「ふ、ふふ」

すっかり皆が寝静まった夜更け。
ありがたくも一人部屋を与えてもらった私は、荷物を漁り笑う。
身分不相応な一人部屋だが、こんな時はVIP待遇もありがたい。
なにせ、マリカが同じ部屋にいたら、絶対見つかり止められる。

『飲まなきゃやってられかってーの』

バッグの奥底にしまってある小さな酒瓶を取り出し、その水音に胸が高鳴る。
荷物の準備をするエミリアとマリカの目を盗んで、この瓶を自分の荷物に仕込むのは大変だった。
思春期のあれやこれやを部屋の中に隠した青春時代が今ここに役に立った。
まあ、お母さんに掃除のときに机の上に置かれていたりもしたけど。
いや、やめよう、今そんな黒歴史を思い出すのは。
今大切なのは、そう、この命の水、それだけだ。

『星でも見ながら飲もうっと』

本当なら温泉につかりながらの一杯と行きたいものだが、さすがに病み上がりだ。
それをしたら体に悪いだろう。
それくらいの自制心は私にだってある。
酒瓶を抱きしめて、静かに部屋を出る。

「セツコ様、どちらに?」

そしてあっさり人に見つかった。
お供の兵士の皆さんが見張りをしていたらしい。
旅先だっていうのにご苦労なものだ。

「えーと、その、眠れないからちょっと外の空気を吸いに」

酒瓶を見つからないように抱えなおし、愛想笑いをしてみせる
マリカじゃないなら、まあ、どうにかなるだろう。

「では私がお供をいたします」
「あ、大丈夫。すぐそこだけ、いかないから」
「しかし」
「えっと、その、トイレも、いきたい」
「あ………」

仕方なく男性なら引いてくれるだろう言葉を出すと、兵士その1さんは顔を赤らめてきまり悪そうに視線を逸らす。
ああ、いい反応だな。
こんなデリカシーのある男、久々に見たわ。

「ごめん、ちょっとしたら、戻る。マリカ来たら、言っておいて」
「は、はい」

そろそろと逃げ出しながら言うと、動揺していたらしい兵士その1さんはこくこくと頷いてくれた。
あー、ほんと素直でいいわ。

そしてさっさと部屋から逃げ出し、宿の一階に向かう。
夕食もとった食堂はまだ少し人が起きているようで声が聞こえる。
誰かに見とがめられても面倒なので、そこを避けて玄関に向かう。
ま、玄関先なら何かあっても叫べば誰か来てくれるでしょ。

まだ開いていた玄関から外に出て、辺りを見渡す。
電灯なんてもちろんないが、月明かりで辺りは結構見やすい。
おお、よさげな石があるじゃないか。

上がやや平らになっていてなかなか座り心地よさそうな石に腰掛ける。
ひんやりとしていて、もちろん固い。
長時間だとお尻と腰が痛くなりそうだが、まあ、そんな長居することもないだろういいいか。

「じゃあ、改めまして」

抜かりなく酒瓶の蓋のところにひっかけてあった小さな木のカップに、酒を注ぐ。
ふわりと広がる果実とアルコール独特の匂い。
ああ、焦がれに焦がれた愛しい匂い。
ようやく会えた私の相棒。
遠距離恋愛の彼氏に出会えた時の気持ちってこんな感じかしら。
そんなこと考えちゃう私、ちょっとかわいい。

「ふふ、かんぱーい」

一口煽ると、口の中に甘い果実の味が広がる。
ワインの一種であろうこのお酒は、この世界での私のお気に入りの一つだ。
適度な軽さと甘さは、食前酒や軽く飲みたいときに最適だ。
私だって自分の体は大事にしているのだ。
今日は久々だし、この軽いお酒で我慢しておこう。

「んんんんん、おいしいいー」

喉と胃を焼く、懐かしい熱さ。
脳裏をぼんやりと溶かす酩酊感。
こりゃたまりませんな。

「おいしい、やっぱりこれよね。飲まない、やってられない」

マリカもエミリアも心配しすぎなのだ。
これくらい、どうってことないだろう。
酒は百薬の長って言うじゃない。

「少しのお酒、体いい」

って、独り言多いなー。
一人暮らしの弊害ね。
あれ、っていうか私今、独り言をこっちの世界の言葉で言ってた。
え、うそ。

「………」

もう、どれくらいたったのだ、この世界に来て。
独り言を日本語じゃなく、この世界の言葉で言うほど、馴染んでしまったのか。
それはちょっとどうなんだ。
そんな寒くないのに、ひやりと体が冷える。

『日本語、覚えてるよね。覚えてるよ。大丈夫。大丈夫だわ』

改めて日本語を口にする。
大丈夫。
ちゃんと覚えている。
ちゃんと私はあの世界を覚えている。
本来の私の世界を覚えている。

私の世界はあっちなのだ。
こっちじゃ、ない。
ああ、でももう帰るのも面倒だからこっちでもいいかなってちょっと思ったりするけどさ。
こっちだったらとりあえず衣食住は心配ないみたいだしさ。
いや、でも、家族には会いたいし。
でもあっち戻っても、今更手遅れ感半端ないし。
ああ、どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
私は、どうしたらいいの。

「………飲もう」

とりあえず、今は考えても仕方ない。
どうせ3年後まで帰れない。
だったら考えても無駄だ。
今考えても仕方ないことは明日考えよう、うん。

「何をしているんだ」

そう考えてコップにもう一度お酒を注ぐと、後ろから凛とした声が響いた。

「ひゃっ」

思わずびびって、飛び上がる。
あっぶね、酒がこぼれるところだった。

「な、なに」
「お前はこんな時間に何をしているんだ」

後ろを振り向くと、金髪碧眼の超美少年が腕を組んで立っていた。
なんだこいつか、びっくりした。

「えっと、アスベスト」
「アルベルトだ!」

知ってるけどさ。
相変わらず沸点低いなあ。

「何してるんだ、お前は。僕の質問に答えろ」
「えっと、息抜き?」
「それは、酒か?」
「うん。あなた、飲む?」

まあ、一人で飲むより二人で飲んだ方が楽しいだろう
それにアルベルトは観賞用としては完璧だ。
あの悪魔と違い、性格も可愛いものだ。
眺めて飲むのも、そこそこ楽しかろう。

「お前は怪我をしているのではないのか」
「………もう治った」

うん、そう言ってたし。
そろそろ飲んでいいってネストリ言ってたし。
嘘言ってない。
たぶん。

「どうぞ?」

とりあえずカップは一つしかないから、私のカップを差し出す。
アルベルトは綺麗な金色の眉をひそめて不快感を露わにする。

「………」
「あ、あなた若い。飲めない?まだ」

純粋に疑問に思って聞くと、アルベルトは眉を吊り上げた。
顔を赤らめて私の手からカップをひったくる。

「酒ぐらい飲める!」

本当に沸点低いな。
別に揶揄ったわけじゃないんだが。

「どうぞ」
「ふん」

お尻をちょっとずらして、アルベルトが座るスペースを作る。
アルベルトは黙って座って、酒をあおった。
あ、ちょっとそんなぐいぐいいかないでよもったいない。
でもまあ、いいか。
まだあるし。
誰かと酒飲むの久しぶりだし。

「はい、おかわり」

中身の減ったカップに更に酒を注いでやる。
アルベルトはそれをまたごくごくと仰いだ。
いや、やっぱりもったいないな。

「じゃあ今度は私」

カップをその手から奪い取り、酒を注いで今度は私が飲む。
飲まれる前に飲んでやる。
ていうか酌ぐらいしてくれてもいいんじゃないかしら。
せっかくの美少年なんだから、それくらいサービスしてくれ。

「………お前はどこからきたんだ」

ちびちびと大事に酒を飲んでいると、アルベルトがぽつりとそんなことを言った。
なんて答えたものかわからず、とりあえずそのまま答える。

「えーと、にっぽん」
「ニッポン、聞いたことないな」
「この世界、違うから」
「………そうだったな」

聞いたことあったらびっくりだ。
わたしはあんたの父親に悪ノリで拉致られた哀れな被害者です。

「………お前の世界の王は、どんな人物なんだ」

アルベルトはじっと膝の上で組んだ自分の手を眺めながら言う。
足なげーな、しかし。

「王。えーと、王、いない」
「なんだと?」

まあ、いる国もあるんだろうけど、とりあえず日本のことでいいよな。
それっぽい人はいるけど、こいつの言ってる王とは違うだろうし。

「ではどうやって暮らしているんだ?誰が国を治める?」

アルベルトは目を見開いて、こちらを見てくる。
そんなぐいぐい来なくても。
そんなに王がいないのは意外なのか。

「えっと、国の人が皆で、国の、えっと、偉い人、国を治める、する人選ぶ。その人たち、国治める」

って説明であってるかな。
かなりあいまいだけど、まあだいたいあってるだろ。
アルベルトはしかし私の説明に怪訝そうに眉を顰める。

「それは王ではないのか?」
「王様違う。でも、国を運営する人たち。その人たちみんなで、何人か、選ぶ。その人たちが、国を運営する」
「国民が、選ぶ、だと」

あ、そうだ、国民か。
単語思い出した、国民だ。

「………なんだ、その国は」
「王様、昔いた。今はいない。皆で選ぶことした。身分とか、ない」

そろそろ面倒くさくなってきた。
王様いる国とか歴史とか民主主義運動とか説明するの面倒くさい。
ていうか説明できない。
そんな知識は、実家の押し入れに置いてきた。

「そんな国があり得るのか。国民が選ぶだと。国は***が、治めるべきだろう。そんな国が**していけるのか」
「んー、まあ、そこそこ、平和」

単語がわからないし、面倒なので適当に答える。
実際そこそこ平和だし。
とりあえずこの世界みたいに死にかけることはないわ。
あっちはあっちで色々な意味でサバイバルだけど。

「理解できない」

そんな不機嫌そうな顔しなくてもいいのに。
王様がいるってのが当然だと、そんなに不思議なのだろうか。

「えっと、でも、この国も、一緒、違う?」
「何がだ?」
「ミカ、みんなから、国の人から、選ばれた。みんな、ミカ好き。選んでる。そしてミカも、ちゃんとやってる。同じ、でしょ?」

まあ、投票して選んだわけじゃないから違うんだろうけど、この国の人たちが投票して代表を選んだら、結局ミカになるのではないだろうか。
それくらい熱狂的な人気だった。
だったらまあ、同じようなもんじゃないだろうか。
なんでもいいよ、そこそこ平和でうまくやってんなら。
私に被害がないなら、どうでもいいよ。
早いとこ平和な国を作ってくれ。

「みんな、ミカを、選ぶ」
「………」

アルベルトは怪訝そうな顔から、打って変わってきゅっと唇を噛みしめ表情を変える。
えーと、これは悔しそうな表情かな。

「そうだ。父上は、偉大な、王だ。*****で、****な王だ」

また単語がわからない。
まあ、なんか褒めてるのかな。

「僕は、そんな父上の息子なのに………」

また顔を背けて、地面に視線を落とす。

「兄上も、姉上も****で****している。それなのに、僕だけイマトラなんかにいる」
「えーと、****?」

単語がさっぱりわからなかったので、聞き返してみる。
するとアルベルトは面倒そうに、でも親切に言い換えてくれた。

「二人とも、戦っている。敵を、倒している。国のために、戦っている。そして、****している」

ああ、なんだ、えっと、そういえば戦争が上手とか言ってたっけ。
物騒な人たちだ。
特にあの女は物騒の塊だ。

「僕は、こんな、場所に*****ている」

えーと、あの二人は戦場にいて、この人は、ここにいる。
ここら辺は温泉の有名な観光地っぽいんだっけ。
あの二人は前線で戦って、こいつは平和な場所にいる。
それが嫌ってことなのかな。

「ここ、平和なの?」
「………ここでは、****でもできない」

やっぱり単語が分からない。
でもなんか落ち込んでるぽいな。
どうしたんだ、さっきまでツンケンしてたのに。

「僕だって、父上の息子なのに………っ」

あ、耳もほっぺたも赤いな。
これ酔ってるのか。
二杯で酔うとか、結構弱いな。

「お前だって、僕のことを***してるんだろう!僕はどうせ、****だ!」

あ、これ完全酔っ払いだ。
絡み酒だ。
面倒くさいやつだ。
人のこと言えないけど、厄介な酒の人だ。

「落ち着いて」
「うるさい!みんなして、馬鹿にしてるくせに!」

思春期って感じだな。
可愛いのと鬱陶しいのと紙一重だな。
とりあえず酒は、楽しく飲みたい。
なんとかなだめなければ。

「えっと、んっと、平和、大事」
「なにがだ。こんな、****にもならない場所!」

えーと、何を言おう。
もう平和ならなんでもいいじゃないか。
戦場なんてなんで行きたいんだ。
私は命の危険のない場所でぬくぬくしていたい。
もうあんな目に遭うのはごめんだ。
なんて、この酔っ払いにいっても仕方ないんだろうな。

えーと。
あれだ、あれ、腹が減ったは戦はできぬ。
それでいこう。

「食べ物作る、大事。食べ物ないと、戦えない。食べ物じゃなくても、もの作るとか、しないと、ダメ。それ、平和じゃないと、できない、違う?」
「………」

アルベルトは一応黙ってくれた。
よし、オーケー、畳みかけよう。
相手は酔っ払いだ、丸め込め。
部長相手に磨いた接待力を見せてやる。

「あなたの土地、イマトラだっけ?そういうの、してないの?食べ物、もの、作る」
「………イマトラは**が盛んな土地だ。食料も豊かだ」
「ほら、大事。食べ物ないと、何もできない。お酒ないと、元気でない。服もないと、暮らせない」

食料自給率大事。
とっても大事。
ついでにお酒がとっても大事。
お酒がない世界なんて絶望だ。

「それ作る、平和な場所、大事。それ守る、大事な仕事」

戦争だけしていても、食料ないとダメだろうし。
物資がなければ、どんな仕事だってできやしない。
備品も資材も調達は大切な仕事だ。

「あなた、大事な仕事もってる」

私とは違ってね。
あ、自分で言っておいて自分でへこむ。
仕事かあ。
あっちの世界にいる時は惰性だったけど、今考えると労働って結構いいよなあ。
こっちでするのはちょっと面倒なんだけど。
馴染みたくないし。
仕事なんて持ったらマジで永住一直線な気がする。

「………お前」
「ん?」

なんて考えていると、いつのまにかアルベルトは静かになっていた。
少しだけ険のとれた表情でこちらをじっと見ている。

「名前は、なんという?」

知らなかったんかい。
まあいいけど。

「セツコよ」
「せ、てぃ?」
「セ・ツ・コ」
「セツコ、か」

アルベルトが、セツコセツコと口の中で何度か繰り返す。

「なに?」
「………っ」

アルベルトはそこではっとして顔をあげる。
一つ咳払いすると、偉そうに顎をあげてこちらを見下ろしてくる。

「………ふん、***な下民だが、頭はそう悪くないらしい」

なんだいきなり喧嘩売られてんのか。
絡み酒が終わったと思ったら、可愛げもなくなった。

「セツコ」
「はいはい」

アルベルトは偉そうに私を見下ろしながら、もう一度名前を呼ぶ。
まあ、こんな思春期のお坊ちゃんに怒っても仕方ないからいいけど。

「………セツコ様?」
「ひっ」

アルベルトが何か口を開いた瞬間、さっきと同じように声が響いた。
けれどさっきとは違う、か細い少女の声。
今一番聞きたくなかった声だ。

「………」

恐る恐る振り返ると、予想通りマリカが玄関先からじっとこちらを見ていた。
やばい。
咄嗟に、酒瓶を服の陰に隠す。
み、見つかってないよな。

「え、えっと、マリカ、どうしたの?」
「セツコ様こそ、こんな時間にどうしたんですか?」

じりじりと近づいてくるマリカは笑っているが、怖い。
なんか静かな迫力がある。

「何もってるんですか?」
「な、なにも持ってない、よ」
「その手にあるのは、なんですか?」

怖い。

「お酒、飲んでました?」
「えっと、いや、これはその、果実の、ジュースで」

それでもわずかに抵抗するが、マリカはにっこりと笑ってもう一度聞く。

「お酒、飲んでました?」
「………はい」

ダメだ。
かなわない。

「それ、くれますか?そして、もう寝ましょう?体に悪いですよ?」
「………はい」

のそのそと酒瓶を差し出すと、マリカは私の手から酒瓶とカップを取り上げた。
そして私の手を取る。

「さ、いきましょ?心配したんですよ?」
「………ごめんなさい」

マリカはアルベルトの方を見ると、深々と頭を下げる。

「失礼しました。おやすみなさい、アルベルト様」

ああ、まだ三杯しか飲んでなかったのに。
こんなことなら瓶ごといっときゃよかった。

「………おやすみなさい、アルベルト」
「あ、ああ」

アルベルトは、何か呆然とした感じでこくりと頷いた。






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