相変わらず独特な獣臭い匂い。
城にいると感じられない喧騒と活気と汚さは、顔を顰めるぐらいのものもあるが、久々だとやっぱりワクワクしてくる。
所詮中流一般家庭。
お上品なフレンチのコースより、オフィス街の800円パスタセットの方が性に合う。

そんな庶民の中には相応しくない、どうしたって浮いている美女が一人。
カテリナが市場の間を上品にひらりひらりと飛び交いながら、その商品を次々と手にする。

「ほら、セツコ、これはどうかしら!ああ、やっぱり似合う。セツコの黒い瞳には、こういう深い赤が似合うわ」
「えーと、はあ」
「こちらのショールはお揃いにしましょう。ね、色違い」

さっきから私に似合う服だの靴だのアクセサリを選んでは押し付けてくる。
買物は嫌いではないが、なんだかエミリアとの買物よりもテンションが上がらない。
なぜだろう。
庶民の市場にいるセレブが、安物を押し付けてこようとするからだろうか。
エミリアだったらどんな服を選んでくれても嬉しいのに。
カテリナだとなんかイラっとする。
お前もっと高い服買えんだろうよ。
着てるだろうよ。
ああ、本当に私は心の狭いなあ。

「次はそうね、宝石も欲しいわね」

私のための服をいくつか買いこんで、次は宝石とうきうきしながらまた飛び交う。
後ろからついてきて荷物持ちをしているティモ=ユハニもどことなくうんざりとした顔をしている。

やっぱり浮いている女性に、周りの人は視線を奪われている。
美女だし、着ているものも上等だし、どう考えても上流階級の女だよなあ。
ああ、一緒にいると恥ずかしいってのもあるのか。
並ぶとなんだか惨めにもなるし。
悪い人じゃないとは思うんだけど。
いや、でもミカの子供で、ネストリの弟子だしなあ。

「………カテリナ、そろそろ」

あまりテンションあがらない買物を切りあげようと声をかける前に、カテリナがくるりと振り返った。
そしてマントの中から、ごそごそと何かを取りだしてきた。

「あ、そうだ、セツコ。これを持っていて」
「なに、これ?」

それは鞘に入ったナイフのようなものだった。
押しつけられるままに受け取ると、ずしりと重い。
鳥と蔦と剣の柄が彫ってあって宝石も埋め込んである、随分と高そうな綺麗な剣だ。
そういえばティモ=ユハニが持っている剣の柄と似ているかもしれない。

「護身用の剣よ。あなたこの前危険な目に会ったんでしょう?何かあった時のために」
「いや、えっと」

何かあっても困るし、何かあった時にこれを使う自信もない。
そもそも使いたくない。

「………カテリナ様」

ティモ=ユハニが後ろから、少しだけ厳しい声でカテリナの名を呼ぶ。
カテリナはそちらを向いてにっこりと笑うと、ティモ=ユハニは苦虫をかみつぶしたような顔で黙った。
不機嫌そうな顔が、更に不機嫌そうになる。

「ね、はい」
「いや、でも、使えない」
「持ってるだけで頼もしいものよ」

そういうものだろうか。
まあ、確かにあの時は、武器の一つでも持っていればよかったと思った。
外に出るなら、護身用として持っていても、いいのだろうか。

「はい、こうやって下げればいいでしょ」

迷っているうちに、カテリナがいつのまにか用意していたベルトのようなものを私の腰に巻いてしまう。
そこにはナイフを固定する部分がついていて、綺麗なナイフはすっかりと収まってしまう。
結構重い。
腰が痛くなりそうなんだが。

「あら、似合う。かっこいいわ、セツコ。ね、ティモ=ユハニ」
「………」

ティモ=ユハニはやっぱりなんだか渋い顔。
護衛としてないがしろにされているのが気に入らないのだろうか。
返すか受け取るか、どうしたものかと迷っていると、カテリナはまた踊るように振りかえる。

「さ、次は香水でしょ。その後は美味しいものを食べましょう!」

そしてカテリナは二十代後半とは思えない無邪気さで私の手を引く。
やっぱりアルノやエミリアの時のようにテンションがあがることはない。
そりゃ年が近い勝ち組美女なんて、あまり隣にいたくないもんだ。

「セツコは何が食べたい?」
「はあ。ま、いいか」

でもまあ、ここまで懐かれると、悪い気もしないかもしれない。
どうせ逃げられないなら、楽しんだ方が勝ちだ。
買物は嫌いじゃないしね。


***




お風呂に入り終わって、廊下を歩いていると、後ろから高い少年の声が響いた。

「おい、お前」

中々の美声だ。
歌でも歌われたらかわいいーって騒ぐ若い子もお姉さま方もいるんじゃないだろうか。

「おい、そこのお前!」

こんな偉そうな態度もそれなりにいいかも。
基本女はSが好き。
ちょっと乱暴に扱われたりするのも、ドキッとしちゃったりするのよね。
ただしイケメンに限る。
なおかつ、基本自分にベタ惚れの時に限る。
自分の手の平の上で転がせる危険を、楽しみたいのよ。

「お前、お前のことだ!」

がしっと肩を掴まれた。
そこで仕方なく立ち止る。
誰が、お前、で振り向くか。

「あら、どなた?」

振りかえってにっこりと微笑むと、後ろにいた美少年は顔を赤くした。
あ、やっぱりこの子だったのか。
下半身暴走王の次男。

「僕の名前を忘れたのか!」

本当になんとも偉そうな態度だ。
そこがかわいいと言えないこともない。
若くて美少年だから全然許せる。
ちょっとからかいたくもなってくるけど。

「えーと」

あ、やべ、本当に思いだせない。
からかおうと思ったけど、本当に名前が思い出せない。

「お名前なんですっけ?」

仕方なく、正直に名前を聞いた。
けれど私の謙虚な姿勢に、美少年はさらに顔を赤らめた。

「********!」

早口な上に上擦ってるから何言ってんだかさっぱりわかんねー。
ちょっとは落ち着かないとダメよね。
カルシウム足りてないのかしら。

『だってそんなこと言われても横文字覚えられないしー、外人の名前とか似たようなのばっかりだしー』
「僕の分からない言葉で話すな!」
『もうこっちの言葉話すの面倒なのよ。今日はいっぱい話して疲れたの。今日の異世界語は締め切りましたー』

まあ、後で悪魔と会話レッスンがあるんだけど。
でもカテリナとの会話と買物で、さすがにくたくただ。
もう脳みその許容量いっぱいだから、悪魔との対決用に取っておきたい。

「この!」

あくまで日本語話していると、美少年が手を振りあげた。

「え、うそ!」

こんなことで殴るとか最低だろ。
どうすることも出来ず顔を手で庇って身を竦める。
この野郎、100倍にして返すからな。
その美少年面を腫れあがらせてやる。
美少年だからって手加減すると思うなよ。

「………あれ」

しかしいつまでたっても、想像していた痛みは来ない。
なんだ、焦らしプレイか。

「アルベルト、女性を脅かすものではありません」
「ヘルマン!」
「どうせ殴ることなんて出来ない癖に」

なにやら会話が聞こえて、恐る恐る手を解いて覗いてみる。
そこにはなんだか新キャラが登場していた。
背の高い、冷静そうなやっぱり美形な二十代後半ぐらいの男性。
うわ、銀髪か、これ。
プラチナブランドってやつか。

「だってこの女が失礼なんだ!」

美少年はキャンキャンと吠えて私を指さす。
ああ、そうだそうだ、アルベルトだ。

「この女性が何をしたのですか?」
「僕の名前を忘れたんだぞ!」

プラチナブランド美青年は、美少年を呆れ果てた目で見下す。
その視線にアルベルトは自分でも恥ずかしいことを言っていたと気付いたのか口をつぐむ。
名前を忘れられたからって殴ろうとするって、何様なんだ。
そういえば、王子様だった。

「………アルベルト。異世界から来て不安を感じてる女性に対してのあなたの態度は、紳士として当然の振る舞いなのですか」

プラチナブロンドは、ため息をついて諭すようにアルベルトを覗き込む。
アルベルトは唇を噛んで俯いてしまった。
なんだ、やっぱりかわいいな。

「失礼いたしました、レディ」

おお、未婚の貴婦人につける敬称が出てきたぞ。
習ってはいたけど聞くのは初めてだ。
ていうか私に使われているのが初めてだ。
ときめいた。
キュンときた。
アルノ以来の紳士じゃないか。

「い、いえ、私も、お名前忘れる、失礼、した」
「仕方ないです。あなたはまだこの世界の言葉を覚えている最中だ。それなのに我が主が失礼をしました」
「………いえ、私が、言葉、覚えない、恥ずかしい」

主ってことは、この人はアルベルトの部下なのかな。
あなたと話すためなら言葉ぐらい覚えてもいいって気になるわね。
アルノとプラチナブロンドのためなら言葉を覚えてもいいかもしれない。

「さっきと全然態度が違うじゃないか!お前!」
「アルベルト」

うるさい、ガキが。
顔しか取り柄がないくせにキャンキャン吠えるな。

「ごめんなさいね、アルベルト」

でもプラチナブロンドの前だからしおらしく謝って見せる。
プラチナブロンドみたいな態度してくれたら、私だってこれくらいの態度はするわよ。

「………っ」

アルベルトは顔を真っ赤にさせて、ふるふると震えた。
本当に随分と直情的だ。
カルシウム足りてないなあ。
これくらいでキレてたら社会人生活やっていけないわよ。
社会人はね、嫌みと無茶ぶりは笑顔でかわすのが基本よ。

「ヘルマン、行くぞ!」
「まったくもう、我儘なんですから」
「なんだと!」

アルベルトはぷんぷんと怒りながら、足音高く去っていく。
プラチナブロンドは、申し訳なさそうに頭を下げた。

「では、またいずれ、レディ」
「は、はい」

ああ、いいわ、いい。
アルノより若いし。

「ふん!」

アルベルトは最後に私の顔を一瞥して、去って行った。
プラチナブランドもそれに続く。

「うーん、あれはいいわ」

それを見送って私も自分の部屋へと急ぐ。
遅刻でもしたらあの悪魔が何をいうか分からない。
ほくほくとした気分で部屋を開けると、悪魔が我がもの顔で椅子に座っていた。

「セツコ、お帰りなさい」

人に部屋に勝手に入るなつっても聞かないんだろうな、こいつは。
常識と言うものを丸めて捨てて燃やしてしまったらしい。
まあ、今更言っても仕方ない。

「ねえ、あれ誰、あれ。あの人の名前」
「あれって誰ですか」
『あれよ、あの紳士!あのイケメン紳士!』

ネストリはやや呆れた顔をしていたが、少しだけ私の顔をじっと見る。
脳内を探ってでもいるのだろう。
もうなんか、これにも慣れてきてる自分が怖い。
人間って、どんな環境でも順応してしまうものなんだなあ。
しばらくしてネストリが、一つ頷く。

「あー、ヘルマンですか」
「そう、それよ!」

そういえばアルベルトそんな名前を呼んでいた。
ヘルマンか。

「はい、ヘルマンはアルベルトの右腕ですね。というか教育係です」

なんか貴族っぽくて彼にぴったりだ。
金持ちなのだろうか。
彼女いるだろうか。
妻帯者だろうか。

「諦めた方がいいですよ」
『早いな、おい!』

私の楽しい妄想を一瞬で悪魔が打ち破る。
なんだ、また人のものなのか。

『何よ、また妻子持ち!?』
「いえ、そういう訳じゃないんですが。………まあ、見てれば分かります」

なんだそれは煮え切らない。
良物件だから私から遠ざけようとしているのか。
私が色々考えてぐるぐる悩むのを見て楽しもうとでも言うのか。
このドS悪魔が。

「私がそんなことするように思えますか」
「思える」
「ですよね」

否定しないのかよ。

「でも、今のは本当に、あなたのための忠告です。ヘルマンにはあまり入れこまない方がいいですよ」

理由を言ってくれればいいのに。
まあいい。
アルノをやっぱり本命にしておこう。
彼はキープだ。
うん、心の平穏を保つためのアイテムが増えた。

「本当にあなたは前向きと言うかなんというか」
「なんというか、何」
「いえ、見ていてある意味勇気が沸いてきます」

ある意味ってなんだ。
本当に腹が立つ奴だ。
まあ、こいつに腹を立てても、飛ばされた課長の社内報スクラップ作りより無駄な行為だ。
とりあえず今のいい気分のまま、修行に耐えるとしよう。

「そんじゃ、勉強しましょうか」
「おや、素直ですね」
「逃げても、仕方ない」

今日はちょっと前向きな気分なの。
常に全力で人生逃げていても、たまには前向きになるのよ。
本当にたまにね。
ごく稀にね。

「そういえば今日カテリナと出かけたんですっけ」
「え、うん。出かけた」

大量の服と化粧品と宝石を買ってもらえた。
まあ、いい買い物だったと言えば言えるかもしれない。

「あまりカテリナと出かけるのは、お薦めしません」
「私だって別に、出かけたくない」

無理矢理引っ張り出されたようなものだ。
同じ出かけるならアルノかエミリアがいい。
ていうかアルノがいい。

「では、カテリナに誘われたら教えていただけますか」
「なにそれ。まあいいけど」

ネストリは珍しく困ったように苦笑した。

「あの人は癖があるんですよ」

まさにお前が言うな。





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