与うべく………」 自分ん中の青い色を薄めて、透明に近づける。 透明に近づけて、使いやすい形にする。 今は大量の力を受け取っているし、元々天の力なので練り上げるのは楽だ。 力があるだけで、使える術はこんなに増えるもんなんだな。 「ん」 寝っころがる天に覆いかぶさるようにして、唇を重ねる。 舌を潜ませると、天も迎え入れて絡めてくれる。 天の鼻から、吐息が漏れる。 唾液が触れて、回路がつながり、頭がまた白くなっていく。 「ふ」 唾液を媒介にして、透明にした力を伝える。 昔から、何度もやってきた力の伝達。 いつもとは、逆なだけだ。 うん、出来そうだ。 「ん」 どろりと、自分の力が、天の中に注ぎ込まれる。 そのまま舌を絡ませ、より伝えやすいように唾液に力を載せる。 天も、俺の舌を絡め取り、唾液を飲み干す。 「………どうだ?」 唇を離すと、お互いの間に唾液の橋が出来る。 天がそれを舐めとるように、舌で唇をなぞる。 「前より、うまくなったね。やっぱり変な感じだし、少ないけど」 「なんだよ。んじゃ、もっかい!」 天にからかうように言われて、もう一度呪を唱える。 「宮守の血の絆に従いて、、我が力をもちて安らかな癒しを与うべく………」 天は、楽しそうに俺をじっと見ている。 気付かれていない。 大丈夫だ。 もう一度寝っころがる天に、唇を重ねる。 「ん」 天は疲れている。 今は回路も繋がっている。 俺の力の方が、今は勝っている。 だから、いける。 「ん………!?」 天が焦ったように、目を見開く。 力と共に、紡いでいた力を注ぎ込む。 呪をさりげなく変えて紡いだ力は気付かれなかった。 「な、に………、やめ」 俺を押しのけようとするけれど、その手には力が入っていない。 必死に歯を食いしばろうとするけど、その唇を指で開く。 「ごめん、な」 「ふざ………、なに、して」 額に額を合わせて、天の今にも瞑りそうな目をじっと見つめる。 いつもは力強く輝いている目が、今にも光を失いそうだ。 「眠れ眠れ眠れ、我が血の絆をもつこのものに、安らかな癒しを与えよ。眠れ、眠れ」 「にい、さ、ん」 悔しそうな声。 俺のシャツを握っていた天の手から、力が抜ける。 天の瞼が、落ちる。 「ごめん、天」 いつもなら、俺の術なんて天には跳ね返されていただろう。 でも今、無防備に力を失い、疲れ果てていた天には、有効だった。 最初に回路を開いてつなげておいたのもよかったのだろう。 うまく、いった。 「おやすみ」 瞼を閉じ眠りに落ちた天の、皺の寄った眉間にキスをする。 二度キスをすると、眉間の皺は穏やかに解けた。 「できればよい夢を」 目を開いたらきっとお前は怒り狂うだろう。 絶望するだろう。 俺を憎むだろう。 でもだから、今だけは、安らかで温かい眠りを。 「お前に色々荷物を残すけど、俺は、お前にすべてを押し付けるけど」 俺はお前から奪うことしかできなかった。 お前に押し付けることしかできなかった。 結局俺は、お前に何もしてやることもできなかった。 「………でも、そんなの無視していいんだ。出来れば、お前の、思うがままに、生きてくれ。ごめん、我儘だな」 いや、違う。 俺は誰にも何も残せなかった。 俺は誰にも何も幸せな感情を与えることが出来なかった。 「ごめんな」 与えてもらうばかりだった。 助けてもらうばかりだった。 それでも俺の手をとってくれたお前をまた裏切る。 「天、ありがとう。大好きだよ」 でも大好きなんだ。 本当に大事なんだ。 お前が愛しいんだ。 長い遠回りの末、ようやく、気付くことが出来たんだ。 だからこそ天、お前がこのまま俺と共に飢え果てるのなんて見たくない。 大好きなんだ。 それは天、本当なんだ。 きっとお前は、怒るだろうけど。 「………」 服を身に着け外に出ると、高原の風は冷たく体温を奪っていく。 街灯がない森の中は暗く、飲み込まれてしまいそうだ。 何かの気配も感じる。 でも今はそれ以上に怖いものが、近づいてきている。 「………」 静かに車が近づいてきて、別荘の前に止まった。 エンジンは切らないまま、中から人が降りてくる。 「早かったね」 その人は俺の顔を見て、いつもと変わらず穏やかに笑った。 昨日、殺し合ったとは思えないほどに、優しく温かい笑顔。 「一兄が自分で来るとは思わなかった」 「お前が呼べばどこへなりとも馳せ参じるさ」 肩を軽く竦めて、冗談めかして言う。 確かにそうだ。 一兄はいつだって、俺のためにどこにでも来てくれた。 「………ありがと」 今も、天が昼間に寝ている間に電話をかけた俺の元へ、こうして来てくれた。 まあ、電話しなくても来たんだろうけど。 「四天は?」 「中で寝てる」 「そうか」 向かい合ったまま、長身の兄を見上げる。 これだけは譲れない。 これだけは絶対に、何があろうと、約束してもらわないといけない。 「絶対に、天にはひどいことしないでね。前に言ったよね。俺の言うことは、聞いてくれるって。四天にはひどいことしないって」 「分かっている。お前が戻れば、四天にそこまで責を負わせる必要はない」 一兄はゆっくりと頷いてくれる。 つまり俺が戻らなければ、天は酷い目にあうのだろう。 まあ、そんなの、分かってたけど。 「絶対だよ。信じてるから」 「ああ。勿論だ。約束する」 本当かどうかなんて、分からない。 でも信じるしかない。 それしか俺には出来ない。 「もう、いいのか?」 「うん」 一兄は少し意外そうに、小首を傾げる。 「こんなに早く戻るなら、なぜ逃げたんだ?」 「だって、あそこで天に逃げないって言ったらその場で殺されそうだったし、やっぱり逃げたいって思うのあったし」 天はあの時俺が逃げなかったら、どうしていただろう。 俺も、逃げ出してしまいたいと思ったのは、本当。 このまま、天とどこまでもいけたらと思ってしまったのはあった。 もう一つ、理由はあるけど、それは言わない。 「それに、少しは反抗だってしたかった」 「それで、満足はできたのか?」 「うん、膝をつく一兄が見れて、ざまあみろって、言えた。満足」 無様な兄を見ることが出来て、胸がすいた。 完璧な兄でいてほしかった。 でも、無様な姿を見てほっとした。 この人が膝をつく姿を見て、嬉しかった。 複雑な感情の中、やっぱり、楽しかった。 「あれは見事にしてやられた」 一兄はそう言いながら、けれど言葉とは裏腹に楽しそうだ。 「少しは、弟たちだって成長してるんだ」 「本当だな。別に見くびっていたつもりはないが、思った以上に成長していた」 「でも、楽しそうだな」 「可愛い弟たちが自分を越えようとする姿を見るのは楽しいさ」 そう言って優しく微笑むのは、いつもと変わらない頼もしく優しい長兄の姿。 本当のように見える。 でも、全てが嘘のようにも見える。 「一兄の言葉は、どこまでが本当で、どこまでが嘘なんだろ。俺、さっぱり分かんない」 一兄は苦笑して肩を竦める。 「さあな。もう自分でも分からない」 完璧な兄、完璧な息子、完璧な次期当主、完璧な先宮候補。 全ての完璧を集めたこの人の、弱くて柔らかいところは、あるのだろう。 「………可哀そうだね」 「そうかもしれない」 やっぱり憎み切れない。 哀れとすら感じる。 奥宮として作り上げられた俺と、先宮として作り上げられた一兄。 俺は痛みを吐きだせたけど、この人は痛みを自分で感じることはできるのだろうか。 「帰っていいのか?」 「うん」 帰るしかない。 天との道中、少しだけこのまま逃げたいと思った。 でもそんなのやっぱり出来ない。 天の疲れ果てた様子なんて見たくない。 栞ちゃんが犠牲になるところなんて、見たくない。 「ていうか、どうせ、俺が呼ぶまでもなく分かってたんでしょ」 「ん?」 「バスに乗る前と、サービスエリアで、同じ車見た。偶然じゃないだろ、あれ?」 俺たちの逃げ道をふさいでいたこの人が、塀の外に人を配置していないはずがなかった。 このそつのない人が、俺たちを逃がすなんてミスをするわけがなかった。 「どうしてあの時逃がしたの」 ただ、それだけは気になった。 どうして、あの時すぐに捕えなかったのか。 「何度も言っているだろう。お前が望めば、その通りにしよう」 俺が奥宮になりたくないと言えば、そうしてくれると言ったっけ。 じゃあ、逃げたいと言えば、逃がしてくれたのか。 「逃げたいって言ったら逃がしてくれたの」 「ああ、逃がした」 「栞ちゃんや五十鈴姉さんを犠牲にして」 「それか宮守と、宮守の地を犠牲にして」 「………」 本当にどこまでも、俺はこの人の手の平の上。 「一兄が来るってことは、栞ちゃんを代理にしようとは思わなかったの?」 家からここまでは時間がかかる。 俺が逃げて捕まらなかったら、次の奥宮はどうするつもりだったのだろう。 儀式をするまで、間に合わないのじゃないだろうか。 「お前は戻ってくると思っていた」 一兄はしかし、穏やかにそう言い切った。 「それに、お前以外の奥宮なんて、考えられない」 ああ、本当に一兄は、どこまでも一兄だ。 敬愛し憧れその背を追い、この人に認められたくて愛してほしくて仕方なかった。 俺の、大好きな、お兄ちゃん。 「………一兄は、俺より俺のことを、知ってるね」 「ずっとお前の傍にいて、お前を見てきたからな」 俺の行動のすべてを知り、管理してきた。 この人以上に、俺のことを知ってる人は、いないだろう。 「………うん」 「そしてこれからも俺はお前と一緒にいる」 ずっとずっと、一緒にいてくれた。 ずっとずっと、一緒にいてくれる。 「………帰るよ、一兄。俺は奥宮になる」 一兄が俺の体を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめてくれる。 「ああ。お帰り三薙」 その腕は、泣きたくなるぐらい温かかった。 |