部屋に入ると、ベッドの上に座っていた柳瀬が俺の姿を見て眉を少しだけ上げた。
しかし、ルームメイトは特に動揺を見せずに、再度本に視線を戻した。

「おい!お前、この俺の姿を見て何か言うことはないのか!」

俺の姿は散々だった。
いつも整えている短い髪は土にまみれてボサボサ。
シャツはボタンが引きちぎられていて、肌を隠す役割を果たしていない。
肌蹴ている胸には、痣のような鬱血の痕がいくつも残っていた。
しかし外傷は殆どない。
怪我しない程度に、手加減されていたようだ。
つまり、手加減できるだけの力の差があるってことだ。
考えれば考えるほど、苛立ちと敗北感が募る。

誰にも眼につかないようにこそこそと帰ってきたが、誰かに見られたら間違いなく驚かれ人を呼ばれただろう。
それが嫌でこそこそと帰ってきたこともまた屈辱だった。
この俺が。
この俺がまるで犯罪者か何かのように。
人目を気にして歩くなんて!

俺の訴えに、柳瀬は面倒くさそうに再度視線をあげた。
感情のこもらない棒読みで、気遣いの言葉を告げてみせる。

「大丈夫か?」
「だい、じょうぶ、じゃねえ!」
「返り討ちにあったのか」

自分でふった話題のくせに、そのものずばりと言われ言葉を失う。
認めたくない。
認めたくないが、間違いなく完璧な敗北だった。
生れてはじめての、敗北。
それは例えようもないぐらいの、恥辱だった。

「なんだ、あいつ………」
「桜川か、なんか乱闘騒ぎで親からここに送られたらしいな。10人ぐらい病院送りにしたとか」
「は!?」

読書に戻るのを諦めたのか、パタンと音をたて柳瀬は本を閉じる。
そして何気なく思いがけないことを告げた。
俺の動揺も気にせず、いつもどおりの無表情で柳瀬は先を続ける。

「あいつの家、古武道なんかもやってる家系らしい。その中でも100年に1人とか言われる才能の持ち主だそうだ」
「お前知ってたのかよ!?」
「ああ、だから気をつけろって言っただろ」

こいつが薄情だってことは重々承知だったが、今度の今度はさすがに頭に血が昇る。
最初に聞いていれば、もっと違う対応だってあったはずだ。
道理でなんか珍しく気遣うような態度を見せると思えば。

「もっと詳しく言えよ!」
「言ったらやめたのか、お前」
「……いや」
「そもそも、信じたのか?」
「…………いや」

頼りなげで華奢な、儚い少女のような少年。
くすくすと控え目に消え入るように笑う、美貌の持ち主。
庇護欲を掻き立てる、かわいらしいお姫様。
最初から柳瀬の話を聞いていても、俺はきっと与太話と決め付けただろう。
俺の返事に、ベッドの上に長い足を投げ出した柳瀬は肩をすくめる。

「なら無駄だろ」

本当に憎らしいほど動揺が見えない。
確かに無駄だっただろう。
俺も認める。
認めざるを得ない。
柳瀬の言うことは割といつでも正しい。
けれど、納得できない。
納得できるわけがない。
というかぶっちゃけ、こんな目にあったのを誰かのせいにしたい。

「………つってもよお」
「犯されたのか?」
「…………」

淡々として質問に、俺は思わず口を閉ざした。
あまりに自然な問いに、咄嗟に嘘をつくこともできなかった。
俺の無言の肯定に柳瀬は小さく口角を上げた。

「ま、人の痛みを知るいい機会だったな」

確かに、今まで俺がやってきたことだ。
力で押さえつけて、支配し、蹂躙する。
相手が泣いても叫んでも、好きなようにした。
最後は楽しんでんだから一緒だろ、なんて言っていた。

ああ、思い知った。
それがどんな最低なことかは思い知った。
けれど、認められない。
それは俺がヤるからいいのであって、俺がヤられるのは間違っている。
自分勝手だろうがなんだろうかどうだっていい。
分かってるけど納得なんてできるものか。
俺はいつだって自分の思うままに振舞ってきた。
誰かに支配されるなんて、そんなの俺の立場ではない。
何が間違ってると言われたら、とにかく自然の摂理とかに反してる。
俺は弱肉強食で言えば、頂点の肉食獣のはずだ。
それなのに、あんな草食の小動物みたいなのにやられるはずがない。
だからこの事態は間違っている。

怒りに黙り込んだ俺に、柳瀬は読書に戻ろうとする。
その態度がとんでもなく憎らしくて、一瞬殴りかかろうとするがやめておいた。
今はダメージが大きすぎるし、1日に2度連続やられる気はない。
そこで思い出す、俺に勝てるかもしれない唯一だった人間を。

「柳瀬、お前が今度行けよ!」
「なぜ」

柳瀬は再度読書を邪魔されて、鬱陶しそうに髪をかき上げる。
しかし俺がそんなことを気にするはずがない。

「友達だろ」
「誰が」
「俺とお前が」
「………まあ、そう言うことにしておいてもいいが、興味がない」
「根性なしが!」
「お前プライドはどこへ行った」

心底呆れたように、柳瀬は切れ長の眼を眇める。
一瞬、言葉に詰まる。
まあ、確かに、今まで柳瀬に頼るなんてことはしたことがない。
ていうかそんなの自分で許せなかった。
家の金も権力も利用したりするが、あくまで利用だ。
頼る、願うなんて冗談じゃない。
俺は誰かに頼るなんて弱い奴じゃない。

しかし、すぐにそんなプライドも吹っ飛んだ。
そんなこと気にしてられるか。
弱かろうがへたれだろうがなんでもいい。
俺は、あのガキがごめんなさいと地面に這いつくばればそれでいい。

「プライドなんて知るか!今日で粉砕されたわ!そんなもん!」
「ガキか」
「ガキでいい!俺のバージンを取り戻してこい!」
「なくなったものはもう無理だろ」
「なくなったとか言うな!とにかく取り戻して来いったら来い!」
「お前、子供返りしてるぞ」
「子供でもいい!あいつをぎゃふんと言わせろ!」
「ぎゃふんって、お前。俺になんのメリットがある」
「俺が感謝する!」
「ま、自力で頑張れ」

あっさりとそう言って、今度こそ柳瀬は読書を再開した。
もう一度呼んでも、すでに顔をあげる様子もなかった。
こうなったら柳瀬の気をひくのはもう無理だろう。
金も権力も、柳瀬を動かせない。
こいつは自分の興味でしか動かない。
今のところ、こいつの興味を惹くものが思い浮かばなかった。
つまりは助力は頼めないということだ。

「くっそおおおおおお、今に見てろよ!」

叫んで柳瀬の向かいのベッドに倒れこむと、体のあらゆる所が痛んだ。
どこが痛いともいえないほど全身が痛むが、特に痛むのは、ベルトで動きを封じられていた手首。
必死で解こうとしたせいで、赤く擦り切れている。
そして、考えたくもない、場所。
俺が使おうとして持っていたジェルとゴムを使われたせいで切れたり、中が後始末が必要な事態になってたりはしない。

ていうか、桜川はうまかった。
慣れていた。
あんな何も知らない天使のような顔して、その手管は洗練されていた。
慎ましい処女のような仕草で、どこを触るのも舐めるのも躊躇いはない。
世間を穢れに一切触れてないような清廉さで、放送禁止用語全開だ。
認めよう、痛くて屈辱だったが、気持ちよかった。
ヤられたのは初めてだったが、俺は何度もイった。

『ほら、秋庭?中がひくひくしてる。ピンクで超やらしい。ジェルでぐちゃぐちゃで女の●●●みたいに音立ててるぜ。聞こえるか?指三本はいっちまってる』
『俺のち●●銜えこんで放さないぜ。すげえ、もうイきそう』
『お前、本当にはじめて?感じまくってるじゃん』
『あ、あ、いいぜ。本当にいい、気持ちいいな、お前の中。最高な●●●●●だな』
『かわいいな、秋庭。いいぜ、いい、オンナだな』

高く澄んだ鈴のような声が、頭の中で巡る。
熱さと痛みと恥辱と一方的に与えられる快楽に、声をこらえるのに必死だった。
俺はただ揺さぶられるまま、自分の手首を噛みついていた。
体の中から直接与えられる乱暴な快感に、目の前が白くはじけて息をするので精一杯だった。
改めて見ると、ベルトで擦り切れたすぐ上にくっきりと歯型が残っている。

『ほら、秋庭噛むなよ。傷になるだろ、声だせよ。お前の声、聞きたい』

ベルトで戒められた腕をとられその上に傷を口づけられた。
傷を見て、その柔らかな唇の感触がまざまざと蘇る。

『あ、あぁっ、さくら、がわ』
『そうだ、いい子、だな』

不意に腕がとられたせいで、思わず出てしまった自分の甘えた鼻を抜けるような声まで、蘇ってしまう。
耐えきれなくなった。

「うわああああああああああ」

とんでもない醜態を思い出し、頭を抱えて叫んだ。
自分の記憶をかき消してしまうように、必死で思考をそらそうとする。
あんなのは間違いだ。
何かの間違いだ。
絶対に間違いだ。
あれは俺じゃない。
俺とは別の人間だ。

「うっがあああああ!」
「うるさい」

もう一度叫んだ俺に、柳瀬は手近にあったハードカバーを投げつける。
それが見事に後頭部に直撃し、俺は枕に沈み込んだ。
いっそこのまま、消えてしまいたかった。





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