「でさ、その猫すんごいデブでめっちゃ不細工でかわいくてさー、触りたくて触りたくて、突っ込んだらそこの家の生垣一部破壊しちゃってさ、もうダッシュで逃げたよ!」
大げさな身振り手振りを加えながら、楽しそうに話す加奈。
目元をなごませたまま、静かにそれを聞いている有川。


実力テストの当日、特別日程でまだ日も高くいつもより早い放課後。
今日、加奈と有川は二人きりで下校していた。


加奈は今日も幸せいっぱいだった。
有川と一緒にいるだけでも楽しいのに、今日は二人きりだ。
実は、二人きりで帰るのは初めてだった。
一緒に下校することは結構あったが、いつもは生徒会メンバーが誰かしらいた。
この前の買出しは結局うやむやになってしまったし。
しかし今日は神崎はバイト、寺西はデート、吉川は追い払った。
一緒にただ歩くだけでも、いつもの通学路は薔薇色に輝く。
心は浮き立ち、トークにも力が入る。
有川は聞き上手なので余計だ。
口数は少ないが、一つ一つの言葉を大事に聞いて、相槌をうってくれる。


あー、二人きりだよ二人きり!
横で笑ってる有川がかわいかっこいい!
たまんないよ!ムラムラするよ!いますぐ押し倒したいよ!
周りからみたらお似合いなカップルに見えるのかな!?


有川を見て、にこにこと笑いながら加奈は心の中でガッツポーズを決める。
しかし、そこではた、と気づいた。

二人きりなのだ。
ある意味デートかもしれない。

顔が一気に赤くなった。
頭に血が上る。
なんだか心臓が急にスピードを上げ、体全体が熱くなってきた。


ふ、二人きり?そうか二人きりなのか!デートなのか!?
ど、どうしよう。
今私変なこと言ってなかったっけ!?あ、変な顔してないかな。
汗くさくないよね、髪は…ちょっとぼさぼさかも。


冷静に考えると、ただの下校で、別に今までと一緒だ。
しかし、ふと考えてしまったデートという言葉に加奈は急速に緊張してくる。
本当に、今更なのだが。

「加奈?」
それまで楽しそうに話していた加奈が、急に黙り込んでしまったので有川が不思議そうに問う。
「は、はいいい!なんでございましょうか!?」
盛大に裏返る声。
そんな反応にも、いつも無表情な有川は、首を少しかしげただけだった。
「どうかしたのか?」
「いえ、なんでもないです!なんでもないから!大丈夫!」
首をぶんぶんと横に振る加奈。黒いつややかな髪がさらさらと揺れる。
「でも…」
「大丈夫だって言ってるでしょう!私はなんともなってないわよ!」
逆切れとも言える強い否定に、有川が一瞬気圧される。
しかし、一瞬目を伏せると遠慮がちに口を開いた。
「でも………足と手が一緒に出ている。歩きにくくないのか?」
「え!?」
無意識に同じ手と足を同時に出していた加奈は、指摘されて気づき慌てて歩行を戻そうとする。
しかし焦っていたため、余計に手足は微妙に動き、足がもつれてしまった。
「う、うわあ!」
歩くスピードははやかったため、勢いよく顔面から地面に倒れそうになる。
とっさに手をだし、顔だけは守ろうとして覚悟を決めた。

が、予想していた衝撃はやってこない。
後ろから、たくましい腕に腰を支えられていた。
力がこめられて筋ばった腕は、こんな時になんだが、美しい。
「……だ、大丈夫か?」
「大丈夫!ありがとう!」
これ以上にないというほど赤くなった加奈は、いつもなら喜んで堪能していただろうその筋肉の感触から急いで飛び出す。
自分でもよく分からない言動だ。
近頃、有川と接するようになって自分でも理解の出来ない感情が、よく分からないところから浮かんでくることが増えた。
有川は少し眉を下げて、心配そうに加奈の顔を覗き込む。
「本当に大丈夫か?顔が赤い。」
「大丈夫です!!すみません!」
首が痛くなるほど勢いよく首をひねり、有川の顔から目をそらした。
さっき有川が触れたあたりが、熱くてしょうがなかった。
このまま死ぬんじゃないだろうかというくらい、動悸が激しかった。
有川はそんな加奈の様子に首をかしげたが、大丈夫と引き攣った笑いを浮かべる加奈に引き下がった。
またいつものように、加奈にあわせたゆったりとしたペースで歩き始める。
そのいつもどおりすぎる背中を見ながら加奈は小さく息をついた。

有川は加奈がいくら触ろうが、抱きつこうが動揺することが少ない。
今のように向こうから触れてきても、この前のように傷口をなめたりしても慌てない。
さすがに面と向かって告白した時は赤面していたが、それでも態度が変わらない。
無表情だから、ではない。
有川は無表情だが、そのわずかな仕草と表情で誰よりも感情を表す。
けれど、加奈との触れ合いでは落ち着いている。
加奈に対して、何を考えているのかよく分からなかった。
加奈はこんなにも全身が心臓になったかのような反応を表すのに。

少し悔しくなって、加奈はその広い背中に多少強めにパンチを入れた。
一見細身に見えるくせに、確かな弾力が拳から伝わる。
それにまた、ドキドキした。
急に殴られた有川が後ろを振り向く。
「加奈?」
「なんでもない!」
少し怒ったように、加奈は駆け足で有川を抜き去った。


*



それからは二人無言で歩いていた。
加奈はさっきの動揺から抜け出せずにいたし、ちょっと腹立たしいのもあった。
有川は元々自分から話す事がほとんどない。
少しばかり気まずい雰囲気が、辺りに漂っていた。
いつもなら茶化すなり、とりなすなりするメンバーも近くにいない。
加奈は少し吉川にここにいてほしかった。
なんだかんだ言って、吉川はフォロー役だ。

なんであいつ、こんな時に限っていないのよ!役立たず!

自分で無理やり追い払ったことも忘れ、吉川に対して悪態をつく。
なので、隣から自分を呼ぶ声がするのに気づくのに、一瞬遅れた。
「加奈?」
「は、はい?」
慌ててそちらを向くと、有川の穏やかな眼をぶつかった。
いつもどおり穏やかで、凪いでいる。
加奈の好きな眼。
しかし今はちょっと眉をよせて困っているようだった。
「なに、有川?」
「その、加奈は…」
「うん、なに?」
いつも自分から口を開くことの少ない有川なので、加奈は多少の驚きをもってその言葉を促す。
有川も、この空気は気まずいと思っていたのかもしれない。
「格闘技は好きか?」
「は?」
「いや、闘うのは好きか?」
まったく予想もしていなかった言葉が返ってきて、加奈は返答に困った。
しかし、有川にふざけた様子もなく、真剣な様子だ。
とりあえず加奈は率直に答える。
「………いや、別にどっちも嫌いじゃないけど」
「そうか」
頷く。
加奈はますます混乱した。
そのまままたしばらく二人無言で歩く。
それから有川が再度口を開く。
「じゃあ、これからこないか?」
「は?」
また訳の分からない言葉。加奈もまたすっとんきょうな声をあげてしまう。
有川は話す時は割りとはきはきと話すけど、たまにこんな時がある。
文節で区切り、意味が通らない。
「道場に」
「えーと?」
混乱したままの加奈は、急いでこの会話の意味をつなげる。
あんまり勉強面では発揮されない頭をフル回転。
とりあえず、有川の発した言葉をつなげることから。

格闘技好き、こないか、道場。

そこでようやく思い当たった。
そういえば有川はどこかで武道のようなものを習っていたはずだ。
週に2、3回はそのため早く帰っていた。

「有川の通っている道場?」
「そう」
こっくりと頷く。
その仕草は長身の男の癖に、やけにかわいく感じた。
加奈はさっきまでの動揺も、小さな苛立ちも忘れ満面の笑顔を浮かべた。
花がほころぶように加奈の清楚な顔立ちが輝く。
「いく!いきます!いかせてください!お願いします!」
有川の腕にしがみつく。
有川の初の誘いだ。
しかも気になっていた有川の道場だ。
有川はその勢いに少し、体を引いたが、今ではそれほどレアでもなくなった穏やかな笑みを浮かべる。
「よかった」
その笑みにメロメロになった加奈が復活するまで、少し時間がかかった。






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