歯がカチカチと小さく鳴って、止まらない。
膝が笑って足が竦んで、座り込んでしまいそうだ。

「………」

でも、二人の男に両腕を掴まれて、引きずられるようにして歩かされるので座りこめない。
隣にいる男たちは、一人は濃いグレーの髪と、もう一人は薄汚れた金髪の髪。
どちらも上背があってがっちりとした感触が腕からも伝わってくる。
チンピラに絡まれたのかと思ったが、なんだか違う。
この男たちはチンピラというよりインテリヤクザのような雰囲気が漂っている。
なんだか余計にタチが悪い気がする。

辺りを見渡しても、人はいない。
でもここで助けてと叫んでも、誰か助けてくれるだろうか。
私だったらこんないかつい男二人に連行されてる女が助けてといっても見て見ぬふりをする。

「………」

怖い怖い怖い。
この前の死にかけた時の記憶がちらちらと浮かぶ。
どうなってしまうんだろう。
レイプされるぐらいなら死ぬより全然いい。
でもこいつらはそんなのが目的ではなさそうだ。

死にたくない。
絶対に何がなんでも死にたくない。
痛いのは嫌だ。
絶対に嫌。
腕を振りほどいて逃げられないだろうか。

「逃げるなよ」
「ひっ」

別にしようと思ってなかったが、腕に入った力に気付かれたのかと釘を刺される。
その声の低さに、思わず悲鳴が漏れてしまった。
他のものまで漏れてしまいそうだ。
どうして私ばっかりこんな目に遭うんだ。
もう嫌だ。
元の世界に戻りたい。
日本に帰りたい。
歌舞伎町にすら近寄らない平和主義者なのに、どうしてこんな目に遭うの。

「入れ」

連れてこられたのは、小さく薄汚れた石造りの家だった。
突き飛ばされるよりに家の中に押し込められて、バランスを崩して床に倒れ込む。
咄嗟に手をついたが床に落ちていた小石にざくりと手が傷ついた感触がした。

「っつ」

痛いのは嫌なのに。
料理してて手を切っても大騒ぎなのに。

「おい」
『痛い!』

髪をひっぱられて、顔をあげさせられた。
いつの間にか目の前にはさっきの二人の男とは違う、明るい金髪の男が立っていた。
細く鋭い目は濃いグリーンで、蛇のような狡猾な印象を与える。

「お前は何者だ。なぜここにいた」

髪を引っ張られたまま、見下ろされる。
思考が麻痺してしまって、何を聞かれているのか理解できない。
なぜここにいたって、なんであんたたちこそここにいるのよ。
なんで私の目の前にいるのよ。

「え、え」
「答えろ」
「ひっ」

更にぐいっと髪が引っ張られて、髪がブチブチと抜ける感触がする。
首がのけ反って痛い。
怖い、痛い、怖い。

「あ、あ、あ、あ」

涙がぼろぼろと溢れてきた。
なんでこんなことになってるの。
何を言ってるの。
分からない分からない分からない。

「なんだこの女、イカれてるのか」
「なんとか言え!」
「きゃあっ」

私をここに連れてきた二人が、囲んで責め立てる。
何を言えばいいのよ。
何。
私が何をしたっていうのよ。

「………な、何」
「とぼけるな!」
「あう!」

バシッと顔を叩かれて、横倒しに石の床に倒れ込む。
目の前がチカチカとする。
口の中が鉄の味がする。

「お前は何者だ!」

何者って、私にも分からない。
でももう一度殴られるのが怖くて、なんとか質問の答えを絞り出す。

「え、えっと、せ、セツコ。なにものって………分からない。何を、言う?」

何を聞かれているの。
何をすればいいの。

「ひどい訛りだな」
「田舎もんか」
「顔立ちもこの国の人間じゃないしな」

あ、なんかイラっとした。
恐怖の中に僅かに苛立ちが浮かぶ。
女の顔を殴るとか、なんなんだ。
こいつらなんなんだよ。
なんで私がこんな目に遭ってるんだ。

「この剣はどこで手に入れた」

蛇男が目の前にナイフを突きだしてくる。
鳥と蔦と剣の柄が彫ってあって宝石も埋め込んである、高そうで綺麗なナイフ。
私が腰につけていたナイフだ。
なんだろう、高そうだから盗んだと思われているのだろうか。
もしかしてこの人達はそれこそ警察とか。

「も、もらった」
「誰に!」
「え、え、え」

グレイの髪の男が唾を飛ばさんばかりに恫喝する。
誰にって、誰にって、誰だっけ。
ああ、カテリナだ。

「カ………」

カテリナからと言おうとして、思いとどまった。
そういえばこの前は、ミカの名前を出して酷いことになった。
あいつらは一応この国ではVIPだ。
下手に繋がりを出すのはまずいかもしれない。
もうあんな目に遭うのはごめんだ。
と言っても、もう酷い目に遭ってるんだけど。

「し、知らない、女の人。持ってろ、言われた」

でもなんて言ったらいいか分からなくて、とりあえずそれだけ言った。
泥棒だと思われるだろうか。
ひっとえられたりするのかしら。
でも、裁判とかになったらミカ達が見つけてくれないかしら。

「本当か?」
「ほ、本当」

何度も何度も頷く。
男たちはじっと私の顔を覗き込んでいる。
動揺するな。
失敗してもシラを切りとおしたあの時の私を思い出せ。

「………」

歯がカチカチと鳴って、止まらない。
怖い。
怖いよ。
男たちはじっと私の顔を覗き込んでいたが納得したのか、三人で話し始める。

「何かの****」
「でも、あの女の周りには誰もいなかったぞ」
「だが、こんなところを一人で*****おかしいだろう」

ところどころ知らない単語が混じっていて、何を言いたいのかが分からない。
でも決して友好的な雰囲気ではない。
何。
あのナイフがどうしたの。
盗んだりしてないわ。
私泥棒じゃない。
信号無視とかゴミのポイ捨てとか多く釣銭貰っても黙ってたりしたことぐらいはあるけど、本格的犯罪はしたことない。

「やっぱりこの女は****じゃないのか」
「どうする」
「殺すか」

その単語だけは嫌に耳にしっかり入ってきて、喉の奥で悲鳴が漏れた。
でも男たちを刺激したくなくて必死にこらえた。
ミカとかネストリにいっつも死ねとか言ってるからそんな単語だけ知っている。
いっそ知らなければこんなに怖くなかったのに。
あいつらのせいだ。
あいつらのせいで、いっつもこんなだ。

「とりあえず****しよう」
「………そうだな」

この中ではリーダー格らしい蛇男が私を見て何かを言うと、他の二人も頷いた。
どうなったんだ。
どうなったんだ。
一番大柄なグレイの髪の男が、乱暴に私の腕を引っ張り立ち上がらせられる。

「来い!」
「きゃあ!」
「暴れるな!殺すぞ!」
「ひぃっ」

後ろ手に手が縛られる。
痛いけれど、悲鳴も出せない。
汗がだらだらと流れていく。
でも体は冷たくなっていく。
いやいやいやいやいや、死にたくない死にたくない。

「くっ」

そのまま引きずられるように歩かされる。
足がもつれて倒れ込みそうになるがそんなことしたところで殺されそうで、なんとか堪える。
涙と鼻水がだらだらと流れてくる。
苦しい。

「入ってろ。静かにしてるんだぞ」

けれど、とりあえず剣を抜かれることはなく、隣の部屋らしき扉を開くとそのまままた突き飛ばされる。
両手の自由が効かないせいで、今度はまともに頬からスライディングさせられた。
さっき思い切り打たれた頬が、また熱を持ってじくじくと痛む。

「は、は、は」

泣いていたせいで詰めていた呼吸を、なんとか吐き出す。
助かったの?
殺されないの?
大丈夫なの?
私はまだ生きている?

「お姉さん、大丈夫?」

その時高く澄んだ声が、そっと響いてきた。
突然のことで寝っ転がったまま、悲鳴を上げる。

「ひっ」
「わ」

すると、いつのまにか近づいていたらしい人影が、驚いたように身を引く。
私は芋虫のようにずりずりと這いずって逃げ出す。
埃や砂利の舞う石畳に痛みを感じてる暇はない。
死にたくない死にたくない死にたくない。

「大丈夫だよ、お姉さん。怖がらないで」

声は、ゆっくりと宥めるように優しく響いた。
先ほどの男達とは違う労わりの色を感じて、ようやく恐慌状態にあった心に少しだけ冷静さが戻ってくる。
床を這いずりまわるのをやめて、恐る恐るなんとか身を捻って後ろを振り返ってみる。

「………だ、誰!?」

そこには、短い髪の少年とも少女とも判別つかない細い子供がいた。
小学生ぐらい、10歳ぐらいだろうか。
もしかしたらそれ以下かもしれない。
子供は私を落ち着かせるようにぎこちなく笑う。

「怖がらないで。私は、ここの家の人間」
「え」
「あの人達がいきなり入ってきて、ここに閉じ込められたの」

何度も何度も繰り返し考えて、ようやく脳みそに浸透してきた。
そうか、この子は、あいつらの仲間じゃない。

「あ………あいつらと、違う?」
「違うよ。大丈夫」
「………そう」

私よりずっと幼いのに随分と落ち着いた様子だ。
そういえば少女も私と同じように後ろ手に手を縛られている。
それどころか足も縛られ、腕からは血が滲み、頬も腫らしている。

「怪我、怪我してるじゃない!」
「しー、騒いだらあいつらが来る。あんまり***しないほうがいい」
「あ、ご、ごめんなさい」

自分よりもずっと小さい子供に諭されて、段々冷静さが戻ってきた。
大丈夫。
私は、とりあえず、まだ殺されていない。
まだ生きている。
あいつらは隣の部屋にいる。
今はまだ、大丈夫。
落ち着け。
子供に宥められるのは、さすがにこの年になって恥ずかしい。
まあ、生命の危機に子供も大人もないけど。

「ごめんなさい、私、騒いだ」
「ううん。大丈夫?お姉さんも怪我してる」
「大丈夫、ありがとう」

子供は柔らかく優しいトーンで話す。
だんだんその声に落ち着いてくる。
本当は口の中は血の味がするし、殴られたり打ったりした頬はズキズキするし、這いずりまわったせいで膝も擦りむいたみたいだし、後ろ手に縛られた手は関節が痛くて、もう泣き喚いて世界を呪って罵りたいぐらい辛いけど、子供が落ち着いているのにそれはできない。
私だって一応大人のはしくれた。

「………あなたは、大丈夫?手当て、は出来ないけど」
「平気、ありがとう。お姉さんは、優しいね」
「え、と」

久々にそんなこと言われて、面喰う。
私の優しさが分かるなんて、なんて素直ないい子なんだろう。
しかしストレートに言われると、なんだか罪悪感が沸いてくるから不思議だ。

「………あなた一人?」
「お父さんとお母さんは、仕事行ってるはず」
「あ、それなら」
「危ないから、帰ってこないといいんだけど」
「………」

自分がこんな状態なのに、両親の心配をしているらしい。
なんていい子なんだろう。
私には出来ない。
両親が早く帰ってきて助けてくれないかしらって思ってすいません。
私って本当に人間小さい。
ああ、死にたいわ。
いや、絶対に死にたくない。

「えっと、あいつらは………」
「たぶん、マーリス。建国記念日が近いから、何かするみたい。そんな話してた」

顔を顰めて苦々しくつぶやく。
マーリスってなんだっけ。
どっか聞いたことあったんだけど。
とりあえずこの子の言い草からして、悪い奴なのね。

「………マーリス」

戸惑った私に気付いたのか、子供は不思議そうに首を傾げる。

「お姉さん。この国の人じゃないの?」
「うん、違うわ」
「そう、可哀そうだね」

哀しそうな顔、労わるような声。
じわりと胸に染みて、温かさと安心感が広がって行く。
こんな風に素直な同情なんて、アルノ以外からもらったの久しぶりだ。
本当にいい子だ。
ああ、こんないい子と、こんな善良な一市民である私がこんな目に遭うなんて。
本当に世界は不公平だ。
どうしてもっと悪人に天罰がくだらないのよ。
ネストリとかカテリナとかネストリとかカテリナとか。

「お姉さん、痛いの?」

心配そうな表情と優しい声に、素直に、労わる心が生まれてくる。

「あなたも、可哀そう。あなた、頑張った。いい子」
「………」

子供がくしゃりと泣きそうに顔を歪める。
年相応の、不安そうな顔。
そりゃそうだ。
こんな年の子がこんなに目にあったら泣きたくもなるだろう。
泣き喚かず冷静にしているこの子が、凄いのだ。

「大丈夫」
「え」

だから、励ましたくなった。
自分を言い聞かせる意味もあるけど。

「きっと、助けは、来るわ」

来いよ。
絶対来いよ。
私をこんな目に遭わせた責任をとれ、あの男ども。
そしてあの女。
何がなんでも私とこの子を助けろ。
じゃなきゃ一生恨むからな、あのセレブ鬼畜ども。
祟ってやる呪ってやる、何が何でも恨み倒してやる。

「そうなの?」

子供は不安そうに聞いてくる。
だから私は頷いた。

「うん、来る。平気よ」

多分ね、という言葉はなんとか飲み込んだ。
まあ、願ったことが叶うなんて、宝くじ3万円レベルの当選率ってことは知ってるんだけど。





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