馬車から降り立つと、急に襲った日差しに一瞬目がくらんだ。
相変わらず肉の焼ける匂いや果物の匂いや腐ったような匂いや据えたような匂いや、様々な匂いが一気に襲ってくる。
そして人の声の渦。
金属音、足音、風の音。
不快、と感じる匂いと音だが、城とは全く違った活気に、自然と心がうきうきしてくる。
新宿とかに遊びにいった時のようだ。
やっぱり、人が大勢いるところは、いい。

「ねえ、お菓子、どこ?」
「あちらだよ」

アルノもティモに手を借りて馬車から下りてにっこりと笑う。
その笑顔を見て、また胸がきゅんきゅんとざわめく。
ああ、やばい、何この乙女モード。
ティモが若干邪魔だけど、アルノとデート。
最高に楽しい。
うきうきするのは、アルノと一緒っていうのもあるかもしれない。
そういえば高校生の頃のデートとか、こんな風にドキドキしたっけ。
社会人になってからは、たまの休日ぐらいゆっくりさせてよ、とかたまに思ったなあ。
楽しいことは楽しかったんだけどね。

「セツコは、他に何か見たいものがあるか?」

アルノがそっと私の手を取る。
あああああ、胸がぎゅんぎゅんする。
何このエスコート慣れしたナイスミドルは。
手を繋がれただけで、とろけてしまいそう。

「あ、えっとね、そうだな、洋服、見たいかな」
「ああ、そうだね。でもそれならエミリアを連れてくればよかった。私よりも、買物が楽しくなっただろう」
「いいの!」

確かに化粧とか服買う時は、アルノよりエミリアがいた方がいいだろう。
アルノ、服とか興味なさそうだし。
正直センスないし。
でも、そう言う問題じゃないのだ。
服だけ欲しいんだったら、また別の日に来る。

「あのね、アルノ。アルノはね、私のもの。今日は。今日だけ、私のもの」

今日は私の一人占めなの、二人きりがいいのって伝える言葉が分からなくて、微妙な言い回しになってしまった。
まあ、二人きりでも、一人占めでもないんだけどね。
アルノは私の言いたいことが分かってくれたのか、目を細めて私を見つめる。
そして若干荒れてしまった私の手をとって、ちゅっとキスをする。

「それでは、セツコは、今日は私のものだね」

なんだこの紳士。
なんなのこのジェントルマン。
どうしてこういうのがあっちの世界にいなかったの。
いや、いたのかもしれないけど、どうして出会えなかったの。

ああ、駄目だ。
もう駄目、マジ抱いて。
濡れる。
アルノの発言の全てが子宮に響く。

「あ、う、うん」
「嬉しいな」

私の方が嬉しい。
たまらない。
もう駄目、死ぬ。

「あ、あの服かわいい!」

このままだと思わずここで押し倒してしまいそうで、私は顔をそらして駆けだす。
顔も手も体も全てが熱い。
心臓がばっくんばっくん言ってる。

「うわ!」

けれどすぐ横にある露天に向かおうとした途端、腕が引っ張られる。
倒れ込むかと思ったが、その背を支えられなんとかこらえる。

『何すんのよ!』
「危ないです、セツコ様」

私の腕を引っ張った何者かに噛みつくと、ティモが冷静な表情で私の背を支えていた。
私を引きとめたのはどうやらこいつだったようだ。

「危ない?」

むしろ危ないのは今のお前の行動だろう。
少し嫌味っぽい声になったが、ディモは動揺しない。

「はい、この辺は、治安があまりよくないです。あまり、私から離れないようにしてください」
「あ、そう」

なるほど、護衛が大変だから勝手なことするなってことか。
まあ、アルノと別れちゃったら、二人守るの大変だしな。
それなら慎むとしよう。
もう、あんな目に遭うのはごめんだ。
スリルもサスペンスも、映画のスクリーンの向こうにあるだけで十分。
かっこいいヒーローが来てくれることもないしね。
まあ、自分で言うのもなんだけど、私パニック映画とかだったら、ぎゃあぎゃあ騒いで真っ先に死ぬタイプだと思うし。

「えっと、ごめん、なさい?」
「いえ。失礼しました」

私が悪いのに、ティモは深々と頭を下げる。
うーん、居心地悪いけど、人に傅かれるって、ちょっと気持ちいいわ。
なんかVIP待遇。
そういえば私、王様とお友達なのよね。
あの馬鹿が王様なのよねえ。
見方を変えれば完全勝ち組よねえ。
ある意味セレブ生活。
向こうと生活水準違いすぎて、贅沢している気分にならないんだけど。
でも勝ち組よね。
なんで勝ったって気分にならないのかしら、不思議。

「セツコ、あの服を見たいの?」
「あ、えっと、いいや。先、お菓子、食べよ」
「ああ」

アルノがそっと私の手をとってエスコートをする。
このさりげなさがもう、もうもう。
そのままアルノと二人、人ごみの中を並んで歩く。
少し後ろをティモが無言で歩く。

しばらく歩いて、気付く。
なんだか、通りがかる人にちらちらと見られている気がする。
通る人通る人、私たちを見ては去っていく。
別に悪意があるって訳じゃなさそうだが、なんだか物珍しそうにじろじろ見られるのはいい気分ではない。

「………なんか、見られてる?」

なんだろう、アルノがイケメン過ぎたかしら。
気持ちは分かるけど。
アルノも気づいていたのか、ああ、とこぼして頷く。

「ティモ=ユハニが兵士だと、気付いた人もいるかもしれない」
「兵士って分かるの?」

ちらりと後ろを見るが、ティモは周りの人とそんな変わらない格好をしている。
剣を佩いているのがちょっと違うが、周りにも佩いている人はいる。
なんだろう、体格がいいからかしら。

「彼は****なので、剣にその****が」

アルノもちらりと後ろを見ると、ティモはマントに隠れていた剣の柄を掲げて見せてくれた。
そこには翼を広げた鳥のような絵柄が描かれている。

「*****?」

どちらの単語も分からなかった。
まず一つ目の単語を問うと、アルノは少しだけ考えてから答えてくれた。

「陛下の、傍にいる、兵士のこと」

えっと、近衛兵って感じなのかな。
そういう感じでいいわよね。
帰って一応ネストリに聞いてみよう。

「なるほどね。これが*****。近衛兵の証の、模様?」

ティモの剣に近付いて覗き込んで問う。
次の単語は、模様とかそう言ったことかな。

「そう。模様ではなく、モンショウが、正しい」
「紋章、紋章ね。うん」

なるほど。
新しく覚えた言葉を何度か口の中で繰り返す。

「ティモが、目立っていたのね。ん?でも、剣隠れてた」

剣隠れてたから、そんな見えるものじゃないんじゃないかしら。
それともなんか気配とかで分かるのかしら。
言うと、アルノがちょっと困ったように笑った。

「後は、セツコ、君が目立っているのだろう」
「へ?私?何?変、私、どこか、変、ある?」

髪型かしら。
それともやっぱり化粧?
服装は、いつもと変わらないと思うんだけど。
化粧は一応メイドさんにもチェックしてもらったんだけど、あの子仲のいい子じゃないし、適当なこといったんじゃねーだろうな。
そうだったら後でしめる。

「わ」

ぺたぺたと全身を触りまくっていると、アルノがそっと私の頬に手の甲で触れる。
少し皺のある弾力のない感触に、ドキリとする。

「君の顔立ち、髪の色、目の色、この国にはないものだから」
「あ、えっと、なるほど」

まあ、確かに典型的な大和民族な私の顔立ちは、ここらの彫の深い西洋人にはないものだろう。
悪かったな、凹凸の少ないのっぺりした顔で。
それに毛先だけ茶色くて残りが黒い私の髪の色は確かにおかしなものだろう。
黒髪にしてもこういう純粋な黒っていうのは、この国で確かに見ていない。
黒髪に近い人達はいるが、どこか違う青みがかった色だ。
目の色も、同じ。
濃くて黒に近い人達はいるが、純粋な黒っていうのは見かけていない。
悪かったな、大和民族で。

「そんな君が、兵士を連れて歩いていたら、目立つだろう」
「なるほど」

まあ、得体のしれない外人が王様の近くにいるらしい偉い兵隊つれてたら妖しいよな。
うん、そりゃおかしい。
ていうか、そんな目立ったら、まずくないか。
お忍びじゃないのか、これ。
ティモ目立っちゃ駄目じゃん。
あれ、でも結局ティモは目立ってないのか?

「ん、なんか変?」
「………君が噂になっているらしい」

首を傾げる私に、アルノが小さくため息をつく。
そして、微かに私に聞こえるような声でそう言った。

「噂?」
「ああ、ここではない世界からやってきた女性がいるらしい、という。もしかしたらその噂が城下にも浸透しているのかもしれない」

噂って、何。
異世界からやってきた女。
あ、なんかその話にはものすごいデジャビュが。

「………あの馬鹿二人、言ってた、噂?」
「多分、それが更に広まった感じかと」
「………広まったって」

私はアルノの腕をガシリと掴む。

『何、何を言われてるの!?これ以上何を言われてるの!?これ以上私は何を言われてるの!?』

あの時でさえ人を食う化け物だとか噂されてたわよね。
更に広まってるってどういうこと。
これ以上何を言われてるの。
放射性廃棄物レベルなこと言われてるのかしら。

「落ち着いて、セツコ」
「何?私、何、言われた?何を、言われた?」
「大丈夫、悪い噂ではないものもある」

アルノが腕を掴む私の頭をぽんぽんと優しく撫でる。
そして宥めるように優しくゆっくり笑う。

「そ、そう?」
「ああ。好意的な感想もある」

アルノが言うなら、そうなのかしら。
これ以上、悪いことは言われてないのかしら。
たとえ一時の居場所だとしても陰口は勘弁してほしい。
これ以上、住み心地悪くなるのは、やめて。
最近ようやくメイドさん達の態度が軟化してきたっていうのに。

「ほら、あれだよ、セツコ。あそこの焼き菓子はとてもおいしい」
「あ、うん」

アルノが指さす先に露天ではなく、割と立派な造りのかわいらしい店が見えた。
カフェみたいなものなのかな。
こちらでは高価なものらしい硝子の窓まであるから、いいお店なのかもしれない。

「さあ、今日は楽しもう」

腕を引かれてにっこりと微笑まれる。
そうするとさっきまでの嫌な言葉なんてすっかり記憶の片隅に追いやることが出来る。
アルノは本当に、最高のロマンスグレー。

「うん!」

このまま最高のデートを楽しもう。



***




「うふふ、うふふふふ」

腕にはまったアクアマリンみたいな石がついたブレスレットを見ると、つい頬が緩んでにやにやしてしまう。
君にとても似合うなんて言っちゃって、あのおっさん。
もうどこまでかっこいいおっさんなのよ。
本当に抱いてほしい。
マイ抱かれたい男No1。

「すいません、申し訳ないのですが、大変気持ち悪いです」
「全然申し訳なさそう、違う!」

夜の勉強会の合間、ついまたブレスレットを見てにやにやとしてしまっていると、目の前の悪魔がさらっと言った。
申し訳ないとか言うなら、少なくとも申し訳なさそうな顔をしろ。
ネストリは軽く肩をすくめる。

「アルノとの外出は楽しかったようで何よりです」
「アルノって、奥さん、もう一人、いらないかしら」
「後妻、ですね。いらないと思いますよ」
「今、いらない。でも、気が、変わる、分からない」
「今はいらなくても、気が変わるかもしれない、ですね。そこの文法、この前やりましたよ。まあ、希望を持つのは自由です」
「あれ、やった?もう、分からない。覚える、できない。いらない。しゃべれる。出来る。しゃべれる。いい。もう、勉強、嫌い。しない。それで、アルノ、好き、人、どんな?」
「アルノは、どんな人間が好みなのか、ですね。言葉の勉強はまだ必要ありますよ。まず私が聞いていて聞き苦しい」
『思いっきりあんたの都合じゃねーか!』

少なくとも建前でもいいから、生活のためとか言っておけよ。
どこまでフリーダムに正直者なんだよ、この馬鹿は。
日本人として本音と建前を叩きこんでやりたい、この常識欠落人間に。

「セツコ、あなたいつもそうやって一つのこと突き詰めるってこと、してなかったんじゃないですか?」
「う」

痛い。
今ものすごい刺さった。
今めっちゃ痛かった。
そうよ、いつだって適当に、ここでいいや、とかこれくらいでいいや、とかで終わらせてきたわよ。
なんだってね。
仕事だって勉強だって男だって。
でも、生きてるんだからいいじゃない。
どうにかなってるんだからいいじゃない。

「だ、だって!いい!しゃべれる!言葉、通じる!」
「そうやって、いつも全てから逃げてきたんですね」
「………う、うう」

ちくしょう、何も言い返せない。
その通りだ。
色々なものを中途半端にして目を逸らして、なんとか表面だけ取り繕って生きてきた。
その分中身はどろどろのぐちゃぐちゃ。
腐って腐臭を放ってる。

「言葉が通じなきゃ、アルノを口説き倒すこともできないんじゃないんですかね」
「う」

今日のネストリの言葉は、すごい刺さる。
いいじゃない、ちょっと浮かれて言ったんだから、流しなさいよ。
何も本気で勉強したくないって言った訳じゃないわよ。
6割ぐらい冗談だったのに。

『こ、心よ!心よ!愛は心!』

愛に言葉なんて、必要ないわ。
心があれば、愛は伝えられるのよ。
そう、そういうこと。

「と、言うことがアルノに通じればいいですね。言葉が通じないで、どうやって心を伝えるのですか?」
「そ、それは………」

確かに伝えることは、できないわよ。
いや、違う、あるわよ。
体でしょ。
後は体。
そう、体さえあれば愛は伝わる。

のしかかって押し倒して上にのっかちゃえばどうにかなるんじゃないかしら。
アルノ弱そうだし。
まあ、下手に押し倒したら骨折れそうだけど。
なんか無理矢理既成事実作ったら、アルノ優しいから責任とってくれるんじゃないかしら。
アルノ、絶対私のこと好きだし。
かわいいって思ってくれてるし。
いいんじゃないかしら。
いけるんじゃないかしら。

『相変わらず素晴らしい妄想力ですね。すいません、大変怖いです』
『うっさい、この悪魔!人の妄想勝手に見るな!』

こんなのもちょっと思っただけじゃない。
別に実行したりはしないわよ。
自分でもこれ実行したら痛い女ってことは分かってるわよ。
人がやったら陰口叩きまくって非難するわよ。
まあ、自分がやるのはまた別だけど。

「はい、わかりました」

また妄想していると、ネストリが呆れたようにため息をついた。
こいつにこういう態度とられると、心底ムカつく。

「まあ、ここまで来たんですから、後少し頑張ってください」
『もう、疲れた。私駄目人間だから、もう無理』

そんなこと言われても、もう疲れた。
私、駄目人間だから、成果とかご褒美とかないと、くじけるのよね。
先が見えない努力とか、本当に無理。
根性ないもの。
痛い女だし。

「そんな拗ねられても」

三十路女は傷つきやすいのよ。
拗ねやすいのよ。
扱いづらいのよ。
あらゆることにひがんで、あらゆる人に文句を言うわ。
だって世界が私に優しくないもの。

「………そうですね」

ネストリが思案するように手を綺麗な細い指で覆う。
ああ、本当に無駄に美形だなあ、こいつ。

「城下町で、*******だったそうですね?」
「*******?」
「人の、目、集まる。視線が、集まる。人に、見られる」

注目されるってことかな。
今日は新しい単語一杯。
頭痛い。
確かに今日は、最初から最後まで注目されていた。
まあ、途中から気にしないことにしたけど。

「うん。私の姿、珍しい言ってた」
「ええ」
「後、噂なってるって」
「はい、噂になってますね。気になりませんか?」
「気になる。でも、悪い噂、違うって」

だったら、もういいわよ。
どうせここでは目立つ外見だし。
なにあのブスって思ってればいいじゃない。
そんなことで今更傷ついたりしないわよ。

「はい、悪い噂、だけ、じゃないですね」
「………え」

なんか、今、変な言い回しされなかったか。
強調されただけって言葉が、なんか限定された言葉が、変だったぞ。

「いい噂、も、ありますよ」

また、「も」だけ強調される。
どういうことだ。
悪い噂だけじゃない。
いい噂もある。
ということは。

「………どういうこと?」

ネストリは綺麗な顔で、綺麗に笑った。
邪気なく、まるで西洋絵画の天使のように。

「言葉が分かると、噂の内容も分かりますよ。さ、頑張りましょうか」

ああ、もう、本当に外見だけは天使よね。
この悪魔。

『このドS●●●野郎!!!!!』

私がペンを投げつけようとする前に、静電気に似た電流が体を走る。
久々の衝撃に私は机につっぷした。

「はい、では次に行きましょう」

そしてネストリはテキストを手にとりにっこり微笑んだ。





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