「有川君のことでお話があり、伺いました」


***



突然の来客は、穏やかな笑顔でそう言った。
加奈は瞬間的に本能で悟った。

この女は、敵だ。
ていうか絶対名前を言い違えたのもわざとだ!
有川と自分が親しいと言うアピールだ!

普段はむしろ鈍い方に分類される加奈だが、ことこういうことに限ってはものすごく勘がいい。
思わず自分の左隣方向に座っている少女を初対面にも関わらず睨み付けた。
睨まれた方はその強い視線に気づいたのか、加奈の方にふいに顔を向ける。
目があった。
口角を上げて、一つ笑うと元の位置に顔を戻す。
別に嘲笑とかそう言った類の笑みではない、むしろ優しげな笑いだった。
それでも加奈は確信した。
こいつは本当に敵だと。

生徒会室内が戸惑いにより沈黙が落ちた。
それからしばらくたって、もう一度麻生がお茶を口にする。
その動作に最初に反応したのは神崎だった。
「あー、えっと、響ちゃんのことでお話?」
「ええ、そうです。話を先に進めてもよろしいでしょうか」
優雅な仕草でお茶をまた机に戻す。
流れるような、女らしい一連の動きだった。
「うん、いいけど。響ちゃん、もうちょっとしないとこないよ?」
「それで結構です」
頷く。長いお下げがゆっくりと揺れた。
「ふーん、じゃ、まあどうぞ」
神崎が右肘を机につき、手に頭を預けた。
どこか人を喰ったような態度。それでも麻生は気にする様子はない。
「では、お言葉に甘えて。回りくどいのは面倒なので単刀直入に申し上げます。有川君に生徒会の手伝いをさせるのをやめさせて頂きたくて」
「はあ!?何言ってんの、あんた!」
即座に反応したのは加奈。
思わず椅子から立ち、机に手を突く。
机を大きく揺れ、いくつかの湯飲みからまたお茶がこぼれた。
その反応にも麻生は落ち着いた態度を崩さない。
もう一度同じ言葉を口にした。
「有川君に生徒会の手伝いをするのをやめさせて下さい」
お願いではない。断定口調。
柔らかな口調ではあるが、どちらかと言うと命令に近い。
「なんであんたにそんなこと言われなくちゃいけないのよ!!」
いきなりの発言に頭に血が上って怒鳴りつける。
それを神崎と寺西が肩に手を置いてもう一度椅子に座らせた。
「はい、どーどーどー」
「加奈ちゃんハウス〜!」
吉川はこぼれたお茶を拭いている。
加奈は踏ん張って座らないように抵抗する。
「ちょっと放してよ!なんなのよ、この女いきなり!!」
「あー、もうとりあえず黙ってなさい。加奈ちゃんが入ると話進まなくなるから。幹ちゃんよろしく」
暴れだしそうになる加奈をどうにか座らせて、神崎が一つため息をつく。
寺西は加奈の背後に回り羽交い絞めするように黙らせる。
当然口も手でふさいでおく。
力は加奈のほうが上だが、長身の寺西に押さえつけられると身動きが取れない。
「むー!むー!むー!」
それでも暴れようとする加奈に、寺西がそっと後ろから小さな声で囁いた。
「ちょっと黙ってようね〜。こういう時は会長に任せといた方がいいでしょ〜?」
間延びした、けれど落ち着いた声で言われて、加奈は黙った。
確かに自分が参入していい結果に終わったことは、あまりない。
静かになった加奈にほっと息をついて寺西はそのまま加奈の背後に椅子を持ってきて座った。
もちろん押さえつけたままだ。
「はい〜、お騒がせしました〜。どうぞ〜」
その騒ぎにも動じずにこりと微笑むと、麻生はまた口を開いた。
「有川君は何も言わないでしょうけど、こちらの活動は彼のプライベートな時間にかなり食い込んでいるんです。毎日、それも遅くまで拘束されますし。課外活動も大事ですけれど、生活に支障をきたすとなると、また別問題ですから」
その言葉にまた加奈が沸騰しそうになるが、寺西に我慢〜と耳元で言われてどうにか落ち着く。
神崎はいつもの胡散臭い笑顔を浮かべていた。
「んー、そうは言っても本人にはちゃんと用事があるなら先に帰っていいって言ってるし、生徒会活動をするって言ったのも本人の意思だよ?」
「有川君は優しい性格をしているから。4人も、それも皆さんのように意思のはっきりしている方々に囲まれては、そう嫌ともいえないでしょう?」
穏やかに丁寧な言葉で、薄いオブラートに包まれてはいるが、直訳。
『あんたらが無理やりやらせてるんでしょ』
麻生も笑顔を崩さないが、神崎も笑顔を崩さない。
加奈も色々言いたいことがあったが、この場は従兄弟に任せることに決めた。
胡散臭い笑顔が更に深くなっている。
真剣になってきた証拠だ。
「確かに響ちゃんは優しいけど、同時に意思表示ははっきりしてるでしょ?嫌なら嫌って言うんじゃない?それとも響ちゃんはそれも言えない様な気の弱い子だったっけ?」
「いいえ、有川君は仰るとおりに意思の強い人です。でも本当に優しすぎるんです。自分の生活に支障が出ようと、人のためになるなら我慢してしまうような人。無理してしまいます。そんなところに気づいてくれる人がいなかったら彼にどんどん負担が来てしまう」
直訳。
『あんたらが無理させてんのよ。そんなことも気づかないような奴らのそばに置いておける訳ないでしょ』
「でも、そんなに疲れている様子はないけどなあ。響ちゃん見ての通り、すぐに顔にでるでしょう。楽しそうにしてたけど」
「確かに楽しそうかもしれません。有川君は今までこういう事をしたことなかったし。けれど、昨日はどうなりました?」
その台詞に、全員が押し黙る。
昨日のことは理由は分からないが、確かに生徒会メンバーが原因であることは間違いない。
怒りを押し殺そうと必死で自分の太ももに爪を立てていた加奈が、力を抜いた。
見る見るうちに眉が下がってきて、情けない顔になる。
有川が苦しむのは、本当に嫌だった。
麻生が、押し黙った面々に満足そうににっこりと笑う。
ふちのない眼鏡を軽く押し上げた。
「お分かりいただけたようで、幸いです。そういうことですので、今後生徒会へ出入りさせるのはご遠慮下さい」
そうしてぺこりと優雅な仕草でお辞儀をすると、席を立とうとした。
「待てよ」
そこに声がかかる。
今までずっと黙って話を聞いていた吉川だった。
麻生は突然の声に首をかしげて微笑む。
「何かしら?吉川君」
吉川は不機嫌そうな顔を崩さないまま、麻生をまっすぐに見ている。
麻生はそれを穏やかに受け止める。
「あんたさ、好き勝手言ってるけど、それは有川の意思なわけ?あいつやめること納得してるの?」
予想に反して、麻生は首を横に振る。
「いいえ、まだ有川君にはこのことを話していません」
「じゃあ、なんであんたが勝手に決めるわけ?ていうかあんた一体有川のなんなの?」
それは全員が思っていたこと。
けれどあまりにも唐突な流れすぎて、誰も聞くことを失念していた。
麻生は有川の何なのか。
様子からして、随分親しげなことは分かる。
けれど有川からは何にも聞いていなかった。
有川はこの学校に友達はいないと言っていた。
ならば、麻生は一体何なのか。
麻生はその言葉を受けて、目を細める。
口元を手で覆って、少し笑った。
「まず、有川君の承諾をとっていなかったこと。これに関しては最初に言っても後で言っても大して変わらないからです。有川君は結果に従います。それともう一つ、私は有川君の……」
と、そこで入り口がノックされた。
失礼します、と低く通りのいい声が響き、扉が開く。
白髪の長身の姿がそこにあった。
「……どうかしたのか?」
全員の真剣な表情と微妙な雰囲気を察して首を傾げる。
困ったように視線を彷徨わせて、一番ドアの近くに座っていた少女に目を留めて驚きをあらわにした。
無表情な有川にしては珍しい、大きな表情の動き。
「……ショウ!?」
大きな声をあげて、麻生に近づく。
「ショウ、なんでここに…、て、あ、違う、麻生さん」
焦ったように声を荒げたのも一瞬、慌てて口を押さえて苗字を言い直す。
そんな有川の様子に、麻生は親しげに笑った。
先ほどまでの穏やかだけれど、どこか冷たい印象の笑いではなく本当に優しい、笑み。
「もういいわ、響。いつものように名前で呼んでちょうだい」
「ショウ……」
またにっこりと笑って、傍らに来た有川の腕に触れた。
そうすることが自然だというような、どこか入り込めない雰囲気をかもし出している。
「ショウ…、なんでここに……?」
「ああ」
口を開こうとした麻生に、ついに切れた加奈が立ち上がった。
「有川、その女何!?その女!!」
つかつかと有川に近づき、麻生とは反対の方に立つ。
腰に手を当てて、強い瞳で有川を見つめる。
黒目がちな大きな瞳は、怒りと、嫉妬で輝いていた。
「何……て…?」
有川は困ったように隣に座っている麻生を見る。
その様子がまた親しげで、加奈の頭に血が上る。
「いつも通りに、響」
微笑んで返す麻生に、響はこくりと子供のような仕草で頷いた。
「ショウは、俺の一番大事な人」
真っ直ぐに一点の曇りなく加奈を見つめながら言った言葉に、加奈は頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。
「は?」
「俺の大事な人」
呆けたような声を漏らす加奈に、律儀にもう一度繰り返す。
「は?」
「ショウは、俺の……」
「あー、もういい!!言わなくていい!!!言うな!!!!」
また繰り返そうとする有川の口を大急ぎでふさぐ。
もう一度なんて聞きたくなかった。
怒りやら悔しさやら嫉妬やら、悲しさやら。
色々な感情がないまぜになって、加奈の頭をいっぱいにする。
何かを考える余裕なんて、なかった。
そのまま固まってしまった加奈を、神崎がゆっくりと有川から引き剥がした。
有川は事態がいまだ飲み込めず、首をかしげている。
神崎が優しく加奈を椅子に座らせている間、吉川が口を開いた。
その声には有川に対する時にしては珍しく棘がある。
「なあ、有川」
「……?」
首を傾げて吉川に向き合う。
その様子は大男のくせにどこか小動物めいて見える。
「麻生が、お前に生徒会の手伝いをさせるのをやめろって言いにきたんだけど」
目を見開いて何回か瞬きし、麻生のほうを振り返る。
「ショウ…?」
「ええ、その通りよ。響が生徒会活動を始めてから帰るのが遅くなったでしょう。そのせいで、今までどおりの生活とはいかなくなって、とても不便なの」
「でも……」
「嫌かしら。やめてくれないの?」
穏やかに微笑んだまま、けれどどこか拒めない視線の強さで有川を見つめる。
有川は困ったように、しばらく視線をさまよわせたが、麻生に視線を戻すと頷いた。
「わかった」
そうして生徒会メンバーの方に向きなおす。
その表情は、何もなかった。
いつもどおりの、無表情。
「……迷惑かけて、すみません。今日でやめさせてください」






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