「な、なあ菊池、この服おかしくねえ?」 「……いつもおかしいから気にすんな」 「あー!やっぱり菊池に服借りるべきだったかな!やっぱガキっぽいよなあ」 「お前とは足の長さが違うから入らねーよ」 「やば、汗かいてきたし。もっかいシャワー浴びてこうかな」 「…………」 そわそわと落ち着かない様子で自分の部屋の中を歩き回る橋本。 少したわんだ畳が、橋本が歩くたびに振動を伝える。 菊池はそんな橋本をつまらなそうな仏頂面で見ていた。 少し冷たく切り返す言葉にも、橋本は全く気にせずうろうろと動き続ける。 「あー、どうしよう。えーと、コン○ームは持ったし、ち○こはきっちり皮剥いて洗ったし」 「別にそんなに気にしなくて平気だよ。初物食いが好きな女だし。むしろお前にみたいな童貞丸出しのほうが喜ばれるだろ」 「そっか。それならいいかな。なんか本当に緊張してきた」 ポンコツのクーラーのため、いまいち冷風が行き届かない橋本の部屋。 うっすらと汗をかき、橋本は息をつきながら腕で額を拭った。 自分のワードローブの中でも、一番の一張羅を着込み、菊池から借りた香水なんかもつけている。 そんな橋本に、菊池が畳に寝そべったままどうでもよさそうに問う。 「お前の好みは年下のスレンダーじゃなかったのかよ」 「いや、それはそうなんだけどさ!それとこれとはまた別の話っていうか!ぶっちゃけやれるなら文句言いません!贅沢言いません!言いませんとも!」 「……………」 菊池が橋本のために紹介したのは、肉感的で豊満ないかにもな大人の女性。 華奢な年下の女の子が好きな橋本のタイプとはかけ離れているが、脱童貞に燃える橋本に、それは些細なことらしい。 「うー、やべー心臓ばっくばく。菊池!なんか激励の言葉をくれ!」 「………緊張しすぎて、使いもんにならねーとかないといいな」 「…そ、そうだな。そうだよな。後藤の二の舞だけは避けたい…。無事任務だけは果たさないとな!」 「…………」 「あ、そろそろ出ないと間に合わないな。菊池、行くぞ!」 壁に立てかけてある等身大の鏡の前で髪を手ぐしで整え、橋本は一つ気合を入れた。 その様子を見て、菊池は深い深いため息をついた。 その後、女との待ち合わせに行くためにいそいそと駅に消えていった橋本と別れた菊池は、特に行く当てもなく夕暮れの駅前をぶらぶらと歩いていた。 ポケットに突っ込んでいたケータイが微弱な振動を伝えて、着信を知らせる。 取り出し、通話してきた相手の名前見るなり眉を顰める。 一瞬、取ろうか取るまいか逡巡して、結局通話ボタンを押した。 「……もしもし」 『もっしもーし、あなたの鈴木、鈴木君です』 「切るぞ」 『相変わらずつまらない男だなー。そんなんだから橋本君の童貞をよその女に取られちゃうのよ!』 「………」 無言で通話終了ボタンを押そうとする菊池。 その気配を感じたのか、慌てた鈴木の声が通話口から響く。 『待った待った!切るなよ!今お前どこにいるんだよ!』 その後2、3のやりとりをして、ちょうど隣駅にいるという鈴木とファミレスで落ち合うことになった。 「で、お前本当に止めなかったのか?」 「……俺が、紹介したんだしな」 「変なのー。なんでまた自分の恋人に女紹介するかねえ」 「恋人言うな。なんかへこむ」 「事実じゃーん」 夏休みの夕暮れのファミレス。 辺りには菊池と鈴木と似たような学生や、話の終わりを見せない主婦などの姿が見える。 しかしちょうど夕飯時へと移り変わる時間からか、客数は少ない。 2人はドリンクバーとポテトなんかをつまんでいる。 「……てか、お前、本当にそれでいいの?」 「……何が?」 鈴木の言いたいことは分かっている。 今日までにも何回か同じことを問われていた。 そして、菊池自身、自分でも何度も考えてきたことだ。 「橋本君のドーテーを他の女に奪われて」 「しょうがねえだろ」 「何がしょうがないのかさっぱり分からないんだけどさ、そんなに重要かねえ、上か下かなんて」 「いや、そこは重要だろ、間違いなく。お前はバリアフリーすぎだろ」 鈴木がコーラを啜りながら、眼鏡の奥の眉を顰める。 学ラン姿だといかにも優等生に見えるが、趣味の悪い派手な柄のシャツを羽織った姿は贔屓目にみてチンピラだ。 相変わらず大らかな発言をする鈴木に、菊池は思わずつっこんだ。 しかし鈴木は珍しく真面目な顔をしたまま、動じることなく続ける。 「恋人に浮気される方が重要じゃない?」 「……お前に言われても説得力ねえ。橋本に手出してたの誰だよ」 「俺なんてノーカウントよ、ノーカウント。俺と橋本じゃ浮気になんてならないならない。異種格闘技戦だろ、よく言って」 「むしろ妖怪大戦争だよな」 「いいのー?これで橋本君が女に目覚めちゃったりしてー」 にやにや笑いを戻し、どこかからかうように視線を送る鈴木。 そこで菊池は苛立たしげに、安物のプラスチックグラスを机に置いた。 乱暴に置かれたグラスは大きな音をたて、3つ先の席にいた主婦が不審げに見えるのが分かった。 「うるさい!分かってんだよ、そんなことは!だけど引けないだろ!あの場合!」 「いや、引けよ。大人しくじゃんけんとかにしとけば問題なかったのに。つーかやっぱ後悔してんだ」 グラスをもったまま指をさされ、特に責めるでもなく冷静に指摘される。 そこで菊池は机に懐くように突っ伏した。 鈴木の持ったグラスの氷がカランと音を立てるのが、やけに大きく聞こえる。 「……してるよ」 「あら、珍しく素直。ばかねー、菊池君たら。最初からそんな風に素直だったらよかったのに」 「……ほんとに、うるせーな」 「変な意地張っちゃって。菊池っていつもかっこつけてるくせに、割と馬鹿だよね。橋本と張る位」 「………別に俺、まあ、最大限妥協して100万歩譲って清水から飛び降りるぐらいの心意気でさ」 「ん?」 「女役でよかったんだわ」 菊池は机につっぷしたまま、どこか力なく言葉を続ける。 背もたれに深く腰掛けただらしない格好で、鈴木は首をかしげた。 お互い表情は見えない。 だからこそ、菊池は話しやすかった。 「あら、男前じゃない」 「だけどさ、もし俺が女役になってだ」 「うん」 「それであいつが男として目覚めて、他の女にも手を出したいとか思ってだ」 「うん」 「やっぱり男なんてごめんだって感じで俺がもし振られたとして」 「うん」 そこでがばりと勢いよく体を起こす。 鈴木はちょっと驚いたように身を引く。 「バージン奪われた上にふられるってどーだよ!しかも橋本に!」 「いやー、それはもう本当に屈辱だね。立ち直れないね。トラウマだね」 あっさりと朗らかに返す鈴木に、菊池はもう一度机につっぷした。 再度落ちていく様子に、鈴木は手をひらひらとふって、遅すぎるフォローをする。 「いやいや、さすがに橋本君だってそこまで最低男じゃないと思うよ」 「あいつさ、めっちゃ快楽に弱いじゃん。しかも馬鹿で単純じゃん。たぶんあれだよ、すりこみだっけ。最初に見た奴を、親だと思うってアレ。あれだよ。最初に気持ちいいことした奴が俺だったから勘違いしてんだよ、あいつ」 「まー、確かに橋本は単純で馬鹿で本能で生きる男だけどさ、なんももの考えてないって訳じゃないよ?」 「でもほとんど考えてないだろ」 吐き出すような菊池の台詞に、確かにーといいながら鈴木は声をあげて笑った。 その後、ちょっと低めの声で、からかうように問う。 「それでお前は後から振られるぐらいなら、今のうちに振られたいと思ったわけだ」 「…………今ならまだ気の迷いで済まされるだろ」 「馬鹿だねえ。そんなこと思っちゃうなら無理矢理やっちまえばよかったのに。女役でも男役でも、それこそあいつ単純だから、最初の相手にはまるだろ。今のが恋愛感情じゃなくても、勘違いするぐらいの馬鹿さだろ」 「………」 机に広がっていた菊池の柔らかい茶色の髪が、目の前の男の長い指で掻き揚げられる。 わしゃわしゃとかき乱され、うざいと文句をいいつつも払いのけることはしなかった。 「ばっかだねえ」 「あー、馬鹿だよ。俺もあいつも」 「ほんとにねー。もっと簡単に考えればいいのに」 「くっそー、むかつく。橋本もお前もむかつくけど、何がむかつくってお前になんかこんなこと愚痴った上に諭されてる俺が何よりむかつく。なんで俺、鈴木なんかに慰められてるんだよ。ありえないんだけど」 「うわ、ひどい!鈴木傷ついちゃう!せっかく友人のためを思って駆けつけたのに!」 「どうせ面白がってんだろ」 「まあねー。楽しませてもらってるわ」 菊池がゆっくりと顔を上げると、ふざけたことを言いながらも、鈴木の眼鏡の奥の目はどこか優しげな色をたたえていた。 それはほんのわずかで、菊池の気のせいだったかもしれないが。 「いやー、にしてもどっちに転んでも笑える結果になりそうね。楽しみにしてるわ」 「とりあえずいっぺん死ねよ」 「振られたら俺が慰めたげるってば。サービスしちゃうよー。松竹梅どのコースがいい?」 「全力でお断りだ」 ひどーいと身をくねらす鈴木に、菊池も少しだけ笑った。 夕暮れに染まる赤い店内で、青少年の悩みは尽きなかった。 |