今日も今日とて頭が痛い。
でも、いつものような気持ち悪さは伴なっていない。
今日の頭痛は慣れ親しんだ二日酔いではなく、泣きすぎたためだ。
目も腫れぼったくて、喉が渇いている。

昨日は泣き上戸になって、暴れて泣き叫んでいたら、どん引きした男どもがさっさと部屋に引っ込みやがって、ベッドでやけ酒飲みながら落ちた。
記憶がはっきりしているし、そこまで深酒はしていない。
まあ、飲み過ぎなくてよかったかも。
最近休肝日とか作ってなかったし。

「セツコ、入りますよ」
「入りながら言うな」

ノックと同時ぐらいに悪魔が部屋に入ってくる。
髪はぼさぼさ、顔も腫れぼったくてパンパン。
服は昨日のままだからパジャマではないのがまだ救い。
でもおおよそ男に見せる姿ではない。
まあ、こいつは男っていうか人類としてカウントしてないからいいけど。

「おはようございます。ゆっくり眠れたようでよかったです」

朝から爽やかに嫌みを言う男に、元々低空飛行だった気分が急降下する。
呆れた顔のノーラがさっき朝食を下げたところで、多分時間はもうそろそろ昼に近い。
太陽すら見えないから分からないけど。

「あんたの顔を見た、気分は最悪」

悪態にめげる様子も見せず、ネストリはにっこりと笑っている。
ああ、朝から、ていうか昼から爽やか過ぎるその笑顔に腹が立つ。
ていうかもうこいつの存在に腹が立つ。
昨日からもう気分最悪。
お茶をすすりながらイライラしていると、悪魔はにこにこ笑いながら問いかけてきた。

「セツコ、私とノーラとアルノ、誰がいいですか?」
「アルノ」

何その事実上一択の選ぶ余地もない三択。
一秒も悩む暇がなかったわ。

「そうですか。では、アルノと一緒に出かけて来てはいかがですか?」
「へ?」
「アルノの仕事は他の人間に任せるように手配してあります」

何言ってるんだ、こいつ。
いつもは面倒起こされると厄介だから城にいろって言うくせに。
ミカが連れ出そうとしてくれても基本的に邪魔するくせに。
たとえ今度何かに巻き込まれても助けはないと思えとか言ってたくせに。
ああ、思い出してまた腹が立ってきた。
外も自由に出れないとか、私は囚人かってのよ。
まあ、一人で外出たいとも思わないけどさ。

「疲れているようですからね。まあ、慰労というか」

慰労?
単語は知ってたけど、実際に聞いたのはこの世界で初めてよ。
死語なのかと思ってたわよ。
一応人を労わるって言葉は使われてたのね、この世界。
まあ、労わられてはいるのかしら。
バーゲンで買ったはいいけど使い道なくてクローゼットにしまいこんでる服並みに大事にしまわれてたしね、私。

「こちらはお金です。そんなに贅沢出来るほどはありませんが、服なり装飾品なり、買える分はあるでしょう。アルノに聞けば相場も分かるかと思います」
「………何?」
「だから慰労です」

私の心の中の悪態も綺麗に無視して、ネストリはテーブルの上に、じゃらじゃらとこっちの通貨らしき丸い金貨と銀のなんかちっこい塊を置く。
私はそのお金と、ネストリの顔を交互に見つめる。

「………何、企んでる」
「別に企んでませんよ」
「嘘」

そんな訳ない。
この男がなんの裏も理由もなく私に優しくなんてする訳がない。
絶対何か裏があるはずだ。
お金を与えられて、アルノと出かけさせてくれるとか、何その大サービス。
もしかして私殺されるんじゃないでしょうね。
不良債権の始末とかじゃないでしょうね。
そろそろ邪魔になってきたとかじゃないでしょうね。
ていうか現実味あって嫌な想像だ。

「疑り深い女性は、男性に好かれませんよ」
『死ね!あんたみたいな悪魔に人との付き合い方を説かれる筋合いないわよ!大体誰のせいだと思ってるのよ!私だってあっちの世界にいる時はこんなに疑り深くなかったわよ!彼氏のケータイチェックだってしたことないわよ!』

少ししか。
でも、こんな生命の危険を考えるなんてことはなかったわよ。
こんなに疑り深くなったのも嫉妬深くなったのも性格悪くなったも、全部全部この悪魔とこの世界のせい。
絶対そう。

「ということで、最近感情の波が激しく不安定のようなので、少し息抜きしてきてください」
「ああ!?」
「不安定な女性の傍にいるというのは疲れるもので。感情的な女性ほど、うるさく不快なものはありません」

よりヒステリックにうるさく不快にさせるような本音漏らしやがった。
大体誰がいっつも私の感情を逆なでてると思ってるんだ、と怒鳴りつけようとして、ドアがノックされた。

「セツコ、入るよ」
「アルノ!?」

慌てて怒鳴りつけようとしていた言葉を飲み込む。
ゆっくりと開けるドアが開ききるまえに、髪を撫でつけて、皺になったスカートを直す。
ああ、来るなら前もって言ってくれればいいのに。

「セツコ、起きたか?」
「あ、うん、起きてる!」
「そうか。今日は出かけるのだろう?準備は出来た?」

ていうか出かけさせてくれるって本気だったのか。
しかもアルノと。
ネストリが言っても何か裏があるとしか思えないが、アルノが付き合ってくれるっていうならこれは本当に慰労なのだろう。
それなら、楽しんでもいいかしら。
だって、アルノだもの。
ちらりと悪魔に視線を送ると、相変わらずにこにこと笑っていた。
なんかやっぱり裏がありそう。

「セツコ?」

いや、でも、アルノが私を騙すはずがない!

「今、着替えて、化粧する。待って」
「うん、待っているから、ゆっくりと準備してくれ。綺麗に着飾った君と一緒に歩くのはきっととても楽しいだろう」

アルノはにっこりと笑って、私のすでに地に張っていた気分を天まで舞い上がるほど急上昇させてくれる。
ああ、本当になんて、アルノは私殺しなの。
メロメロになって、腰が抜けそう。


***




「………あの人は?」
「彼は、ティモ=ユハニ。信頼できる兵士だよ。私たちだけでは、危険だからね」
「へえ」

また座り心地の悪い馬車で城下町までえっちらおっちらお出かけ。
今日のお供はエミリアではなく、真面目そうなとても短い銀髪の若い男性だった。
私たちとは距離を置いて、馬車の隅に座っている。
背が高くてがっしりしてて、地味だけどやっぱり整った顔立ち。
本当に西洋人でずるいわ。

「ティモ?えっと、よろしく」

なんとなく一緒の空間にいるのに挨拶もしないのは気まずい。
小心者の日本人らしく愛想笑いを浮かべて頭を下げる。
兵士さんかあ。
本当はアルノと二人きりがいいけど、まあ、治安悪いみたいだしね。
アルノなんて襲われたら心臓発作でぽっくりいっちゃいそうだし、護衛は必要よね。

「はい、ティモ=ユハニ=ハウッカと申します。この度はよろしくお願いします。セツコ様」

ちょっとしゃがれた声で、エリアスみたいな堅いしゃべり方をする。
このしゃべり方、聞きとりづらいし単語も分からないのが多いから嫌いなんだけど。
にこりとも笑わず、ティモは頭を下げる。
えっと、ティモが、名前なのかな。
ユハニまでが名前なのかな。
ティモで返事したからティモでいいか
駄目ならアルノが突っ込むだろ。
それっきりティモは黙り込んでしまったので、話を弾ませる余地もない。
まあ、いいや。
今は何よりアルノと一緒なんだし。

「アルノ、お仕事、ある、だよね、はず?大丈夫?」
「仕事、あったのではないか?だね。大丈夫だよ。毎日仕事ばかりもしていられないからね」

隣のアルノは優しく笑って、私の頭を撫でてくれる。
ワーカーホリックで、本当は仕事から離れるのが嫌なくせに。
それを知ってるから、私もアルノと出かけたい、とか言えないのだ。
何より、遊んでる暇があるなら、少しは休んでほしいと思うくらいだ。

「セツコと出かけられるのなら、嬉しい」
「私も!私も、嬉しい」

でも、こんなこと言ってくれちゃうから、たまらないのよね。
もう、アルノの前では本当に十代ぐらいに戻っちゃう。
乙女の気分で年上の男性にときめいちゃう。
気遣わなきゃって思うのに、際限なく甘えちゃう。
罪な人だわ、アルノ。

「最近疲れているようだ。ネストリとエリアスが心配していた」
「えっと、平気」
「本当に?」

アルノは相変わらず優しく笑って、頬をそっと撫でてくれる。
ああ、そのさりげない仕草も本当に外人。
ミカもそうだけど、どうしてこいつらこんなさらっとスキンシップ出来るのよ。
メロメロになっちゃうじゃない。

「セツコ、遠慮しなくていい」

これが馬鹿とか悪魔とかへたれだったら、不満も不安もぶちまけちゃう。
でも、アルノだから、ワガママも感情垂れ流しも出来ないのよ。
だって、アルノの前では、かわいい女の子でいたいんだもの。
汚い感情も何もない、いい子でいたくなってしまう。
もう三十も過ぎて、痛々しすぎるが。

「セツコ」

でも、やんわりと促されるから、言葉を選んで、感情を吐き出す。
アルノの渇いた手が、優しい。

「不安、なの」
「何が?」
「私、幸せ、なれる、かな」

夜寝る前に、考えてしまう。
結婚して、仕事辞めて、子供を産んで、幸せな老後。
それが思い描いていた将来。
そろそろ実現可能なのか怪しい、未来。
人が当たり前のように持っているものを、私は持っていない。
それが不安でしょうがなくて、明日がどうなってしまうのか分からなくて、怖くてたまらない。
考えていると眠れなくなってしまうから、酒を飲んで無理矢理寝る。
誰に当たり散らしても、不安は消えたりしない。

「こちらの世界に、来てしまったからね。本当すまない」
「………うん」

それについては溢れかえるほどに言いたいことが山ほどあるけど、アルノに言っても仕方ない。
言うべきはあの馬鹿と悪魔。
アルノはちょっと考えて、私の顔を覗きこんでくる。
深い緑の目は、とても優しく、落ち着く。

「セツコの幸せの形は、どんな形なのかな。こちらの世界では、かなえられないだろうか」
「幸せの、形?」
「そう、そうだな。何が、セツコにとって、幸せなのだろう」

金があって甲斐性のある旦那がいて、人並みな生活とステータスを持っていること。
それがきっと幸せ。
それで人より少しだけステータスが高ければ、それはとても幸せ。
金を稼ぐ旦那と、人から羨ましがられる家庭を築ければ幸せ。

『なんてこと、アルノに言える訳ない』
「セツコ?」
「………えっと」
「思い浮かばない?」

思い浮かばない訳じゃない。
そろそろ、仕事辞めたかったの。
だから結婚したいの。
仕事やめたら自分一人で生活出来る訳じゃないし。
子供作ってパートとかで働きたい。
贅沢言わないから、人並みな人と結婚したい。
別に共働きはしてもいい。
でも、今の若い女の子しかいない職場は居づらくて嫌。
手に職もない一般職が、いつまでも仕事を続けられる訳じゃない。
だから結婚したい。
ってそんな打算丸出しの逃げ思想全開のこと、アルノに言える訳ない。
この人に軽蔑されるのは嫌よ。

「セツコは、何を幸せだと感じる?」

でも、そもそも考えて、もう仕事はやめてるのよね。
事実上。
考えたくないけど、三年後帰ったとしてもう仕事はないだろうし。
ちくしょう。

それ考えたら、そもそも結婚って、別にしたくもないのよね。
一人でいる、自由な時間って結構好きだし。
時たま恋人にさえ拘束される時間がたまらなく面倒くさい時がある。
でも、誰かいないと寂しくもある。
どうしようもなく、誰かに抱きしめてもらって、隣にいて欲しい時がある。
だから、恋人は欲しいかな。
けれど、結婚どうしてもしたいかって言われるとそうでもない。

でも一人でこれからずっといるって思うのは不安。
人がしてるのに、自分だけ取り残されるのは、不安。
人と違うのは、とても不安。
だから、結婚したい。
周りの人と同じでいたい。

お金があって、結婚しなくても生きていけて、人から変な目で見られないなら、別に結婚なんてしなくてもいいのよね。
人と違うのと、一人で不安だから、結婚したいだけで。
だからと言って、今みたいにニートでいたい訳じゃない。
きっと手に職があって、自分の仕事に自信があったら、ここまで追い詰められもしなかったかも。

となると、私の幸せの形って、なんなんだろう。
なんか、イライラがすっと消えて、代わりに、ものすごい頼りない気分になる。
別の意味で、不安でいっぱいになってくる。

「私の幸せって、なに、かな」

思わず縋るようにアルノに問うと、アルノは眉を器用にあげて、肩をすくめる。
枯れたおっさんなのに、そんな顔すると、外人なんだなって感じる。
大きなしわがれた手が、頭を優しく撫でられる。

「じゃあ、一緒に探そうか。セツコの幸せの形を」
「………うん」
「ゆっくりでいい。私も協力するから」

そうよね、どうせもうあっちの世界にはどう足掻いても3年は帰れない。
こっちの世界では今更ジタバタしてもすでに中古の型落ち品。
なにせ適齢期15歳よ。
ていうかもう、中古の型落ち品どころじゃなくて、廃盤決定レベルよ。
なら、もう焦ってもしょうがないじゃない。
うん、とりあえず無理矢理そう納得しておこう。
これ以上将来のこととか考えても、体に悪いわ。

「とりあえずは、君は、この世界にいなくてはいけない。本当に申し訳ないことなのだが」
「ううん」
「だから、まずはこの世界の幸せを探そうか。この先においしい焼き菓子を売る店がある。セツコは甘いものは好き?」
「大好き!」
「そう。では食べたら、その後は装飾品を探しにいこう」

そうよ、今はとりあえず精一杯楽しみましょう。
せっかくのアルノとのデートよ。
体は三十女でも、心は十代の少女に戻るわ。
将来のことなんて後で考えればいいわ。
そうよ、私にはアルノだっているんだもの。
ちょっと気が弱くなってきてたわ。
嫌なことは後で考える。
それでいいじゃない。

「ねえ、アルノ」
「何かな?」
「アルノの幸せの形、何?」

私の素朴な疑問に、アルノは少しだけ悲しそうな顔をしたような気がした。
ああ、そうだ。
無神経なことを聞いてしまった。
アルノは奥さんと娘さんを亡くしているんだっけ。
けれどアルノはやっぱり優しく笑う。

「この国が豊かで平和であること、かな」

そして、とアルノは続ける。

「君が幸せであること」

ああ、本当にもう。
なんでこう。

たまらないわ、このロマンスグレー。





BACK   TOP   NEXT