天使のような外見をした悪魔が入ってきた扉から、今度は本物の天使が現れた。

「セツコ様、目が覚めたの!?」

いつも明るく朗らかな声には、今は焦りと心配を滲ませている。
綺麗な濃い金髪を乱して、息せき切って美少女が入ってくる。

「エミリア………」
「………セツコ様」

こちらの世界で出来た一回り以上年下の友人は、すでに真っ赤に腫らした目に大粒の水玉をみるみるうちに作り出す。
身に着けたエプロンをぎゅっと握りしめて、くしゃりと顔をゆがめてぼろぼろと泣き出す。

「う、うー……よ、よかった」
「エミリア………」

エミリアはそのまま突っ立ったって、子供のようにしゃくりあげて泣いている。
本当に私を心配してくれていたのだということが伝わってくる。
ネストリの後だと、その真っ直ぐな優しさが余計に純粋に温かく感じる。

「セツコ様!」

そして今度はうるさいくらいに大きく響く声が入ってくる。
女性にしては低めでしわがれた声は、太めの中年女性のものだ。

「の、ノーラ」

怒ったような顔でのしのしとこちらに歩み寄ってくる。
その勢いとでかい声にビビっていると、ノーラは私の頬をそのふくふくとした手で包み込んだ。
ノーラは、食べ物の匂いのような、なんだか懐かしいにおいがする。

「まったくもう、この子は心配かけて!」

いつまは敬語で話しているノーラが、今は乱暴な言葉遣いになっている。
使用している単語が子供扱いになっていた。

「嫁入り前の娘がこんな怪我をして………、まったくもう本当にバカな子だよ!」

怒ったような顔で、バカと言いながらも、ノーラの言葉は優しい。
まるで本当のお母さんみたいな、懐かしい口うるささ。
こういう口うるささをうざいと思いながら、なくなったら寂しかった。
もうどれくらい、お母さんに叱られてないんだろう。

「いくらセツコ様がが嫁き遅れだからってね、まだチャンスはあるんだよ。それなのにこんな怪我したら台無しだろう!」
「………」

ああ、そんでもってこんな風に言わなくていいことまで言っちゃうのが本当にお母さん。
今そのセリフをここで出す必要があるのか。
どうしておばちゃんってのは悪気あるのかないのか、的確に人の心をえぐる言葉を言うのか。
たった今感動していた心が、少しだけテンションダウンしてしまった。

「もう………、怪我なんてしないておくれよ」

でも、目尻に涙を浮かべながら、懇願するように言うノーラは憎み切れない。
ノーラも、心から心配してくれたというのが伝わってくる。

「セツコ、大丈夫ですか!」
「エリアス」

そして次に入ってきたのは目が覚めるような赤毛の持ち主。
眼鏡をかけた頼りなさそうな青年は、ベッドの上の私の姿を見て、これまた泣きそうに顔をゆがめる。
さすがに泣きはしないが、大きく大きくため息をついて肩を落とす。

「よかった…、本当に、心配したんです………」

ノーラが私の前から体を引くと、エリアスが寄ってきて顔を覗き込む。
そして安堵のため息とともに、微笑んだ。

「無事でよかった」

胸がきゅーっと熱くなってきた。
怖かった。
苦しかった。
死にたいって思った。
痛いくらいなら死にたいって思った。
でも、生きててよかった。
死ななくてよかった。
死んでもいいって思ったけど、やっぱり生きててよかった。
ここに、帰ってこれてよかった。
今、素直に、それを実感した。

「ありがとう、エリアス、エミリア、ノーラ」

エリアスもエミリアもノーラも、みんな私を気遣ってくれている。
帰ってきて、喜んでくれている。
それが、伝わってきた。
誰も私が死んでもどうとも思わないんじゃないかと思ってた。
でも、心配して、私の生存を喜んでくれてる人が、ここにいた。
それが、こんなに嬉しいだなんて、思わなかった。

「ありがとう、大丈夫」

必要とされている、わけではないかもしれない。
出会ってまだ1年も経っていない。
ていうかどれくらい経ったんだっけ。
それはいいとして、出会ってそれほどたってないのに、みんな私を心配してくれる。
思ってくれる。
気遣ってくれる。
私を見ていてくれる人がいる、それは、とても心強く、頼もしい。
誰も私を必要としないことは、見てくれないことは、それだけで怖いことだから。

「ありがとう、アルノ」

隣に座っていたアルノにも視線を向けて、お礼を告げる。
アルノは黙って微笑んで頭を撫でてくれた。
アルノは、きっとアルノは私が死んだら悲しんでくれるだろう。
お葬式に誰が来てくれるかなって心配したことがあったっけ。
でも、きっとアルノは、私の死を悼んでくれる。
お葬式で、嘆いてくれるだろう。
それは、とても得難いものだ。

「起きたか」

低く堂々とした、よく通る男性の声。
思わず聞き惚れてしまいそうな、強さに溢れた声。
筋骨隆々のでかい男が今度は部屋の中に入ってくる。

「ミカ」

みんな来てくれたのか。
私、結構愛されてるなあ。
みんな心配してくれたのか。
約一人を除いて。
嬉しい。
嬉しい嬉しい。

「………」
「ミカ、どうしたの?」

いつものように茶化してふざけるか口説き始めるかと思ったら、ドアの横で立ったまま、ミカは難しい顔で黙り込んでいた。
そんなミカの後ろにはそっと長身の短髪の男性が控えている。

「あ、ティモ」
「………」

五分刈りよりちょっと長いくらいまで切られた銀髪の、無愛想な男性。
そこで、最後に気を失う前に見たのは、彼だったことを思い出す。
朦朧としてて詳細は覚えていないが、確か彼が抱き上げてくれたはずだ。
助けて、くれたはずだ。

「ティモ、あの、えっと、ありがとう」

ティモは表情を一つも動かさずに、感情のこもらない声で言った。

「いえ、もっと早く助けられず、申し訳ございませんでした」
「………」

あの時はすごく焦った顔をしていたのに、今はまるで人形のようだ。
無表情に抑揚のないぼそぼそとした話し方をしている。
あの取り乱した様子は夢だったのだろうか。
いや、でも確かにこいつがもっと早く来てれば私はあんな目に遭わなかったんだよな。
あんな、あんな怖い目。
ああ、ダメダメ、思い出したくない。
あの時のことなんて思い出したくない。
それにティモは助けてくれたんだ。
素直に感謝をしなければいけない。

「………うん、でも、ありがとう」

そうだ、私は助けられた。
そうだ、もう、大丈夫なんだ。
大丈夫大丈夫大丈夫。

「おはよう、セツコ」

そしてまた客が現れる。
狭い部屋は、すでに人がぎっしりだ。

「………カテリナ」

現れた客は、背の高いハスキーボイスな美女。
頬が軽く腫れているように見える。
怪我、したのだろうか。

そうだ、この人も、気を失う最後に、見た気がする。
そう、確かこの人は、血まみれだった。
血に溢れた部屋の中、笑っていた。

「………っ」

勝手に体がぶるりと震えた。
あの時の血の匂いと真っ赤な部屋を思い出して、震えが止まらなくなる。
思わず力の入らない手で自分の体をぎゅっと抱きしめると、隣のアルノが気づいたのか肩を抱いてくれた。
その温かさとアルノの匂いに、強張っていた体から少しだけ力が抜ける。

「よかったわ、目が覚めたのね。心配してたの」

カテリナはわずかに微笑んでいるが、本当に心配を言葉に滲ませている。
そうだ、この人も、私を、助けてくれたんだ。
だったら、お礼は、言わなくてはいけないだろう。

「………えっと、助けてくれて、ありがとう」
「どういたしまして。当然のことをしただけよ」

カテリナはにっこりと笑って、少女のように首を傾げた。

「カテリナ。あなたはその前に言うことがあるはずだ」

すると隣のアルノが、常になく低く険のある声を出した。
そんなアルノの声は聴いたことがなくて驚いて隣を見る。
アルノは厳しい顔で、カテリナを睨みつけていた。

「アルノったら、怖い顔。私泣いてしまいそう」
「カテリナ」

短く厳しい、言葉。

「………アルノ?」

何がなんだか分からなくて、アルノの服をぎゅっと握る。
アルノが気づいてこちらを見て、安心させるように微笑む。
よかった、いつものアルノだ。

「カテリナ」
「お父様までひどいわ」

今度はミカが厳しい声で、カテリナを促す。
クールな印象の美女は悪戯っぽく、拗ねてみせる。
でも、アルノもミカも、ただ彼女を睨みつけるだけ。

「ね、セツコ」

カテリナが一歩私に近づく。
その途端、私とカテリナの間に、壁ができた。
いきなり前を塞がれて、驚いて声がひっくり返る。

「え、え、エリアス、ティモ?」

私の前に出来た壁は、エリアスとティモだった。
二人とも私を背にして、カテリナに向き合ってる。
まるで、私を守ってくれているように。

「あらやだ、私ったら悪者ね」

カテリナがころころと笑う声が聞こえる。
長身の二人が前にいるから、カテリナの顔は見えない。

「でも、謝る必要は認めるわ。ごめんなさい、セツコ」
「………なんの、こと?」

何がなんだか、分からない。





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