結局ノーラは教えてくれなかった。
すぐに分かりますよって笑っていた。
今知りたいたのよ、今。
そんな風にもったいつけられたら余計に気になるっていうの。
ああやって知識のない人間を馬鹿にするのって楽しいのよね。
やるのはいいけど、やられるのはめちゃめちゃ腹立つ。

まあ、いいわ。
他当たろう。
アルノに聞いたら分かるかしら。
深い皺の刻まれた優しげな笑顔が脳裏に浮かぶと、胸が少しだけ澄んでいく気がする。

今日は私に出来る仕事あるかな。
計算と簡単な書類の仕分けぐらいしかできないのよね。
計算速いのは役に立ってるって言ってくれるけど、そのほかの仕事できないし。
アルノに指示してもらわないと先に進めないし。
正直邪魔になってるんじゃないかって不安。
そんなことないよって言ってくれるけど、アルノだしなあ。
あの仕事馬鹿のロマンスグレーにこれ以上負担をかけるのもいやだ。
人に気を使って、仕事も全力で。
どこまでも非の打ちどころがなさすぎる。
いい男すぎるわよ、アルノ。
ああいうのもいるものなのね。
どうしてもっと早くに出会えなかったのかしら。
ていうかどうして、ああいうのがあっちの世界にはいなかったのかしら。

ああ、駄目駄目、あっちの世界のことはとりあえず考えないでおかないと。
眠れなくなる。

よし。
悪魔のところいこう。
アルノに迷惑かけるぐらいなら、あいつで我慢する。
顔も見たくないけど、邪魔しても心が痛まないのってあいつぐらいだし。
運が良ければ、カテリナが誰か教えてもらえるだろう。

「よし」

経理室に向かっていた足を、そのまま真反対に向ける。
そして石造りの壁が続く角を曲がろうとして、人にぶつかる。

「わ」

ガシャガシャガシャ!
驚くと同時に、奇妙な音がして目を見開く。

『な、なによ!?』

角を曲がったところにいきなり何人もいた兵士さんが、私の前に立ちふさがる。
なんで全員剣に手をかけてるのよ。
何、私なんかした!?

「やめろ、下がれ」

嫌な記憶が蘇りかけて固まっていると、場を圧倒する低めの落ち着いた声が響く。
兵士をかきわけて一際長身の男性が私の前に立つ。
筋の通った鼻、くっきり二重と薄い唇の繊細さな顔立ち。
けれどわずかに生えた無精ひげと、少し癖のある薄い紅茶のような色味のブラウンの髪、うかぶ自信に満ちた表情が、ワイルドさを醸し出している。
ちょっとアクが強いけど、超イケメン。
しかも若い。
ていうか私と同じぐらいじゃない!?

「すまない、大丈夫か?」

穏やかに笑ってイケメンは言う。
あ、なんかしかもちょっと落ち着いていて癒し系。
私は慌ててコクコクと頷く。

「は、はい」
「仕事の邪魔をして、悪かった。では」

最後に軽く会釈をして、イケメンはにっこりと笑う。
うわ、今すっごいときめいた。
けれど、名前を聞く暇もないまま、イケメンは、お供の兵士をひきつれて私が今来た道へと去って行った。
ついぼんやりとそれを見つめてしまう。

ヒット。
超ヒット。
今までにないタイプのイケメンだったわ。
ていうか今までで一番まともそうなイケメンだったわ。
あ、アルノは別として。

そういえばあの兵士たちも見たことないわね。
なんか身につけてる服が、この城の兵士と違う気がする。
誰だったのかしら。
なんか、どこかで見た気もするのよね。
誰だったかな。
会ったことあるのかな。
あんないい男、一回見たら忘れられないと思うんだけど。

ま、いいや。
これも悪魔に聞いてみよう。



***




『て、ことであのイケメン誰!?名前は!?歳は!?』
『少し落ち着いてください。思考が乱れて頭が痛い』

執務室に飛び込むなり、私はネストリに詰め寄った。
悪魔は顔をしかめて頭を押さえる。

『落ち着いてられかってのよ。こっち来てようやく見つけたまともっぽいいい男よ!?』
『もう取り繕う努力すら見せなくなりましたねえ』
『あんた相手に取り繕ってなんの得があるのよ。アルノなら別だけど。そんな無駄な努力する暇があったら花嫁修業の一つでもするわよ』

ネストリは軽くため息をついて、肩をすくめた。
何よ、何が言いたいのよ。
あんたが私に文句をいう権利なんてないわよ。

『まあ、とりあえず誰だかよく分からないので、見せてもらってもいいですか?』
『見せる?』
『直接見せてもらいます。その出会った人とやらを思い浮かべて』
『ああ、この痴漢術で見るのね』

ネストリが私の手を取る。
相変わらずシルクのようにさらりとして冷たくて、触り心地のいい肌だ。
ムカツク。
目を閉じてと言われて、言われるまま視界を閉ざす。

『また二日酔いなんですね』
『余計なとこ見てるんじゃないわよ』
『でもよかったですね。あなたは酒を飲むと便秘が治る』
『お茶に鉛筆の芯入れるわよ、このセクハラ男』

ほんっとーにこの男はロクなこと言わない。
よく今までセクハラで訴えられなかったわね。
いつか今までの所業を全て後悔させてやる。

『はいはい。それじゃ、とりあえずその男性とやらを思い浮かべて』

そうだった。
タダで私の思考を覗かせてる場合じゃなかった。
さっさと目的を果たして、この手を離したい。
私は目を閉じて、さっきのワイルド系イケメンを思い浮かべる。
いい男だった。
そういえば昨日の夜も美人に出会ったわね。
新メンバー続出。

『ああ、カテリナにも会ったんですか』
『あ、そうだそうだ、最初そっちを聞こうと思ってたんだ』
『いい男に興味が移ってしまったんですね』
『当然でしょ』
『いっそ清々しいです』

当たり前だ。
女なんていい男の前ではカレーの福神漬け、ピザのバジルソース。
そんなことを考えていると、ネストリが手を離す。
それに合わせて目を開けた。
相変わらず嫌になるほど整った顔が、すぐ目の前にある。

『ああ、誰か分かりました。アレクシスですね』
『あれくしす?』
『ええ』

あの彼の名前か。
名前までちょっとかっこいいじゃない。
やっぱりイケメンは名前までイケメンなのね。

『で、誰よ』
『残念ながら妻子持ちです』

ああ、そうよね。
そうだわ。
いい男があの歳まで売れ残ってるわけないのよ。
絶対誰かのお手付きなのよ。
くそ、誰だか知らないけどうまいことやりやがって。

『誰だか知りたいですか?』
『なんかもう興味が半分以上が失せたわ』
『正直ですね』

だって、人のものなんてどうでもいい。
別に会ったばかりだから愛人でいいとか思うほど惚れこんでもないし。
今から不倫で日蔭の耐える女やるには、自分の不幸に酔う若さも気力もないわ。

『そうだちょうどいい。今度カレリアの建国記念日なんです』
『あっそ』

やる気が一気に減退した私に、ネストリはいきなり世間話をしてくる。
相変わらず話の転換が唐突だ。
どうでもよくて、どうでもいい返事を返す。

『それで、地方統治や遠征に行っていた人達がみんな帰ってくるんですよ』

ああ、つながった。
なるほど、そういうことか。

『ああ、カテリナやあのイケメンは、そういう国の要人な訳?』
『ええ、要人も要人です』
『へえ』
『アレクシスは王太子ですしね』

王太子王太子。
えっと、なんだそれ。
ああ、つまりこの国の後継ぎってことか。
次の王様。
あれ、それって王子様。
本当に王子様じゃない。
そりゃトキメクわよね。
だって王子様よ?
乙女の夢よ?
王様とは訳が違うわよ。
アレとは全然違うのよ。

て。

「ああ!」

そうだ、誰かに似ていると思っていたのだ。
やっと分かった。

あの馬鹿に、似ていたのだ。





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