泣き出してパニックになってる弟君のカノジョ。 階段オチして気絶した清水真衣。 その清水真衣を腕に抱え込んで、満足気に幸せそうに微笑む清水千尋。 その中で、ただ1人冷静な、俺。 ものすごい疎外感。 これがずっと、俺を苦しませているもの。 俺はため息を付くと、仕方なく階段を下りて清水千尋の元に向かった。 「清水は大丈夫?」 「大丈夫ですよ。俺が受け止めましたから」 俺が、のところに力こめやがった。 本当にムカつく奴だなあ、お前。 「先輩」 「なんだよ」 清水千尋は愛しげに姉の髪を撫でると、その華奢な体を抱え上げた。 その顔がご褒美を貰った子供のように嬉しそうに邪気なく笑っている。 素直な奴。 「俺、姉を連れて帰るんで、後よろしくお願いします」 「は、ふざけんなお前」 「それじゃあ」 「てめえ!せめてカノジョの始末ぐらいつけてけ!」 俺の言うことなんて耳も貸さず、壊れ物を扱うように姉を抱きしめる。 そして、そのまま俺らに背を向ける。 本当に潔いほど性格最悪だよ、お前。 一瞬追いかけて殴りかかって、清水真衣を奪い取ってやろうかと思う。 けれど、清水が選んだのは、弟。 それに。 俺は後ろを振り向くと、踊り場でしゃがみこんで泣いている少女に目を映す。 謝罪の言葉と、弟君の名前を繰り返す少女は胸が痛んで仕方ない。 さっきの騒ぎを聞きつけたのか、どこからか足音もする。 ああ、面倒くさいな。 けれど、これを放っとくには、俺は人が良すぎた。 もう一度深いため息をつくと、俺は降りてきた階段を引き返す。 踊り場の小さな体を、そっと抱きしめた。 弟君のカノジョは小さく体を震わせる。 「いいこいいこ、大丈夫だから。可哀想だね。えーと、名前知らないけど」 抱きしめた子は、堰切ったように声を上げて泣く。 じんわりとシャツを濡らす温もりが、温かくて。 俺の中の冷たいものも、溶かされていく気がする。 「可哀想可哀想。でも、たぶん今のうち別れといて正解だと思うよ?」 本当に可哀想。 でも多分、長い目で見てよかったと思うよ。 あんな姉弟、付き合っててもいいことない。 でもね、俺は君も羨ましい。 どうしてそんなに思いつめることができるのかな。 どうしてそんなに、人を好きになれるのかな。 可哀想だね。 弟君のカノジョ。 それに清水姉弟。 そんでもって、俺もね。 人が良すぎる俺は、もろもろきっちり片付けて帰り際清水家に寄ってみた。 誰も出ず。チャイム反応せず。 一応電話もしてみた。 清水真衣、ケータイ持ってないし。 いつ時代の人だよ。 けれどやっぱり通じない。 本当に、性格悪いな、清水千尋。 今頃お前ら、何してんだろうな。 ああ、馬鹿馬鹿しい。 でも、それでも俺は、お前らの感情を知りたくて、仕方ないんだよ。 次の日、案の定学校を休んだ清水真衣。 ついでに清水千尋。 俺は心配半分苛立ち半分、好奇心少々で雨の中、清水家を訪れた。 チャイムを鳴らしても、反応がない。 ていうかチャイムが鳴らない。 ったく本当ムカつく男だな、清水千尋。 さすがに腹が立って、玄関をノックしまくってやる。 ああ、もう蹴ってやる。 近所の人に白い目で見られちまえ。 2人でしけこんで何してやがる。 いい加減にしろよ、この自己完結姉弟。 しばらく近所迷惑よろしくドアを叩き続けると、鍵を外す音がする。 それに気付いてノックする手を止めた。 静かに玄関が開く。 一応、出てきてはくれるんだ。 チェーンかかってないし。 出てきた清水千尋は、穏やかで満ち足りた顔をしていた。 そんな血色いい顔で、意味ありげにシャツの前をはだけやがって。 何そんないかにも事後です、みたいなアピールしてんだよ。 本当に、どうしてお前らはそんな不幸になりたがるんだよ。 「ああ、えーと……深谷さん」 「それは深谷ねぎ、埼玉の名産です。俺は根木、根木です。って分かりにくすぎますそのボケは」 思わず吹きそうになった。 何しょっぱなからボケてくれてんだよ、こいつは。 シリアスな話しようと思ってきてんだよ、シリアス。 それも勝者の余裕かよ。 腹立つけどちょっと笑いそうになったよ、清水千尋。 「それは失礼。それにしても人んちのドア、壊さないでくれます?」 「なんでチャイムが鳴らないんだよ、この家」 「ああ、すいません、インターホンの電源切っちゃいました」 徹底してるな、おい。 その用意周到な粘着気質が、怖えよ、本当に。 このストーカー。 この電波。 本当に、うらやましいよ。 「人に全部押し付けて帰りやがって!」 「弟が倒れた姉を連れて帰るのは当然でしょう」 「………っ」 そうだよ、清水が選んだのはお前だよ。 お前の執着だよ。 お前の強い感情だよ。 最後まで、清水は俺に執着してくれなかったよ。 お前のほうが絶対ハズレなのに、俺はお前に負けたんだよ。 「何度電話してもつながらねえし」 「電話線抜いちゃいましたから」 「直接押しかければ誰も出ないし」 「昨夜からずっとインターホンの電源切ってました」 「………やってくれるな、弟君。要領良すぎ」 「お褒めに預かり、光栄です」 いつも学校で見せている余裕の笑顔すら見せて、清水弟はお辞儀する。 そんなこと言って、お前今まで全然余裕なかったけどな。 何今更そんな全然自信ありましたよ、みたいな顔してんだよ。 「今まではぜーんぶ後手後手に回ってたけどな」 「最後に欲しいものが手に入れば、それでいいです、俺は」 とか言って笑顔取り繕ってるけど、今眉動いたぜ。 全然余裕ないじゃん。 でもその余裕なさが、俺にはうらやましいんだよ。 ムカつくんだよ、ちくしょう、この電波。 「………清水は?」 「寝てますよ。俺の部屋で」 「起こしてくれない?」 「今は誰にも会いたくないと思います。特に、あなたには」 分かっていたけどさ、分かってたよ。 そんないかにもアピールされて、分からないほど鈍くない。 でも、お前ら、姉弟だろ。 何躊躇いなく泥沼突っ込んでだよ。 この明るい世界で、どうしてお前らは暗い場所に行きたがる。 俺は自然と顔が歪む。 苦くて、息ができない。 「お前は……それでいいのか」 「何がですか?」 「絶対、清水もお前も、後悔する」 絶対絶対後悔する。 姉弟だ。 その時点で、もう未来がない。 恋愛なんて、一時の熱情。 まして、俺らはまだガキだ。 ガキの恋愛が続くことなんてそうない。 ずっとお互いなんて見てられない。 まあお前らのが恋愛と言えるかどうかはまた別問題だけどさ。 恋愛は、究極の自己満足で、自己欺瞞。 必要なのは自分の欲を満たす条件の合う相手。 そしてその感情に溺れて浸れる、強いナルシストさ加減。 自分が気持ちよくなりたいから、相手を気持ちよくしたい。 突き詰めちゃえば、そんなもん。 そんなのテンションが長続きするわけない。 それが終わった時、お前らはどうするんだよ。 その先は、どうするんだよ。 過去は消せない。 絶対後悔する。 ずっと一緒になんて、いられるはずがない。 「お前さ、まだ全然若いじゃん。視野狭すぎんだよ。そりゃ、人生長いし、失敗だろうとなんだろうとしまくって後悔すんのもいいと思うんだけどさ。けど、これはそういう問題じゃねえだろ。こんなうちに人生決めちゃっていいの?そんなに、思いつめてどうすんだよ、お前も、清水も!」 「そんなの、俺がこれまでに考えなかったと思います?」 「………。それでも、俺はあまりにも周りが見えてなさ過ぎると思うよ。馬鹿じゃねえの、お前ら。そんな簡単にあっさり道踏み外してんじゃねえよ。もっと悩めよ、もっと人生の余裕持てよ、狭いんだよ、見てるところが」 俺の吐き出すような言葉に、清水千尋はそれでも表情を揺らさない。 そんなの分かりきってる、か。 それでも分かってないよ、世間は世知辛いよ。 ガキの一時の熱情なんて、あっという間にかき消されるぐらいに。 それでも、お前らは地雷地帯を突き進む。 ああ、馬鹿だよ。アホだよ。この世間知らず共。 なんでそんなに1人の人間に執着できるんだ。 羨ましい。 羨ましい。 羨ましい。 「俺はさ」 静かに俺を見つめていた清水千尋が、しばらくして無表情にぽつりと言った。 俺はその声に顔を上げる。 「あんたのこと、嫌いなんだけどさ」 「俺も、お前が嫌いだよ、清水千尋」 大嫌いだよ。 俺の持てないものを持っているお前が、大嫌いだよ。 清水真衣への執着が、清水真衣からの執着が羨ましくて仕方ないよ。 「でもさ、あんたはいい人だと思うし、可哀想だと思うんだ」 「は?」 何いってんの、こいつ。 俺がいい人。 まあいい人だけどね。 俺は、どこまでも「いい人」にしかなれない。 そのいい人に罪悪感でも感じたのか。 この電波。 電波は電波らしくしてればいいのに。 いきなり余裕みせてんじゃねえよ。 「俺とあの女に関わらなきゃさ、あんたきっとそんな後悔しなかっただろうし」 「………」 「だからさ一発ぐらいなら、殴られてやってもいいかな、て思う」 「何言ってんの、お前」 「さあ、なんなんだろう」 首を傾げて、端正な顔を困ったようにしかめる。 綺麗に整った、隙のない笑顔。 後悔。 後悔なんてしないよ。 後悔じゃない。 悔いてはない。 ただ悔しい。 羨ましい。 お前達の執着が、哀れで馬鹿馬鹿しくて、羨ましい。 明るいところに、引っ張り出してしまいたかった。 現実を見せ付けてしまいたかった。 「そんなこと言うと、マジ殴るよ、俺お前本気で嫌いだし」 「どうぞ」 そういって何の躊躇いなく、俺を見つめる。 似てない姉弟だけど、髪質や目の色が姉そっくりだ。 血のつながりを感じる。 この究極ナルシスト姉弟。 本当に殴っちまいたいよ。 俺は拳を振り上げる。 このお綺麗な整った顔をゆがめたら、さぞ気持ちいだろう。 けれど。 一回息を吸って、吐く。 そんなことしても、俺はなんの得にもならない。 少しばかり罪悪感らしきものを感じているかもしれないこの男を、楽にするだけだ。 俺は完全に負け犬になるだけ。 そんなの、あほらしい。 せめて、罪悪感ぐらい抱えとけ。 「……殴らないんですか」 「やめた、意味ないし」 「意味、ないですか」 「意味ないね。殴ってどうなるの?それで弟君すっきりして、今までのことチャラ?俺、超損じゃん。そんな馬鹿馬鹿しいことできません。一生後ろめたく思ってろ」 清水弟は、ちょっと驚いたように目を丸めると苦笑する。 柄にもないことを言ってしまったというように。 「そうですか、俺は別に、あんたに後ろめたくなんて思いませんけどね。ああ、それともう姉には近づかないで下さいね」 「弟君に言われる筋合いはないし。それに、俺が周りに言いふらしたらどうするの。お前と清水は、出来てるってね」 いっそ言いふらしてしまいたい。 それでもお前らは、お互いを見ていられるのか。 負けてしまいはしないのか。 けれど清水弟は穏やかな笑顔を崩さない。 絶対の自信。 絶対の余裕。 欲していたものを手に入れた、満たされた笑顔。 つい昨日まであんなにいっぱいいっぱいだったのに、可愛くねえな。 「そんなこと、あんたはしないよ」 「ふーん、余裕だね?なんで。言いふらしたら、今のままではいられないだろうに」 「しないよ。あんたは『優しいから』」 静かな、優しいとさえ言える穏やかな声に、一瞬息するのを忘れた。 今までぶつけられた、どの感情よりも、どの言葉よりも突き刺さった。 心臓を、鷲掴みにされた気がした。 「あんたは、先が見えすぎるからね。それで、優しすぎる。真衣ちゃんを傷つけるようなこと、あんたにはできない。」 そうだよ。 その通りだよ。 俺は清水真衣を笑わせることができても、安心させることが出来ても、傷つけることは出来ない。 甘く優しく都合よく、けれど軽くて中身のない薄い言葉をかけることしかできない。 お前みたいに執着することができない。 お前みたいに壊れることはできない。 お前みたいに我を忘れたり出来ない。 今お前を殴り倒して、清水真衣を奪おうとも、思わない。 攫って逃げようとは思わない。 だって先が見えてしまう。 終わりが見えてしまう。 小器用な俺は、世渡り上手すぎて危ない橋を渡ろうとは思えない。 そこまで、人を好きになれない。 だからこそ、清水に執着してほしかった。 その感情に触れたかった。 お前の感情に、ゾクゾクした。 お前らに関われたら、俺も少しはその感情を知ることができるかと、思ったんだ。 ああ、そうだよ。 お前の言うとおりだよ。 俺は清水真衣を、傷つけることなんて、出来ないんだ。 ただ1人、俺だけが浮いているんだ。 弟を選んだのは、不正解だけど当然だよ、清水真衣。 君が欲してやまないものを、俺は与えてはやれない。 息が詰まるほどの執着。 そんなものは、与えることができない。 人の傷えぐりやがって。 ああ、本当に腹立つよお前。 マジでそのムカつく面、殴り倒してしまおうかと思った。 そんで家侵入して、清水真衣犯しちまおうかと思った。 けど、そんなことしても、何にもならない。 それが俺に分かってる。 熱くなれないのは、俺の問題。 そうやってわかってしまう、俺が原因。 「ちっくしょ。本当に俺、マジで馬鹿じゃん」 止まってた間の息を補給するように、大きく吸って、吐く。 ずっしりたまってた重いものまで、一緒に吐き出してしまうように。 ちりちりとした熱は消えないけど、心は少し軽くなる。 仕方ないと、納得してしまう。 「あんたは、大人すぎるんだろうね」 「あー、はいはい。どうせ最後に勝つのは泣いた子供だよ」 顔を上げた時はいつもの調子、いつものテンション。 それが俺だから。 いつでも陽気で優しい根木君。 それが俺。 そうだよ、どうせお前らには叶わないんだ。 そこが一面茨道だと分かってても、それでも感情のまま突き動かされるお前らには、叶わない。 俺は熱中することを演じることはできても、なりきることができない。 そこまで自分に浸れない。 「あんたをすごいとは思う。あんたになりたいとは思わないけど」 「そりゃどうも」 俺は、お前になりたいよ、清水千尋。 憎みきれない。 羨ましくて、仕方がない。 「それでもさ、清水千尋。俺は、清水真衣が泣いてたら、きっとお前から奪うよ」 「泣かすことは、あるかもしれませんね。でも真衣ちゃんは、もう居場所を求めることはありませんよ。俺が執着してる限りね」 それでもムカつくから、俺はそんな意地悪をさせてもらう。 清水真衣は、俺に執着してはくれなかった。 でも、俺のことが好きなのは本当だろうし、つけこむ隙はある。 奪い取るのが無理でも、友達ぐらいにはなれるだろう。 清水真衣にはまだまだ興味があるし、まだまだ好き。 俺に頼るなら、俺はいつだって君を守るよ。 君を笑わせたかった。 君を守りたかった。 君を温かいもので満たしたかった。 でもきっと、君の欲しいものは、それじゃない。 俺はそれを知っていて、君を騙くらかそうとした。 ごめんね、清水真衣。 「じゃ、清水によろしく。学校へ来ても無視はしないでね、って言っといて」 俺は清水千尋の腹の立つ整った顔を一回睨みつけると、背を向けた。 「伝えません。あんたはもう姉に近づかないで下さい」 「そんな風に余裕ないこと言ってると、俺にもまだチャンスがあるんだーって思っちゃうよー」 まだ俺を敵視してくれるんだ。 光栄だよ。 そんなに意識してくれて、嬉しいよ。 そしてそんなに姉に執着できる、お前がアホで馬鹿でかわいいよ。 羨ましいよ。 「……………余裕なんて、ありませんよ」 最後にポツリとつぶやいた言葉は聞かない振りをしてやって、代わりに手をひらひらと振った。 勝手に不幸になっちまえ、自己完結姉弟。 お前達の行く末、見ていてやるよ。 どこまで、お互い見ていられるか観察してやるよ。 俺は、お前達が不幸になることを望む。 ねえ、お姉さん。 やっぱり俺はあの強い腕を持つことは出来なさそうだよ。 どうしてお姉さんはあんなに幸せそうだったのかな。 先の見えない道で、どうしてあんなに安らいでいたのかな。 幸せだった? 嬉しかった? 満たされていた? 俺はずっと知りたくて仕方ないよ。 その感情が知りたくて、仕方ないよ。 羨ましくて、仕方ないよ。 それがずっと俺の胸を焼いている、燻った燃えカス。 俺の周りの人が笑うのが好きです。 俺の周りの人が幸せなら、嬉しいです。 俺の周りの人が笑うのを手助けできることに、満たされた気分になります。 俺は受け入れられます。 俺は愛されます。 俺は温かな場所にいます。 俺は、とても幸せです。 けれど、俺はドロドロしたものを求めて止まない。 暗い道を行く人たちが、羨ましくて仕方ない。 このカラカラの心を、満たしてくれるものを探している。 俺はとても幸せです。 それなのに、俺の見る風景はどこまでも、乾いているんだ。 |