眼鏡の男に取りすがっていた桜川の肩をつかむ。
怯えているだろう小動物をどうやって苛めようかと、暗い欲望に浸りながら。
しかし、振り向いたその整った顔に浮かぶ表情は、予想外のものだった。

「……て、めえ、やってくれんじゃねえかよ。よくも秀一を」
「お、なんか汚い言葉遣いだね」

儚げな笑顔を浮かべていた、かわいらしい少女めいた桜川。
しかし今目の前にいる男は、誰だ。
そう男だ。
少女めいた少年ではない。
男だ。
怒りを目に浮かべ、俺を睨みつけるその顔は間違いなく桜川なのに、纏う雰囲気は全く違うものだった。
全くの別人といっていいほどの、変貌。

「いい加減うんざりだ。どいつもこいつもサカリやがって、なんだこの変態学校」
「………本当に汚いな」

くすくすと笑っていた儚げな少年は、口汚く俺に向って罵ってみせる。
俺の手を振り払うと、倒れこんでいる眼鏡を庇うように立ちはだかる。
俺よりもずっと小さいその体。
なのに、その体に威圧感を感じて、俺は一歩後ずさった。
そんな自分が許せなくて、突然の変貌に驚いたからだと言い聞かせた。

「お前に言葉づかいをとやかく言われる筋合いはねーんだよ。黙れカス」
「いくらかわいくても、あんまりかわいくないこと言ってると、乱暴しちゃうよ、瑞樹ちゃん」
「うるせーな、このヘンタイ野郎。秀一が暴れるなって言うから大人しくしてたけど、そろそろ限界だわ」

さすがに笑って見過ごせないぐらい、敵意を向けてくる。
俺は笑っていなそうとするが、内心自分でも分かるぐらい動揺していた。
守ってやりたくなるような、華奢で儚い綺麗な少年。
それが、桜川だ。
けれど今、俺の前で殺意ににた感情をぶつけてくるこの男は。

「来いよ、望みどおり遊んでやるぜクズ」

驚き動揺していたが、さすがにそこまで言われて黙ってはいられない。
俺は俺を敵視する人間を優しく許すほど、優しくない。
例えそれが桜川であろうが、誰でだろうが。
敵対する人間は許さない。
俺は殊更嫌みに笑う。

「何、今度は瑞樹ちゃんが相手してくれるの?」
「秀一、もういいだろ。ここで暴れたってどうにもならねーよ。こんなクズ野郎。ていうかやるぞ」
「うわ、かわいいー。はいはい、おいでー。お相手してあげまちゅよー」

先ほどの眼鏡にしたのと同じように挑発してみせる。
頭に血が上った人間はいつもどおりの動きができなくなる。
それが俺には分かっていた。
自分自身も怒りに浸っていたが、頭は冷静にさせている。
怒りで自分を見失うなんて、三流だ。

「そりゃ、どうも」

高く澄んだ声を低く響かせ、桜川は無表情になった。
俺は冷静だった。
そう、冷静だった。
冷静にいつもどおり、桜川の動きを見ていた。
なのに、俺は踏み込んでくる桜川を直前まで捕えられなかった。

「え!?」

すんでのところで、腕でガードし顎をかばう。
桜川はその少女のような顔に笑みすら浮かべ、躊躇いなく顎を狙っていた。
防がれ、一度身を引く。
踏み込みもリリースも、眼鏡なんかより全然早い。
それに、今ガードした腕がジンジンと響く。
重い。

「へえ、防いだが。結構やるな。お前がこの学校で一番強いのか?」
「み、ずきちゃんも中々やるね。そうだね、俺はこの学校で負けたことないね」
「そうか、ならお前を叩けば他も黙るな」

にやりと、すでに先日の面影をすっかり失い、残忍さすら浮かべて笑った。
生意気な言葉に、苛立ちと怒りが頂点に達する。
今は確かに油断していたが、こんな女みてーなガキに調子に乗らせる気はない。

「言ってくれるな、このチビが。やる気出てきたぜ。あんまりその綺麗な顔を傷つけたくなかったんだけどな」
「お気づかいどうも、お返しに、そのにやけヅラを整形してやるよ」
「本当にかわいいな。お前も手足はずしてマワしてやるよ。肉便所になりな、かわいこちゃん」

今度は俺から仕掛ける。
桜川は確かに小柄で動きは早いが、その分衝撃に対する耐久性はないだろう。
一発入れれば動けなくなるはずだ。
右を顔にいれるモーションをいれ、避けようとするところに、膝を鳩尾に入れる。
一瞬で計算し自分の思う通りに動く手足を、そのとおりにする。
けれど避ける様子を見せずに、桜川は踏み込んでくる。
顔を狙った右手はあっさり手ではたかれ力をそらされ、膝には足蹴りを喰らう。

「く」
「遅いな」
「っつう」

片足を上げた不安定な状態で、少しよろめく。
その隙を見逃さず、桜川は更にに踏み込んできた。
懐まで入り込むと、俺を見上げて口の端を持ち上げる。

「弱いな、デカブツ」
「えっ」

そのまま掌底で顎を狙われた。
仰け反ってかわそうとするが、空いた左手で右手を掴まれ引き寄せられる。
逃げることができず、そのまま桜川の体の割に大きな掌が顎に綺麗に入る。
衝撃が走り、脳が揺れる感覚。
ぐらぐらと、景色が歪む。
足がもつれて、不様に倒れこんだ。
頭がかき回されるように揺れ、吐き気がこみ上げる。

「く……」
「腕を、はずしてやるよ」

未だ揺れる脳を制御できず倒れこむ俺の耳に、桜川の楽しげな声が響く。
焦点の合わない眼でその姿を探そうとするうちに、とられたままだった腕がひねられる。

「う、っつうう」
「お、叫ばないのか。健気だな」

右手を外され、激痛が背筋を駆け抜ける。
歯を食いしばって叫ぶのだけは必死にこらえた。
目が、回る。

「瑞樹………」
「下がってろ、秀一。腕は大丈夫か?」
「ああ、もうはめた。でも………」

激痛は収まらないものの、眩暈は徐々に治まってくる。
それでも地面に這いつくばったまま、俺を見下ろしている2人の男の話を聞くともなしに聞く。

「うるさい。俺はこいつを許す気はない。お前に手を出したんだ」
「………だが、瑞樹……」
「弱いやつは下がってろ。俺に手を出させた以上、口を出すな」
「………すまない」
「別にいい。親父の言いつけだ。俺は怒ってない」

眼鏡の男が、桜川を守っているのだと思っていた。
実際みんなそう思っていただろう。
お姫様を守るナイト。
ボディーガード。
何が護衛だ、お姫様の方が馬鹿強いじゃねえか。

眼鏡は、叱られた犬のようにしゅんと肩を落とす。
頼りなく無邪気な桜川。
そんなお姫様をリードして守っていた騎士。
分かりやすい構図。

けれど、その主従関係は全くのまやかし。
全く騙された。

焦点が戻ってきた視線の先には、絶対的な主の威厳で、犬を押さえつける暴君。

「すまない、瑞樹」
「分かったって。ほら、教室へ行け。適当に俺の分言い訳しておいてくれ」
「………お前は」
「俺はこいつで遊んでく」
「瑞樹………」
「いいだろ、これくらい。俺はこんなところ送られてストレスたまってんだ。こいつで遊ぶくらい誰も何もいわねーよ」
「だが、そいつは秋庭の」

俺の苗字が眼鏡の口から出る。
確かコトを構えるには面倒な家だ。
その名前に桜川は少し黙り込むが、未だ這いつくばったままの俺の耳に囁く。
俺の背を踏みにじったまま、笑い混じりで。

「親に言いつけるのか、秋庭ちゃん?男に負けましたー。女みたいな男に負けましたー。助けておとうさーんって」

怒りで頭が熱くなる。
いつでも冷静でいるよう努めていたが、そんなもの簡単に吹っ飛んでしまう。
肩の激痛も気にせず、俺は吐き捨てる。

「誰が、言うか……っ」
「お、プライドぐらいはあるんだな。よしよし」

馬鹿にしたように頭を撫でられる。
これまでの人生で、一度も経験したことのない屈辱に腹の中が熱くなって煮えたぎる。
自由にならない体に、自分自身にすら怒りを感じる。
俺はいつだって他人を踏みつけにする側だった。
こんな、人の下にいるなんて、ありえない。
何かの間違いだとしか、思えなかった。
俺を踏んでいる桜川は、相変わらずの柔らかい高く澄んだ声で自分の犬にと話している。

「大丈夫だって秀一、こいつは何もいわねーよ」
「瑞樹、しかし、それでは………」
「うるせー、さっさと行け。俺の言うことが聞けないのか」
「………分かった」

所詮犬は飼い主に逆らえないのか、不満を見え隠れさせながらも頷いた。
このクソ犬。
お前がいるから桜川の本性に気付けなかった。
全部お前のせいだ。

「だが、あんまり無理はするな」
「分かってる。俺もそこまで大事ににする気はないって」
「では、行く」
「ああ。ちゃんと手当しとけよ」

眼鏡が消えてしばらくして、チャイムが鳴り響いた。
人の気配は全くしない。
もともと人気のない裏庭に、いるのは俺と桜川の二人だけだ。
桜川は俺の背中に座り込み動きを封じると、後ろから耳元に囁いてきた。

「さて、秋庭ちゃん。何して遊ぼうか」
「くっ、SMプレイ、だろうが、なんだろうが、好きにしろよ」
「かっわいいねえ。強がっちゃって」

くすくすとかわいらしく笑う。
その笑う表情は見えないが、想像はつく。
あの少女のように儚い、かわいらしい微笑みを浮かべているんだろう。
脳裏に蘇る鮮やかな記憶は、こんな状況なのに怒りも屈辱も消し去ってしまいそうになる。
何もかもが許せてしまえそうな、無邪気な笑顔。
それは、本性を隠すための擬態でしかないと思い知っている最中なのに。

「じゃあ、縄で縛ってろうそくでも垂らす?」
「いい、ね、燃えるぜ」
「まあ、そもそもお前は俺にそういうことしようとしてたんだっけかな」

たとえ踏みにじられて桜川の圧倒的優位を思い知らされても、屈する気はない。
桜川であろうと、誰であろうと。
すがるのも許しを乞うのもごめんだ。
ふん、と鼻をならして桜川は軽く俺の後頭部をこづく。

「ったく、しょうがねーな。全寮制男子校つーのも。女いねえし、分からなくもないけどな」
「女、に、してやるぜ、お前も、たまるって、る、だろ?」
「まあな、こんなところ置かれてヤる女見つけてる暇もねーし、サカってるバカどもが襲ってくるし、秀一に止められて暴れられねーし、いい加減ストレスたまってるんだよな」

桜川はため息をついて立ち上がると、俺を蹴りあげらて仰向けにする。
それから動きを封じるように外されてない方の手を踏みにじられた。
痛みに小さく呻いてしまう自分が許せなかった。
負け惜しみだと分かっていても、笑って見上げてみせる。

「かわい、がって、やるぜ、かわい、子ちゃん」
「こんな状況でもこんなこと言えるなんて、結構頑丈だな、弱いけど」
「く、はっ」

先ほど眼鏡にやったように、脇腹を蹴りつけられる。
俺は小さく咳きこんだ。
その面白そうに見ていた桜川が腰をかがめて俺の顎をつかむ。

「ふーん、お前結構綺麗な顔してんだな。おっとこくせえけど」
「な、に……?」
「男には興味なかったけど、郷に入っては郷に従え、だな」
「なん、だよ………」

顎をつかんだまま左右に向けられる。
桜川は品定めするようにじっとしばらく見ると、にやりと笑った。
それから俺のワイシャツを力任せに左右に引っ張る。
上部のボタンがいくつか飛び散った。

「なっ」
「苦しげな表情が結構そそるぜ?俺のオンナにしてやるよ、先輩」
「ちょ、まっ」
「お、顔色変わったな。大丈夫。俺は優しいし、お前も気持ちよくしてやるよ」

とんでもない言葉に、俺は初めて背筋に寒気が走った。
外されてだらりとしていた腕をとると、痛みにうめく俺を気にせず乱暴にはめられる。

「腕、はめてやるよ。その後に俺のアレもはめてやるから」
「ぐううう!」
「いい声だな。たっぷり鳴いてくれよ?」

痛みを押し殺して立ち上がろうとすると、弄ぶように蹴りあげて再度転がされる。
そしてシュルと音をたてて抜かれた自分のベルトが腕を巻きつけられた。

「さて、遊びましょうか、秋庭ちゃん?」

そのおもちゃを手にした子供のような無邪気な言葉に、俺は久々の感情に襲われた。
それはきっと、恐怖というものだった。





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