『う、うう、アルノ………』

心にじんわり染みいる言葉に、私は跪くアルノの首に抱きついた。
ひょろっとしたアルノはよろめいて、床に座り込む。
少し困ったように笑って、だがしっかりと受け止めてくれた。

椅子から転げ落ちるように、アルノに体を預けてその胸に顔を埋める。
少し据えたようなアルノの匂いは、とても落ち着く。
甘えるように顔をこすりつけると、なんだか自分が小さな子供になったように感じた。
アルノもゆっくりと私の頭を撫でてくれている。

「………なんでアルノだけなんだ」
「当たり前です!」

馬鹿がなんか言って、エミリアに怒られている。
涙を思いきり出して、労わるように慰められると、ようやく沸き立っていた感情が治まってくる。
涙もひっこんできて、徐々に冷静な思考が蘇る。
でも、気持ちよくてアルノの腕の中から出たくない。
久々の、守られているという感覚。
彼氏といたって、こんな風に感じたことはない。
小さい頃、お化け屋敷でお父さんが手を握ってくれたような、そんな感じ。

ああ、なんだか、これ、いい。
やばい、この年になってこんな風に甘えるとか、こっぱずかしいけど気持ちいい。
なんかお姫様気分。
ロマンスグレーに守られる、ヒロイン。
この年で痛いっていうのは分かってる。
けど、気持ちがいい。
何この優越感というか、安心感というか。
なんだか落ち着いてくると、恐怖とか焦りとかふっとんできた。
うとうとと、まどろむように気持ちよさに酔う。

「大丈夫か、セツコ?」

ずっとこうしていたいなあ、と思っていたが声をかけらる。
一瞬迷ったが、仕方なくしぶしぶ顔を上げる。
アルノはけぶるように笑って、穏やかな目で私を見ていた。
ああ、やばい、ときめく。
なんでそんなイケメンなの、アルノ。
眩しいわ、アルノ。
大好きよ、アルノ。
髪を撫でてくれるアルノを、安心させるように笑う。

「………ありがとう、アルノ」
「いいや、君を守れなくて、悪かった。怖かったね」

あの夜の記憶は、未だ生々しく脳裏に焼き付いている。
けれど、こんな一時で、あの掻き毟るような苦しさが、消えていた。
まだ胸にもやもやとしたものは、残っている。
でも、背負っていた荷物を下ろしたように、すっかり軽くなっていた。

私のやったことは、怖いことだった。
でも、私は死にたくなかった。
私が死ななかったことを、喜んでくれる人がいる。
だから、いいんだ。
そう、思うようにする。
そう、それこそ、悪魔の言った通り、考えていても、答えはでない。

アルノと一緒に床に座り込んだまま、私は涙を拭う。
あ、鼻水も出てた。
やばい、アルノについちゃったかも。
化粧もしてないし、ぶっさいだろうなあ、今。

でも、アルノは私の顔を手の甲で拭ってくれる。
頬に張り付いた髪をかきあげ、慰撫するように撫でる。
もうその仕草もなんでこんなに、様になるんだ。
絶対若いころ、モテてただろう、この人。

「陛下を、怒らないで、ほしい。君を、元気づけようと、しただけなんだ」

いや、それはちょっとアルノの言葉でも頷けない。
憮然とした私に気付いたのか、困ったようにアルノは笑う。
そしてちょっと苦い顔をして、言葉を探す。

「****、トロンヘイム、中心の町では、貴族、処刑が好きだ。遊び。***、見て、喜ぶもの。陛下は、中心にいることが、多かったから」

えーと、処刑は、貴族の娯楽だったってことかしら。
ショー?
うわ、趣味悪い。
理解できない。
まあ、会ったこともないけど、お貴族様ってのはそういう趣味があるのかもしれない。
そんな話、歴史で聞いたような聞いてないような。
そんな感覚は、一生分からないが。

そういえば、ミカは戦場で、ずっと生きてきたのよね。
人の死が、当然のものだったのかもしれない。
戦争、なんて言葉はいまだ遠く感じるのだけれど。
血と、死と、悲鳴。
昨日の夜の、大量生産。

ぞくりと、寒くなって少し震える。

ちらりと見上げると、ミカはふてくされた顔で口を尖らせていた。
いい歳こいたおっさんが、子供のようだ。
そんなミカを見ていると、やっぱり戦争、とか死、とか血とか、処刑とか、そういったものは遠く感じる。
それと同時に、少しだけ納得もする。
ミカの獰猛な獣のような雰囲気。
それは、そんなところから来ているのだろうか。

じわりと、ミカに恐怖を感じる。
大きな手。
剣を持つ手。

ミカと視線が合う。
黙っていれば威厳を感じるカリスマ性溢れる男は、けれど三枚目ぽくおどけて肩をすくめた。
私の前まで来ると、アルノの隣に跪く。
びくりと身を震わせる私に、大きな口を歪ませて笑う。

「怖がらせて、悪かった。許してくれ」

そしてそのごつごつとした堅い手で私の頭を撫でた。
大きな手。
人を切る手。

でも、ミカはこの通り私の前では、ただのおっさん。
空気が読めない、俺様な王様。
怖いミカなんて、知らないもの。
だったら、それでいいかもしれない。

まあ、少し怒って殴って、それから許してやってもいい。
馬鹿だからしょうがない。
そうだ、この人、馬鹿なんだから。

「エリアスを、あそこに、行かせたのは、ネストリだ」

固まったままじっとミカを見ていると、隣からアルノの声がまた響く。
私はつられてアルノに視線を戻す。

「ネストリは、君の場所、わかる」

アルノが、私の胸にかけられた緑のペンダントにそっと触れる。
えっと、つまり、これにはそういう、機能もあるのか。
外れなくて、盗み聞き機能があって、その上追跡機能まで付いているのか。

まさしく呪いの首飾りだ。
私のプライバシーは、どこにいった。

「君の元に、エリアスを、行かせた。君を、助けようとした」

え。
思わずネストリを見上げる。
ネストリはミカの後で、冷めた目で私を見ていた。
視線をうけて、いつものようににっこりと笑う。

『まあ、目的の場所とちょうど被っていたので、ついでです。助けられたら儲けもの、程度で。死なれても後味悪いですので』

その表情も、態度も、普段と全く変わらない。
それは照れ隠しとか、気を使わせないための嘘、とかそう言ったものは全く感じなかった。
正直な、心からの言葉だろう。

まあ、期待はしてなかったわよ。
こいつにそんな人間らしい心があるもんか。
ついででもなんでも、面倒だから見なかったことにしようとか思わなかっただけありがたい。

そう思ってないとやってられない。

「みんな、君を、愛しているよ、セツコ。この世界を、嫌いにならないで」

アルノの手が私の頬をそっと包む。
温かい、穏やかな気持ちになれる魔法の手。
その言葉に、酔いそうになる。
うっとりと、気持ちよく心に染みていく。

でもアルノ。
ただしネストリ除く、よね。
いや、ミカも半分くらいは怪しい。

一人半除く、だ。

「私も、セツコ様、好きです!」

柔らかい甘い声が、しっかりと伝えてくる。
エミリアがそばかすが浮かぶ頬を赤らめて、拳を握って力説する。

なんでこの子はもう、本当にこんないい子なのかしら。
嫉妬を覚えるぐらい、いい子だわ。
涙が、こみあげてくる。
恐怖の涙ではない、温かいじんわりとした、涙。
なんかもう、本当に涙もろくなったなあ。

「あのね、私も、アルノも、エミリアも、ついでに、エリアスが、大好きよ」

アルノは、にっこりと目を細めて笑ってくれた。
私も嬉しくて、頬がほころぶ。

「怖がらないで。君を、守るから」

そして、そんな心ときめく殺し文句で私を打ち抜くアルノに、もう一度抱きついた。





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