自分勝手でわがまま。 人の気持ちを考えない。 嫌になるほど言われた言葉だ。 当たり前だろ。 俺は俺のやりたいことだけやる。 - 池 -「お前は本当によく泣くな」 廊下の奥のアトリエのドアが開け放たれているのが見えたので足を運んでみると、そこには泣きながら座りこんでいる男がいた。 俺の作品を見ながら、黙って泣いている。 前のように感情的に泣き叫ぶ訳でなく、ただ静かにはらはらと涙を流している。 背も高いいい年した男がよくそんなに泣けるものだと、いっそ感心すらする。 「俺、泣くことなんてなかったんです」 泣いている男は振り向かないまま、ぼんやりと俺の絵を見上げてつぶやくように言った。 俺に話しかけているのか、それとも独り言なのか。 「耕介さんの前でも、一度しか泣いたことなかった。泣いたりなんてしなかった」 「へえ」 俺の前ではボロボロ泣きまくってるけどな。 主に作品を見た時と、セックスの時。 「怒ることも、泣くことも、人をなじることも、なかったんです」 「なんともつまらない人生だな」 まあ、そんな感じだな。 美大なんかに来るぐらいだから感受性がないわけじゃないと思うんだが、それは普段はとても分かりづらい。 開いて見せれば、どろどろでぐちゃぐちゃなものが詰まってるくせに、蓋をして見せないようにしている。 俺の前以外では。 「あんたに会うまで、そんなこと、なかったんです」 なにせファーストコンタクトで鼻水垂らして泣きわめいてたからな。 俺の人生の中でもトップを争う未知の遭遇だった。 「あんたに会ってから、こんなになった」 「そりゃよかった。人生に華が備わったな。俺に感謝しな」 俺の前では怒って泣いて喚いて喧嘩を売って、色取り取りの感情を見せる。 無感動? なんだそりゃ。 こんなに感情的な奴いるか。 「あんたの、せいだ」 「俺のおかげ、だろ」 アトリエに入り込み、座り込んでいる奴の前でしゃがむ。 そしてそのびっちゃびちゃな白い頬を手の甲で拭う。 ぼんやりとしていた目の焦点が、俺に合わせられる。 その大きな黒目には、俺の楽しそうに笑っている顔が映されている。 「今日はなんで泣いてるんだ?」 「泣きたくなんて、ない」 「泣きたいなら泣けよ」 感情を我慢する必要なんて、ない。 子供みたいに泣きわめいて、感情を発露させろ。 それが何より俺を楽しませる。 「やめて、ください」 弱々しい力で俺の手を跳ねのけようとするので、白い顔を両手で挟みこみ、その涙を舌ですくい取る。 次々溢れてくる塩辛い雫を、全て舐めつくすように執拗にキスをする。 「や、だ」 小さく身じろぎして、抵抗するが、弱すぎて話にならない。 その頭を引き寄せて胸に抑えつける。 そしてその流行なんて気にすることのない黒髪をゆっくりと撫でる。 「いい子だな。よしよし」 「いや、だ」 微かに震えている背中をさすり、優しく優しく髪を撫でる。 胸の中にいる男は、力の入らない手で俺の肩を抑え、体を引き離そうとする。 「いや、だ、先輩」 「よっ、と」 骨ばった腰を掴み、米俵のように肩の上に担ぐ。 ヒョロっちいがさすがに上背があるから重い。 二階まで連れて行こうかと思っていたが、階段上るのは骨だな。 「何、するんですか?」 「寒いんだよ。居間に行くぞ」 もう秋も終わりのこの季節、日の差さないアトリエは冷え切っていた。 腕の中で死にかけの小動物みたいにもがいている奴の体は、血が通っていないように冷たかった。 一体どんだけアトリエにいたんだか。 「ほら、着ろ」 ちゃぶ台の前に下ろしてから、ヒーターをつける。 俺は着ていたジャケットを脱いで、震えている男にかける。 されるがままの男は、まだ泣きながらその無表情にどこか非難の色を浮かべる。 「なんで、こんなことにするんですか。どうして、労わるようなこと、するんですか」 「なんだ、不満か?」 「あんた、自分勝手な人じゃないですか。人のことなんて、モノとしか思わないような人じゃないですか」 「そうだな。俺は自分勝手だ。自分がやりたいようにしか動かない」 「そうです、よ。だったら、こういうこと、やめてください。気持ち悪い」 「失礼な奴だな」 しゃくりあげてつっかえつっかえ話すこいつは、生意気なことを言っている癖に嫌に弱々しい。 いつもは涼しい顔してふてぶてしいくせに、普段の攻撃力がまるでない。 でも不快ではない。 俺は今のこのぐだぐだのこいつも、楽しんでいる。 典秀、これはやっぱり恋愛感情なのかもしれないな。 ふてぶてしいこいつも、弱々しく泣いているこいつも、いじり倒してもっと泣かせたくなる。 感情を全部俺の前に引きずり出して、抑えつけて、屈服させたい。 他の誰にも感じることのできない、高揚。 「俺は自分がやりたいようにしかやらない」 そう、俺はいつだって自分の感情に従う。 他の誰にも邪魔させない。 「俺がお前に優しくしたいと思ってる。だから労わって甘やかす。何かおかしいか?」 そう言ってやると、まるで化け物でもあったかのように、恐怖に顔が歪む。 大声で笑いたくなるほど、滑稽な顔。 ゆっくりと頭を何度も何度も横にふる。 「やめて、ください。お願いです、やめてください」 俺が殺人鬼だとでも言うように、じりじりと後ろに下がろうとする。 しかしその腕をつかみ、引き寄せる。 怯える男に、息が触れるくらいに近付いて問う。 「なんでだ?」 「嫌、なんです。俺は、耕介さんだけ、いればいいんです。俺を甘やかす人は、耕介さんだけでいい」 こいつの中に深く刻み込まれているらしいローズグレイ。 そいつをすべて俺の色で塗りつぶして、上から新しい絵を描いてやったらどうなるだろう。 「だから、あんたに優しくなんて、されたくない」 ひくっとみっともなくしゃくりあげて、鼻水をすする。 ぐっちゃぐちゃの、汚ねえツラ。 「ヤるなら、酷くしてください。痛くしてください。俺はダッチワイフです。俺の意志なんて無視してください。俺は道具です。俺はモノです。あんたの奴隷でいいんです。俺はあんたの作品が見れれば、それだけでいいんです。あんたなんてどうでもいい。俺はあんたの意志なんて無視する。だからあんたも俺の意志なんて無視してください」 ああ、本当におもしろいな、こいつは。 ぐずぐずと泣きながら、自分を酷くしろと訴える。 どんだけMなんだよ。 まあ、Mだけど。 「馬鹿か、お前」 「………」 だから鼻で笑ってやる。 ぼんやりと真っ赤な目で見つめ返すこいつを、嘲笑ってやる。 「お前さ、こんだけ俺といて、まだ分かってねえの?ていうかよく知ってたはずだよな。本当にイカれたか?」 「な、に」 ぽかんとした顔で、首を傾げる。 その子供のような無防備な仕草に、今にもむしゃぶりつきたくなるぐらい興奮する。 「俺が、人の言うこと聞くと思ってんの?お願いされたら俺がどうするか、なんてお前が一番よく知ってるだろ?」 そう言ってやると、絶望したように、白い顔が更に白くなる。 唇が何か言いたげに小さく震える。 馬鹿な奴。 酷くされないと、自分の感情が制御できないと泣きながら訴える。 それはどんな愛の告白よりも、下半身が痺れる殺し文句。 「優しく優しく抱いてやるよ。初夜のお姫様より丁寧に取り扱ってやる。お前に痛み一つ感じないくらいに舐め溶かしてやる」 「やだ、先輩。いやだっ」 嫌がる男の薄い体を引き寄せて、壊れもののように優しく抱きしめる。 腕の中でじたばたと小動物のように抵抗を繰り返すから、耳元で甘く囁く。 「落ち着け」 「いやだ!いやだああ!」 「落ち着け、大丈夫だ」 「やめろ!!」 「守」 途端に、俺を押しのけようとしていた手から、力が抜けて行く。 抵抗が止み、腕がだらりと下に下がり、頭が俺の肩に預けられ、生温かい重みを感じる。 「………あんた、最低だ」 「最低なのが、いいんだろ?」 悲痛な声が心地よくて、くすくすと笑ってしまう。 髪を優しくなでながら、耳元にキスをする。 「泣きたいなら泣けばいい。俺が全部舐め取ってやる。泣きやんで眠るまで抱きしめてやる」 体を離し、悔しさと怯えと怒りでぐちゃぐちゃになった顔を覗き込む。 ちゅ、ちゅ、と音を立てながら、顔中にキスを落とし、ゆっくりと畳の上に押し倒す。 俺を見上げる途方にくれた子供のような顔が、楽しくって仕方ない。 目に、耳に、口に、顔を濡らす鼻水混じりの涙を拭いとる。 「かわいい俺の守」 「い、やだ」 「優しく優しく、抱いてやるよ」 宣言通り、蕩けるように優しく抱いてやると、腕の中の男はいやだと繰り返して啜り泣き続けた。 けれど言葉とは裏腹にその腕は痛いぐらいにしがみつき、背に爪を立てて俺を酷く興奮させた。 自分勝手でわがまま。 人の気持ちを考えない。 当たり前だろ。 俺は俺のやりたいことだけやる。 だから、もっともっと泣いて見せろよ。 お前の感情は、全て俺に向けばいい。 |