「あ、またこんなところでメシ食ってる」
1人、人気のない校舎裏で昼食をとっていた時だ。
後ろから、そんな声がかかった。
聞き覚えのない、明るい男の声。
ゆっくりと後ろを振り返る。
眼鏡をかけた、どこかひょろりとした印象の、猫背な男がいた。
「………」
「何気にここよくいるよね、清水」
見たことあるような気がする。
けれど、記憶にはない。
向こうは、私を知っているようなのだけれど。
「………」
「横、失礼」
購買の紙袋を小脇に抱えたそいつは、私が座っていたベンチの横に座り込む。
「ここ、ベンチあんのなー。にしては誰もいないけど」
馴れ馴れしい。
自分の表情が強張るのが分かった。
人付き合いは、苦手だ。
「……あんた、誰?」
憮然としていった私に、男は取り出していた焼きそばパンを取り落とした。
目を大きく見開いて、こちらを見てくる。
「マジ?」
「何が?」
「いや、俺を知らないって」
今更何を言ってるんだろう。
無言で頷く。
男はくしゃりと顔を情けなくゆがめた。
眉が下がって、ちょっと泣きそうな感じだ。
その表情に、今度は私が驚いてしまった。
「え?あの……」
「ずっと前の席に座ってるじゃーん!」
そうして男は頭を抱えた。
ああ、どっかで見たことあると思ったら。
「そうなんだ」
冷静な声に、顔をあげた男はますます情けない顔になった。
「ひでえ………」
そのどこか子供っぽい仕草に、私は自然と頬が緩む。
変な、男子。
「あ、今笑った。清水笑っただろ?」
「え?」
「すっげー、レアなもん見ちゃった。清水いっつもむっつりしてるし」
にかっと、音がしそうなほど、今度は無邪気に笑った。
眼鏡の下の切れ長の目は、細いくせにコロコロと感情を移す。
千尋とは、また違ったタイプの整った顔だ。
「そう?」
「うん、なんか不機嫌そうにさー、こう眉間に皺よせて」
といって、今度は自分の眉間に皺をよせてみせる。
本当にコロコロと表情を変える。
今度こそ、私は本当に噴き出した。
こういう賑やかな人間は苦手なのだが、目の前の男はどこか警戒心を抱かせない。
そして、男は嬉しそうに笑った。
「あー、覚えられてなかったのは予想外だったけど、まあいいや。レアなもん見れたし。俺は根木(ねぎ)、根木宏隆(ねぎ ひろたか)。今度こそよろしく、清水」
よろしく、と言われても、私はあいまいに頷くことしかできない。
けれど根木は満足そうに何度も頷いた。
そして地面に落とした焼きそばパンを拾い上げ、包みを開く。
「何してんの、こんなところで」
「メシくってんの」
そう言って、一口パンをほうばる。
でかい口。
パンは一気に3分の1が消えた。
「なんで?」
「ひゃらふぇったふぁら」
「飲み込んでからしゃべって」
むぐむぐと口を動かしてから、根木はパックのウーロン茶で流し込む。
「腹減ったから」
要領を得ない、はぐらかされているような会話に、短気な私をつい苛立つ。
「それは分かった。だからなんでこんなところで」
声にはトゲが混じっていた。
誰もいないから、ここで昼食をとっているのに、誰かがきたら意味はない。
「んー、清水とお話してみたかったから」
あっという間にパンを飲み下し、今度は特大のクリームパンに手を出す。
千尋は、こんな粗雑な食べ方はしない。
同じ男でも、こんなに違うものかと、少し感心した。
「私と?」
「ふぉう。ふぉのふぁえふぉふぉでふぃふぁ」
「だから食べてからしゃべれ」
今度は一口で半分。
すごい。
「この前ここで食べてんの見かけたからさー」
胡散臭げな顔をしていたのだろう。
根木はパンを持っている手を横に振る。
「あー、別にそこまで深い意味はないんだわ。前にさ、ここで清水メシくってただろ?」
頷く。
人気のない場所が好きな私は、この薄暗く誰も近寄らないじめじめした場所が好きだった。
一緒にご飯を食べるような人間もいないので、ここでご飯を食べることは多い。
「それでさ、ミニストのから揚げ食ってただろ?」
だろ、と言われても毎日のお昼なんて覚えてはいない。
から揚げは好きなので、よく食べてはいるが。
返事がなくても気にせず、根木はそのまま話を続けた。
「でさ、から揚げベンチにおいて、パンをあけようとした隙にから揚げを一個猫に取られたでしょ」
記憶に思い当たる。
確かに、大好物のから揚げをこの辺を根城にしている猫に取られたことがあった。
「お前その猫本気で追っかけてさ、とっ捕まえたって食えねえだろうにさ、追い掛け回して、結局無理で帰ってきたらパンも取られててさ」
嫌な記憶を思い出す。
「それで清水すっげー切れてさ、残ってたから揚げと全部その辺にぶちまけて『そんなに欲しけりゃあげるわよ!』とか言って立ち去ったよね」
頬が熱くなってくる。
なんでそんなところをこの男に見られているのだろう。
「俺、偶然ほら、あそこの窓」
と言って上を指差す。
旧校舎の端。使われていない資料室のある場所。
「あそこで煙草吸ってた時に見ちゃってさー。あ、これはナイショね」
飄々とした調子でにこにこと話す根木。
こちらは耳まで赤くなってくる。
「マジツボでさ!腹痛くなるまで笑わせてもらったよ!どんなツンデレだよ!とかさ」
「ツンデレ?」
「あ、それは気にしないで」
聞き覚えのない単語に聞き返すが、根木はどこか慌てた様子で手をふった。
にしても、あんなとこを見られてるとは。
「その後もさ、俺前の席だからよく分かったんだけど、清水、腹すげえ鳴ってるしさ」
思い出してきたのか、ぴくぴくと頬を震わせ、目尻も下がってくる。
「お、おもしれーやつー、とか思ってたん、ぶっ」
最後まで言い切れず、根木は盛大に笑い出した。
私は、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかった。
でも、今更ここでジタバタしてもこの男を笑わせるだけだから、じっと耐える。
しばらく笑って、目尻の涙を拭きながら根木がこちらをむく。
「て、訳で、清水に興味があったわけさ」
「変な奴」
ばっさりと切り捨てる。
私は、はっきり言って学校では浮いている。
根木がどんな人間なのかは知らないが、この様子からして、クラスでは中心的存在だろう。
愛される人間の、雰囲気を持っている。
そんな人間が、自分に興味を持つ事が、変だった。
「うわ、きつ」
「何、友達いないかわいそうな女の子に、同情したとか?」
自分でも嫌なことを言っていると思った。
けれど、同情されたくなかった。

これ以上されたくなかった。

根木は、眉をちょっと上げたけれど、怒りも驚きもしなかった。
「暗い考え方だなあ」
「悪いけど、根暗だから」
「ぷっ、お前こそ変な奴だよな」
「かもね。それで、そんな変な奴に何の用?」
更に刺々しく、そっけなく言った。
わずらわしいのは、嫌い。
優しくされて、期待するのも、嫌いだ。
「いや、だからただ話してみたかっただけ」
「一緒におててつないで仲良くしましょう、って」
鼻で笑う。
こんな、人を嫌な気分にさせる言葉だけは、得意になってしまった。
けれどやっぱり根木は動じない。
飄々としたどこか情けない外見と違って、中身は結構強いらしい。
「いやあ、別に清水をクラスの輪に入れよう、とか、俺だけは優しくしてあげよう、とかはないよ。面倒臭いの嫌いだし、そこまで親切じゃないし、清水にそこまでしてやる義務も義理もないし」
予想外の冷たい言葉に、今度はこちらが面食らう。
よくいる、輪を大事にする、委員長タイプの人間かと思ったのだ。
今までも何人かの人間は、私に優しくしようと、しているふりをしようとした。
「ただ、俺が興味あるだけ。 別に嫌なら消えるよ?まあちょっと残念だけど、どうしてもってわけじゃないし」
意外な、きっぱりとした言葉。
さばさばとした態度。
私は拍子抜けすると共に、根木に対して興味がわいた。
こんなに嫌な言葉を投げつけて、態度の変わらない男。
ならば、私に期待したり、そしてそれに対して勝手に失望したりしないだろうか。
根木ならば、興味を失ったら、それをきっぱりと告げて去っていってくれそうだ。
「俺、いなくなったほうがいい?」
「私、楽しい会話とか出来ないよ」
「うん、それっぽいよね。話題少なそうだし」
「飽きたらどうすんの?」
その問いに、男は残りのクリームパンを頬張り、目線を上に向けた。
無意識に口を動かし、少しの間考える。
「そうだな、その時は悪いけどさようならー。少しでも楽しかったらお友達になって」
それは、私にとって、満点に近い答えだった。
責任感や、惰性で、一緒にいられたくはない。
私は、珍しくにっこりと笑った。
「じゃあ、一緒にご飯食べようか」
「うお、すげえ全開笑顔じゃん!」
根木も、無邪気に笑った。
近頃苛立ってばかりだった心が、少し、浮き立った。


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