「はい、よく出来ました」

鉛と血を吐き出すような告白を終える。
それと同時に、ぱちぱちと軽やかな明るい音が裏庭に響いた。
顔をあげて隣を見ると、根木が楽しげに手を叩いている。

「………」

確かに私は馬鹿だ。
最悪な女だ。
他人からしたら、さぞ滑稽だろう。
けれど、真剣な告白を笑われて、さすがに苛立つ。

「ああ、怒らないで、別に馬鹿にしてるわけじゃないから。こういう風にしちゃうのは俺の悪い癖だね」

私が眉を顰めたのが分かったのか、根木が頭をかきながら謝る。
そこには驚きも軽蔑も喜びも何もない。
いつも通りに好奇心を湛えた眼が、私を真っ直ぐに見ている。

「よく考えたね、清水。えらいえらい」

根木の大きな温かい手が、私の頭を撫でる。
幼児にするような扱いに、さっきまでどこかに消えたいぐらい縮こまった気持ちがどこか緩んでくる。
この男はどうしてこんなにも温かく自然体で、そして私に甘いのだ。

「………やっぱり馬鹿にしてる?」
「だから深刻になれないんだって。ごめんね」

ちょこんと小首を傾げて笑う根木は、いつものように楽しげで。
胸が苦しくて、熱くて、涙が出そうで唇をかみしめた。
根木を巻き込む弱い私を、どこまでもこの人は受け入れる。

「そうだね、清水は、弟君を恋愛っていう意味では好きじゃないね」

この男には、きっと最初から分かっていたのだ。
中途半端な私の心。
手放したくないから目をつぶった私の弱さ。
弟を縛りつけようとする卑怯さ。

けれど、分かった上で笑う。
この男は、いつだって笑う。

「さて、じゃあ次に行こうか」

根木はピンと人差し指を立てて表情を正した。
NHKの教育テレビに出てくる実験のお兄さんのような楽しそうな、でも真面目な顔。

「………次」
「自分の気持ちに気付いたね。そうしたら、次はどうする?」
「…………」
「これからどうする?」

何を、聞かれているか分からない。
私はただ馬鹿みたいにぼんやりと根木を見返す。

「………」
「分かった、質問を変えよう。清水はこれから、どうしたい?」

黙ってしまった私に、困ったように笑う。
それでも私は答えられない。

どうする。
どうしたい。
何をすればいい。
何をしたらいい。
根木は。
千尋は。
私は。
どこへいけばいい。
どういうかたちが、ふさわしい。

私はこれから。

「………私は、どうしたら、いい………?」

聞いてしまった。
何も分からない。
自分で考えなければ、ダメなのに。
自分で何も考えずに、ここまで来てしまった。

それなのにまた聞いてしまう。
何も分からない。
どうしたらいい。
私に正しい道なんて、分かるはずがない。
馬鹿な私に、何かを考えることなんてできない。

「俺に聞くの?」

根木は片眉を器用にあげて、少しだけ馬鹿にしたような顔を見せた。
それは優しいものではあったけれど。

「どうしたらいいか、分からない」

だから私はこの人にすがる。
きっと、根木なら。
太陽の匂いにする、大らかなこの人なら、きっと明るいところに連れて行ってくれる。
暗くて濁った色をした、あの柔らかく優しい檻から逃れる道を示してくれる。

「俺に聞いても答えは一つだよ。ずっと言ってるでしょ」

根木は少しだけ、目を伏せた。
そして顔をあげて、私に改めて向き合う。
大きな手が私の両手の上から包み込むように、しっかりと握る。
温かい。
力強い。
根木の目が、しっかりと私を見つめる。

「弟捨てて俺と幸せになろう!」
「………」

軽くて、ふざけた言葉。
けれど、どこまでもこの男らしい言葉。
手から伝わる熱が、熱くて苦しくて、何も言えない。
ただ、目尻にたまった涙が頬を伝い落ちた。

「清水、あの電波を弟としか思ってないでしょ?」
「………うん」
「でも、弟はそういう訳にはいかないよ。弟君は今更清水を姉だなんて見れない」

その言葉が、胸を突き刺す。
全身を針で刺されているように、痛い。
血が噴き出しそうだ。
私は千尋を、愛しいと思っている。
弟として、傍にいてほしい。
私のただ一人の、家族。

「でも、私は、千尋の、お姉ちゃんで………」
「まあね、だからこそ燃え上がる禁断の愛だね。分かった、変える。ただの姉、だなんて思えないよ」
「…………」

根木の言葉は正しいだろう。
今更普通の姉弟に戻ろう、なんてできるはずがない。
病的に私に執着する弟が、それを認めるはずがない。
それにもう、遅すぎる。

私が黙りこむと、根木はまた強く手を握った。
少し汗ばんだ手から根木の血の流れすら感じる気がする。

「てことは、まあこの件に関しては答えは二つ?いや、三つかな?一つ、弟からダッシュで逃げて俺と幸せになる。二つこのまま現状維持で泥沼街道」
「………三つ目は?」
「俺も弟もぽいってして新しい人生!」

にかっと笑って、根木は朗らかに言い切った。
その言葉に、私は浅ましくも少しだけ心揺れた。
何かもなかったことにして、逃げ出す。
それはどんなに楽だろう。
千尋のことも根木のことも忘れて。
面倒なことを全部投げ出して。
新しく一からやり直す。

もういやだ。
何も考えたくない。
辛いことはいや。
痛いことはいや。

全部要らない。
そう思わなかったといえば、嘘になる。

「物理的に可能かどうかは別として、まあこの三つかな。ちなみにお勧めは一つ目ね」

でも、千尋も根木もいない。
そこに残るのは、一人きりの自分。
そんなの、耐えられるはずがない。

「…………」

根木が手を離す。
温もりがなくなるのが寂しくて追うように顔をあげ、手を延ばす。
けれど私が掴む前に、広い胸に抱きこまれる。

汗の匂い。
煙草の匂い。
太陽の匂い。
根木の匂い。

無理な体勢で腰と背中が痛い。
けれど私はその背に手を延ばした。
大きく呼吸して、温かい匂いに包まれる。

「俺を選んでよ。清水」

根木の優しく低い声が、耳をくすぐる。
明るくどこかからかっているような楽しげな声。

「俺が清水を守ってあげるよ。もうこの際世間体も物分かりの良さも全部捨ててみせましょう。どんなことしてでも弟君からぶんどってあげる。愛の力で頑張りますよ根木君は」

すがりたい。
すがってはだめ。
この男に全部委ねてしまいたい。
何も考えたくない。
任せてしまいたい。
一緒にいたい。
私を楽にしてくれる男が好きだ。
私に優しくしてくれる男が好きだ。
私を優しい気持ちにさせてくれる男が好きだ。
私を明るいところにひっぱってくれる男好きだ。
そして優しくしたいと思わせてくれる男が、好きだ。

根木が好きだ。
根木が好きだ。
根木が好きだ。

でも、それでも。

「でも、私は、千尋を………」
「あー、いいっていいって、若い頃は間違えるものでしょ。まだまだ何度でもやり直せるよ。若さゆえの過ちなんて誰だってあるもんだって」

体を少し離して、根木が私を覗き込む。
眼鏡の奥の細い眼は好奇心を湛えて、楽しそうで。
どんな重い問題も、軽くしてしまうふざけた男。

「………そういう問題?」
「そういう問題そういう問題。難しく考えたってどうにもならないもん。明るく考えても難しく考えても一緒。死ぬか生きるか以外の問題なんて、些細なことだよ」

だから、私も笑ってしまう。
こんなどうしようもないところまで来てしまった。
それでも根木は、そんな私を下らないと笑い飛ばす。
泣きながら、それでも、笑ってしまう。

「あ、笑った。やっぱり女の子は笑顔が一番だよ!」
「………なんで、あんた、ここまでしてくれるの?」

私はこんな優しくされる資格はない。
こんなに優しくしてもらえるような人間ではない。
優しさを受け取る権利もない。

「それも何度も言ってるよ。好きな人のための笑顔がみたいってのはごく普通の感情でしょ?」

それなのに、どうしてこんなにもこの男は優しいのだろう。
どうして、私の心を軽くしてくれるのだろう。
どうして、こんなに温かい気持ちになるのだろう。

「………そうだね、私もあんたの、笑ってるところが見たい」
「わお、相思相愛だね」

根木は笑って、一度ぎゅっと私を抱きしめる。
私も少しだけ笑った。

「まあ、後は自分のためね」
「自分のため?」
「そう。さて、清水」

根木が面白そうに、私を見降ろす。

「じゃあ、君はこれからどうする?」





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