「ぐっ、ひぐっ」

横腹を蹴り上げられて、内臓が突き上げられる。
酸っぱい液体が、喉元をせり上がり、口の中の粘つく液体と交る。
苦しくて気持ち悪くて吐き出すと、赤黒い塊が床に落ちた。

「げほっ、げほ、うえっ」

なんでこんな目に遭ってるんだろう。
いつも私ばっかりこんな目に遭う。
私ばっかり不幸。

ああ、もういっそ楽になりたいな。
そうしたら楽かな。
いっそ死んじゃったら楽かな。

死にたくない。
でももう痛いのも怖いのもいや。

痛い痛い痛い痛い。
怖い怖い怖い怖い。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
もうしません、助けて。
もうしません。
助けて助けて助けて。

死ねば楽になれるのかな。
もう痛いのも怖いのも悩むのもいや。
辛い思いをするのは、もういやなの。

「セツ、コ」

私の下から細々と、苦しげな声が聞こえる。
その声につられてつぶっていた目を開けると、血にまみれた唇が、小さく動いた。

「ごめん、ね………」

なんで、あんたはそんなに自己犠牲な態度がとれるわけ。
私は今すっごい後悔でいっぱい。
あんたなんて見捨ててさっさと逃げればよかったってそれしか考えられない。
いやだいやだいやだ。

でも、今ここで死んだら、きっと私はいい人で終われる。
それなら、ここで死ぬのもいいのかもしれない。
少しくらいは、いい気分で死ねるかもしれない。

だったら、もういいか。
どうせいいことも、希望も、未来もない人生だ。
清々する。
お母さんとお父さんには、もう一回だけ、会いたかったな。
それ以外は特に思いつかないなんて、本当になんて薄っぺらい人生。
死ぬ前に思い出す大切なものがほしいって、この前も思ったっけ。
結局、ダメなのか。

無理なんだったらあとはいっそ楽に死にたい。
もう、痛い思いはしたくない。

「おい、起きろ」

全身を襲う痛みが止んだと思ったら、顎をつかまれ顔を持ち上げられる。
涙が溢れてにじんで前がよく見えない。
仰け反らされると喉の奥にゲロと血が詰まって苦しい。
息がうまくできない。

「お前は、何者だ。あの****はなんだ」

何を聞かれているのかわからない。
何を言っているのか聞き取れない。
何者って、あんたこそ何者だ。
なんで私をこんな目に遭わすんだ。

「答えろ!」

答えろも何も、何も分からない。
今分かるのは、ムカつく奴の手が、すぐそばにあるってことだけだ。
私の顎をつかんでいる。
殺してやりたいほどムカつく奴の手が、そこにある。
そして私の口は、今自由だ。
それだけはぼんやりと分かった。

だから太く無骨な手から逃れるために、少しだけ顔を離す。
そして思いきり口を開けた。

「おい?」

そのまま、目の前に見える指に向けて思いきり口を閉じた。
ぐにゃり、ざく、ぶちぶち、という感触と音が脳内に響いた気がする。
筋だらけのやっすい外国産肉みたい。
歯にがちんと、硬い感触がする。
口の中にしょっぱい味が更にに広がった。

「うぎゃああ!!」

残っていた力をすべて振り絞って思いきり顎に力を込めるが、さすがに硬くて中々噛み切れない。
二本、口の中にあるのか。

「は、離せえっ!」

額を抑えられ、口の中から指が引き抜かれる。
負けまいとして更に食いしばると、ぶちぶちと音がして、口の中に小さな塊が残った。

硬い。
しょっぱい。
塩辛い。
鉄くさい。
まずい。

「ぶっ」

自由にされた顔は、重力のままに伏せる。
口の中のものがまずくして仕方ないので吐き出した。
床に転がったのは、丸っぽい血まみれのぐちゃぐちゃのもの。
どうやら先っぽしか取れなかったみたいだ。
残念。
ああ、でも爪っぽいものがある。
ざまーみろ。

「この女ああああああ!」

上で叫んでる男の声が聞こえる。
ざまーみろ、クソ野郎。
一生指なしで生きていけ。

これで、楽に殺してくれるといいな。
痛いの嫌だな。

あ、これで怒って、更にひどい目に遭わせるとか思われたらどうしよう。
どうしよう。
どうしようどうしようどうしよう。
いやだ。
痛いのはもう嫌なの。

今更になって恐怖が襲ってきてカタカタと体が震える。
髪が引っ張られる。

「ひっ」

お願いだから楽に殺して。
もう、痛いのは嫌。
痛いの嫌い。
嫌い嫌い嫌い嫌い。

バタン!

家が揺れた、気がした。
バタバタと、慌ただしい音が、聞こえる。

「誰だ!」
「三人、か。中はずいぶん少ないわね」

低めの、落ち着いた女性の声が響く。
髪を離される。
もう一度マリカの上に顔を伏せる。

「まあ、****とルートを潰せたからよしとするわ」
「何者だ!」
「謎の正義の味方、とかでどうかしら?」

顔はもうあげられない。
ズキズキズキズキズキズキ。
痛い。
痛みを感じない場所なんてない。
痛い。
痛い。
それしか考えられない。

ガチャガチャと、金属の音や、バタバタとした足音が響く。
何、何が起こってるの。

怖いのは嫌。
もう怖いのは終わって。
嫌だ。
痛い。

「セツコ!」

名前を、呼ばれる。
誰だ。
マリカの声じゃない。
男の声だ。
焦って戸惑ったような声。
聞いたことがあるようなないような。

体を持ち上げられる。
恐怖に体が引きつってびくりと震える。

「やっ」

振り払おうにも、手は縛られて痛みで体は動かない。

『や、やだ。もう、痛いの、やだ』
「大丈夫です。セツコ。もう、大丈夫です。申し訳ありません」

手は、予想外に、優しく私を抱き上げる。
仰向けにされて、私を抱き上げている人間の顔が見える。
とても短い銀髪、鋭い灰色の目。

「………てぃ、も?」

そうだ。
この前知り合ったばかりの、無口で無愛想なボディガードだ。

「はい、遅くなりました。申し訳ございません。もう、大丈夫です」

いつも仏頂面をしていたティモは、今は眉を寄せて苦しげな顔をしている。
こんな表情もできる人なのか。
なんだかロボットみたいだったが、こうしてみると人間だ。

「………申し訳ございません」

見知った人の顔で、全身から力が抜けていく。
これは夢かしら。
私もう死んだのかしら。
でももう、痛くないならなんでもいい。

「帰りましょう。もう、大丈夫です」

ふわりと体が浮き上がる。
ああ、でもまだ体は痛い。
ずきずきと痛んで、叫びだしたいくらいだ。
それに下半身が濡れていて気持ちが悪い。
そうだ、私はさっき漏らしたのか。
ゲロと血にまみれた顔もきっと汚いだろう。
もし死んでたり夢だったりするなら、随分感触がリアルだ。
こんな夢は嫌だ。

『私、汚い』
「はい、なんでしょう?」

ティモはなんだかぎこちない感じの優しい表情で私を見下ろしている。
汚いし臭いからあまり私に近寄らないでほしい。
まあ、もう、抵抗するだけの力もないんだけど。

「あ、私、汚い」
「大丈夫です」

何が大丈夫なんだかわからない。
私は何もかも大丈夫じゃない。
ああ、でももう、何か考えるのもいやだ。
なんでもいい。
夢でも死んだのでも汚くても、もう楽になれるならなんでもいい。

「………大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。ご安心ください」
「そう………」

もう、大丈夫なのか。
じゃあ、もういいや。
もう、考えるのはやめよう。

「あ、マリカ………」

そうだ、あの少女は、どこだ。
ここまで一緒にいたのだ。
私も助かるなら、彼女も助かってほしい。
ティモの腕の中で体を起こすと、落ちないようにか腕に力を込められる。

「危ないです」
「マリカは」

あたりを見渡すと、部屋の中は真っ赤になっていた。
床は一面真っ赤で、三人に男が倒れていた。
明るい金髪の男が苦悶の表情で仰向けに転がっている。
その髪もお腹も真っ赤に染まっていて、ピクリとも動かない。
ああ、死んだのか。
ざまーみろ、地獄に落ちろ。

「この子は無事よ、セツコ」

笑いを含んだ女性の声が聞こえて、そちらに顔を向けると、そこには部屋と同じく赤く染まった綺麗な女性がマリカを抱えていた。
その赤く身を染めてもなお優美な女性も、見覚えがある。

「………カテリナ?」
「ええ、遅れてごめんなさい。この子は大丈夫よ。よく頑張ったわね」
「マリカ、無事?」
「ええ。あなたが助けたのよ」

そうか、無事なのか。
なら、いい。
それならいい。

そう思った瞬間、プツリと意識が途切れた。





BACK   TOP   NEXT