今日は月がとても綺麗。
三つの月が、思い思いに散らばって世界を青白く照らしている。
バルコニーの扉を開け放って、クッションひいて床に座り込んで酒を飲む。
冬に近付きつつあるらしい風は、少しだけ冷たい。
毛布をかぶって、月見酒。
なんて風流。
なんて素敵。

「はあ…………」

けれど気分はどんより曇り空。
気分を晴らそうとお気に入りのグラスで、ちろちろと果実の蒸留酒を飲む。
よく分からない果実の蒸留酒だけど、かすかな甘みと濃厚な香りで最近のヒットだ。
ブランデーだから、ちょっと高級なチョコレートなんかと一緒に飲むとおいしいんだろうなあ。
カカオの効いたちょっと苦みがある奴がいいなあ。

強いお酒は好き。
余計なこと気にしなくて済むから。
強いお酒で何もかも忘れてしまいたい。
ああ、でも今日は気分的に駄目だわ。
ロウに入ってる。
こりゃ暗い酒になるなあ。
また吐いて暴れて兵士さんの手を煩わせるのは嫌だな。
でもやめられない。

硝子のグラスは、体温を移してほんのり温かい。
この世界では高級品らしい硝子でできたグラスは、この世界残留が決まった際に記念に貰ったものだ。
なんの記念だ。
くそ、お祝いパーティーとか開きやがって。
嫌がらせだろ、あれ、間違いなく。
嫌がらせつーか、楽しんでるだけだろうけど。
でも、まあ、残るって決まったなら、嫌がられるよりは喜ばれたほうがいいかな。
邪険にされない、って、有り難いわよね。
馬鹿王とか悪魔とかが相手だと、どうにも素直に受け入れられないが。

ああ、なんで本当に私あの時帰らなかったのかなあ。
帰りたくないって、思っちゃったんだよなあ。
だって面倒くさい。
帰って就職も婚活も、家さがしも両親への言い訳も、世間の冷たい目も。
もう何もかも面倒くさい。
生きていくのが面倒くさい。
真面目に生きるって面倒くさい。
宝くじ当たって、一生働かないで生きていきたいなあ。
別に贅沢しないからさあ、慎ましく生きていくからさあ。
それでも二回ぐらい当たらないと駄目かな。
三千万か四千万くらいでマンション買って、切り詰めれば一人で一月十万もあれば十分よね。
光熱費と食費で、まあその他もろもろでしょ。
ああ、でも働かないとなると厚生年金入らないから老後考えるともっと貯蓄しないとダメよね。
十五万ぐらいでなんとかなるかな。
となると一年で。

て、もう宝くじも何もないんだった。
まあ、ある意味ここじゃ、何もしないで生きていけるわよね。
何もしてないわ。
酒飲んでるだけ。
夢に見たくっちゃ寝生活。

そうね何もしないで生きていけるわ。
確かに何もしてないわ。
ていうか。

「することないのよ!!」

娯楽がない。
娯楽がないのよ。
金と暇があっても、することないのよ。
映画もエステも美容室もマッサージも、おいしいスイーツもショップも海もスノボも何にもない。
それ以前の問題で、字も読めなければ、外にもロクに出られない。
日常会話はようやくできるようになってきたが、まだまだ満足な会話すらできない。

金と暇があってもどうしようもないのよ。
むしろ仕事をもっとちょうだい、てくらいよ。

「暇、暇なのよ!」

必死に勉強しちゃうぐらい暇。
他にすることないんだもの。
アルノの仕事手伝いにも、字読めないんじゃ大したことはできない。
努力の甲斐あってみるみる語学力上達してるけどね。
ああ、この力がどうして学生時代に出せなかったのかしら。
あの頃英語をこんなに勉強していたら、今頃人生変わってたかしら。

「お米食べたい………、魚、刺身、おせんべい」

髪もすっかり黒くなった。
みっともなくて切りそろえたから、茶色い部分はなくなっちゃった。
パーマもとれかけてみっともないから結いあげてしまっている。
まあ、気合い入れなくても誰も何にも言わないからいいんだけどさ。
女としての自覚もなくなりそう。

食っちゃ寝して生きるのって、結構辛いわ。
いや、現代日本でこんだけ金と暇があったら楽しんだろうなあ。
でも今この状況でただ暇をかこつ日々っていうのは、辛い。
体がじわじわ腐っていく気がする。
酒飲んで愚痴言って、うわ、最悪。

ニート?
今私ニートなの?
完全ニートだわ。
ダメ人間。
不良債務。

私の求めているのはセレブ生活であって、決してニートじゃないのよ。
でも今私は、完全ニートだわ。
不必要な存在。
むしろゴミ。

頭痛い。
ああ、帰ればよかったなあ。
あの世界帰ったら、今よりやることあったかな。
こんな居場所ないの、いたたまれない
回りの人間が忙しそうになのに、自分だけ暇って辛い。
皆暇ならいいんだけどさ。
自分だけ違うのって、辛い。
でも帰って真面目に生きるって考えるのも、面倒くさい。

こうやって人間、駄目になっていくのかな。

あ、涙出てきた。
やっぱ暗い酒になった。
このままいくと本当に危険ゾーンに突入だ。
エリアスでも呼んで愚痴こぼそうかな。
でも忙しい人間を酒に引きずり込むってそれこそダメ人間。
人を引きずり落とすような存在になったらおしまいよ。
でも自分以外の幸せな人間は嫌い。
みんな同じぐらい不幸になればいいのに。
いや、そうじゃなくて。
なんか気分を明るくする方法ないかな。
こんな酒はいやだ。

「………どうしようかなあ、これから」

向こうの世界にいてもお先真っ暗だけど、こっちにいても先が見えない。
どこにいても未来が遠い。
もうため息しか出ない。

「いい月ね」

一際大きく肺から重い空気を吐き出した時、不意に後ろから声が聞こえた。

「うわったあ!」

驚いて、グラスをとり落とす。
カラカラと転がって、グラスから酒が絨毯にしみを作る。
ああ、まだ少し残ってたのにもったいない。
誰よ!

「こんばんわ」

後ろを振り向くと、そこには背の高い女性がにっこりと笑っていた。
見たことない人だ。
でかいな。
私より十センチは高そう。
ランプなんて必要ない明るい月明かりの中、その人は一際浮かび上がるように佇んでいた。
腰まである緩やかなウェーブがかかったブラウンの髪に、細いが硝子玉のように光る薄茶の瞳。
少し冷たく感じる、整った目鼻立ち。
いくつぐらいだろう。
暗いせいかよく分からないが、私と同じか、少し下か。
でも身にまとう穏やかな雰囲気は、年上のようにも見える。
中々の美人だ。
けれど、それ以上になんだか目を引きつけて離さない空気がある。

「えっと」
「カテリナよ」

彼女は長いスカートをふわりと翻し、私の隣に座る。
そして顔を覗き込み、にっこりと笑った。

「は?」
「あなたは?」
「へ?」
「名前」

なんだこの変な女。
一体何なんだ。
にこにこ笑って悪意はないようだが、テンポがまったく掴めない。
上品な身なりからして、メイドさんではないようだ。
なんだろう、お貴族様とかか。
話し方も、エリアスが話すような上品な言葉だ。
城に普通にいるからには、怪しい人間ではないんだろうけど。
ないんだろうな。
ないといいな。
またあのゲリラとかじゃないわよね。

「私はカテリナ。あなたは?」

邪気なく問われる。
一瞬躊躇うが、別に黙っておくようなものじゃないしな。
失礼な態度ではあるが、あまりにも邪気がないからムカつきも少ない。
まあ、いいか。

「………セツコ」
「そう、セツコ。よろしくね」
「………はあ。あのあなたは」
「ご一緒していいかしら」
「へ?」

また人の話を聞かずに、カテリナとかいう女は話を進める。
どこから取り出したのか、陶器で出来たボトルを私に差し出す。

「どうぞ」
「え、あ、どうも」

なんだ、酒か。
私はもっていたグラスを差し出す。
カテリナがトクトクと、陶器から何かを注ぐ。
薄い赤い色の液体。
ふわりと薫る桃みたいな匂い。
ワインか。
ちろっと、舌で転がす。
うん、甘めだが中々飲みやすくておいしい。
くいっと、一息で飲み干す。

「強いわね」

カテリナがにこにこと笑っている。
まあ、誰でもいっか。
怪しい奴じゃないだろう。
一人で飲むよりは明るいお酒になるだろう。

「グラスが一つしかないわ」
「えっと、じゃあ、メイドさんに」
「まあ、いいわ」

言いかけた私をさえぎって、カテリナが私の手からグラスをそっと取る。
そして私に差し出す。
ああ、なるほど。

『どうぞ、ご返杯』
「ありがとう」

私の持っていたブランデーを彼女の持つ私のグラスに注ぐ。
彼女も同じようにぐいっとそれを飲み干した。
ブランデーの飲み方じゃないが、まあいいか。
にっこりとカテリナが笑う。

「コニ地方のエリゼね。いいお酒。おいしいわ」
「あなたのものも、おいしい」
「いい月ね」
「そうね」
「どうぞ、もう一杯」
「ありがとう」

うん、おいしいお酒。
悪い奴じゃなさそうだ。
こういうのも悪くないわね。

そんな感じで、私はカテリナと並んで酒を注ぎあった。





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