「お、あれはお前の彼氏じゃん」 その言葉に顔を上げると、霧口が見ている校庭には、歩いている桜川とその犬がいた。 体操服で跳ねまわっている桜川は、相変わらずどんな美少女よりも愛らしい。 その姿を見て、訳もなくイライラとしてくる。 あの日からずっと燻っている意味の分からない感情が、蘇ってくる。 「そういえば、お前最近桜川といなくね?」 そう言ったのは、同じように見下ろしていた園田だった。 俺は黙って、その腹に蹴りをいれる。 「いってーな!なんだよ!」 「うるせえ、俺の前であいつの話をするな」 名前を聞くだけでも、イラつく。 あの生意気なクソガキ。 園田は腹を押さえながら、更に果敢に聞いてくる。 本当に空気よめねえな、こいつは。 「なんだよ、別れたの?」 「そもそも付き合ってねえ」 そうだ、付き合ってなんかない。 ただのセフレだ。 いや、合意の上でもねえ、俺が強姦されてただけだ。 そうだ、そもそも俺がネコなんてありえねえんだよ。 ただのケンカの延長。 暴力だ。 付き合ってなんかない。 「なんか、機嫌わるいねえ。あの日?」 「さあな」 話をふられた柳瀬は、本から目を離さず適当に答えた。 特に俺の様子に興味もないようだ。 身も蓋もない返事に鼻白みながら、園田は再度校庭に視線を移した。 「なーんだ。秋庭がキレたなら俺がいこうかな」 「…………穴だらけにされてもいいならいけよ」 こんな小汚い奴ら、あいつが相手にするとも思わないが。 いや、あいつ綺麗系に興味ないっていってたからこういう方がいいのか? あんだけ節操のない奴だ、園田でもいいって言いだすんじゃねえのか。 ………園田を殺っておくか。 俺の不穏な感情にも気付かず、今度は一番端にいた武井が大きくため息をついた。 「そうだよなあ、あのかわいさで強いんだよなあ。秋庭がオンナにされるぐらいだもんな」 「つぶされたいのか、武井?」 「ストップストップ、悪かった」 慌てて武井は両手をパタパタとふって俺から離れた。 この腰ぬけ。 憂さ晴らしに一発ぐらい殴られておけ。 俺が桜川にヤられたことは、もう知れ渡っている。 けれど馬鹿にする奴らはみんな黙らせたから、今ではそれを理由にからかう奴もいない。 俺が弱い訳ではないのだ。 あいつが反則なだけだ。 そうだ、あいつの存在があらゆる意味で規格外なだけだ。 「まあ、無理だよなあ、秋葉と桃内らが行って駄目だったんだろ?」 「…………」 霧口も残念そうに零す。 集団で行っても、桜川には手も足もでなかった。 俺も見たくもないが、つられて校庭に再度視線をおとす。 授業が始まる前なのに、桜川はバスケットボールをもって楽しそうに駆け回っている。 周りのクラスメイトもそれに巻き込まれ、すでに試合が始まってしまった。 輝くような笑顔は、思わず見とれてしまうほどにかわいい。 くそ、ツラだけは本当に一級品だ。 あ、あの野郎、何触ってんだよ。 カットすんのにそんなところ触る必要ねえだろ。 桜川も何黙って触らせてんだよ、あの馬鹿。 「俺ら、あのナイト君にもかなわねえしな」 そういえば、霧口はあの犬に叩きのめされていた。 あいつレベルに負けるようじゃ全然だ、話にならねえ。 俺は馬鹿にして嘲笑う。 「あの馬鹿犬に敵わないなら全然駄目だな」 「だよなああ。ああ、もったいねえ!!」 霧口は頭を抱えて窓のさんに突っ伏した。 武井も園田も同じように情けなく顔を歪めて桜川をじっと見ている。 「だよなあ、あんま他に目ぼしい奴いないし」 「桜川見た後だとなあ」 ぶちぶちと霧口達がいじましくそんなことを話している。 下らねえ奴ら。 見てるこっちがむなしくなる。 欲しいなら、何があっても奪い取るぐらいの気概もねえ。 相手するのも馬鹿馬鹿しい。 馬鹿どもを見て、俺は大きなため息をつく。 その時、ふと柳瀬が本から顔をあげた。 「そういえば、桜川のお付きも結構綺麗な顔をしてるよな」 霧口達は一旦愚痴を止める。 柳瀬は俺に向って、世間話のように問う。 「あいつって、桜川より弱いんだっけ?」 「ぜんっぜん弱い」 「そうか」 ただそれだけ言って、再度柳瀬は口を閉ざした。 またいつものように本に目を落とす。 反して霧口達は興味をそそられたように校庭にもう一度目を落とす。 「………へえ」 声を上げたのは、武井。 嫌らしい笑みを浮かべて、観察するように犬に目を落とす。 まあ、確かに犬は、別に悪いナリはしていない。 眼鏡の下の切れ長の目と通った鼻筋は、神経質そうだが繊細だ。 ぴんと背筋を伸ばした若武者のような清涼さは、汚したくなる衝動に駆られる。 桜川の隣に並ぶと背が高く体つきはしっかりしているが、まだ少年の線の細さを残している。 レベルが違いすぎる逸材が隣にさえいなければ、もっと話題に上がっていたかもしれない。 俺は全く興味がないが。 というかあいつの存在にムカついてしょうがないが。 顔を見るだけで叩きのめしたくなる。 あの犬がいなければどんだけすっきりすることか。 けれど、霧口達は獲物を見つけたハイエナのように生き生きとし始めた。 まあ、あの犬ぐらいなら集団でいけばなんとかなるだろ。 ヤられちまえ、クソ馬鹿犬。 役立たずのくせにいつでも桜川の後ろを付いて回りやがって。 目障りなんだよ。 こいつらも、その後、桜川にどんな目に合わせられるのかとか考えねえんだろうけどな。 命だけは助かるように祈っててやるよ。 俺はそんな怖いことできねえよ。 と、考えて気づく。 怖いだ? いつのまに、こんなに桜川に飼いならされてんだよ、俺。 くっそ、俺も参加して輪姦してやろうか。 いや、別に触りたくもねえな、あの犬に。 ああ、ムカつく桜川もあの犬も。 「結構いいかもな」 「まあな。もっと人数集める?」 薄汚い相談をし始めた武井たちを放って、隣で涼しい顔で本を読んでいる柳瀬に視線を落とす。 ほとんど表情を動かさない鉄仮面からは、感情は窺い知れない。 それにしても、こいつがこんなことを言うのは珍しい。 基本付き合いは悪いが、興味が向けば顔は出す。 悪事を止めたりはしないし、たまに助言をしたりもする。 この無愛想でぞんざいな態度で煙たがられないのは、こいつが動けば必ずその計画は成功するっていうのがある。 それに見かけによらず勉強ができるせいで、利用価値がある。 利用するのは少々高くはあるが。 だが、自分から何かをすることは少ない。 柳瀬は流動的だ。 能動的に、人に働きかけることはしない。 進んで人に関わったり、手を出したりすることはない。 その代り、一度動き出したら誰にも止められないが。 そのこいつが、人について、何か言うのが珍しい。 じっと見つめていると、柳瀬が顔をあげて首を傾げる。 「どうした?」 「いや、なんでも」 まあ、確かに周りに興味のない奴だが、たまに気まぐれを起こす。 そんなもんだろう。 俺は特にそれ以上突っ込まずに、かぶりをふった。 会話はそれで終了した。 それなのに珍しく、柳瀬はちょっと口の端を歪めて、からかうように問うてきた。 「桜川のこと、放っておいていいのか?」 「ほっとけ!」 「時が経つにつれて、不利なのはお前だぞ」 「うるせえ、黙ってろ」 何があったかは、柳瀬にはすべて愚痴ってある。 特にこいつは周りに言いふらすことがないから、壁代りに最適だ。 でも、それに口出されるのはムカつく。 こいつは壁代りにだた聞いてればいいんだ。 「じゃあ黙るが、桜川には代わりなんていくらでもいるだろうな」 「…………っ」 だから俺は桜川なんてなんも興味がなくて、ただのケンカの延長で、負けっぱなしが癪に障るから相手してやっていただけで、もう飽きたから相手しないだけだ。 それだけだ。 それを口にしようとしたが、柳瀬はもう本に目を落としていた。 「………くそっ」 俺はいつまでもすっきりしない感情のままに、小さく毒づいた。 俺は、あいつのことなんてなんも思ってないんだ。 飽きたんだ。 ただそれだけだ。 そうだ、なんとも思ってない。 あいつが俺をなんとも思ってないのと同じように。 |