ちりーん。 開け放たれた縁側に吊られた風鈴が涼しげな音をたてた。 気持ちのいい風が居間まで入ってくる。 クーラーもついていないのに、随分過ごしやすかった。 氷の入った冷たい麦茶をすすると、汗も引いていく気がした。 「よく来たな」 嬉しそうに笑っているのはおじいちゃん。 しわの刻まれた顔がくしゃ、と崩れる。 体も大きく、一見怖そうに見えるが、おじいちゃんはとっても優しく笑う。 「うん、今回もお世話になります」 「いつまででも泊まってけ。お前は全然こっちこなかったからなあ」 低く通るしわがれた声で笑う。大きくて頼もしい声。 まあ、確かに全然こっちこなかったけどね。 それにはそれなりに理由もあるのだが…。 おじいちゃん達が私の家に来た時とかは会っていたんだけど、とても申し訳ない。 祖父母不幸な孫でごめん。 「まあま、こうしてきてくれるんだからいいじゃないですか」 暖簾を片手であげて、おばあちゃんが台所から入ってきた。 もう一方の手にはスイカの乗ったお盆を持っている。 「はい、冷えてるからいっぱい食べてね」 おばあちゃんはお父さんによく似た朗らかな笑いを浮かべる。 ちょっとたれ気味な目元が、お父さんとそっくりだ。 おじいちゃんよりも年上なのに、見た目はおばあちゃんの方がよっぽど若く見える。 「わー、おいしそう!いただきます!」 手を合わせるとおもむろに一つとり、かぶりつく。 しゃく、という歯ごたえと、みずみずしい甘さが口いっぱいに広がった。 「んー!!おいしい!」 ああ、スイカ大好き! おじいちゃんとおばあちゃんはにこにこと笑っている。 「ほれ、駿も食えや」 横で大人しくしていた駿君に、おじいちゃんが勧めた。 駿君はおじいちゃんやおばあちゃんにはとても礼儀正しい。 ……ずるい。 「はい、じゃあ、頂きます」 礼儀正しく一礼して、駿君も隣でスイカを食べ始める。 「うふふ、鈴鹿も大きくなったねえ。冬に会ったときよりずっと綺麗になってえ」 「え、そ、そうかな?えへへ」 この前会った時にも同じような台詞を聞いた気がするけど、やっぱり褒められると嬉しい。 たとえそれが身内の欲目だとしても。 「うんうん、かわいくなった。な、駿もそう思うだろ」 そこで駿君に話を降るおじいちゃん。 あ、ダメだよおじいちゃん、そんなこと言ったら…。 「…どこが?」 間髪入れずにスイカから目を放さずに言い放つ駿君。 ああ、やっぱり…。 そう言われると思った…。 なのにおじいちゃんは大きな声をあげて笑う。 「まーた、いっちょ前に照れおって!ほんっとにお前は素直じゃないなあ!」 「だ、誰がだよ!」 あ、駿君が敬語じゃなくなってる。 どしたんだろう。 首を傾げる私に、駿君はちらりとこちらを向く。 けれどすぐに目をそらして、スイカに集中してしまった。 むむ。 まだ笑っていたおじいちゃんが、また私を見る。 「でも、ほれ、夏休み予定とかなかったのか。高校生にもなると色々あるだろう」 「あ、んーとね、クラスの友達と海行こうか、とは言ってたの」 「海!?」 なぜか一番反応したのは隣にいた駿君だった。 「え、な、何?なんか変なこと言った?」 「……クラスの友達と?」 「う、うん」 あ、あれ、不機嫌オーラが出てる。 なんでだろう、私なんかしたっけ…? こ、怖い。 無意識に駿君からちょっと距離をとってしまう。 「……それってこの前の奴ら?」 「この前のって…?」 「俺がお前んち言った時会った奴ら」 奴らって……、駿君一応あの人たちは結構年上…。 私はまあ、……諦めた。 駿君にかなうはずないし。 「う、うん、そう。彩子とミカと…」 「ニシジマって奴も?」 こ、声が低いよ!怖いよ!目が据わってるよ!なんでよ! でも言えない。怖いから。 「う、うん。それと金沢君と彩子の彼氏の有沢君って人が……」 「行ったのか!?」 ひー!! 「行ってません行ってません!!こっち来る予定とかぶったんで辞退しました!」 殴られるかと思って思わず身構える。 けれど駿君はほっと息をついて、肩から力を抜いた。 眉間のしわがみるみる消えていく。 あ、なんだかよく分からないけど、怒りは収まったようだ。 よ、よかった。 「な、なんで?」 「なんでもねーよ」 またそっぽを向かれてしまう。 まだちょっと機嫌が悪そう。 なんでよー。 「はっはっはっは」 大きな声が居間中に響いたので、そちらを見ると、おじいちゃんとおばあちゃんがとても楽しそうに笑っていた。 「ど、どうしたの?」 「ふふ、いいえ、なんでもないのよ」 「そうそう、なんでもないなんでもない。なあ、駿?」 聞かれた駿君は、ちょっと口を尖らせてうつむいた。 不貞腐れたような、ちょっと子供っぽい仕草。 ……なんかかわいい。 私の前では見せてくれない表情なんで、余計に。 「そういうことなら、こっちで海に行けばいいわ」 先に笑いが収まったおばあちゃんが、そう提案してきた。 「こっち海水浴場あるの?」 出来れば一度くらい海には行きたいなあ、とは思っていたのでそれだったら嬉しい。 「ええ、ちょっと電車乗らなきゃ行けないけど、結構近いわよ。まあにぎやかなところじゃないけど、静かで綺麗ないい海岸よ」 「えー、そうなんだ。行きたい!どこにあるの?」 「そうねえ。ああ、駿君に連れて行ってもらえばいいわ。分かるわよね?」 ねえ、とにこやかに駿君に語りかける。 むっつりとしていた駿君は、ちらりと目だけでこちらを見る。 あ、嫌かな? 私はと言えば、勝手ながらなぜか駿君が行くのは決定事項になっていた。 「ダメ?」 恐る恐る問うと、駿君は一つ息をついて笑った。 いつもの自信のある嫌味なにやり笑い。 「しょうがねえな。連れてってやるよ。お前が1人で行けるとは思わねえし」 「ひど!」 「じゃあ、反論できるんですか?」 うう、そう来られると……出来ない。 …情けない。 「お、お願いします」 「はい、よろしい」 「うう……」 大変悔しい。 悔しい、が1人で海に行くのも哀しいし、一緒に行けるのは正直嬉しい。 「水着とかは平気?」 「あ、うん、一応プールとかいけたらいいな、とは思ってたから持ってきてる。新しいの買ったんだ!」 心配そうなおばあちゃんに弾んだ声で返す私。 水着もおニューだ!着れるかどうかは分からなかったが、持ってきてよかった! 「だってよ。嬉しいだろ、駿」 ぶはっ。 変な音に隣を向くと、駿君がスイカを噴出してむせていた。 「だ、大丈夫?」 慌てて背中をさする。 駿君は苦しそうに何度もせきをしていた。 しばらくそうしていると、息を整えた駿君がゆったりと私の手を止める。 「…じいちゃん、さっきからなんなんですか?」 「いやあ、だってなあ」 「ねえ」 ちょっと声の低くなった駿君に、お互いを見合って笑うおじいちゃんとおばあちゃん。 なんだろう。なんか変な雰囲気。 「鈴鹿!」 「は、はい!」 突然呼ばれ、驚いて返事をしてしまう。 駿君は素早く立ち上がると、私の腕をとって引っ張る。 釣られて立ち上がる私。 「へ、な、何?」 「行くぞ」 「え、ど、どこへ」 「外」 「わ、私スイカまだ一個しか食べてない」 「後で食え」 とりつくしまもない。 なんでまた不機嫌になってるの…。 おじいちゃんやおばあちゃんには礼儀正しい駿君らしくない。 なんでだろう。 どうすることも出来ず(もちろん逆らえず)駿君に引っ張られるままに歩く。 て、あれ?耳が赤い? 「じゃ、じゃあちょっと外行ってくるね」 「ご馳走様でした」 居間から出るときに、それでも律儀に一礼する駿君。 やっぱりこんなところは出来た子だと思う。 今日はちょっとなんだか……子供っぽいけど。 「じゃあついでに裏の畑でナスとトマト取って来てちょうだい」 玄関先で、おばあちゃんの声が聞こえた。 「くっそー…。母さんが変なことじいちゃんとばあちゃんに吹き込むから…」 「え、おばさんがどうかしたの?」 「なんでもない」 ばっさりと切り捨られる。 怖いよう。 さっきからなんか猛スピードで歩いてるし。後ろ振り向かないし。 ついて行くのが大変。 と、思ったところで足がもつれた。 「あ、うわ!」 前につんのめりそうになったところで、いつもどおりキャッチされた。 ……ナイスタイミング。 「……ごめん」 再会したときよりずっと大きくなった気がする手。肩。 触れていると、なんだか、ドキドキする。 もたれかかったまんまだったが、丁寧に立たせてもらう。 「いや、今のは俺が悪かった。ごめん」 「え?」 眉間にしわを寄せながらも、素直に謝罪され、思わず声が出てしまう。 「なんだよ」 「だって駿君が謝るなんて!」 殴られた。 痛い。 「俺だって悪いと思ったときは謝るんだよ」 「えー、でもいつもはさー」 「いつもは悪いと思わないから謝らない」 うわ、ものすごいこと言われた。 ……確かに迷惑かけっぱなしだけどさー…。 駿君は一つ息とつくと、ようやく落ち着いたのか不機嫌オーラを消した。 「どうしたの、駿君。なんか変だね?」 「なんでもない。ていうか気づかないお前もすごい」 「え?何?」 「……なんでもない」 大きくため息をつかれる。 な、なんだろう。今度は不機嫌オーラと言うよりは…なんか落ち込んでる? 「でもなんか駿君、今日はちょっとかわいいね」 「は?」 取り繕うために出た言葉は、ものすごい地雷な気がした。 「あ、いや、違くて、今日は子供っぽいていうか歳相応っていうか」 ああー、焦ってますますヤバイ。 あ、やっぱり駿君が怒ってるー。 殴られた。 痛い。 「褒め言葉だったのに…」 「うるさい」 くるりと後ろを向いてしまう駿君。 慌てて後を追う私。 お、怒らせたかな。 でも駿君の耳は赤く、歩調はゆっくりだった。 その後はしばらくしたらいつも通りだった。 まあ怖いのはそのまんまなんだけど、ちょっと優しかったし話も弾んだ。 そしておばあちゃんのいいつけを守るために、畑へと案内してもらうことになった。 「崎上ー!!!」 そんな時、明るい高い声が響き渡った。 畑や田んぼに囲まれたおじいちゃんの家の前の細い通り、自転車をこぎながら誰かが近づいてくる。 崎上、て…駿君だよね?今度こそ覚えてるよ。 「あれ、真壁」 そちらを見た駿君がぽつりと漏らす。 あ、駿君の知り合いなんだ。 声の主は自転車を軽やかに操りながら、結構なスピードでこちらへ向かってくる。 キキ、と音を立てて目の前で止まった。 ショートカットの快活そうな女の子だ。 日に焼けていてすらりとした手足を制服から伸ばしている。 駿君のお友達かな。 顔立ちはまだやっぱり幼いけど、目鼻立ちがくっきりしていて美人さんだ。 うわ、足長い。 「あー、よかった。今あんたんちに行くとこだったんだ」 「は、なんで?」 「知らないよ。ミサゴに聞いてよ。私だって委員会で行ったら急にこれ渡してこい、とかって押し付けられたんだしさ」 そう言ってその女の子(えーと、真壁さん?)は荷台に乗せてあった3枚ぐらいのプリントを駿君に渡す。 「うわー、いらねー。数学のプリントじゃん」 「あっははは。あんたミサゴに気に入られてんもんねえ」 「嬉しくねえよ。ていうかあいつなんであの面とあのガタイで数学教師なんだよ」 「言えてる!絶対体育教師だよね!」 なんだかとっても仲よさそうだ。 学校のお話。 私には分からない。 ちょっと、寂しい。 私が見たことのない駿君が、そこにいる。 私と話す時とも、おじいちゃんと話すときとも違う、乱暴だけど、親しげな態度。 なんか、胸のあたりがもやもやする。 変なもの、食べたっけ。 さっきのスイカかな。 「あ、悪い鈴鹿」 しばらく話し込んでいた駿君がこちらを向いた。 「あれ、どなた?崎上、お姉さんいたっけ?」 つられて首を傾げてこちらを向く真壁さん。 「ああ、こいつは隣の家の親戚。鈴鹿こっちは同じクラスの真壁」 「へー、隣の家の親戚の方なんですか。どうぞよろしく!」 にっこりと笑って頭を下げる。 やっぱり、この子美人さんだな。 とっても明るそうだ。 私も笑って頭を下げた。 もしかしたら、引き攣ってたかもしれないけど。 「あ、どうも。よろしく」 「てことで真壁、俺ちょっと用事あるからまたな」 「そだね。じゃ、また学校でね」 「ああ、じゃあな」 これでお別れらしい。 あれ、なんでほっとするんだろう。 別に、この子、悪い子じゃないよね? 「学校来る日間違えんなよ!この前もあんたさー」 「あーうるせー。さっさと行け!」 「はーいはい!じゃあ、えーと鈴鹿さん?こいつのことよろしくね!性格悪いけど、口も悪いから!」 「は、はあ」 「お前には言われたくねえよ」 軽口を叩きながらも、二人は笑っている。 多分少しくらいひどいことを言っても許せるくらい仲がいいんだろう。 別に真壁さんに言われるまでもなく、駿君が性格も口も悪いことくらい知ってるし、とっても頼りになることも知ってるし、怖くて乱暴で優しくて賢くて強いことも知ってる。 真壁さんによろしくされることもない。 て、なんで私こんなこと思ってるんだろ。 なんかまたむかむかしてきた。 暑気あたりかな。 またお腹だして寝ちゃったのかも。 「じゃーねー」 手を振って、やっぱり軽やかに来た道を戻っていった。 身軽でシャープな印象の女の子だ。 美人だったし、足長かったし。手も長かったし。やせてたし。 うー、なんかむかむかがひどいなあ。 「鈴鹿?」 「え、何?」 「どうかしたか?ぼーっとしてるけど、まあいつものことだけど」 「一言多い!」 さすがに殴るフリをすると、笑って逃げられた。 人が変な症状に悩んでる、っていうのに。 「本当にどうしたの?」 今度はちょっと心配げに覗き込んでくる。 どうしたって……どうしたんだろう? 「あ、え、大丈夫。……真壁さんと、仲いいんだね」 「は?別によくもないけど、まあ確かによくしゃべるな」 首を傾げながら答える。 またむかむかがひどくなる。 うー、どうしよう。帰って薬とか飲んだ方がいいのかなあ。 「鈴鹿、大丈夫か?なんか顔色悪い」 「え、あ、うん。…大丈夫」 条件反射に頷いてしまう。 でも別に我慢できないほどじゃないし…。 と、手に温かいものが触れた。 「じゃあ、ほら、畑行くぞ。気分悪かったら言えよ」 「あ、うん」 二周りは大きい手に、包まれる。 夏だから、ちょっと暑い。 けど、ふりほどく気にはなれなかった。 手にちょっと力をこめる。 なぜか胸のむかむかが収まっていた。 |