半年ぶりに訪れたその町は、鮮やかな緑で包まれていた。
以前来た時のすべてを覆いつくす一面の白とは違う、豊かな緑。

この前は混乱した電車の手動のドアも、今回は戸惑わなかった。
ボタンを押し、ドアが開く。
ホームに降り立った途端、熱気に包まれた。
しかし風は涼しく、私の住む町よりもずっと湿気が少ない。

夏休みが、きた。


***



強い日差しに、一瞬眩暈がした。
手をかざして目を覆う。むきだしの肩が、熱い。
あ、やば日焼け止め塗ってない。
大き目のボストンバッグを置き、日焼け止めを探してショルダーバッグを漁ろうとした時、懐かしい姿が目の端に入った。
春に見たときより、少し髪が短くなって、焼けたかもしれない。
けれど真っ直ぐな黒髪も、切れ長な目も、ちょっと意地悪そうな笑みも変わっていない。

「駿君!」

私は久しぶりのその姿に嬉しくなって、駆け出した。
駿君もこちらを見て頬を緩めた。
と、日焼け止めを出そうとして開けておいたショルダーバッグの中身が散らばる。
「あ、ちょっとやだ!」
慌てて拾おうとして、ちょうど足元にあった化粧ポーチに躓きバランスを崩す。
「う、わわわわわわ!!!」
なんとか立ち直ろうとして片足で飛び跳ねたまま、何歩か歩く。
けれど体は追いつかず、地面は目の前だった。
買ったばかりのサマーワンピースなのに!!

目をつぶった途端、とすんと顔が固いものにつっこんだ。
肩を支えられて、なんとか地面に激突せずにすむ。
これは……なんか、デジャヴ?
恐る恐る顔を上げた。
そこには、眉間にしわを寄せ複雑な顔をした駿君。
こ、これは…いつものやつがでるかな…?
しかし駿君の薄い唇から出た言葉は予想と違った。
「……これは、あれか?お前なりの挨拶なのか?」
「え、えへへ、懐かしいシュチュエーションの再現で感動の再会とか…?」
笑ってごまかそうとした私を、駿君がちゃんと立たせてくれる。
深い深いため息をついた。そして息を吸う。
「この馬鹿!」
大きい声に、体がすくむ。
やっぱ出た。
怖い。
けど、なんか懐かしい。
思わず笑ってしまった。
「…何がおかしいんですか?」
声が低い。こ、怖い。
「ご、ごめんなさい」
慌てて頭を下げる。
「で、でもさ。なんか懐かしくって。駿君の『馬鹿』って」
電話口でもたまに言われていたが、生は本当に久しぶりだ。
「……それを懐かしいと思う程言われてる自分をどうにかしてくれ」
あ、そ、そうか。
懐かしいってことはそれだけ私は駿君に馬鹿と言われてるわけで…。
「駿君ひどい!」
「遅い。それに馬鹿と言われる原因をまず考えろ」
「そ、それは……」
「はい、俺とお前どっちが悪い?」
「……わ、私です…」
駿君は満足気に頷いた。
う、うう…またこのパターンか……。
落ち込んでる私に、駿君はちょっと優しげな笑顔になった。
「久しぶりだな」
その言葉に、私も自然と笑顔になる。
「うん、久しぶり。元気だった?」
「元気。ていうか昨日も電話したし」
「まあ、そうなんだけどさ。なんかこう、礼儀として」
楽しそうに笑う駿君。
こちらも胸が温かくなってくる。
「あ、遅くなった。ありがとうね、助けてくれて。これこの前買ったばかりの服だったから転びたくなかったんだ」
そう言って、ちょっとスカートの裾を掴んでみせる。
この前の休日、彩子と一緒に買いにいったワンピ。
淡いパステルブルーのAラインのワンピースは、夏らしくて気に入っていた。
田舎に来る時に是非着ていこうと思っていた。
ノースリーブなのがちょっとアレなんだけど。
私、二の腕やばいし。
「ふーん。このスカート?」
「そう、かわいいでしょ!」
「うん、かわいい。スカートが」
「ちょっと!」
また楽しそうに笑う駿君。
その表情に、どきどきした。
なんだか少し大人びて、声も低くなって……知らない人のように新鮮な気持ちになる。
思わず黙ってしまうと、駿君が表情を改めた。
「冗談だって。その………かわいい…お前も」
「え?何?」
駿君に見とれていて、聞いてなかった。
声も小さかったし。
慌てて聞き返す。
駿君は深い深いため息をついた。
「馬子にも衣装って言ったの」
「ひど」
「ひどいのはお前だ」
なんでよ!
そう言い返そうとして、気づいた。
ちょっと駿君、耳が赤い。
そうして耳を見上げた時に更に気づく
駿君の目線が私より、少し高い。
春に会った時は確かに私より下だったに。
「しゅんく……」
手を駿君の頬に伸ばし、背が伸びたね、と言おうとした時、後ろから腰のあたりにものすごい衝撃をうけた。
「わ!」
前に倒れそうになる私を、駿君がもう一度支えた。
「あ、ありがと、な、何?」
後ろを振り向くと、にこにこと笑うかわいらしい男の子。
駿君に似た黒髪と、似ていない二重の大きな瞳。
駿君の弟、純君だ。
「鈴鹿姉ちゃん、久しぶり!」
「わー、純君久しぶり!元気だった?」
「元気だよ!俺去年、皆勤賞もらったし!」
改めて純君に向かいあった私の腰に抱きついて、にこにこと見上げてくる。
くー、かわいい!!
去年小学1年生だったから、もう小学2年生か。
あ、純君も背が大きくなってる。
「純君背も伸びたね。びっくりしちゃった」
「へへ、でしょ?俺、今背の順でかなり後ろの方なんだよ!」
「すごーい!」
自慢げに言う小さな男の子の頭を撫でる。
さらさらとして熱をもった髪の毛の感触が、気持ちよかった。
純君も嬉しそうに大人しくしている。
本当に、お兄ちゃんとは大違いなかわいらしさだ。
たとえ5年…いや、もう6年前か、その頃の駿君だとしてもこんなことさせてくれなかっただろう。
本当に怖くて強くて賢い小学1年生だった。
その頃の駿君を思い出していると、純君がにこにことしながらスカートを掴んだ。
「これ、かわいいね」
「本当?嬉しい!」
「うん、鈴鹿姉ちゃんすごく似合ってる。すっごいかわいい!」
まっすぐで純粋な賛辞に思わず赤面してしまう。
純君て…すごい。
「そ、そう?あ、ありがとう」
思わずどもってしまった。
こんなストレートな褒め言葉には慣れていない。
「うん、鈴鹿姉ちゃんすごいかわいい!」
全開の笑顔のまま、真っ直ぐに見返してくる。
う、うわー!!!
こっちが目をそらしてしまう。

と、純君が私の腰から引き剥がされた。
駿君が後ろから首根っこを掴んでいる。
「純、お前約束があったんじゃないのか?」
「あ、そうだった!」
思い出したように、駅の出口の方に足を向ける純君。
「あれ、出迎えに来てくれたんじゃないんだ?」
そういえば、純君はプールの道具らしいビニールバッグを持っている。
「うん、プールに行く途中で鈴鹿姉ちゃんが見えたから寄ったんだ。俺はこれからデート!」
「へ!?」
「同じクラスの美奈ちゃんっていうんだ。かわいんだよ」
照れたように頭をかく純君。
ちょ、ちょっと待ってよ。
純君いくつよ!小学生でしょ!ていうかそれよりも!
「純君、私と結婚してくれるんじゃなかったの?」
そう言ってくれたのはほんのついこの間だというのに…。
そりゃすぐ忘れられるだろうとは思ったが、まさかこんなに早いとは…。
純君はちょっと悲しそうな顔をすると、小さな手で私の手を握った。
「ごめんね…。俺、本当に鈴鹿姉ちゃんのこと好きだったよ…。でも俺、待てなかった……鈴鹿姉ちゃんは遠すぎたよ…。鈴鹿姉ちゃんはかわいいけど、美奈ちゃんはもっとかわいいんだ!本当に、ごめん!!俺のことは忘れて!」
そう言って一気に出口の方へ走っていってしまった。

「………」
呆然と立ち尽くす私。
なんか、結構ショックだ…。
ふ、ふられたの?私?
「残念だったな」
ぽんと肩に手を置かれた。
「あいつ今からあの調子で、マジこれから怖い。すげーもてるらしい。まあ、犬に噛まれたと思って忘れるんだな」
「ちょ、やめてよ、慰めるの!本当になんか悲しくなってきちゃうよ!」
なんか本当に私がもてあそばれた気分になってくる。
あの歳で……純君恐るべし。
「駿君……教育考えた方がいいと思う…」
「だな」
駿君も暗い表情で頷いた。
「でも、男もあの調子で褒めるらしいから、別にクラスで浮いてるわけではないらしい。俺としてはちょっとあの素直さは、うらやましい」
「駿君、素直じゃないもんね」
殴られた。
痛い。
素直な感想だったのに……。
「で?」
駿君が促してくる。
へ?なんだろう。
「何?」
「……純太が来る前にお前が言おうとしたこと」
………なんだったっけ。
「忘れちゃった」
駿君がため息をついた。
う、だって、驚きの連続だったし。
駿君は、純君が行った駅の出口の方を見て、ぼそりと言った。
「純は、確かに半年前より大きくなったよな」
「ね、びっくりしちゃった!あの年頃の子ってすぐ変わるんだね!」
本当にびっくりした。
この前来た時にはまだ幼稚園生って感じだったのに。
駿君がまたこちらを見てくる。
れ、なんか機嫌が悪い?
さっきは結構機嫌よさそうだったのに。
「成長期だしな。男はすぐ大きくなるよな」
「ね!純君、きっと大きくなるんだろうね!あのまんま大きくなったらものすごいもてそう!」
殴れられた。
痛い。
「な、なんで!なんでいきなり殴られるの!?」
「知るか」
「知るかって駿君が殴ったんでしょ!」
「うるさい。行くぞ」
声が低い。
こ、怖い。
なんだろう…。私何かしたかな……。
すごい理不尽だ…。
そのまま駿君は出口の方へ向かおうとする。
「あ、ちょっと待って…!」
私荷物片付けてない。
ショルダーバッグからぶちまけられた荷物はまだ散乱したままだ。
いつもなら、こういうことは駿君のほうが気づくのに。
駿君が後ろを振り向く。
荷物を急いで拾っている私の姿に、ため息をついた。
戻ってきて、私の隣に座り、一緒に荷物を拾ってくれる。
「ありがとう。ごめんね」
「お前は本当に、変わらないよな。少しは純を見習え」
「ひど!」
不機嫌そうにむっつりとしたまま、それでもてきぱきと荷物をまとめ、私のバッグに入れてくれた。
お兄ちゃんだ。
まとめ終えて、バッグの入り口を閉めてようやく二人で立ち上がる。
「ほら、行くぞ」
「うん。あ、ボストン」
最初に地面に置いたまま放ったらかしてあった大きめのボストンバッグを、駿君が自然な動作で肩にかけた。
あれ、重いのに。
「駿君、それ重いでしょ?」
「重い」
「わ、私が持つよ!」
駿君から荷物を取り返そうとしたが、駿君はさっさと歩き始めてしまう。
「駿君!」
「お前に持たせたら、いつ転ぶか分からない」
そ、そんなことはない、そんなことはないよ。
来る時だって転んでない!………一回しか。
後ろを振り返らずにさっさと歩いていってしまう駿君を急いで追いかけた。
駿君は私に荷物を渡す気配はない。
「あ、ありがとう」
「だったらもう少し荷物減らせよ。何入ってんだよ、これ」
「いや、色々……」
服とか服とか服とか。
駿君はそんなことを言いながらも、私が持ったらヨロヨロとしてしまう荷物を平気そうに持っている。
隣に並びながら、半そでのシャツから伸びた駿君の腕を見た。
まだまだ線の細さを残すものの、少し陽に焼けて筋肉のついた腕。
変わってないと思っていたのに、なんだか急に成長してしまったようだ。
なんかちょっと……寂しくて、悔しい。
「鈴鹿?」
黙り込んでしまった私を、駿君が覗き込んでくる。
急に目があって、心臓が飛び跳ねた。
「あ、いや、その、やっぱり駿君も大きくなったね!背が私より、高くなってる!」
「まあ、お前と比べて成長してるし」
偉そうに言って、にやりと笑う。
に、憎たらしい…。
「鈴鹿」
むかむかとしている私に、急に機嫌がよくなった駿君が手を差し伸べてくる。
「何?」
「手。お前が転ばないように、保険」
「あ、うん」
駿君の左手に、右手を重ねる。
相変わらず大きな手は熱を持って、ごつごつしていた。
この前のときは、もっと柔らかい手をしていたのに。
なんか、本当に知らない人のようで寂しくなってくる。
ちらりと見上げた横顔は………。
「ぷっ」
思わず噴出してしまった。
駿君の耳が、赤い。
何よりも感情を表す、その耳。
ああ、やっぱり駿君だ。
「何?」
いきなり笑った私を、怪訝そうに見てくる。
でもやっぱり耳が赤い。
「なんでもない」
そう言って笑い返して、握った手に力を入れた。
ごつごつしているけど、温かい手。


見上げた太陽が、眩しかった。
夏休みが、始まる。






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