あいつが寮に行くときに通る昇降口の前で、仕方がないから待っててやった。 俺を待ってるっていうなら、仕方がない。 めちゃめちゃ面倒くさいし、ムカつくけど、年長者として、少しは歩み寄ってやるべきだろう。 あいつはガキだから、仕方ない。 「お」 15分ほど待ったところで、相変わらずしみ一つない白い肌を持った美少女以上に美少女な男が、現れる。 俺を見て、その細く形のいい右眉を吊り上げた。 「………よう」 俺は少しだけ言葉に迷って、そして当たり障りなく手をあげた。 桜川は俺を見て、大きな目をぱちぱちと瞬かせる。 風でも起こりそうなほど、その睫は長い。 「どうしたんだ?」 「………勝負だよ」 そうだ。 それ以外、俺たちの間には何もない。 こいつに勝つまで、勝負は続くのだ。 桜川はかわいらしく小首を傾げて不思議そうに問う。 くそ、なんでこんなに本当にかわいいんだよ。 「最近、俺を避けてただろ?」 「避けてなんかねーよ」 そう、避けてなんかない。 ただ、そう、あれだ。 ちょっとだけこいつに付き合うのが飽きたけど、また遊んでやってもいいかなぐらいに思っただけだ。 「そうなのか?人の顔見て見事に180度回転してたけど」 「よ、用事を思い出したんだよ!」 「逃げようとして階段10段ぐらい踏み外して足ひねったのも?」 「なんで見てんだよ、お前!」 壁に隠れたから、絶対見てないと思ってたのに。 こいつはどこまで嫌な奴なんだよ。 「てっきりもう俺にヤられるのが嫌なのかと思ったのに」 「そんなもん最初から嫌に決まってんだろうが!」 何を今更言ってんだ。 誰が好きこのんでケツなんか差し出すか。 俺はタチなんだよ。 バリバリのタチ。 ヤられるなんて冗談じゃない。 こいつみたいなかわいい男がヤられるのが世界の摂理って奴だろうが。 「そういやそんなこと言ってな」 「忘れんな!俺はヤられる気はないんだよ!ヤるんだよ!」 「へえ、じゃあ、勝負再開?」 「あったりまえだろ!」 襟首を掴まんばかりに詰め寄って、その顔に怒鳴りつける。 かわいらしく俺を見上げて、桜川は悪戯ぽく笑う。 「よかった。お前がこないと退屈でしょうがなかったんだ」 「………」 「秋庭?」 なんだ、この動悸息切れは。 あれだ、あれだよ、怒り。 こいつのこの余裕の態度に、怒りのあまり震えてるんだ。 そうだ、それだ。 くそ、本当にこいつはどこまでもムカつく奴だ。 でも仕方ない、負けたまま終わるのも嫌だし、何よりこいつが俺を待っているっていうなら仕方ない。 「いいか!お前をヤるまで俺は諦めねーぞ!いつか見てろ!」 指を突き付けて宣言すると、桜川はやっぱり邪気なんて持たないかのように清らかに笑う。 その愛らしい口から出る言葉は、汚いものばかりなのだけれど。 「そういう台詞吐く奴に限って三下なんだよな」 「三下とか言うな!」 くすくすと、少女めいて小さくかわいらしく笑う。 その笑顔に、何度でも見とれてしまいそうで頭をふって残像を振り払う。 本当にどこまでも、外見だけはいい奴だ。 中身はこんなに極悪非道の俺様殿様瑞樹様なのに。 「それじゃ、これからも勝負は続くんですか?」 「ったりめーだろ!勝ち逃げなんてさせるか!お前なんてすぐにコテンパンにしてやる!」 「コテンパンって懐かしい響きだな」 「うるせえ!」 腰を落として構えると、桜川も足を軽く開いて自然体を取った。 ただ立っているだけなのに、みるみる場を圧倒する威圧感に、唾を飲む。 小さくかわいらしい桜川が、肉食の獣に感じる瞬間。 「それじゃ、早く来てよ、先輩。俺我慢できない」 「上等だ!」 そして俺は、右足を踏み込んだ。 「顔が歪んでるぞ」 「この美しい顔を指して何言ってやがる」 「分かった。顔がにやけてるぞ」 部屋に入った途端に、ルームメイトはムカつく発言をする。 それを適当にあしらいながら、俺はベッドに倒れ込んだ。 顔に感じる冷たいシーツの感触が気持ちがいい。 疲れた。 久々だったせいで、余計に疲れた。 「にやけてなんてねーよ」 「その顔がにやけてないっていうなら、お前の地顔はアルパカ並みだな」 「アルパカってなんだ!」 「南アメリカの家畜だ」 「お前馬鹿にしてんのか!」 アルパカがどういう生き物か知らないが、こいつが俺を馬鹿にしていることだけは分かる。 俺は上半身を起こして、隣のベッドを睨みつける。 くそ、いきなり動くと腰がいてえ。 あの絶倫野郎。 いつか見てろよ。 ムカつく眼鏡野郎は俺の怒りなんて気にせず、本から目を離さない。 「桜川とうまくいったのか?」 「なんでそうなるんだよ」 「嬉しそうだから」 「負けてなんで嬉しいんだよ!嬉しそうになんてしてません。しーてーまーせんー!」 「分かった」 俺は悔しくて仕方ないんだよ。 怒りで胸がいっぱいなんだよ。 くそ、本当にどこまでチートなんだよ、あの野郎。 ていうか戦うたびに強くなってる気がするんだけど、どんなゲームキャラだよ。 レアキャラすぎるだろ。 けど、絶対に勝ち逃げなんてさせねえ。 「いつかあいつをコテンパンにのして穴がガバガバになるぐらいつっこんでやる」 「よかったな。仲直り出来て」 「仲直りとかそういうんじゃねーよ!あいつは単なる敵なんだよ!いつか倒すべき敵、ラスボスなんだよ!」 「随分身近なラスボスだな」 柳瀬は眼鏡の下の蛇のような目でちらりとこちらを見て、口の端を持ち上げた。 くっそ、本当にムカつく奴。 桜川の次ぐらいにムカつく。 このすました男を、取いつかり乱させて這いつくばらせて土下座させて謝らせたい。 「そうだ」 そうだ、いいネタがあったじゃないか。 俺は柳瀬に改めて向き合って、嫌らしく笑う。 「なんだ、気持ち悪い顔して」 「だからこのイケメン捕まえて気持ち悪いとかいうんじゃねーよ」 「どうした、何か企んでそうな底の見える顔して」 こいつは本当に言動の一つ一つが人の神経を逆なでする。 分かっててやってんだろうけど。 ペースに乗るな。 こっちのペースに乗せてしまえ。 俺はにやにやと笑いながら、少しだけ柳瀬に体を寄せる。 小さく、内緒話をするような声で、囁きかける。 「お前さ、桜川の犬。あいつにちょっかいかけてるんだろ」 「そうだ」 「隠すなよ?………て、え!?」 絶対否定の言葉が帰ってくるとばかり思っていて、つい言葉を失う。 柳瀬はようやく本から顔をあげて、俺に向き合った。 「なんだ?」 「なんだ、って、え、えっと、いいのか?」 「何が?」 「そんなあっさり白状して」 柳瀬は鼻で軽く笑って、肩をすくめる。 そういう人を小馬鹿にした態度が何よりに似合う奴だ。 「白状も何も、事実だ。知ってるならお前に隠してもしょうがない」 「………」 いや、それじゃ俺の計画が壊れるっていうか。 ごめんなさい、内緒にしていてくださいって言わせたかったんだけど。 「なんだ、それで優位に立とうとしていたのか」 「だって、お前、絶対なんか企んでるだろ。あの犬をあの馬鹿どもに襲わせようとさせたり」 「ああ、企んでる」 これまたあっさり認める。 なんだ、このネタじゃこいつを動揺させることすら無理なのか。 いや、まだだ。 あの馬鹿犬に手を出すってことは、当然桜川が出てくるはずだ。 「いいのかよ、桜川に言うぜ。あいつだったら、いくらお前でも無事じゃ済まないだろ」 「先生に言ってやる、レベルだな」 「でも、都合悪いだろう?」 ペースに乗るな。 何をしようとしているのか知らないがこれは絶対にこいつも触れられて痛い場所のはずだ。 「そうだな。桜川はあまり敵にまわしたくないな」 「ほーらな。いいのかなー、言っちゃうぜ」 やっぱりな。 強がってても、そこは痛いはずだ。 あの桜川を敵に回すなんて恐ろしいこと、できるはずがない。 俺が更に追撃をかけようとすると、柳瀬は軽くため息をついた。 そして哀れなものを見るようなムカつく顔で俺を見てくる。 「馬鹿だな、本当に」 「っぜー!なんでだよ!」 「お前、俺が犬にちょっかい出して、桜川から引き離したらどうなる」 「どうなるって………」 「今回、お前が桜川と仲直り出来たのは、どうしてだ」 だから仲直りじゃねえと反射的に返そうとして、経緯を思い出す。 俺が桜川に会いにいってやろうと思った理由。 「誰に、けしかけられた?」 「………それは、あの犬が、桜川が俺を待ってるっていうから仕方なく………」 「あの犬が、飼い主離れできないままだったら、そんなことにはならないな」 そうだ、おかしいと思ったんだ。 俺のことを殺したいとすら思っていそうなあの犬が、俺を桜川に会わせようとするなんて。 あの馬鹿犬が、桜川に俺を近づけようとした理由。 それはきっと。 「いつまでも犬は主人にまとわりつくぞ?」 「………」 「たかが俺への嫌がらせで、障害を増やすのか?」 この男が関わっている訳で。 桜川にこいつが犬に手を出してるって知らせると、桜川はそれを妨害するってことで。 そうすると、また犬は桜川の靴を舐めるような服従体制に戻って、桜川も犬の面倒をみる。 それは面白くない。 「桜川は、今のところどう考えてもお前よりあの犬が大事だぞ?」 言い返そうとして、口をつぐんだ。 別に、熱くなるところじゃない。 別に俺は桜川が俺をなんと思ってようとどうでもいい。 「犬が目ざわりじゃないのか?」 「………」 でも、確かに、あの馬鹿犬は目ざわりではある。 何かときゃんきゃんきゃんきゃん噛みつきやがって鬱陶しい。 飼い犬のくせに、主人の足手まといになる。 どうしようもない駄犬。 「どうすればいいか分かったか?」 「………お前とは手を組んで、あの犬を排除したほうが得」 ものすごく悔しかったが、ここは抵抗すべきところじゃない。 柳瀬の手を振り払えば、そっちの方が絶対に面倒な事態になる。 桜川と同様に、こいつもなるべくなら敵に回すべきではない。 それに今のこの状況は、決して俺に悪いものではない。 「よく出来ました」 柳瀬は、細い目を更に細めて薄く笑った。 |