四限だけは受けて、あっという間に昼になった。
最近、時間の流れが早く感じる。
何も決められないまま、いつ来るか分からない、けど絶対に来るその時だけが、じりじりと近づいている。

「宮守君お弁当?」

机を寄せていつものメンバーでメシを食おうとすると、向かいに座った槇が聞いてきた。

「あ、うん」

今日も杉田さんが作ってくれたお弁当だ。
杉田さんの料理はおいしいから不満はないが、たまには学食なんかも利用したいかもしれない。

「とっかえっこしよっか」
「とっかえっこ?」
「そう」

槇はにこにこと笑って、おもむろに隣にいた岡野の弁当の包みを掴みあげる。
そしてそのまま、俺の前に置いた。

「はい、どうぞ」
「おい、チエ!」
「はい、どうぞ、彩」

そして俺の前にあった俺の弁当を掴みあげると、今度はそれを岡野の前に置いた。

「え、え、え?」

一連の動作は流れるように一瞬の間に行われたので、何が起こったのか理解できなかった。
きょろきょろと俺と岡野の前に置かれた弁当箱を見てしまう。

「お、いいなー、三薙」
「私も三薙の家のお弁当食べたいなー」

藤吉と佐藤が、からかうようにはやし立てる。
完全にいつも通りに振舞う二人には、尊敬の念すら覚えてしまいそうだ。

「え、えっと」

とりあえずは、それはいい。
俺だって、岡野の前でギスギスしたい訳じゃない。
とりあえずは目の前の弁当箱をどうするか、だ。

「えっと、これ、どうしたらいい?」

恐る恐る岡野に問うと、岡野は眉をきゅっと吊り上げた。

「何、私の弁当は不満なわけ?」
「そ、そんなわけない!!」

そんなことは一言も言っていない。
慌てて、首を横に振る。

「じゃあ、食えば?チエは言い出したら聞かないし。ま、あんたのうちのお手伝いさんの弁当の方がうまいだろうけどさ」
「そんなことない!岡野の料理、すごいうまいし!俺、岡野の料理好き!あ、勿論、杉田さんのご飯もおいしけどさ、でも、俺、岡野の料理、好き!」

前に食べさせてもらった時は、とても美味しかった。
すごく、なんだか懐かしい、温かい味だった。
岡野は怒ったように唇を尖らせている。
また、なんか変なことを言っただろうか。

「あー、聞いてるこっちの方が照れるな」
「もー、三薙ったらだいたんー」
「よかったね、彩?」

それを見ていた、他の三人が何かはやし立てる。
岡野は更に眉を吊り上げると、低く吐き捨てるように言う。

「うるさい。お前らもさっさと食え」

そしてさっさと俺の弁当を開いて、食べ始めてしまう。
俺も慌てて、岡野の弁当を開く。
木で出来たシンプルな俵型の、俺にははちょっと小さな弁当箱。
噂のキャラ弁とかではないが、ふりかけがかかったご飯に、卵焼きにチキンロール、かわいいつまようじのようなもので刺されたプチトマトとチーズに、ブロッコリー。
とてもかわいくて、おいしそうだ。
腹がきゅるっと音を立てて、唾を飲み込んでしまう。

「いただきます」

まず卵焼きを口に運ぶと、ふわふわで甘い。

「………うまい」

思わず頬が緩んでしまう。
岡野が作ったと思うと、更に何倍も美味しく感じてしまう。

「ふん。こっち返せつったって返さねーからな」
「言わないよ」

岡野の耳は、赤い。
俺の弁当をバクバクと食べながらの憎まれ口は、照れているのだと分かる。

「おいしい。ありがとう、岡野」

返せなんて言わない。
言うわけない。
槇に心から感謝だ。
岡野のご飯がまた食べられるとは思わなかった。

「あんたのところのお手伝いさんの弁当、おいしいから」
「うん?」
「また、とっかえてやってもいい」

岡野が俺を見ないまま、小さな声で言う。
その言葉の意味を一瞬考えて、理解してすぐに頷いた。

「うん!」

そのまた、が来ることがあるのか分からない。
でも嬉しい。
岡野の優しさが嬉しい。

「私たち邪魔かなあ?」
「なんか暑くなってきたよなあ」
「いいなあ」

そしてまたはやし立てる三人。
ああ、でもそうか。
そうなのか。

「うっせー、黙れ」

嬉しい、嬉しい嬉しい。
岡野と、こうして話して一緒にメシが食えるだけで嬉しい。

でも、この好意をそのまま、受け入れて、よかったのか。



***




「どっか寄って帰ろうっか」
「さんせー!」

なんとなく放課後もばらばらと集まると、藤吉と佐藤がそんなことを言い出す。
一体、何を考えているんだろう、こいつらは。
こいつらとなんて、出かけたくない。
なんともない顔をしているのも、そろそろ限界だ。
でも、岡野と槇とは一緒にいたいかもしれない。

「私は塾に行くのが早いんだよね。残念。また今度にしてくれる?」
「えー」
「そうだな、それなら今度がいいかな」

槇が申し訳なさそうに手を合わせると、佐藤が抗議の声をあげ、藤吉は軽く肩を竦める。
また今度にしてくれなんて槇が言うのは珍しい。
私は気にせずいってこいって、いつもなら言いそうなのに。

「でもそうだ。先生に呼ばれてたんだ。みんな、ちょっといい?ちょっとお手伝いしてほしいんだけど」
「何?いいけど」
「うん、いいよ?」

鞄を持った槇が思い出したと言うように、手を叩く。
皆が頷きながら槇に近づくと、槇は今度は岡野に視線を向ける。

「あ、でも、彩は買い物あったよね?」
「え、うん」
「じゃあ、彩は大丈夫。そうだ、方向一緒だから、宮守君送ってあげてくれる?」
「え?」

またいきなりのキラーパスに、とっさに受け止めることが出来ない。
岡野はまた目を吊り上げて、槇を睨みつける。

「チエ!」
「宮守君、お願いね」
「あ、うん」

槇は岡野は気にせず、俺に向かってにっこりと笑う。
そして有無を言わせず、岡野を黙殺し、ぼけっとしていた藤吉と佐藤の腕を引っ張る。

「じゃあ、ばいばいー。二人はこっちね。逃がさないよ。お手伝いお願いね」

そしてにこにこと笑いながら教室を出て行ってしまった。
またあまりにも鮮やかな流れるような一幕に、何も口が挟めなかった。

「あいつ………」

夕日でオレンジに染まった教室に、二人だけ残る。
途端に教室はしんと静まり返った。
俺と一緒に残された岡野の、悔しそうな声で我に返る。

「………槇ってすごいな」

藤吉と佐藤が、俺の家の関係者だって気づいて、俺とおかしくなってるって、気づいている。
けれどそれをおくびにも出さず、いつも通りの柔らかさで態度で、不自然にはならず、にっこりと笑って、俺と岡野を二人きりにしてくれた。
多分、俺を心配してくれたのだろう。
それにしても、鮮やかだ。
俺は、ただただ、馬鹿みたいに感心することしかできない。

「チエは昔からほんとすごい。色々な意味で」

岡野もどこか呆れたように、不機嫌な顔で言う。
槇は自分のことを性格悪いと言ったが、そういうんじゃないと思う。
強かというか、度胸があるというか、頭が切れる。

「うん、すごい。頭いいし、度胸あるし、おっとりしてるけど、強い」
「ふん、でしょ?」

岡野は得意げに胸を逸らして頷いた。
まるで自分が褒められたかのような満足げな顔に、思わず吹き出してしまった。

「ははっ」
「何よ?」
「本当に、岡野と槇って仲いいんだなって」
「喧嘩してばっかりだよ。つーか私が一方的にいじめられてる気がするけど」
「喧嘩するほど仲がいいってこういう時使うんだな」

槇もいつも岡野をからかいながら、それでも岡野を大事にしている。
岡野も、文句を言いながら槇を信頼し、大事にしているのが、伝わってくる。

「二人みたいな、友達っていいな」

俺の偽りの友達とは違う。
心から信頼できる、本当の友達。
それも、そんな関係を作りたかった。

「なんだよ」

岡野がまた不機嫌そうに眼を細めて、鼻に皺を寄せる。

「あんた、私たちに遠慮とかしてんの?」
「え、いや」
「まあ、そりゃ苛めたりからかったりしてるけど、嫌なわけ?不満あんの?」
「な、ない!」

慌てて首を横に思いきり振る。
そうだ、偽りだけじゃなかった。
岡野と槇と、それに志藤さんは、俺に残された本当だ。
大事な大事な本当。
まあ、志藤さんは、友達とは言えないかもしれないけど。

「………本当?」

俺は何度もこくこくと頷く。
岡野と槇に不満なんて、あるはずがない。

「ならいいけど、嫌なことは嫌って言えよ」
「嫌じゃないって!」

からかわれてもいじめられても、それでも嬉しいと思ってしまう。
ただみんなと一緒にいられるだけで、幸福だった。

「………私は口悪いし、ちょっときついから、言いすぎること、あるかもしれないから」

岡野は視線を逸らして、ぼそぼそと、呟く。
耳を赤くしながら、悔しそうに話すその姿に、胸がきゅうっと締め付けられる。

「嫌なら、言えよ!」

喧嘩を売るように睨みつけながら、言う。
でも、そんなことを言いながらも乱暴になってしまう様子が可愛くて、抱きしめたくなってしまう。

「嫌なこととか、ないよ。俺は岡野の、そういう真っ直ぐなところ、好きだから。確かにちょっと怖い時あるけどさ」
「悪かったな」
「あ、いや、でも、そういうところも、好きだよ!」

怖くてもぶっきらぼうでも乱暴でも苛められても、それでも岡野の真っ直ぐさは変わらない。
優しさは隠しきれない。
岡野はますます怒ったように、こぶしを握って目を逸らす。

「あんたが、私に嫌って言っても、文句いっても、嫌いになったり、怒ったりしないから。いや、怒るかもしれないけど、でも本気で怒ることはないから」

そしてちらちらとこちらを見ながら、そんな言葉をくれる。
さっきまでとは違う、
夕日に照らされた顔は、赤くなっているようにも見える。

「あんたが何を言っても、あんたから、離れること、ないから」

胸がきゅうきゅうと、痛くなる。
苦しい。
叫びだしたくなってしまう。
抱きしめたくなってしまう。
駄目だ、堪えろ。

「………岡野は、俺がどんなことしても、何を言っても、嫌わないで、いてくれる?」

俺がどんな選択をしても、何を選び、何を捨てても。
何を為しても、何も為さなくても、それでも、俺を、嫌わないでくれるだろうか。

「何してもって、訳じゃないけどさ。そりゃ私から見て間違ったこと言ってたら文句つけるだろうけど」
「………」
「でも少なくとも、今のあんたが言うことで、嫌うことはない。あんたが、真面目に考えて、心から言うことなら、受け止める」

岡野はところどころ考えて、つっかえながら、それでも真摯な言葉を与えてくれる。
真っ直ぐな真っ直ぐな、優しくて強い、憧れてやまない女の子。

「あんたがすることは、間違っていることもあるかもしれないけど、でも、私は否定しない」

間違っていてもいい?
正しい答えを選べなくてもいい?

「あんたを、その、信用してる。あんたが考えて言うことややることは、否定しない。いや、止めるかもしれないし、文句つけることもあるかもしれないけど、えっと」

岡野が俺をその強く輝く目で、睨みつけてくる。

「えっと、あんたが考えてやったなら、間違ってても正しいんだよ!」

癇癪を起す様に、叩きつけるように、そんなことを言う。
その、分かるような分からないような言葉に、小さく笑ってしまう。

「岡野、変だよ、それ」
「うっさい、馬鹿、黙れ!」
「った」

まだ癇癪を起している岡野に、頭を叩かれる。
そっぽを向いたその耳は、真っ赤に染まっている。

「私は、とにかく、あんたが何を言ってもやっても、嫌うことはない!!」

どこまでも優しい言葉なのに、乱暴に告げられる。
それが岡野らしくて、胸がいっぱいになっていく。

「だから、何言っても、いいんだからな!」
「………うん。ありがとう、岡野」

間違ってもいい。
何を言ってもいい。
俺をそれでも、許してくれる。

岡野はいつだって、俺の欲しい言葉をくれる。
いつだって、俺に、勇気と強さを分けてくれる。



***




今日も帰りの遅い一兄の帰りを、じっと、玄関先で待つ。
日付が変わる直前で、長兄は疲れた様子で帰ってきた。
俺の姿を認めて一瞬目を丸くして、それからいつものように穏やかに笑う。

「ただいま、三薙。どうした、待っていたのか」

一兄、やっぱり、痩せたな。
頬がこけて、より一層シャープな印象になった気がする。
忙しいのだろうか。

「お帰り、一兄。あのさ」
「なんだ?」

一兄は手早く靴を脱ぎ、家に上がる。
それから持っていた鞄を床に置くと、俺の頭をそっと撫でてくれる。
ああ、やっぱり、この温かい手は、嫌いじゃない。

「一兄にお願いがあるんだけど」
「ああ」

一瞬だけ、ためらって、視線を逸らす。
けれど、すぐに顔をあげて、俺を見下ろす一兄の目をじっと見つめる。

「俺、二葉叔母さんに、もう一度会いたい」





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