人のいない屋上で、今日も橋本は頭を抱えていた。 人がいない理由、それは今が授業中だからだ。 「どうしよう、菊池が本当にどうしよう」 「何が?」 「どうしよう、菊池どうしよう」 「いや、むしろお前がどうしよう」 しゃがみこんで同じ言葉を繰り返す橋本に、付き合わされている鈴木は冷静につっこむ。 自分達の下では授業が行われていることにで悪びれることなく、いちご牛乳を啜っている。 もたれた手すりから校庭を見下ろせば、元気に走り回っている若者たち。 すぐ横を見下ろせば、頭を抱えてある意味若者らしく思い悩む友人。 「どうしよう」 「大丈夫?主に頭。童貞こじらせちゃった?さっきから全然言葉になってないけど」 「結構大丈夫じゃない。真剣にあいつが心配になってる。そして童貞は関係ない」 この前と全く変わらない悩みに、鈴木がややうんざりしたようにため息をつく。 けれどすぐににやりと、口の端を持ち上げる。 「とかなんとか言っちゃって、実は嬉しくなっちゃったり」 「………」 「あ、マジで嬉しかったんだ」 五割冗談で言った言葉だったが、黙り込んだ橋本に的は外れてなかったことを知る。 動きを止めた友人のつむじをつんつんとつつく。 「………」 「何々、彼のストレートな言葉にきゅんきゅん?」 面白がる鈴木の言葉に、橋本は親友兼恋人の昨日の姿を思い出す。 『恋人扱いだろ?』 特に気負うでもなく照れることなく、弁当に匂いを漂わせたまま菊池は言いきった。 思わず立ち止まって絶句する橋本に、向かい合って真顔で続ける。 『恋人なら、大事にしたいって思うだろ?うまいもんとか食べさせたいし、怪我とかさせたくないし、とか考えると普通にそういう扱いになるだろ?』 そこで橋本は我慢が出来ずに、菊池の言葉を遮った。 全身がむずがゆくてじんましんが出そうだった。 もう耐えられなかった。 弁当抱えたまま何かっこつけてんだ、とか、お前のその言葉を録音して後で聞かせてやるぞ、とか色々言いたかったが、出てきた言葉は単純だった。 『アホだ!お前はアホだ!最高にアホだ!』 『なんでだよ』 上擦った声で叫ぶ橋本に、菊池はあくまでも冷静に首を傾げる。 問い返されて、橋本はまた言葉に詰まる。 『………』 『橋本真っ赤』 『お前が恥ずかしい奴だからだろ!』 『大声出してるお前の方が恥ずかしい』 その言葉に辺りを見渡す。 幸い、夜の住宅街に人気はなかった。 しかし確かにあまり大声で叫ぶと人が出てきそうで、声を顰める。 『もう、なんなの菊池君。どうしちゃったの菊池君』 『なんなのって言われてもなあ』 『お恥ずかしい!本当にお恥ずかしい!お前はお恥ずかしい奴だ!』 菊池に指を突き付けて混乱し続ける橋本に、菊池が優しげに笑う。 橋本の胸に嫌な予感がよぎる。 『お前は馬鹿で、かわいい』 『だー!!!』 予想通りの言葉に、今度こそしゃがみこんで頭を抱えた。 「とかなんとか言って、その夜は盛り上がっちゃったり」 「………」 「お前も十分恥ずかしい奴だと思うんだけど」 鈴木の冷静なつっこみに、橋本が小さく呻く。 確かに昨日の夜はせっかく買った総菜を食べる暇なく、玄関先で盛ってしまったりした。 一発抜いてすっきりして、食事をしてから、もう一回、二回。 おかげで今日は体育なんてやってられない体調だ。 なんだか昨日は菊池もより一層恥ずかしく、かわいい、とか、エロい、とか、もっと顔を見せて、とか、欲しい?欲しいなら言ってとか、言葉責めを繰り返し、それに橋本は羞恥と屈辱でより一層燃えあがったり。 「っがあああああ」 「うるさいよ、橋本君」 冷静に頭を叩かれる。 昨日の自分と菊池の乱れっぷりを思い出して、橋本はアスファルトに突っ伏す。 ごろごろと転がる橋本を、鈴木はさすがに呆れたように見下ろす。 「なにかな、ねえなにかな。なんだろう、このケツがむずがゆい感じ」 「いや、まあ、客観的に見ても菊池君は十分恥ずかしいけどね」 「だろ!?」 「潔いくらい色ボケてるわね」 「そうなんだよ!」 がばっと体を起こして、勢いこんで鈴木に詰め寄る橋本。 そこで、鈴木の逆隣から、遠慮がちな声が静かに響いた。 「なあ………なんで俺ここにいるんだ?」 「あれ、なんでいるの近藤?」 「いや、鈴木につれてこられて………」 「まあいいや。お前も菊池は恥ずかしい奴だと思うだろ!」 居心地悪そうに目を逸らす近藤に、橋本は気にせず同意を求める。 友人たちの痴情について詳細に聞かされて、近藤は眉を顰める。 別に友人たちの関係に文句をつけたり、二人が出来ているから距離を置いたりする気はないが、ここまでストレートに言われても困惑する。 「………お前、一応世間的にはマイノリティなんだから少しは隠せよ」 「近藤ならいいじゃん」 「………」 あっさりと言う橋本に、近藤はますます困ったように眉を顰める。 確かに近藤にははっきりとは言っていなかったが、薄々気付かれていたのは知っていた。 しかし別に言いふらす気もひいたりする様子もなかったので、橋本は普通に鈴木と同じような扱いにしていた。 何を言っても大丈夫な友人、というカテゴリーに。 「橋本君はこういうところが敵わないわよねえ」 鈴木が珍しく困ったように苦笑する。 同じように近藤も疲れたようにため息をついて、笑った。 「なんだよ」 友人二人の呆れたような態度に、気分を悪くした橋本が口を尖らせる。 近藤は宥めるように、落ち着いた言葉でフォローをした。 「まあ、菊池は本当に橋本が大事なだけだろ」 「やめて、かゆい!」 近藤らしい真面目で真摯な言葉に、橋本は自分の肩を抱く。 何を言って悶える橋本を、近藤は冷静に見つめる。 「そもそもどうしてほしいんだ、お前は」 「え?」 「菊池にどういう態度をとってほしいんだ?」 問われて、一瞬黙り込む。 別に今の菊池が嫌いなのではない。 でも、ただ、ものすごいこっ恥ずかしいだけなのだ。 「いや、なんか、前のフランクな菊池君に、戻ってほしいなあ、とか」 「でも言われたりするのは悪い気分じゃないんだろ?」 「あー、うーん、でも正直気持ち悪い」 さらっとひどいことを言って、橋本は自分でも困ったように視線を落とす。 決して今の菊池が嫌なのではない。 ただただ、恥ずかしいのだ。 「うーん」 自分のウーロン茶を啜ってうなる橋本に、近藤は呆れたようにため息をついた。 正直、男同士の友人の痴情のもつれは、聞いていて落ち着かない。 屋上に沈黙が落ち、校庭からの喧騒がかすかに響いている。 見上げた空は、秋が近づいて少しだけ白っぽい。 「ねえ、橋本君」 「何?」 三人揃ってぼーっと空を見上げていると、鈴木が口を開いた。 手すりを背もたれにして笑っている眼鏡の男を、橋本は横目で見上げる。 鈴木は目が合うとにやりと笑って、指を立てた。 「あれじゃない?やっぱりさ、橋本君女役しかしてないからだよ」 「え?」 「あなた処女は捨てたけど脱童貞はまだじゃない!やっぱりそこに心の余裕の違いが出るのよ!」 「そんな………」 近藤が何か言いたげに言葉を挟もうとするが、その前に橋本が我が意を得たりと体を起こす。 「そうか!そうかもしれないな!」 「おい、橋本………」 「根本的な問題はそこかもしれない!」 更につっこもうとする近藤は、またもさえぎられる。 握りこぶしで、何かの決意を固めた橋本。 鈴木は真面目な顔でしゃがみこみ、橋本に向き合う。 「そうそう。ここは思い切って菊池君をふんじばってヤっちゃえば、あいつもちょっとは今の扱い考えるんじゃないかな!」 「ナイスアイデアだ、鈴木!」 「でしょでしょ、もっと褒めて」 「鈴木って、メタルキング倒せる確率でいいこと言うよな!」 「きゃあ、超レアね!」 「いや、褒めてな………」 更につっこもうとする近藤をおいて、橋本は立ち上がった。 仁王立ちで拳を握り、空を見上げる。 「俺は菊池を、ヤるっ!」 「橋本君、かっこいー!」 決意に満ちた目の橋本を、鈴木がパチパチと手を打って囃したてる。 「よし、じゃあ橋本君思い立ったら即行動だ!」 「おっけー、チ○コ勃ったら即行動!」 「きゃー、橋本君イケメン!」 盛り上がり続ける友人たちを、疲れた顔で近藤が眺める。 ふっとため息をついて、肩を落とす。 「いや、まあ、いいけどさ」 「さ、行くわよ、近藤君!」 「え、なんで俺?」 「いざとなったら近藤君が菊池君抑えつけて、橋本君がつっこめばいいじゃない!」 「いや、いいじゃないって、全くよくないんだけど」 鈴木の明るい言葉に、近藤は困惑して拒否を示す。 しかし鈴木に右手をとられ、左手を橋本にとられる。 「それもそうだな、来い、近藤!」 「いや、橋本ちょっと落ち着け」 「さあ、れっつごー!」 そしてそのまま長身の体を引きずられるように、近藤は連行されていった。 |