『………帰れるって、どういうことよ』
『どういうことも何も、帰れますよ。元の世界に』
『………300年に一度しか、帰れないんじゃなかったっけ』
『マッラスクーの儀式は、300年に一度しかできませんね』

私の問いに、のらくらとネストリが答える。
そういうことが聞きたいんじゃない。
分かっててやってんだろ、こいつ。

『だから、どういうことよ!』
『だから、帰れるんですってば』

またループしそうな問答を始めると、そこにおずおずとした声が割って入った。

「えっと、あの、お二人とも…、何を、話されてるんですか………」

気がつくと、ドアのところでお茶を乗せたトレイをもったエリアスが立っていた。
私たちの無言のにらみ合いに、おどおどと眼鏡の下の目を彷徨わせる。
第三者の登場に、ネストリは軽く肩をすくめてようやく説明を始めた。

『えーとですね、簡単に言うと、あちらからこちらの扉を開くためには、3つの月が重なるマッラスクーの魔力を借りなければ無理なんですが、元々あちらの世界へあったものをあちらへ返還するには、至幻の月、現還の月の2つの月が重なるロカクーの日でも大丈夫みたいなんです。おそらくその日に帰れます。それで都合のいいことに、ロカクーの日は四日後なんですよ。だからひとまずやってみようかと』

早いとこそうやって説明をすればいいものの、まったく周りくどい。
こいつの首都高みたいにねじまがった性格そのものだ。
まあいい。
とりあえずそれはいい、落ち着こう。
今は事実確認が先だ。

『色々つっこみたいところはあるけど、とりあえず、すごい言い回しが気になっているの。みたい、とか、おそらく、とか、その曖昧な言葉は何!』
『今まで試した人いませんからねえ。私が発見した理論ですから。まあ、私じゃなければ、なかなか難しかったでしょうね。セツコが初の体験者となれますよ。成功したらヴァロの大発見となります。やりましたね、セツコ』

にこにこと笑って手を叩かれる。
が、全く嬉しくともなんともない。
ていうかそれも分かってやっているだろ、この悪魔。

『私なんも得しないし。ちょっとまって、それリスクはどうなってるの?リスク管理の出来ていないチャレンジなんて、失敗が目に見えてるわよ!』
『リスク?チャレンジ?』
『危険性は!?』

ネストリはにっこりと笑ったまま、答える。

『まあ、失敗したら、帰れませんね』
『………それだけ?』

それだけならいい。
帰れないだけなら、また次の機会を待てばいい。
だが、案の定ネストリは表情を崩さないまま続けた。

『運がよければ』
『やっぱりそれか!!』

そして私も性懲りもなくネストリの襟首を掴みかかろうとする。
が、その前にピンと悪魔は指を立てた。
悲鳴も出せず、私は机に突っ伏す。

『落ち着いてください、セツコ。まあ、帰るも帰らないも、あなたに選択を委ねます。私はどちらでもいいので』
『………くそ……』
『多分平気ですよ。私、術失敗したことないんです』

そんなん信用できるか。
そりゃあ、実行してなきや、失敗もないのよ。
絶対なんて言葉は、この世にはない。
成功率100%なんてものもない。
絶対成功するって言われたプロジェクトが失敗するのなんて、何度も見たわ。

ギリギリと歯ぎしりをしながらネストリを睨みつける。
しかし、悪魔は笑って席を立った。

『準備もあるので、前日までに決定していただけると助かります。お願いしますね。では、今日の勉強はここまでで』

そして、そのままするりと音をたてず部屋から出て行く。
あいつ、本当に生きている気配がない。
本当に悪魔なんじゃないか。

「あの………セツコ、大丈夫ですか………?」

忘れ去られていたエリアスが恐る恐る聞いてくる。
私は悪魔が出て行った扉を指さし命令する。

「エリアス!ちょっと、あいつ、殴って来い!!」
「む、無理です!」

そしてエリアスをちくちくいじめながら、うさを晴らした。



***




さて、どうしたものか。
まあ、気持ちは決まっている。

帰りたい。
家にはすごい帰りたい。
こんな怖いところ、いたくない。
死にかけた。
殺されたかけた。
人殺しになりかけた。
人を傷つける感触が、まだ手に残っている。
ぐちゃりとした、嫌な感触。
思いだして、顔が歪む。

もう、あんな思いはしたくない。

それに白米ないし。
日本酒ないし。
刺身ないし。
マカロンないし。
量が多くてカロリー高いものばっかりで太るし。
温泉ないし。
お風呂やっぱり使いづらいし。
トイレ使いづらいし。
ウォシュレットないし。
テレビないし。
空調ないし。
外、自由に出れないし。
遊びにいくとこないし。

とにかく、不便だらけだ。
こんなところ、ずっといたいなんて思わない。
清潔で便利な、現代日本に戻りたい。
慣れてはきたけど、やっぱりあの世界が恋しい。
経済大国、飽食の国万歳。

でも、リスクが高い。
怖くて聞けなかったけど、失敗したらどうなるんだろう。
あんまり想像したくない。
詳しく知ったら、より帰る気が失せそうだ。

私は思い悩みながら、自然とある場所を目指していた。
目的の部屋の扉を軽くノックすると、中から応じる声がした。

「アルノ」
「どうしたんだ、セツコ」

アルノは書類から顔を上げて、優しく微笑んで迎えてくれる。
蕩けそうな笑顔に骨抜きにされながら、けれど私は顔をしかめる。
まったくもうこの人は。
つかつかと机まで近づいて、アルノの手から書類を取り上げる。

「こんな遅くまで仕事する、だめ!」

私が叱りつけると、アルノはバツが悪そうに歳をとっても豊かな髪を掻く。

「悪かった。もう切り上げるよ」
「もう、毎日毎日、だめ!休むの!」
「分かった分かった」

子供をなだめるように優しい声で応じて、アルノはペンを置く。
その後、私に部屋の中にもう一客ある私専用の椅子に座るよう勧める。

「それで、何か用事だったのか?」
「えっと、あのね」

私は椅子に座りながら、ちょっと躊躇う。
そして、アルノに視線を合わせて、ここに来た理由を告げた。

「私、帰れる、らしいの」
「え」
「えっと、前の、世界、帰れる」

アルノは驚いて目を見開く。
けれど、それは一瞬、すぐにいつものように優しく微笑んだ。

「そうか。よかった」
「………寂しくない?」

思ったよりあっさりとした言葉に、私は少しだけ憮然とする。
まあ、帰れるのは確かに嬉しいけど、少しくらい寂しがって欲しい乙女心だ。
私だって、アルノと別れるのは、寂しい。
私の言葉に思わずと言ったように噴き出して、アルノは私の頭を撫でる。

「寂しいよ。とても寂しい。君が大好きだ。君がここにいてくれると、とても嬉しい」

アルノの目は、相変わらずキリンのように優しい目をしている。
人の心を穏やかにさせる、マイナスイオン製造機。
そんな恥ずかしい言葉を口にしても、いやらしさも照れも何もない。

「でも、君の家族も、友人も、多くの人が、君を心配しているだろう。君を、待っている」

そうだ。
お母さん、お父さん、馬鹿弟。
同僚、後輩、部長。
みんなの顔が、脳裏に浮かぶ。
ああ、会いたい。
懐かしい。
会いたい。
会いたいよ。

「………でも、ネストリ、失敗、怖い」
「帰りなさい。大丈夫。ネストリは、失敗、しない。安心して」

アルノは、私を勇気づけるように手を握る。
失敗しない。
断言だ。
可能性でもない、断言。
二人とも、あまり仲良くはなさそうだけど、どうやらネストリはアルノに信頼はされているようだ。

そうか、アルノが断言するなら大丈夫だろうか。
悪魔は信用できないが、アルノの言葉なら、信用できる。

「君の幸せを、祈っている。どこにいても、祈っている。この世界も、君を愛している。覚えていて」

かさついた、薄い手に包まれる。
それだけで、私の心はゆるゆるに解けて、そして何倍も強くなれるのだ。



***




でも、困るわ。
アルノの言葉を聞いていると、逆に心が揺れる。
アルノって、いい男すぎるんだもん。
卑怯。
あれは卑怯よ。

ああ、うん、帰ろうとは思うのよ。
でも、心揺れるわ。
アルノと別れるのは、やっぱりいやだなあ。
次こっちこれるのは300年後だし。
無理だし。
ああ、本当にあれは惜しい。
アルノ、持って帰れないかな。

そんなことをつらつら思いながら歩いていると、廊下の端から声をかけられた。

「セツコ!」

ブラウンの髪と目をした大柄な男が、大股にこちらに近づいてくる。
しかしこの馬鹿、いつ仕事してんだろう。
まあ、ちょくちょくいなくなってるけど。

「何?」
「帰るって本当か!?」

目の前にきたミカは突然私の肩を掴むと、詰問するように強い口調で問いかける。
私はちょっと気圧されて、おずおずと答えた。

「………うん、帰れる、そうなの」

その言葉に、ミカは切なげに眉をひそめると私の体をぎゅっと抱きしめた。
驚いて言葉を失う。
ミカの、少し獣っぽい匂いに、包まれる。

「寂しい。セツコがいなくなる。とても寂しい」
「………ミカ」

嫌悪感とか、セクハラだ、とか感じる前にかすれた声が耳に吹き込まれる。
ああ、本当にこいつ声がいい。
洋画のちょっと悪い役をやる吹き替え声優さんみたいな。
低く響く声で耳元に囁かれると、腰にくる。

「君の******、****花が**、だから、ここに、いてほしい」

また、何か詩的な言い回しをしているようで半分以上何を言っているのか分からない。
でも、背に回された手の熱さが、服を越えて伝わってくる。

「セツコ、君が愛しい」

体を離して、まっすぐに目を覗きこまれる
それはとても真剣で、引き込まれるほど深い色をしていた。

「ここにいて、セツコ」



***




さあ、どうしよう。
これは困った。
あんな風に引きとめられるのは、悪くない。
というか、いい。
頬が緩むわ。

最後にもう一度帰らないでと言われて、解放された。
今日はセクハラなことも何もされなかった。

憧れのシチュエーションよね。
イケメンに強く引きとめられる。
ミカも、悪くないのよ。
ちょっと強引で馬鹿で俺様なところを除けば。
でも、そこもよかったりするのよね。
ああ、なんか引きとめられるっていい。
必要とされているって感じ。

『ああ、セツコ』
『……………』

いい気分でニヤつきながら歩いていると、心から聞きたくない声が耳に入った。
無視しようとしたが、そいつは空気を読まず私の前まで来る。

『どうしますか?決まりましたか?』
『………迷ってるわ………』

帰りたい。
確かに帰りたいのだ。
だが、危険性も高いことを考えると、ちょっと心揺れる。
あんな風に情熱的に口説かれると、やっぱり迷う。
それに、アルノと離れるのも、寂しい。

ネストリはそんな私の態度におや、というように目を開く。
そしてぽりぽりと頬を掻いた。

『うーん、陛下はうまいことやりましたね。私は帰る方に賭けてたんですが』
『………は?』
『今回は私が帰る方に賭けて、陛下が帰らない方に賭けたんです』

にっこりとネストリが笑う。
ああ、そうよね。
そうよ、わかってたわよ。
くそ。
どうしてこう私はいつまでたっても夢見がちなんだ。
いい加減現実を見ないとだめだろう。
もういい歳なんだしさ。
肺から絞り出すように、酸素を吐き出す。

とりあえず。

『お前ら本当にいっぺん死ね!!』

ああ、これで決心がついた。
こんな世界、さっさとおさらばするわ!





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