4
父の田舎に来て一週間。ようやくしっくりくるようになった。 …もう、来た当初はどうしようかと思ったけど。 ここにも慣れてきたし、スキーも楽しくなってきた。 駿君も怖いだけじゃないと分かったし。 今日はおじいちゃんの家でゆっくりしていた。 いや、連日でスキーしてたら体が……。 筋肉痛というより打ち身がひどい。 でも中級者コースから降りれるようになりました! 最初見たときは崖かと思ったけどね!リフトで降りるって叫んだけどね! いまだに転ばず降りれることはないけど…。 「ねえねえ、鈴鹿姉ちゃん」 純君がこちらを見上げて話しかけてくる。 姉ちゃん…姉ちゃん…、ああなんていい響きなんだろう…。 私は一人っ子なので、何度言われても嬉しい。 ……駿君は呼び捨てだし。もうあまりに自然すぎてつっこむの忘れてたけど。 「鈴鹿姉ちゃん?」 「なに?純君」 純君は素直に懐いてきてくれる。 今日も遊びに来てくれた。 私ぐらいの歳の女の子が珍しいらしく、よく話しかけてくれる。 駿君と似ていてまっすぐな黒髪、 目はたぶんお母さん似、二重でおっきい。駿君は一重だし。 ああ、かわいいなあ…。 駿君と違って子供らしいし。 初めて会った時の駿君と同じ年頃だけど、駿君はもっと生意気…大人びてたよなあ。 「ねえ、一つ聞いていい?」 ちょっとはにかんだようにたずねてくる。 うーん、かわいいなあー、弟に欲しいなあ。 「何?いいよ?」 「姉ちゃん、彼氏いる?」 ぶっ!! 思わず飲みかけたお茶を吹いた。 それと同時にがちゃんと机の向こうから音がする。 宿題をしていた駿君がペンケースをぶちまけていた。 「な、なななじゅ、純君?」 「ねえねえ、いる?」 見上げてくる瞳は嫌になるほど純粋だ。 私は見栄を張るわけにもいかず正直に答えることにした。 「お、お姉ちゃんはまだ彼氏いないなー」 声が震えた。うう、こんな哀しい告白をこんな小さな子に…。 「だろうな」 机の向こうからぼそりと声が聞こえる。 おのれ!駿君め! 純君が嬉しそうに笑う。なんで嬉しそうなのさ! 「本当!?」 「……本当」 じゅ、純粋な目が痛い。 純君ががばっと立ち上がって私の手を握る。 「じゃあ、鈴鹿姉ちゃんは僕がお嫁さんにもらってあげる!」 …………ええ!? 「ね、僕が大人になったら結婚しよ?」 か、かかかか、かわいいー!!! うわー初めて告白されたー!ていうかプロポーズ? いいの純君?私、10年後までお嫁に行ってなかったら本当に貰ってもらうよ? 「ね、鈴鹿姉ちゃん?」 ああ、本当に純粋…。 たとえ私が帰ったらすぐ忘れてしまうんだとしても嬉しい。 「本当?純君?」 「うん!」 「嬉しいなー。じゃあ、10年後に純君に彼女がいなかったらお嫁さんにしてね?」 そういった途端、がたんと大きな音がした。 駿君が机に手をついて立ち上がったせいだ。 …ていうか今、机が浮き上がりましたよ…? 「純太」 こ、声が低い。怖い…。な、なんで。なんか最高潮怒ってるっぽい…。 黒い、黒いオーラが…。 「なーに兄ちゃん?」 ああ、あくまで純粋な純君がうらやましい…。 「お前今日の分の宿題やってないだろ。早くやれ」 「ええー!!まだいいじゃん!鈴鹿姉ちゃんと遊びたい!」 「いいからやれ」 こ、怖い。声と目が完全に据わっている。 基本的に面倒見がよく、純君に対し優しい駿君がこんな風に怒ると本当に怖い。 そんな駿君の様子に気づいたのか、少し純君が怖気づく。 「でも……」 それでも言い返す純君。……純君も強いな。 「純、やれ」 試合終了。ていうか久しぶりに本気で怖いよ! 純君は宿題を取りに、お隣に戻っていった。 家には私と(機嫌の悪い)駿君の二人きりとなった。 またですか!? またこの状況ですか!? 駿君は無言で宿題をしている。 ……シャーペンの芯がボキボキ折れてるんですけど…。 この空気に耐えかねて私から口を開く。 「あ、あの……駿ちゃん…?」 飛んできたペンケースが額にヒットした。 痛くて声も出ない。 「ちゃんって言うな」 「う、うう…ごめんなさい…」 ひ、ひどい…。けど地雷を踏んだ私が悪いのか。 き、気をとりなおして。 「ね、ねえ駿君?」 「何?」 不機嫌だー…。怖い…。 「何か、怒ってる?」 ………。 無言が続く。おじいちゃんの家の大きな時計の音が響く。 「…お前さあ」 「は、はい!」 駿君がノートに向けていた顔をこちらにむけてじっと見つめてくる。 「ずっと気になってたんだけどさ」 「う、うん」 「この前来た時のこと、覚えてないの?」 声は静かだけど、迫力を感じる。 「この前、て…五年前のことだよね?」 「そう」 「えっと、五年前って言うと、駿君と初めて会った…よね」 「うん」 えっと、それで…。 「近くに歳の近い子いないから、遊んでもらって…」 「お前ついてくんな、って言ってもついてきたし」 そ、そうだったっけ。そう言われれば、そんなような気もする。 「それで……」 「それで?」 えーと、えーと、えーと。 「かくれんぼしたり、山で虫取りしたりして…」 「それから?」 駿君が怒ってるというかなんというか、真顔だ。 余計怖い。 「なんか…あったっけ?」 私の中にはそれからの記憶がない。 駿君と遊んで、駿君は怖くて……、なんかあったかな。 おそるおそる顔を上げると……。 ………え? 駿君は一つ息をつくと立ち上がった。 「純太遅いな。見てくる」 そう言って、出て行ってしまった。 何か、何か大事なことを忘れてるんだろうか。 5年前。私、何かしたんだっけ。 駿君と遊んだことは覚えてる。 怖かったけど、楽しかった。それは覚えてる。 でも、でも、なんか忘れてる。忘れてるはず。 そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ…。 駿君が、あんな傷ついた表情をするわけがない。 胸が痛くなる、哀しそうな顔……。 あの顔は私がさせたものだ。 5年前に来た時、まだ小学校1年生の時から駿君はしっかりしていて、賢くて、 落ち着いていて、怖くて…。 遊ぶ時も駿君が前に立っていて。私はその後ろをくっついて。 そう、ついてくんな、ってよく言われた気がする。 でも私は駿君と遊びたくて。 なんで遊びたかったんだっけ?歳の近い子がいなかったから? それもあった気がする。 でも、でもなんか忘れてる気がする…。 あんな駿君の顔初めて見た。 泣きそう…だった。 初めてだったろうか…? 何か、引っかかった気がする。 本当に初めてだっただろうか。 駿君はしっかりしている。確かに、小学生とは思えないほど。 でも……泣いた事はなかっただろうか…? 5年前。5年前は…。 と、考え込んでいた時、玄関が開く音がした。 「駿君!?」 急いで、玄関にかけていく。 「ど、どうしたの鈴鹿姉ちゃん?」 そこには宿題を抱えた純君。 「あ、純君か……。あれ、駿君は?」 「兄ちゃん?知らないよ?」 「え、でもさっき純君の様子見てくるって…」 「へ?来てないよ」 「そう…」 私は玄関先に座り込む。雪国の廊下は、冷たい。 「どうしたの?」 「うん、私、駿君にひどいことしちゃったみたいで」 いつもしっかりしている駿君にあんな顔をさせるなんて。 「そうなの?」 「うん、私いつもいつも駿君怒らせてばっかり」 私駿君の笑ったところどれくらい見たっけ? 全然見てない気がする。いつも迷惑かけて、怒られて、馬鹿にされて。 ため息がでた。 「これじゃあ、嫌われてもしょうがないよねえ…」 て、私1年生相手にこんなこと話してていいんだろうか。 「兄ちゃん、鈴鹿姉ちゃんのこと嫌ってないよ?」 「えっ?」 「兄ちゃん、嫌ってる人とは話さないもん」 「で、でもいつも私怒られて、呆れられて…」 「それがね、兄ちゃんの、えーと、あい、あいじょうひょうげん?だっけ? 鈴鹿姉ちゃんと話してるとき楽しそうだし」 なんか、どっかで聞いたような言葉。 おばさんが、初日に言ってたっけ? 私が落ち込んでいるのを見てか、純君は必死で話してくれる。 本当にいい子だな。 少しだけ、沈んでいた心が浮上する。 「それにね、僕知ってるんだ」 重要な秘密を話すように耳元に口を近づける。 「…何?」 「兄ちゃんね、鈴鹿姉ちゃんの小さい時の写真、兄ちゃんと一緒に写ってる奴、 引き出しに大事にしまってあるんだよ」 胸を突き刺された気がした。 もしかして、本当に駿君は私を嫌ってないのかな…? 確かに、どんなに文句を言っても一緒にいて、面倒を見てくれた。 私の小さい時、というと、やっぱり5年前、だよね。 5年前、やっぱり何か、大事なことがあったんだ。 それなのに、私は、忘れてしまった。 そして駿君にあんな顔をさせてしまったんだ。 「よし!」 私は立ち上がった。 今はまだ思い出せないけど、とりあえず話してみるしかない! 話してたら思い出せるかもしれないし! 「純君ありがとう!元気でたよ!」 純君のまっすぐな髪をくしゃくしゃにした。 「わ、わわわ!鈴鹿姉ちゃん!」 「とりあえず、駿君とお話してくるね!」 「え?」 「ごめんね、宿題は帰ったらやろう!」 「ちょっと、鈴鹿姉ちゃん!?」 私は駿君を探して、雪がちらつく町へと飛び出した。



BACK   TOP   NEXT