一度でいいから見てみたいもの。 あいつが泣き叫んで土下座して許しを乞う姿。 - 鳴海 -「お前さ、ここ最近あいつと話した?」 「黒幡君?」 「ああ」 「うん、一週間前ぐらいに小池先生のところで会ったよ」 仕事の打ち合わせに事務所によった峰矢は、我がもの顔で踏ん反り返ってソファを占領していた。 長い足を組んだ偉そうなその姿は、ムカつくぐらいにこの男に似合っていた。 さっきもコーヒーを運びにきた新人の女の子が、顔を赤らめて出て行った。 後で、こいつにあの子には手を出さないように釘を刺さなければいけない。 こいつのせいで辞められるのは二度とごめんだ。 「あいつ、なんか変じゃなかった?」 「いや、特に変わった様子はなかったけど」 「何話してた?」 「何って………、いつも通りお前のことだよ。共通点なんてそれくらいしかないからな」 「俺のことね、どんなこと?」 いつになくしつこい峰矢に、軽い戸惑いを覚える。 我儘で傍若無人で俺様なこいつが、他人のことをここまで気にすることは今までなかった。 まして人からの自分の評価など、仕事以外では一切興味がない。 「どんなって、お前の調子はどうだ、みたいな話をして、うーん、お前の実家が金持ちだってことをこの前初めて知った、って言ってたぐらいかな。後は、お前に特定の恋人が今いないのか、って」 「お前はなんて?」 「俺が知る限りではいない。どうしたの?って聞いたら、特定の恋人出来たら俺のセックスの回数が減るんじゃないかと思ってって。うん、普段通りの彼だね」 「あいつ」 峰矢が苦虫を噛みつぶしたように顔を顰める。 どうも、あの同居人が絡むとこいつの感情の振れ幅が大きくなる気がする。 黒幡君も無感動だが、こいつも基本的に無感動。 というか自分というものを必要以上にしっかり持ちすぎていて揺るがない。 「どうしたんだ?」 それがあの子に関わると、どうも揺るぐことが多い気がする。 いいことか悪いことか分からないが、高校時代からの付き合いで散々煮え湯を飲まされている俺としては、こいつが振り回されるのを見ているのは悪い気分じゃない。 たまには振り回される立場を知って、一つ大人になってほしいものだ。 先輩を先輩とも思っていない後輩は、どっかりとソファに背を預け天井を仰ぐ。 「最近、あいつ変なんだよなあ」 「変?」 あの子が変なのは、今に始まったことじゃないだろう。 基本的には常識を持った控え目ないい子だが、どこかズレている。 まさに割れ鍋に綴じ蓋、峰矢とはぴったりな変人だ。 「ああ、なんかセックス拒否ったり、俺に反抗するようになったり、ぼーっとしてることが多い」 「いや、それは普通のことだよな?ていうかお前黒幡君をなんだと思ってるんだ」 あまりにも人としてどうかと思う発言に、頭痛がする。 セックスの拒否や反抗が変になるって、どういう生活をしているんだこいつらは。 まあこいつが他人に対してひどいなんてことは、こいつと出会った七年前から全く変わっちゃいないんだが。 峰矢が俺の言葉に反省する様子なく、ふてぶてしく肩をすくめる。 「5ヶ月間ずっとされるがままだったんだぜ?今更だろ」 「その5ヶ月間でお前に愛想つかしたんじゃないか?なんかしたのか?」 「心当たりねえな」 そんな訳ないだろう。 どう考えても、これまでの経験から見ても、原因はまず間違いなく98%は峰矢にある。 「本当か?」 「最初にセックス拒まれた時に縛って無理矢理失神するまで犯したくらいかな」 「………おい」 頭痛が増してきて、頭を抑える。 配偶者でも強姦罪に問われることがあるってことを知らないのか、この馬鹿は。 いや、知っていてもこいつが自分のやりたいことを我慢することがある訳ないな。 現に峰矢は全く悪びれずに笑ってすらいる。 「そんなのそれこそ今更じゃねーか。むしろ最初にレイプした時に怒れよ」 「開き直るな。お前それ普通に犯罪だからな。いいか、犯罪だからな。俺は友人が性犯罪で捕まるところは見たくない。そしてうちの店の名前にも傷が付くからやめてくれ」 「ご主人様が奴隷をどう扱おうと自由だろう」 ああ、本当にこのバカ殿様は。 これで確かに実力が伴っているからタチが悪い。 まあ、実力がなければここまで増長はしなかっただろうが。 「頼むから投資した金が回収されるまで、手が後ろに回るようなことはやめてくれ。」 「お勤め帰りの芸術家ってハクがつかないものかね。苦しみの底から這い出した若き才能!みたいなさ」 「性犯罪ではどう頑張ってもイメージアップにならない。せめて痴情のもつれの刃傷沙汰とか、スランプで麻薬に手を出したぐらいにしておいてくれ」 「ははっ」 「………黒幡君が愛想をつかすのも、当然だと思うんだが。むしろよく5か月も持ったよ」 あの子の忍耐力は、悟りを開けるレベルじゃないだろうか。 料理を作っても無駄にされることなんて普通で、しかも作られてないと怒ると言う理不尽。 夜中に叩き起こされて買い出しに行かされたり、用事があっても断らされたり。 本当によく我慢しているもんだ。 「後は、犯した時にあいつの大事な大事な手紙にザーメンぶちまけさせまくったな」 「………」 どこまでも品がない。 あんないい家で育って、それなりの教育を受けているのに、どうしてこんなものが出来あがるのだろう。 こいつの兄と弟は、いかにも育ちがいいおぼっちゃま達なのに。 今度大奥様に聞いてみるか。 「やっぱり、あのローズグレイかよ」 峰矢が忌々しそうにつぶやいて、ため息をつく。 なんのことか分からず、聞き返す。 「ローズグレイ?」 「あいつのタイセツな人からのローズグレイのお手紙」 その言いようには紛れもない不機嫌が滲んでいて、少しだけ楽しくなってしまう。 黒幡君の大切な人。 その人物に不快感を覚えている峰矢。 「誰なんだ?」 「知らね。毎月毎月ご丁寧に一週間に一度ペースで手紙寄こす奴がいて、あいつそれ見ていつもにやにやしてる」 「ああ、それは彼の保護者だろう」 前に黒幡君との会話で出てきた気がする。 ずっとお世話になっている後見人。 自立心を養うために帰ることを制限されていて中々会えないから、手紙がとても楽しみなのだ、と。 珍しくあの無表情な子が顔をほころばせて言っていた。 「そうなの?」 「というか、お前知らないのか」 「知らない」 本当に知らないようで、あっさりと首を横に振る。 手紙の存在に不快感を覚えても、その誰かを突き止めようとはしないらしい。 「………あの子もこの前、お前の実家のこと初めて知ったみたいだしな。お前らは仲がいいんだか悪いんだか」 一緒に暮らしていても、不思議なほどに不干渉。 けれどセックスはするし、お互いにお互いへの執着は持っている。 この関係は、なんと表現したらいいのだろう。 セフレにしては、深すぎる。 恋人にしては、浅すぎる。 「あいつの保護者って?親じゃねーの?」 それでもここにきて、峰矢はようやく黒幡君に興味が出てきたらしい。 ああ、そう言えばこの前はあの子もいつもより峰矢のプライベートについて聞いてきたっけ。 そういうことなのだろうか。 5か月になろうとして、二人の関係に、徐々に変化が表れているのだろうか。 「俺も詳しくは知らないけどな。ご両親は健在だそうだが、彼の学費などを出しているのはその人らしい。耕介さんって言ってたかな。話す時、黒幡君は随分嬉しそうだったよ」 「ふーん」 「小池先生はもっと詳しく知ってるみたいだぞ。先方とやりとりしてるそうだ」 「あのじじい」 その嫌そうな声に、好奇心と悪戯心が生まれてくる。 奔放で残酷で何にも囚われない峰矢。 それが今、何かに囚われようとしているのだろうか。 そうしたら、それはこいつにどういう変化をもたらすのだろう。 その作品に、どう影響が出てくるのだろう。 それはこいつの作品を扱う画商としては少し怖い変化だ。 今の作品に価値を見出している顧客に不満をもたらすような結果になったら、売り物にならない。 けれどそれと同じくらいに期待ももたげてくる。 その才能へ、よりよい変化を、もたらすのではないか。 まあ、なによりも友人としては、こいつが他人に振り回されて泣き叫ぶところを見てみたい気がする。 ああ、むしろ黒幡君に愛想をつかされて地団駄踏んでいるこいつを見たい。 切に見たい。 「それにしても、お前、本当にあの子に惚れてるんだな」 「は?」 ソファから背をあげて、何度も瞬きする。 峰矢の面喰った顔に、心が梳く気がした。 「お前がそんな風に誰かに嫉妬するところを見るのは初めてだ」 誰と寝ようと、誰と付き合おうと、相手の心なんて想いやったところを見たことない。 相手が浮気しようが、特に気にはしない。 体が気に入っているなら体だけの関係は続ける。 気に入ってないなら興味を失くす。 それだけだ。 この鬼畜が嫉妬して不機嫌になるなんて、思いもよらなかった。 この姿を見られただけでも、黒幡君には感謝してもしたりない。 「俺が、あいつに、惚れてる?」 「そうじゃないのか?」 確かめるようにつぶやく峰矢に、からかうように笑う。 さあ、帰ってくるのは罵倒か冷静を装った否定か。 なんにしろ、盛大に全力でからかってやろう。 「………」 峰矢は髪をくしゃくしゃとかき回し、思考に耽るためか黙り込む。 俺はそれを好奇心をもって観察することにする。 黙り込む峰矢の顔からは、何も読み取れない。 一分ほどたってから、峰矢は口を開いた。 「ああ、なるほど。これって惚れてるのか」 「は!?」 「そういや今までセックスの相手が誰とどうしてるなんて気にしたことなかったな。あんまりヤリマンなのは性病怖いから気にしてたけど」 思いもよらない答えが返ってきた。 峰矢は感心したように何度も頷いている。 「女が誰と一緒にいようと、そんなの気にしたことなかったわ。あいつがあの手紙見てるのに、すげーイラついたのって、惚れてたからなのかね」 「………」 「ただ、俺の持ちモノが俺以上に優先するものがあるのがムカついてるだけかと思った。ただのおもちゃへの独占欲と恋、どっちだと思う?」 軽く首を傾げて男臭い容貌を持つ古い友人が、聞いてくる。 その姿には動揺も冷静を装うような気配はない。 ただ純粋に新しい事実を吟味しているようだ。 「………俺に聞かれてもな」 「ま、どっちでもいいか。あいつが俺のモンつーのは変わらねーし」 いいのか、そういう結論でいいのか。 てっきりこのプライドの高い男は、自分が誰かに惚れるはずがないと怒り狂うかと思っていた。 まさか認めるとは、思ってもいなかった。 「惚れてるって、否定しないのか?」 「なんで否定する必要があるんだ?確かにあいつが俺以外に関心を持つのがムカつくし、俺以外を優先させるのは許せない。あいつは俺にだけ執着してればいい。確かにこれは恋愛感情かもな」 「いや、悪い。それは恋愛感情じゃないと思う」 どちらかというと本人の言った通り、モノに対する独占欲に近いかもしれない。 けれど峰矢は新しい発見に機嫌がよくなったらしい。 そういえば、こいつは好奇心がハンパなかったっけか。 「まあ、それなら、もう少しこの感情をつきつめてみるか」 「………あの子に愛想尽かされるのが先っぽいけどな」 俺にはこいつを慌てさせるなんてことは、無理なのだろうか。 せめて黒幡君、さっさとこいつを切り捨てて、こいつが慌てふためく様を見せてくれ、と祈る。 けれど峰矢は俺の言葉にまたソファにどっかりと座りなおして偉そうに笑う。 「あのさ、あいつ結構行動力あるんだよ。割と即断即決、迷わない」 「ああ」 それは確かだろう。 展示ホールに飾られた絵を見て小池先生に突撃、そのまま家に押しかけて、今じゃ峰矢の同居人。 大人しそうな外見に反して、求めるところを知っていて、割と情熱的な子だな、とは思っていた。 「だから、万一この俺に愛想つかすようなことがあったら、さっさと出て行く。迷わないだろうな」 「金がないのかもしれないだろう」 「あいつ今ほとんど生活費使ってない。友達もいる。本気で嫌なら逃げられるんだよ」 まあ、それも、そうかな。 バイトを減らしたけど、生活は楽になったと本人も言っていたか。 それに、それこそ耕介さんとやらに頼めばいいことだ。 「それに無理矢理犯したけど、ヒョロいつってもあいつも男だぜ?本気で逃げるならお互い流血沙汰だろ。本気で嫌なら、あいつなら逃げる」 そこで自分の言葉を疑いもしないように、自信に満ちた笑みを浮かべる。 世界の中心が自分にあると、信じて疑わない支配者の目で笑う。 「だから、あいつは、俺に愛想なんて尽かしてないんだよ。むしろまだ心底惚れてる」 「………お前のその訳の分からない自信はどこからくるんだろうなあ」 「ちゃんと根拠のある自信だからな。悪いな、パーフェクトな男で」 他の奴らが言ったら鼻で笑ってしまうような滑稽な台詞。 しかしこいつが言うと、確かに納得してしまうからまたムカつく。 一矢報いてやりたくて、言ってやる。 「あの子が惚れてるのは、お前の作品だろ」 あの子がただ一途に追い求めるのは、峰矢の作品。 それはもはや狂恋と言えるほどの切ないまでの執着。 それ以外は、峰矢の人格も、その容姿も、どうでもいいらしい。 「アホか」 けれど俺の言葉に峰矢は笑って一蹴する。 人を馬鹿にすることに慣れ切った、傲慢な男。 「俺って存在なくして、俺の作品があり得るか?俺があってこその、俺の作品だ」 それは自分への絶対の信頼。 自分の作品への揺るぎない自信。 「俺の作品は、俺そのものなんだよ」 悔しいが認めよう。 高校時代に出会った峰矢の才能に、惹かれてやまないのは俺も一緒だ。 こいつがどんなに鬼畜な馬鹿であろうとも、それすらも魅力としてしまう才能。 それに惹かれて、結局どんなに振り回されようと7年間も離れられないのだ。 「あいつが愛してやまないこの手は、俺の一部に過ぎないんだよ」 そう言って笑う峰矢は、やっぱりどこまでも峰矢だった。 一度でいいから見てみたいもの。 峰矢が泣き叫んで土下座して許しを乞う姿。 けれどそれをする峰矢は、もう峰矢ではないのだろう。 俺の愛する金を生み出す才能は、峰矢が峰矢であってこそ。 だから俺は全てを諦めただため息をつく。 |