「は、お前らまだやってねえの?」

少しだけヤニ臭く、白い壁紙が薄汚れているいつも通りの菊池の部屋。
心底呆れたような声を出したのは、たまたま冷やかしに来ていた鈴木だった。

「だって、しょうがねーだろ!菊池が根性ねーんだよ!」
「お前の諦めが悪いんだよ!男だったら覚悟きめやがれ!」

鈴木は途端に騒ぎだす橋本と菊池を見て一つため息をつき、馬鹿馬鹿しいとつぶやいた。
本人達からすれば重大な問題なのだろうが、端から見ればこれほど滑稽な言い争いもない。

「幸せなケンカつーか、なんつーか…」

鈴木の言葉など聞こえないように、どちらがより往生際悪いかを争い続ける2人。
ラブラブなところをからかって遊ぼうとして来た鈴木は、あてが外れて肩をすくめる。

「もういいじゃん、じゃんけんとかでさー。たまんねーの?」

その言葉に殴り合いまで発展しそうになっていた橋本と菊池は動きを止めた。
そして気まずそうに視線を彷徨わせ、もごもごと歯切れ悪く答える。

「いや、それは…」
「まあ、処理はしてるし…」
「はいはい、ご馳走様」

その少し赤くなった目尻の意味を正確に汲み取り、鈴木は投げやりに手をひらひらと振る。
本当に、馬鹿らしい。
しかし一瞬後、眼鏡をかけた優等生然とした顔に、無邪気な笑顔を浮かべた。
その笑顔はけれどどこか胡散臭い。

「あー、じゃああれで決めれば、あれ」
「なんだよ」
「ちん○のでかさ!」
『はあ!?』

2人は揃って大きな声を上げて、鈴木に視線が集まる。
鈴木はその強い視線にもたじろがず、にこにこと笑う。

「なんだそれ、でかい方が男役ってことか?」
「萎えた状態と、勃ってる時、どっちで勝負だ」

騒ぐ2人を尻目に、鈴木は眼鏡を人差し指でかけなおし、首を横に振る。

「のんのんのん」

再び集まった自分に視線に、芝居がかった仕草で指を立てた。
一瞬黙って間をおく鈴木に、橋本と菊池は自然身を乗り出す。

「ち○こが小さいほうさ!」
『はああ!?』

先ほどよりも大きな声をあげ、驚きをあらわにする2人。
何を言っているのか分からないと言うように目を丸くする。
その息のあったリアクションに、鈴木は笑った。

「いやー、だってア○ルセッ○スだろ?でかいと痛いじゃん。小さいほうがいいだろ」

鈴木の思いもよらない言葉に、橋本と菊池は一瞬言葉を失う。
そして、その後盛大に抗議の声をあげた。

「はー!?」
「なんだそれ!」
「やっぱケツ入れるのは痛いよ、大変だよ。だったら相手を思いやって、小さいほうが男役ってのが、一番納得いくだろう!それが男の思いやりってもんだ!」

うんうん、ともっともらしく頷く鈴木。
相変わらずメチャクチャな、けれど不思議と説得力のある言葉に、2人は互いを見合って黙り込んだ。

『……………』

相手の動きを伺うような、沈黙。
走る緊張感。
重苦しい空気が、狭い室内に落ちる。
最初に口を開いたのは、橋本だった。

「……菊池」
「……なんだ」
「前に比べっこした時、お前自分の方がでかいって自慢してたよな」
「なっ」

橋本の言葉に、菊池は慌てて橋本に向かいなおす。
男らしい眉を吊り上げ、視線の先の男は真剣な目をしていた。

「言った、確かに言った、絶対言った、俺は覚えてる!確かにお前のほうがでかかった!悔しいが認めてやる!」
「ちょ、待て、橋本!」
「てことでお前が女役だ!」
「ふざけんな!」

畳み掛けるような橋本の攻撃に、菊池が慌てて口を挟む。
ここは引けない戦いだ。
唇を一度舐めて、頭を冷静に回転させる。

「お前、あの時膨張率じゃ俺の勝ちだとか言ってたじゃねえか!まあ通常時はお前剥けてないから確かに発達が未成熟かもしれない。俺のほうがでかいかもしれない。だが!勃った時のお前は、なかなかな迫力だった。あれには俺も敗北を認めざるを得ない!」
「なっ!」
「とういう訳だから大人しくお前が下になれ!」

指を突きつけて宣言する菊池。
橋本は思わぬ反撃に、苦しそうに眉を顰める。
しかし橋本も怯まずに、再度菊池に立ち向かう。

「いや、絶対に俺のほうが小さい!」
「そんなことはない、お前のほうがでかい!」
「俺のもんのがイッツスモール!」
「いや、俺だ!」
「俺だって!」
「俺のが小さい!ミニマムだ!」

両者一歩も引かず。
更に加熱し、激しさを増す戦いに菊池の部屋は温度が上がったように感じる。
お互い見合ったまま、どちらがより小さいかを主張しあう。
2人の言い争いをとめたのは、小さな破裂音。
お互い、一旦言葉を止め、その音の出所を同時に見た。

「ぶっ」

そこには床に倒れこんで、小刻みに痙攣している鈴木の姿があった。
ひくひくと苦しそうに呼吸をし、涙目で腹を抱えて震えている。

「だめ…もうだめ…、もう俺死ぬ、ごめん、許して…、本当に死ぬ…、お前ら、もうやめてくれ…」

眼鏡は床にずり落ち、すでに声を出すこともできない。
途切れ途切れに訴えかける言葉も震えていた。
橋本と菊池は、目を細めて横たわる男を見つめる。

『…………』
「…お前らの男気は俺が見届けた…だからもうやめてくれ…」
『お前はいっぺん死んでこい!』
「ぎゃっはははははは!!!」

同時にとんだ蹴りをよけながら、鈴木は部屋中に響き渡る大音響で笑った。



***




「はー、苦しかった、本当に苦しかった。あー面白かった」
「くそ…俺としたことが鈴木の言葉なんかに…、お前のせいだ橋本」
「お前だってムキになってたじゃねえか!」

今までの言い争いの馬鹿馬鹿しさに今更ながらに気付きいた橋本と菊池。
顔を赤らめ、ボソボソと決まり悪そうに目を逸らして更に文句をぶつけ合う。

「もう、本当にお前ら男らしくねーな、いいじゃねえか、ケツの一つや二つ、男らしくどーんと差し出せよ」
「お前にわかってたまるか!これは男のアイデンティティをかけた戦いなんだよ!」
「童貞を失う前に、処女を失ってたまるか!」
「俺だって童貞に処女を捧げるのは嫌なんだよ!」
「えー、結構気持ちいらしいよ。俺やってみたいけどなあ、一度。前○腺は女にやってもらったけど、もうホント、マジ腰抜けたし」

なんでもないように言う鈴木に、橋本はちょっと興味をひかれたように身を乗り出す。
気持ちいという言葉に弱いお年頃だ。

「そ、そんなに気持ちいいのか?」
「そうそう、最初に男知ったら、もうその後は女じゃ物足りないとかなんとか」

しかしその後続いた鈴木の言葉に、橋本は顔面蒼白にして菊池に掴みかかった。

「やっぱり処女の前に童貞を捨てるー!!!」
「余計なことを言うな鈴木!!」

涙目になって訴える橋本に、それをなだめる菊池。
そんな2人を見てひとしきり笑ってから、鈴木がちょっと首を傾げる。
そして眼鏡の位置を直してから、真面目な顔で2人に向き合った。

「てことは、問題は橋本君が童貞なことなのね」
「えっ?」
「……まあ、そうか」

思わず声を上げる橋本、ひとつ考えてからゆっくりと頷く菊池。
鈴木はうんうんと頷いて、交互に2人の目を真っ直ぐに見る。

「橋本君は、男として、処女の前に童貞を捨てておきたい」
「ああ」
「菊池君は、余裕のない童貞なんかに処女捧げて流血沙汰になりたくない」
「その通り」

そこで鈴木はにこっと無邪気に笑ってから、指を突きたて提案をした。

「てことは、橋本君が童貞捨てて、同じスタートラインに立ってから余裕を持って挑めばいいんじゃん」
『はあ!?』
「もう、それはいいよ。だって、そうでしょ。男役だろうが女役だろうが、橋本も一回やっておけばそこまで暴走もしないだろうから菊池君も安心だろうし、橋本も処女捨てる気にもなるでしょう」

諭すようにゆっくりと丁寧に話す鈴木。
優等生然とした容姿とあいまって、その言葉には不思議な説得力がこもる。
言い聞かせられる2人は、思わず耳を傾けてしまう。

「……それは」
「…………そうなのか?」

眉を顰め、しかめ面をする菊池。
腕を組んで悩みこむ橋本。
しばらく考えてから、橋本はしかし重大な問題を思い出す。

「いや、でも待てよ。俺、誰に童貞捧げればいいんだよ。そんな相手がいたら今まで苦労してねえよ」
「うーん、そうねえ、橋本君もてないしね」
「やかましい!!」

腹に一発蹴りを入れて、橋本はどこまでも性格の悪い男を怒鳴りつけた。
自分で言ったことながら、コンプレックスがえぐられる。
鈴木はげらげらと笑ってから、そのまま自分を指差した。

「あ、じゃあ俺は俺。俺一度やってみたいし、手ほどきしてやるよ」
「は、はあ!?」

思いもよらない鈴木の提案に、鼻に皺を寄せて不満そうな声を上げる。
けれど眼鏡の男はどこまで本気か分からないように、朗らかに笑ったまま続けた。

「いいじゃん、菊池の前の練習台で。知らない仲でもないし」
「いや、でも」
「俺相手でもお前が勃つのは証明済みだし、結構気持ちよかっただろ?」
「う、うん…。気持ちよかった……」
「そうそう。優しく教えてあげるよ。いっぱい調べたし、まあなんとかなるんじゃない」
「そっか…そうなのかな……?」
「だと思うよー。自分で言うのもなんだけど、俺絶対お買い得だし。筆卸にはもってこいだよ」

にこにこと笑いながら告げる鈴木に、徐々に表情を困惑から納得に変えていく橋本。
しばし考えるように黙り込み、恐る恐る鈴木に視線を合わせる。

「………じゃ、じゃあ、お前と最初にヤろうかな…」
「うん、おっけーおっけー。手取り足取り腰とりナニとり、1から優しく俺がお前を男にして……」

だん!
言い終える前に、鈴木の顔の横を何かすさまじく重い音が通りすぎた。
恐る恐る横を見ると、菊池の足がわずか数センチほど先にある。
座り込んだ鈴木のすぐ横の壁に足を突き、いつのまにか立ち上がった菊池が鈴木を見下ろしていた。
さっきの音は、菊池の蹴りが壁にめり込んだ音だった。
恐々自分に覆いかぶさる影を見上げると、菊池がにっこりと笑っている。
しかしその目は、笑っていなかった。

「き、きっくちくーん…怖いってば……」
「何か言った?鈴木君」
「冗談です、ただの冗談です、すいません、悪ふざけが過ぎました」

菊池は謝罪に鼻を鳴らして頷くと、今度はその様子を不思議そうに見ていた橋本に向き合う。
そしてその頭を思いっきり殴りつけた。

「お前はあほか」
「いだだだだだ!何しやがる!」
「うるさい」
「なんなんだよ!」
「よりによって鈴木なんかとやるな!あいつと兄弟なんて考えるだけでごめんなんだよ!」

一方的に殴りつけられ、一方的になじられ、さすがに橋本は腹が立つ。
そもそも菊池は今まで彼女がずっといたのだ。
自分とはスタートラインが違う。
それなのに、自分だけ童貞を捨てるなというのは、とても不公平に感じた。

「……じゃあ、お前やらせてくれるのかよ」
「それは……」
「じゃあ、いいじゃねえか!お前散々女とやってんだろ!ずるいじゃねえか!俺に童貞を捨てさせろ!そうしたらお前に処女を捧げてやらないでもない!」

立ったまま橋本を見下ろす菊池。
菊池を真っ直ぐに見つめたまま、一歩も引く気配を見せない橋本。
互いに挑むように視線を絡ませあい、そして目を逸らしたのは菊池だった。
諦めたように、ため息をつく。

「……わかった、そこまで言うなら仕方ない」
「え、やらせてくれんの?」
「しかし俺はやはりお前に処女を捧げたくない」
「……なんだよ」
「でもお前が童貞を捨てたいという気持ちは分かる。だから捨てていい」
「じゃあ、鈴木と?」

突然話が自分にふられ、鈴木は珍しく慌てた声を出す。

「は、マジで!?」
「いや、それは問答無用で却下。絶対にありえない。考えただけでむかつく」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ!」
「俺が女を紹介してやる」

一瞬の沈黙の後、いい加減近所から苦情が来そうなぐらい、大音響の叫び声が室内に響き渡った。

『はあああああ!?』






BACK   TOP   NEXT