叶グッジョブ!
日頃ろくでもないことしかしないと思っていたけど、たまにはいいことする!
この恩は1年間は忘れない!



本校舎の2階。校庭側から差し込む日差しが、明かりをつけていない8畳ほどの小さな教室に温かい陽だまりを作っている。
隅にある小さなコンロの傍らに、逆行を浴びて影になっている長身があった。
白い髪が、光を反射し輝いている。
背筋の伸びた綺麗な姿勢で、お茶を入れている。

先日から生徒会手伝いの身分になっている有川だ。


*



あの日の突然の神崎からの勧誘。
当然、有川を含む他の人間は驚いた。
といっても有川はわずかに眉を動かしただけだったが。

それに乗り、強引に話を進めようとする加奈。
にこにこと笑う寺西。
つっこみを入れながらも特に反対はしない吉川。

そんな中、有川はただ「考えておく」とだけ言ってその日はお開きとなった。


次の日「よろしくお願いします」の言葉と共に、有川が生徒会室の扉を開けたとき、加奈は喜びのあまり机の上に乗っていた湯飲みを2つ割った。


*



ああ、幸せ……。
毎日、放課後の度に思う存分想い人を眺められる幸福。
加奈のせっかく整った顔は、ぐだぐだに緩みきっている。

「加奈?」

あー、加奈って呼ばれてるよ。名前呼ばれてるよ。
なんか急に自分の名前が、とても大切なものに思えてくる。
くー!幸せ!

「加奈?」

もう一度呼ばれる。
気がつくと、本人が目の前にいた。
紅茶が入ったカップを差し出している。
しまった!鎖骨に見とれている隙に!

「あ、ありがとう」
慌てて差し出されたカップを手に取った。
そのままぐいっと一気飲み。
「ぷはー!うまい!」
「どうも」
無表情ながら、有川にも嬉しそうな雰囲気が漂っている。
これもまた、幸せなひと時。

有川のお茶はお世辞ではなく、おいしい。
紅茶のみならず、コーヒー、日本茶、中国茶。
これは、彼が生徒会に入って以来皆から重宝されている点だった。
道具だけは、何でも形から入る寺西が面白がって揃えたものが前からあった。
しかし、寺西は大雑把だった。更には飽きっぽい。
一、二回使われたまま、後は放って置かれた。
他のメンバーも、特にこだわりのある人間はいない。
生徒会室の片隅で、茶器は埃をかぶっていた。
それらの役目を再び思い出されたのは、有川が来てから。
彼は、見事な手際で薄汚れていた茶器を復活させ、お茶の味なんて何も分からなかった加奈にさえ、好評を得た。
もっとも加奈は、欲目によって3割増し位には美味しく感じているのかもしれないが。

「お茶ってさ、私どうでもよかったんだよね。味の違いなんかさっぱり分からないし。いや、今もこの葉っぱは何、とかはさっぱり分からないんだけどさ。でも本当はこんなにおいしんだねー」
お代わりをついでもらいながら、加奈は言う。
「ありがとう」
有川はますます嬉しそうだ。

有川は表情があまり動かない。
一見、無愛想に見えるし無感情に見える。
しかし、少し付き合ってみるとそれは違うということがすぐ分かった。
彼は、本当はとても感情が豊かだ。
動くのは眉と目元、それに口の端がほんの少しだけ。
けれど、そのわずかな動きで沢山の感情が伝わってくる。
それに素直で、実直だった。
言われたことは疑わずにすべて受け入れるし、少々のことでは怒らない。
ただ間違ったことには怒るし、叱る。

生徒会に入った時、神崎から「新しく入ったメンバーは芸をしなきゃいけない」と言われ、信じた。
固まったまま3分経過した時点で、寺西が「脱げばいい」と言った。迷い, また2分経過したところで、脱げコールが起こり、シャツのボタンに手をかけた。
吉川がちょうど入ってきて止めなければ、脱いでいただろう。
その後、騙されたことにちょっと腹をたてた。
しかし、神崎が人間性を見たかった、ほんの少しやりすぎたが仲良くなりたかった、とふいた。
信じた。すまなかったと謝った。
逆に慌てて、ふざけていた3人が平謝りした。

そんなところが、加奈には好ましかった。


「本当に響ちゃんは料理上手だよね。同じ主婦仲間として叶尊敬しちゃう。もうこのスコーン最高!」
神崎が背に寄りかかり、不安定に傾いた椅子に座りながらお菓子を食べている。
響は今日、お菓子を作って持ってきた。
わずかに塩味のきいた焼き菓子は、サクサクとして中身はふわふわだ。
つけるのは、それも手作りだというブルーベリージャムと、ゆるくホイップされた生クリーム。甘いものが苦手な加奈も後引くおいしさだった。
「もう一個食べる!慎二と幹がこないうちに食べる!」
加奈が5個目に手を出そうとした時だった。
「もう終わり」
さっと皿をひく有川。
「えー!」
「後は、2人の分」
「いらないって!今食べちゃえば分からないって!平気平気!」
「…ダメだ」
「…えー」
まだ未練がましそうに皿を見つめる加奈に、困ったように眉を下げる有川。
そんな顔をされては、加奈は引き下がるしかない。
「……分かった」
しぶしぶ引き下がる。
「そうそう、あんまり食べると太っちゃうよ。昨日も豚丼特盛ドカ食いしてたでしょ。それにワガママ言ってたら響ちゃんに嫌われちゃうよー」
自分はまだ3個目を食べながらちろりと加奈を見る。

うっ。
加奈自身それは、思っていた。
自分の性格が、贔屓目に見ても男性に好かれるとは思わない。
別にそこらの連中にどう思われようと加奈は一向に構わないが、有川に嫌われるのは、イヤだ。最初はネコをかぶろうと思っていたが、出鼻をくじかれたせいで本性をさらけ出しまくりだ。
おそるおそる有川に目を向ける。

「響ちゃんだってこんなワガママ娘ヤダよねー?」
今度は有川に視線を向ける神崎。
有川は少し首をかしげた後、横にふった。
「いや」
「え?」
「加奈は、今のままでかわいいと思う」

ぐは。
机に突っ伏す加奈。
有川のものいいはダイレクトでストレートだ。

「……響ちゃんも物好きだねー」
呆れたような口調に、色々とつっこみたかった加奈だが、今は何も言えない状態だ。
「加奈は自分に正直で、自分を曲げない。すごいと思う」
「……それはわがままで高飛車ってことかな」
「それに元気で、行動力がある。加奈を見ているのは楽しい」
「すごいプラス思考だね、響ちゃん……」
どこか感心したように言う神崎。
「まあ、長所と短所は紙一重だしねー」
悟ったように言って、神崎は少し冷めかけた紅茶をすする。
しかしいまだ有川の発言を噛み締め中な加奈には関係なかった。

「この短時間で気づくんだー。…妬けるな」
ぼそりと呟いた神崎の言葉は、2人の耳には届かなかった。


*



「そういえば有川は1人暮らしなの?」
ようやく復活した加奈が、ずっと気になっていたことを尋ねる。
帰りにスーパーで買い物していくし、神崎と料理の話で盛り上がったりしている。
どうやら家事をしているのは有川らしい。
かちゃん、と音をたてて有川の持っていたカップが傾く。
机に少し、紅茶がこぼれた。
「有川?」
「…すまん、手が滑った。……1人暮らしだ」
「あ、やっぱそなんだー!」
両手をパン、と胸の前で合わせる。
「家から遠いから?」
ここぞとばかりに身上調査をしようとする加奈。
有川はあまり自分のことを話さない。というかあまり自分から話をしない。
そのかわり、聞かれた事は話す。話すこと自体は嫌いではないらしい。
「そう」
「じゃあ家事は全部有川がやるの?」
首を縦に振る。
「お母さんに仕込まれたの?1人暮らしする前にーとか」
もし家事が好きなお母さんなら大変だ。
お世辞にも家事が得意とは言えない加奈だ。特訓が必要かもしれない。
「いや」
否定する有川。
「母さんは、俺が小学校の頃死んだから」
淡々と述べる。表情は変わらなかった。
「あ、えと」
加奈は予想していなかった返答に、戸惑った。
今まで、自分の周りで死というものを感じたことがない。
父方も母方も祖父母は健在だ。
そして友人でも身近な人間を亡くした人間はいなかった。
「えーと、その、ご病気で…?」
おそるおそる聞いてみる。
なんと言ったらいいのか分からず、つい出てしまった。
「……病気。…そうだな、病気で」
元々体が弱い人だったから、と付け加える。
そしてちょっと眉をしかめて、右側のこめかみを押さえた。
「あ、有川?……大丈夫」
辛そうなその様子に、加奈は聞いたことを後悔した。
しかし、有川は一つ頭をふると、またいつもの無表情に戻る。
「いや、大丈夫だ。ちょっと頭が痛かっただけ」
「そっか、その…えと」
そう言われても、自分の中での気まずさは抜けない。
加奈はますます困惑した。
どう言ったら有川を傷つけなくてすむのか、無神経ではないのか、分からなかった。
少なくとも、傷つけることはしたくなかった。
だからと言って、普段から大雑把に生きている加奈には、いい言葉が浮かばない。
考え込む。頭が痛くなってきた。
いつもは茶々をいれてくる神崎も、今は何も言わない。
「あー、もう!」
加奈は椅子から立ち上がった。
そうして机に頭をぶつけそうな勢いで頭を下げる。
「ごめん!」
「加奈?」
有川は不思議そうな顔をしている。
「私考えなしで、考えるより先に口から言葉が出ちゃうの!更には口より先に手が出ちゃうの!だから、その、何か嫌な思いしたらはっきり言って…。聞かれたくないこととか。私……結構無神経だから…。言われなきゃ、分からないから……」
最初は怒っているような口調だったが、段々と弱くなっていく。
最後の方は、泣きそうな情けない顔をしていた。

最初は呆気にとられていた有川だが、次第に表情がやわらぐ。
そして笑みを浮かべた。
いつもの目元を和らげるだけではない。
あまり見ることのできない、穏やかな、柔らかい笑顔。
「大丈夫。俺は嫌な時はちゃんと言う。嫌な思いなんかしていない」
「…で、でもさ」
「平気。ありがとう、加奈」
笑みがもっと深くなる。
「加奈は、やっぱりかわいい性格だと思う」

その笑顔に、その言葉に、加奈は胸が熱くなった。
心臓が、痛い。思わず加奈は胸を押さえた。
喉から胸にかけて、食べ物を飲み損ねたかのように苦しくなる。
心臓から伝わって、目も熱くなった。涙が出そうになった。

こんな感情は知らなかった。
今まで生きてきて、初めてだった。
有川をいつも想う時、見る時の楽しいドキドキ感とはまた違った熱さ。
温かいのに、哀しいとすら、表現できそうな感情。



「加奈ちゃん、自分が無神経だって知ってたんだ」
知らない感情の動きに戸惑う加奈に、神崎ののんびりとした声が割って入った。
条件反射で憎まれ口を叩く。
「うっさい!私だってたまには反省するのよ!」
それで、さっきの感情はなくなった。
いつも通りの自分に戻る。
正直、安堵した。
少し、怖かった。
「それが続いてくれればねー……」
「あんたも十分無神経よ!」
手元にあったスプーンを投げつける。
頭を少し動かすだけでよけられた。なおかつ受け止められた。
「こらこら、モノは大事にしましょう」
「そうだぞ、加奈」
有川にまで言われて、加奈は黙った。
大人しく座りなおす。

「でもさ、息子さんが1人暮らししたら、お父さん寂しいんじゃない?」
神崎が今までのことがなんでもないようにのんびりと言った。
本当に世間話のようなので、失礼とも感じない。
「いや、家には親戚がいるから。それに父親とは元々あまり話さない」
「へー、そうなんだ。…じゃあ、響ちゃんは?」
机に左肘をつき、頭をのせる。そうしてゆっくりと有川の方を向いた。
「響ちゃんは1人で寂しくないの?」
まっすぐに有川を見つめた。
有川はまた少し、うつむいて右のこめかみを押さえた。
しかし、すぐに前をむく。
「いや、別に。俺のこと、大事に思ってくれる人がいるし」
それに、と有川は続けた。
「それに、友達もいるし」
どことなく、嬉しそうな雰囲気。

加奈は目の前の有川の手を両手で握り締めた。
「うん!友達!私いるから!大丈夫!」
『まだ』友達だけどね。
有川の手は、大きくて温かい。何かしら武道をやっているらしく、豆が出来て硬くなってごつごつしていた。たくましい、手。
加奈の手なんか簡単に隠れてしまうその手を、加奈は逆に包みこんだ。

神崎が横から手をのばして、西日を受けてオレンジになっている白い髪をなでる。
「そだねー。友達友達。仲良くしようね」
軽い口調、いつもの胡散臭い笑顔。
それでも髪を撫でる手は、丁寧で優しかった。

「……ありがとう、加奈。叶ちゃん」

教室内を温かい空気が流れた。
温かく優しかった日差しは、そろそろ暮れはじめている。
明かりをつけなければ暗いほどだったが、3人は気にしなかった。


そこで、がらりを教室の戸が開いた。

「……何やってんの、お前ら」
「きゃー、ふしだらな三角関係!」

呆れた顔をした吉川と、興味津々な寺西がそこにいた。






BACK   TOP   NEXT