目を開くと、すぐ鼻の先に先輩の顔があった。
すっと通った鼻梁、長い睫、厚めの形のいい唇。
彫刻家が、魂を込めて丹念に彫りあげたような端正な作りの顔。
けれど決して先輩は、彫刻とはなりえない。
この瞼を開けば、そこには彫刻にはあり得ない生命力に満ちた強い目があるのだから。

「ずるいよな」

何もかもを持っている人。
何もかもを手に入れられる人。
全てに恵まれた、神に愛された人。
どんな苦難でも、この人は笑いながら楽しんで片付けてしまうのだろう。
俺が先輩のような環境に生まれていたら、俺もこんな風になれたのだろうか。

「………ないな」

俺がこの人と同じような環境に生まれたとしても、決してこの人にはなれなかっただろう。
逆に例えどこに生まれても、この人はこの人になっていただろう。
そんな仮定はあり得ないって思ってても、そう思ってしまうのだ。
この人はどこにいようと、どういう環境だろうと、この人であるだろう、と。
俺は本当に先輩にべた惚れだ。

我慢が出来なくて先輩の顔に手を伸ばす。
起きないようにそっと、触れるか触れないかのところでパーツをなぞる。
耳、こめかみから伝って眉、鼻、唇、頬、額。
先輩の顔は、綺麗で好きだ。
綺麗なものを見ているのは、大好きだ。

先輩のパーツでどこが好きかと言われれば、それはまず間違いなく手だろう。
作品を生み出すあの手を、俺は何より愛している。
神が与えた奇跡のような手だと思う。
もし本当に切り落としたら、ホルマリン漬けにしてずっと飾っていたい。
むしろそれ自身が、芸術品になるだろう。
それとも剥製の方がいいだろうか。
勿論血が通って自由に動く、今の状態が一番いいのだが。
先輩の肩から繋がって作品を作り上げる今の状態が、一番何より綺麗。
だから先輩はなるべく俺を捨てないでほしい。

先輩の体も好きだ。
昔から色々なスポーツをやっているらしいし、いまだに武道なんかは続けてるらしいし、均整のとれた理想的な体をしている。
ほどよくついた実用的な筋肉に、しなやかな長い手足、それらがバランスよく繋がっている。

性格は、極悪非道で傲岸不遜で自己中心的。
それなのにこの人のこの自由な性格も、魅力的にうつってしまうのだから仕方ない。
むしろ芸術品のような容姿の中身がエグく歪つだからこそ惹かれるのかもしれない。
俺には、それなりに甘くて、優しい訳だし。
優しいのかな。
まあ、他の人達よりは優しくされているだろう。
そう考えると、この利己的な人が、俺にだけ優しいっていうのはかなりの優越感だ。
決して一人占めは出来ないけれど、一番優先出来る立場にいるとは、思う。

「………」

ゆっくりと体を起こすと、ベッドがギシリと煩く音を立てる。
やっぱりセミダブルとはいえ、体の大きな男二人では狭くて窮屈だ。
けれどもう一つのベッドはもう使える状態じゃないから仕方ない。
チェックアウト前に、少し後始末をしておいた方がいいかもしれない

「………っ」

体がミシミシと音を立てるかのように軋む。
ずっと先輩のものが入っていたところに、まだ疼痛が残っている。
久々のセックスに、使ってなかった部分の筋肉やらなんやらが痛む。
甘く甘く蕩かされて、意地悪されて、乱暴にされて、優しくされて、言葉で指で責められて、限界まで我慢させられて、でも柔らかい愛撫に、温かい抱擁なんかももらって。
もうぐちゃぐちゃで、意味が分からず、俺は泣き叫びながら先輩にしがみついた。
最高のセックスだった。
こんな思いが出来るなら、たまには二カ月の禁欲も悪くない。
精液が出なくなるまで、いや出なくなってからも、望み通りに先輩は俺を抱いてくれた。
腹がぱんぱんになるくらいに注いでもらった精液は、出してしまうのがもったないくらいだった。
ドライでも何度もイってしまって、結構よく寝たのに、体は倦怠感に包まれている。

「ん」

でも、まだなんだか物足りなくて、俺は先輩の顔にキスを落とす。
体はもう限界だ。
多分勃っても精液が出ないくらいだろう。
後ろも痛みでひりついているし、これ以上は多分痛みしか感じないかもしれない。
それでも、先輩が欲しい。

「先輩、せんぱい、せんぱい」

何度も何度も顔にキスを落とすと、先輩の瞼がピクリとうごいた。
そして、俺の頭を掴んで抑えると、目を微かに開ける。
部屋の中は薄暗いが眩しいように、眉を顰めて不機嫌そうだ。

「………だから寝込みを襲うな、変態」
「また欲情してきちゃいました」
「今何時だ」

言われてベッドサイドのアラーム付きの時計を見ると、6時前だった。
夜までセックスして、二人でシャワーを浴びて、ルームサービスで夕メシを食べてからくたくたになってすぐに寝てしまったので、睡眠時間は結構とってあるけれど。
時間を告げると先輩は、はっとため息をついてまた目を閉じた。

「まだ寝かせろ。俺はここのところあんまり寝てないんだよ」

制作に個展の準備に、そして今回の俺のこと。
確かに、あまり家にも帰ってこないし、とても忙しかったのだろう。
そう言われると、俺がこれ以上我儘言うことも出来ない。

「………はい」
「あんだけヤって、まだ足りねえのかよ」
「多分、体は満足なんです。体、だるいし、痛いし、今ヤっても気持ちよくなれないかも」

開かれっぱなしだった股関節も、先輩のものを入れ続けたケツの穴も、振り続けた腰も、自分の体を支えていた腕も、どこもかしこもが軋んで痛む。
きっと精液も空っぽで、セックスをする余力なんてないだろう。

「でもなんか、物足りないんです」

それでもまだ、先輩が欲しい。
足りない、もっと欲しい。
先輩をもっともっともっと感じたい。

「わ」

先輩は目を開けて俺の体を引き寄せると、覆いかぶさった俺にキスをする。
ちゅ、ちゅ、と官能を引き起こさないような軽いキスを繰り返し、その後、自分の胸に抱き寄せた。
宥めるように背中や頭を撫でられ、何度も何度もキスをくれる。

「せ、んぱい」

くすぐったくて、むずがゆくて、目を閉じて、笑ってしまう。
それでも先輩が、キスを繰り返して、体を撫でているうちに、俺も眠くなってきてしまった。
目を閉じて、先輩の胸に顔を埋める。
大きく息を吸うと、先輩の匂いが胸いっぱいに広がった。
欲情する匂い。
けれど、落ち着いて眠くなるような匂い。

「寝ろ」
「………はい」

先輩にもっとすり寄って、大きく息をするとうとうとと眠くなってくる。
しばらくして先輩の規則正しい呼吸が聞こえてきた。
それを聞いているうちに、どんどん意識が掠れて行く。

ああ、でも、やっぱりもっと先輩を感じたいな。
先輩をもっともっと食らい尽くしたい、奪い尽くしたい。
先輩を頭からバリバリと噛み砕いて飲み込んでしまえればいいのに。

俺は、先輩を一人占めしたいのだろうか。
ちょっと考えてみる。
けれど別にやっぱり、先輩がどんな女と寝ようと構わない。
あまり放っておかれるのは辛いが、家を空けようと問題ない。
俺を捨てないのならば。
俺の元へ、帰ってきてくれるのならば。

でも、これ以上どうやったら先輩を食らいつくせるのだろう。
セックスは、快感で気が狂いそうなほどにしてもらえる。
その手も、その作品も、俺のものだ。
そして先輩の心も、人間の中では、今は間違いなく俺に向けられている。
これ以上、俺は何を望むのだろう。

「………あ」

そうだ、先輩をヤってみたいな。
今まで思いもしなかったけれど、唐突に思いついたそれはとてもいい考えの気がした。
先輩を抱くなんてありえないと思ったが、全然いけそうだ。
先輩の中は、どんな感触なのだろう。
女性のものとは、違うのだろうか。
知りたい。
先輩の中を全部暴きたい。
それに痛みと快感で啜り泣くところは、見てみたい気がするかもしれない。
余すところなく、その表情を見ていたい。
そうだ、先輩に、頼んでみよう。

「せんぱ………」

いつか、処女をくださいね。
頼んだ声は、多分言葉にならず、俺は睡魔に負けて目を閉じた。



***




二日ぶりに家に着いて、家の中に入ると、心からほっとした。
耕介さんの家に帰った時もほっとする。
けれど、それと同じぐらい、この家に入った瞬間に、帰ってきた、と感じた。

長いドライブで、体は疲れていた。
運転していた先輩はもっと疲れているだろうけど。

耕介さんの家に着いたら、耕介さんは本当に本当に怒っていて、珍しく俺に対しても厳しい態度だった。
それも当然のことだから、俺はただひたすらごめんなさいと言い続けてなんで言わなかったかを説明して、それもまた怒られた。

『私は君に、そこまで信頼されてないのかい』

そして、哀しまれた。
それが何より胸が痛くて、本当に自分の馬鹿さ加減を思い知って、俺はずっと耕介さんに謝り続けた。
もうしない、何かあったら絶対に相談するともう一度約束されられて、ようやく許された。
そんな風に怒られるのすら、実は嬉しくしかたなかったのだけれど。
耕介さんに心配されるのが、嬉しくて仕方なかった。
そしてまた自分の恩知らずっぷりと、あんな奴らに靡こうとした愚かさが恥ずかしくなって消えたくなった。

そして最後には頭を撫でて許してくれた耕介さんの代わりに、新堂さんには思いっきりゲンコツを食らった。
実は俺が電話をした時はすでに先輩は連絡をしていたらしく、俺の出方を探っていたらしい。
それなのに俺が何も言わなかったことを、実は静かに怒っていたようだ。

『お前は俺の仕事を信用してないのか』

ゲンコツくらった上に、思い切りほっぺたをつねりあげられて怒られた。
耕介さんは俺に甘すぎる、たまには怒れとも言っていた。
先輩は勿論、ただ黙ってそれを眺めていた。
まあ、全部全部俺が悪いから、言い訳のしようもないんだけど。

夜になったら千代さんが作ったおつまみと一緒に皆で飲んで、耕介さんが俺と酒が飲めるのが嬉しいと言ってくれた。
俺も、晩酌する耕介さんと新堂さんがずっとうらやましかったので、仲間に入れたのが本当に嬉しかった。
でもなぜか、次の日に酒は控えるようにと叱られた。
記憶はなかったけど、俺何をしたんだろう。
また飲みたいんだけど、次は許してくれないかもしれない。
耕介さんは何も言ってくれないし、新堂さんもにやにやするだけで教えてくれなかった。

先輩と耕介さんと新堂さんと、途中で帰っちゃったけど千代さん。
大事な人達に囲まれる、とてもとても楽しい時間だった

それで、やっぱり、思い知った。
俺の大事な人は先輩と、耕介さん。
そして新堂さんや千代さんや、松戸や大川や工藤や鷹矢と言った、俺に優しい友人達。
俺も優しくしたいと思う人達。
大事にするのは、それで十分なのだ。
俺を奴隷として扱う人達と、なんで仲良くしなければいけないのか、今となって考えれば馬鹿馬鹿しい。

あんな人達も、あんな家ももういらない。
俺が帰る場所は、耕介さんの家。
そして、もう一つ。

「先輩、お帰りなさい」

俺の後から入ってきた先輩に、声をかける。
先輩は軽く笑って、帰宅の挨拶を返してくれる。

「ただいま」
「お帰りなさい。ただいま、先輩」
「お帰り」

そして迎える挨拶をくれる先輩。
俺はらしくなくスキップをするような足取りで家の中に入り、振り向いて先輩に手を差し伸べる。
いつか、先輩がこの家に俺を迎えてくれた時のように。

「ここが、先輩の帰る場所、ですよね」
「当たり前だろ。この家が誰のもんだと思ってるんだよ」
「先輩のもの、です」

先輩が俺の手に手を置いて、靴を脱ぎ散らかして家に入る。
しっかりと握られた手は、力強く温かい。
そう、ここは先輩のもの。
先輩が帰る場所。

「それで、俺の帰る場所、です」

ここは、俺と先輩が、帰る場所。
けれど先輩は鼻を鳴らして、皮肉げに笑う。

「違う」
「え?」

ほんのつかのま不安になるが、すぐに繋いだ手を引き寄せられて堅い胸に抱き寄せられる。
温かく強い先輩の腕、大好きな愛しい手を感じて、体が熱くなる。

「お前が帰る場所は、俺のいるところ、だ」

その言葉に涙が、出そうになる。
家族に捨てられ、自らも切り捨て、身一つになった俺だけど、帰る場所は二つもある。
耕介さんも待っていてくれる。
そして、俺には、もう一つ帰る場所がある。

「………くさいセリフですね」
「惚れ直しただろ?」

俺は笑い、伸びあがって先輩にキスをする。
先輩が、俺の頬に手を添える。

「これ以上惚れたら、先輩を殺しかねません。ほどほどにしてください」
「そん時はお前も殺して心中してやるよ」
「それも素敵ですね」

そう。
俺の帰る場所は、この手と、そしてその持ち主が、いるところ。







ご感想、誤字指摘。ポチだけでも。
こちらのメッセージには返信はしないです。



BACK   TOP