着信音にしている近頃流行りのJポップの軽快な音楽が、さして広くもない部屋に鳴り響いた。
ベッドでごろごろしながら雑誌を読んでいた私は、枕元にあった携帯に腕を伸ばす。
どうせミカか彩子だろうと思い、雑誌に目を落としたまま相手を確認もせずに通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『………』
無言。
「もしもーし?」
怪訝に思いながらも、もう一度繰り返し聞いてみた。
『あ、俺』
俺?
ハスキーな、けれど耳障りのいい、男性の声。
覚えがない。
「どなた様ですか?」
間違い電話かな、と思いつつも一応確認してみる。
私の携帯に電話してくる男性など(悲しいことに)心当たりがない。
『………』
また無言。
やっぱり間違い電話かな。
こちらの名前を言った方がいいのだろうか。
『……すいません、I県の崎上です』
I県のさきかみさん?
やっぱり覚えがない。
「崎上さんですか?えーと、どちら様ですっけ?」
言いながら、必死に記憶を検索する。
えーと、えーと、えーと。
でも、そう言えばI県と言えばお父さんの実家のある県だ。
………。
………。
………。
お父さんの実家?
で、男性?
そして私の携帯番号を知っているということは…。
顔の血が一気に引いていくのが分かった。
慌てて起き上がり、ベッドの上で正座。
私が思い当たった名前を言う前に、痺れを切らした電話の向こうで息を吸うのが分かった。
『崎上 駿だよ!!!!また忘れてんのか、お前は!!!2ヶ月前に会った人間の名前を覚えてらんないのかよ!!!』
キーン。
電話口で思いっきり怒鳴られ、頭の中を大音響が駆け巡る。
携帯を離そうとして手を振り回した途端、バランスを崩してベッドから転げ落ちた。
「うわわわわ!!!」
携帯が手から転げ落ち、私は乱雑な床の上に無様に倒れた。
い、痛い。
一週間ほど片付けずに床に置いてあった洋服の山があったのがせめてもの救いだ。
片付けなさいと言う、お母さんの言いつけを聞かないでいてよかった…。
と。
急いで雑誌類の中に埋もれていた携帯を拾い上げる。
「も、もしもし!?ごめん駿君!!」
『………』
無言。
う、怖い。いくつもの県をはさんだ遠くからでも伝わるこの威圧感。
私は床に正座しながら深く頭を下げる。
「ご、ごめん、駿君、ごめんね!怒った?」
『……すごい音したけど、どうかしたの?』
「え、えへへ、ちょっとベッドから転げ落ちたりしたりしなかったり…」
照れ笑いを浮かべながら頭をかく。
薄い手の平サイズの機械から、盛大なため息が聞こえた。
「……ごめんなさい」
『もういいよ。お前が物覚え悪いのは重々承知してるし』
ため息交じりの声。
重ね重ねごめんなさい。
「で、でもね。駿君なんか声違くない?」
そう、私だって言い訳はある。
駿君の声が分からなかったのだ。
いや、忘れていたとかでなく。
なんか、こう、前に会った時よりも……、低くなっていたのだ。
前に会った時は、そりゃ女の子の声とはいかないが、それでも高かった。
それがなんだか……。
そう、なんだか、立派な男性の声のようだ。
まだ、少し声が高く、中性的ではあるが…。
『声?』
ハスキーな、ちょっとかすれた声。
吐息と共につぶやかれた声は、耳元で囁かれたように感じる。
意識して聞くと、なんだか別の人みたいに思えてくる。
耳が熱くなったのを感じた。
「そ、そう。なんか声が前と違って……」
『そんなことねえよ』
男の人っぽくなった、と続けようとした言葉はばっさりと遮られる。
な、なんだか不機嫌だ。
言い訳がましく聞こえたろうか。
「え、そ、そうかな?」
『ああ』
やっぱり不機嫌ぽい。
これはそっとしておく方がいいだろう……。
言い訳じゃないんだけどなあ…。
かすれた男性の声に、なんだか心臓がドキドキした。
こ、こんな風に男性の声聞くことなかったからなあ。
「あ、そ、それでなんか用?」
動揺する心臓を意識しないように、慌てて用事を切り出した。

この前の春休みに会ったきり、二ヶ月が過ぎた。
実はそれから駿君と話すのは初めてだ。
駿君のお母さんの携帯に私の電話番号は登録されてるし、私の携帯におばさんの電話番号は登録されている。
電話することは出来るのだが、いまいち勢いが出なかった。
駿君と話をしたいな、と思うことはあった。
けれど、そのためにはおばさんの携帯を介さなきゃいけないし、そこまで重要な用事があるわけでもない。
家電は知らないし、用事もないのにかけてくんな、とか言われたら怖いし…。
とか思ってたらあっという間に二ヶ月が経ってしまった。
駿君からもかかってこなかった。
それが今日、急にかかってきたのだ。
何か用事があるのだろうか。

『……いや、用事ってほどじゃないんだけど』
「あ、そうなの?」
だったらどうしたんだろう?
うーん。
気まぐれ、とかだろうか。
『………』
「駿君?」
『……あ、いや、お前さ、夏休みこっち来るようなこと言ってただろう?マジで来んの?』
この前来た時、そういう話はした。
私も、夏休みは行く気満々だった。
友達との予定も立てていたが、実は父の実家へ行く方が楽しみだったりする。
お父さんは自分の実家が気に入られたのが嬉しかったのかにこにこしてたし、お母さんもおみやげがどうとかぶちぶち言ってたけど、田舎を大事にするのは概ね賛成のようだ。
この前行った時、思いのほか楽しかったし。
おじいちゃんやおばあちゃんにも会いたいし。
それにおばさんや純君にも会いたいし。
それから………。
「うん。今回はちょっと長くいたいな」
『そっか。………せっかくの夏休みなのに一緒に過ごす奴とかいないの?』
う、そ、そういうことを言うか。
相変わらずかわいげがない。
「悪かったわね!いないわよ!」
『ふーん』
くすりと笑う声が聞こえる。
く、くそう。
『まあ、そういうことならお相手してあげましょう』
おそらく、いつもの人を小馬鹿にしたような笑顔を浮かべているのが分かる。
それは、むかつくけど、懐かしい笑顔だった。
むかついているけど、いるんだけど、なぜだか頬がゆるむ。
「でも、駿君ももう中学生だよね?部活とかは平気?」
『平気。そんなに厳しい部活でもないし。お前の予定にあわせるよ』
なんだかんだ言って、優しい。
お兄ちゃん気質な、駿君。
変わってないな、と思う。
まあ、たった二ヶ月しか経ってないんだけど、それが嬉しい。

それから私達は駿君が入った陸上部の話とか、私の所属しているテニス部の話とか、おばさんの話とか純君の話とかおじいちゃんやおばあちゃんの話とか、他愛のない世間話をした。
時々怖いところもあったけど、とてもとても楽しかった。
一時間ほどしゃべっただろうか、そろそろ寝なければ明日が辛い時間になった。
駿君も朝練があるらしい。

「じゃあ、電話してきてくれてありがとうね」
『ああ』
「うん、それじゃあまた」
『鈴鹿』
切られるのかと思った電話口から私の名前を呼ばれた。
「え?」
『おやすみ』
吐息と共に囁かれる、かすれた声。
あらためて言われたその言葉が、耳から伝わって全身に行き渡り、体が熱くなる。
なんだか、本当に知らない男の人のようだ。
「あ、う、うん。おやすみ」
『うん、それじゃ』
「あ、駿君!」
『うん?』
切られると思って、なぜだかとっさに呼び止めてしまった。
呼び止めても、話す事なんかなかった。
ど、どうしよう。
「あ、あのね。そっち行くのすごい楽しみ。おじいちゃん達にも会いたいし、おばさんや純君に会えるのも楽しみ」
『ああ』
笑いを含んだ声。
うわ、どうしたのよ、私の心臓。
なんか最高速度を記録してるよ。
焦った私の思考回路はヒートしたまま、口は勝手に動き出す。
「でもね、一番楽しみになのは、駿君に会えることなんだ。早く会いたいな。駿君と遊ぶのが、楽しみ。また一緒に遊んでね」
『は?』
あ、呆れた声。
うわ、恥ずかしい。何言ってるの私。
一緒に遊んで、ってそれこそ小さい子じゃあるまいし。
いや、本当のことなんだけど。
でも本当恥ずかしくなって、おそらく駿君なみに耳が赤くなってると思う。
「あ、うん、それだけ、じゃあね!」
『あ、ちょ、待て!』
そう言いきってから、通話を終了させた。
なんか、最後に駿君が何か言ってたような気がするが……まあいいか。
また、今度はこっちから電話すればいいし。
用事、あるならいいよね。
かけても、平気だよね。


久しぶりに聞いた駿君の声に、心が晴れやかになった。
1ヶ月以上も先の夏休みに思いをはせ、自然と顔が笑顔になる。
「うーん、楽しみ!」
今日は、ぐっすり眠れそうだった。





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