綺麗な俺の宝物。 完璧なシンメトリー、二つ揃って宝物。 けれどいつしか色を変え、一つで輝く宝達。 もしも一つを選ぶなら、俺はどちらを捨てるだろう。 「省吾」 そう俺を呼ぶのは、お前じゃない。 お前はそんな、甘えるように媚を含んだ声で俺を呼ばない。 「どうしたの、省吾。緑の顔に何がついてる?」 甘えるような、高い声。 そっくりな双子。 小さい頃からそっくりで、成長しても二卵性とは思えないほど酷似した顔。 けれど緑は女で、睦月は男。 細く柔らかい体に、甘い澄んだ声を持つ緑。 細いけれどしなやかな体で、男にしては高いけれどやはり掠れて低い声の睦月。 「省吾?」 だから、無理矢理作った高い声で俺を呼ばれると、全身をかきむしりたいほどの違和感。 似ているけれど、確かに違う二人。 もう、別々の人間だった二人。 それなのに、目の前で緑の服を着て、化粧をして、笑うその姿は確かに緑で。 違和感と同時の、ぞっとするほどの既視感。 その仕草も、その笑い方も、その呼び方も。 「み、どり……?」 違う、そんなはずはない。 俺は分かってるはずだ。 目の前で笑う人間が、緑なはずないのは、俺がよく分かっているはずだ。 それなのに。 「うん。緑は省吾に会いに来たの」 大輪の花のように鮮やかに笑って細い腕を俺に巻きつけるのは、絶対にあいつじゃない。 あいつはいつも控えめに、姉の後ろにいた。 それでも俺が話しかけると、とても嬉しそうに密やかに笑った。 大輪の花のように艶やかな姉と違って、ひっそりとけれど清廉な印象なあいつ。 「違う、緑じゃない、違うだろう」 「何を言ってるの、変な省吾」 「違う、睦月。やめてくれ、へんな冗談はやめてくれ」 「省吾?どうしたの省吾?本当に何を言ってるの?」 幼子のようにあどけなく話すのは、睦月ではなく緑。 ではこの俺に抱きついて、話しているのは? 睦月だ。 簡単なことだ。 緑はもういない。 なら、これは睦月だ。 何を俺は混乱しているんだ。 分かりきった真実だ 緑はもういない。 緑は、俺が。 「む、つき……」 「……省吾?」 「やめてくれ、頼む…。睦月」 睦月は心から心配そうに俺の顔を下から覗き込む。 その距離にも違和感を持った。 そうだ、背も緑より睦月のほうが高い。 喉仏もある。 よく見ても少女と見えてしまう華奢な体は、それでも確かな骨格を持っている。 でも睦月はまるで俺のほうが狂人とでも言いたげに少し恐怖を滲ませて俺を見上げる。 とても心配そうに。 「省吾、睦月は死んだでしょう?」 目の前の緑の格好をした睦月の言った言葉が、俺には認識できなかった。 3つ年下の従姉弟達に出会ったのは、もうずっと昔のこと。 綺麗な綺麗な双子だった。 初めて会った時のことは、今でも覚えている。 活発だった緑は女の子のくせに睦月とおそろいのズボンをはいていて、二人とも髪が少し長かった。 女とも男とも分からない中性的な印象で、神秘的なんて言葉が似合う双子。 並んでいるとまるで一対のお人形のようで、一目で心奪われた。 小学生にも上がっていなかった二人は、格好の遊び相手と思ったのか、よく俺に懐いてくれた。 争って俺を取り合う緑と睦月。 一人っ子だった俺は兄貴風を吹かせられるのが嬉しくて、綺麗な双子に好かれるのは優越感をくすぐられた。 大事な俺の宝物。 可愛くて大切で、愛おしかった。 勝気でわがままで、けれど無邪気で華やかで周りの空気すら明るくする緑。 暗いとさえ言えるぐらい大人しくて、けれど優しく一緒にいると穏やかになれる睦月。 花を見て、欲しいという緑。 花を見て、俺にあげたいという睦月。 鳥を見て、かわいいので触りたいという緑。 鳥を見て、どこにいくのかを思いを馳せる睦月。 海を見て、この果てにいきたいという緑。 海を見て、怖いと怯える睦月。 そっくりなくせに、中身は面白いほど正反対で、俺はそのギャップにさえ惹かれた。 俺は双子に夢中だった。 家族も彼女も友人も二の次になるぐらい、俺の中の一番は双子だった。 それが、いつからだろう。 いつからだっただろう。 徐々に完璧だった調和に、不協和音が聞こえ始めたのは。 それをはっきりと意識したのは、あの緑の言葉。 確か双子が中学生に上がったぐらいだっただろうか。 「もう、睦月に構わないで!あんな気持ち悪い子、緑は嫌い。省吾には緑だけいればいいでしょ。省吾は緑だけ見ていればいいの!省吾は緑のもの!」 我儘な緑が俺を独り占めにしようとするのは、珍しいことではない。 小さい頃から睦月を出し抜いては、俺と二人になろうとした。 「どうしたんだ、緑?あんまり弟をないがしろにするな」 かわいい緑の我儘はなんだって聞いてやりたくなるが、俺にとっては睦月も宝物だった。 けれど幼くとも美しい顔を怒りに染めて、緑は俺に訴える。 「あんな子いらない!いつだってウジウジして鬱陶しくて、緑の邪魔ばかりする」 俺は言葉を失った。 そうだ、あの頃、双子の中の亀裂が、表面化し始めていた。 その時、俺はもしかしたら初めて認識したのかもしれない。 双子が別々の人格を持つ、違う人間だということを。 勿論そっくりだけれど全く別々の二人。 両親すら時折間違えていた二人をいつでも区別できるのは俺だけだった。 緑は緑。 睦月は睦月。 それは、誰よりも知っていた。 でも、俺の中で緑と睦月は二人で一つだった。 別々だけれど、一緒。 一組で完璧なもの。 一対のお人形。 「省吾は緑だけを見ていてくれなきゃいや!省吾は緑のものなんだから!」 けれどそんなはずはなく、人形は意志を持って俺に訴える。 俺は混乱していた。 睦月を切り捨てようとする緑。 「み、どり……」 「ね、省吾は緑が一番でしょう?緑が好きでしょう?」 怒りに頬を赤く染める緑は生き生きとして美しくて。 いつも物静かな睦月とは、まるで違う。 緑と睦月を、分けて考える。 双子は、1人の人間。 では俺は。 双子が双子でなくなるなら、俺はどうしたらいい。 それが、最初の違和感だった。 徐々に徐々に違いははっきりと現れ、双子はまるで別々に過ごすようになった。 外で活発に友人と遊ぶ緑に、家の中で静かに本を読む睦月。 二人の両親はよく二人が逆だったらよかったと嘆いていた。 二人の父親である叔父に顔を見せに来た時、庭で草木に水をやる睦月を久々に見た。 残暑の落ちる前の真っ赤な夕日の中で、睦月は空気に溶け込みそうに見えた。 痩せっぽちで、少女のように頼りない華奢な体。 細さでは同じくらいだろうに、生命力を感じる緑と違って、睦月は儚く感じる。 「……省吾兄さん」 俺に気付いたのか、ホースの水を止めてこちらを振り向いた。 白いシャツに包まれたその体は、庇護欲を誘われる。 「あ、久しぶりだな、睦月」 俺はただじっと見惚れていたのが気付かれるのが恥ずかしくて、早口で誤魔化した。 睦月は控えめにひっそりと笑う。 「そうだな。久しぶり」 「どうしたんだ。最近俺のところこないな」 「あ……」 そう言うと、申し訳なさそうに睦月はうつむく。 最近、睦月は俺を遠ざけるようになっていた。 昔はよく緑と一緒に、一緒じゃなくても一人でよく遊びに来ていた。 勉強を教えたり、本を貸したり、ビデオを見たり、俺の話を嬉しそうに聞いていた睦月。 しかし、最近では緑しか見ていない。 「あ、その……」 「友達と遊ぶので忙しいのか。俺なんて忘れちまった?」 「ちが!そんな訳ない!」 俺が悲しそうに言うと、睦月は急いで頭を振って、必死でそれを否定する。 その焦りっぷりが可愛くて、俺は堪えきれず噴出してしまった。 「あ…」 それでからかわれたと気付いたのか、睦月は悔しそうに唇を噛む。 膨れた様子が昔から変わらなくて、更に笑ってしまう。 「ごめんごめん、怒るなよ」 「怒ってないよ、別に」 「ごめんってば。でも、前みたいにいつでも来いよ?」 「…うん」 頬に触れると、うつむいてはにかむ。 これが、睦月の最大限の喜びの表現。 元々大人しい奴だったけれど、成長するにつれ姉の影に隠れ、ますます内に篭もるようになった。 ただ目立たないように、ひっそりと穏やかに過ごすようになった。 シャツから伸びた腕が、透けそうなほど白い。 今にも消えてしまいそうで、俺は思わず引き止めるため、その腕を掴みそうになる。 「むつ……」 「省吾!」 その時、後ろから高く可愛らしい声が聞こえ、何かが背中に思い切りぶつかった。 細く華奢で柔らかい手が、後ろから俺の胸に回される。 「えへへ、だーれだ!」 「っだっ!こら、緑!倒れるじゃねーか!」 「やっぱり省吾は緑がすぐに分かるのね!」 「こんなことする奴はお前しかいないだろ!つーかだーれだになってないじゃねーか」 腕を引きずりはがして、後ろに引っ付いてる奴と向かい合う。 すると満面の笑みを浮かべ、緑は今度は前から抱きついてくる。 苦笑してそれを受け止め、柔らかい髪を撫でた。 「わーい省吾だ省吾だ、ね、緑に会いにきてくれたの?緑と遊びにきたの?」 「ぶぶー、はずれ。親父のお使い」 「えー、なーんだ。そこは嘘でも緑に会いに来たって言うのが男でしょ」 「どーこでそんな生意気な言葉遣い覚えてくる!」 「いたい!」 生意気にいっちょまえの口を利く勝気な少女のほっぺたをひねってやる。 かわいい従妹は頬を膨らませて抗議した。 「とりあえず中に入ってよ、省吾。あ、新しい服買ったのよ、見て。すごいかわいいの!」 「はいはい、かしこまりました」 腕を引っ張られ、面倒くさい振りをしながらも顔は緩む。 かわいい双子は、いつまでたってもかわいらしい。 「ほら、睦月も来いよ」 振り返ってもう一人の宝物を呼ぶ。 すると、従弟は1歩離れた場所でつったったまま戸惑った顔をしていた。 居場所がない、迷子のような表情。 俺がもう一度名前を呼ぼうとすると。 「なんだ、睦月いたの?」 それはギクリとするほど冷たい声だった。 一瞬、俺の腕に絡み付いてる少女が出した声だとは、気付かなかった。 可愛らしく、俺に甘える少女の声とは違う。 冷たくどこか意地悪さを含んだ、女の声だ。 「本当に鈍くさいんだから。省吾に近寄らないでって言ったでしょ。さっさとどっか行きなさいよ」 「おいこら、緑!」 「だって、省吾だって迷惑でしょ。あんなウジウジした子に付きまとわれて」 それは、自分の正義を疑ってもいない自信に満ちた表情。 我儘で勝気で、子供のような無邪気さを持ったままの緑。 小さい頃から睦月を邪険にしていたが、あまりにもこれはひどすぎる。 「……何言ってるんだ、緑」 「ほら、省吾早くいこ!睦月なんて放っておいて!」 「おい、緑!」 「何よ!」 癇癪をおこしたように、声を上げる。 俺は小さい頃のように、腰を屈めて視線をあわせ、言い聞かせるようにゆっくりと話す。 「俺は、睦月が傍にいることが迷惑だなんて思っていない」 「…………」 「睦月もお前もかわいいと思っている。二人とも大事だ。だからそんなこと言わないでくれ」 緑は自分の思い通りにならないと収まらないような子だったが、それでも俺の言うことは良く聞いた。 だから、こんな風にちゃんと話せば聞いてくれると思っていた。 けれど、緑は睦月を睨みつけながら、なおも声をあげる。 「そんなこと言うのは、省吾が知らないからよ。省吾だって、知ったら睦月なんて大嫌いになるわ」 「何が…」 「あのね、省吾、睦月はね…」 「やめてくれ!やめて、緑!やめてくれ!」 何かを言いかけた緑を遮ったのは、他でもない睦月だった。 今にも泣きそうな顔で、必死に緑の言葉を止めようとする。 緑はそれを一瞥して、冷たく言い放った。 「あんたが約束を破るからいけないのよ」 「おい、緑!」 「いいから!兄さん、いいから、俺のことは放っておいてくれ…頼むから…」 「……睦月」 「ほら、そう言ってるんだから早くいこう省吾!お父さん達も待ってるよ」 それでも俺は睦月の手を取ろうとした。 けれど、睦月はゆるく首を振って俯いた。 泣いているのかと思った。 けれど、涙は流れていなかった。 ただ、その顔は真っ白で、途方にくれたような顔をしていた。 「睦月、入るぞ」 返事は無い。 もう一度声をかけると、入るなとだけ答えがあった。 その声はかすれていて、声の主がどんな状態なのか想像がついてしまう。 だから俺は気にせず、ドアを開けた。 鍵はかかっていなかった。 「睦月」 部屋は明かりがついてなくて、真っ暗だった。 レースのカーテンだけ引かれた窓から、月明かりだけが部屋を照らしている。 窓辺のベッドが膨らんでいて、部屋の主がそこにいるのだと分かった。 小さくため息をついて、ベッドに腰掛けると布団がびくりと震えたのが分かった。 「睦月?」 「……触るな」 くぐもった声が布団の中から聞こえてきた。 いつもそうだ、睦月は一人で悩みを抱え込み、一人で泣く。 だから俺は、睦月が一人で泣かないように見つけ出すのが役目だった。 「なあに、生意気なこと言ってやがる、このガキンチョは」 無理矢理布団を引き剥がす。 小さな抵抗はあったが、所詮睦月の力が俺に敵う訳がない。 守る砦をなくし、白く小さな顔が顕になる。 緑にそっくりな大きな目は、濡れていた。 びしょびしょに濡れた頬を、そっと拭う。 小さい頃から、泣いている姿を人に見せようとしなかった睦月の、俺だけが知る姿。 「どうしたんだ?お前ら、ケンカでもしてるのか?」 「違う…そんなじゃない。ただ、俺が、俺が悪いんだ。俺が変なだけで、緑は何も悪くない」 「………何があったんだ、睦月」 睦月は顔を背けると、体を丸めて俺の視線から逃れる。 俺を拒絶する仕草は初めてで、焦ってその体を引き寄せようとする。 しかししっかりと布団を握って、睦月はこちらを向こうとしなかった。 「睦月」 「兄さんには関係ない!放っておけよ!俺はガキじゃない!兄さんにずっと守られてなきゃいけないわけじゃない!」 それは、自分で思っていたよりもずっとショックだった。 いつかは、二人とも俺から離れていくだろうとは思っていた。 けれど、こんな唐突で訳の分からない拒絶。 ずっと俺の後を追いかけていた睦月。 思わず睦月をひっぱたいてしまいそうになる。 誰にそんな口をきいている、となじりたくなる。 そんな凶暴な衝動を深呼吸してどうにか収める。 睦月はどこかおかしい。 でも今問い詰めても、どうにもなる訳でもないだろう。 俺も頭に血が上っている。 時間を置こう。 「そうか…分かった」 そう言ってベッドから離れようとしたその時。 「……くっ」 くぐもった、嗚咽が聞こえた。 だから、俺はその場から離れられなくなる。 たとえ罵られても、拒絶されても、やはり俺はこの従姉弟たちには逆らえない。 もう一度ベッドに座りこみ、まだまだ細い体を抱き寄せる。 睦月は今度は抵抗せずに、俺の腕の中に納まった。 幼い頃以来、久々に睦月を抱きしめた。 緑の柔らかい体と違って、細いけれどしっかりとした骨格としなやかな体。 「こら、お前はまたすぐ泣く。男だろ」 「くっ、う、ごめんっ、兄さん。ごめん、なさい」 けれど俺の肩に顔を埋めてなくその首は白く細くて、不思議な気分になってくる。 震える、細く小さな体。 生命力に溢れた緑と違う、儚さの勝る睦月。 「睦月」 ただひたすら謝罪を繰り返す睦月が哀れで愛おしくて、俺はその体を折れるほど抱きしめた。 一瞬驚いたように身を硬くしたが、その腕をおずおずと俺の首に絡めてくる。 温かい、昔とかわらない遠慮がちな仕草。 愛おしい頼りない存在。 長いような短いような時間、睦月は俺の腕の中でただ泣いていた。 しばらくして顔を上げると、真っ赤に腫らした目でまっすぐに俺を見る。 そしてその赤い唇から、想像もしていなかったことを言った。 「兄さん、ありがとう。今まで、ありがとう」 でも、と月明かりを受けてますます白い睦月は続ける。 「でも、俺にはもう構わなくていいから」 その目はもう、揺れていなかった。 |