教室に戻ると、体育を終えた面々は着替えの最中だった。
菊池はすでに制服に着替え、髪をセットしている。
教室に入った橋本は、まだ汗を軽く滲ませている菊池の腕を引っ張る。

「菊池、ちょっと来い!」

菊池は突然現れた橋本に目を丸くしながらも、そのまま引っ張られる。

「来いってお前授業は………」
「そんなんどうでもいい!」
「安西、かなり怒ってたぞ」
「え!」
「後で謝りにいっとけよ」
「いや、今はそんなことはどうでもいいんだ」
「声が震えてるぞ」
「うるさい!」

厳しさで知られる体育教師の名前に震えあがりながら、橋本はとりあえず現在の問題を先に片付けることにした。
放課後には絶対謝りにいくことを誓いながら。
とりあえず今は怖いから考えないことにした。

「で、なんで鈴木と近藤」

とりあえず適当に空いていた視聴覚室に引っ張り込むと、そこには手をひらひらとふる鈴木と、沈痛な面持ちの近藤がいた。
思わぬメンバーに、菊池が不思議そうに首を傾げる。

「やっだー、俺たちお友達じゃない!あなたたちのいるところならどこにでも!」
「………俺にも何がなんだか」

真っ二つに分かれた二人の言葉は聞き流し、橋本は菊池に向きあった。
一度、二度、大きく息を吸って、吐き、ここに来るまでに軽く上がってしまった呼吸を整える。

「あのな、菊池」
「うん」
「俺はな、最近のお前の態度について、色々考えた」
「うん」

菊池はとりあえず不審そうな顔をしながらも、黙ってそれに付き合ってくれている。
そのことに、橋本は落ちつきを取り戻しゆっくりと話し始める。

「お前の態度は明らかにやりすぎだ」
「まだ言ってるのか」
「言うわ!」
「いい加減に慣れろよ」
「慣れん!」

顔を赤くしながら唾を飛ばす橋本に嫌そうに顔をしかめながら、菊池は軽くため息をついた。
その馬鹿にしたような態度に、橋本は軽く苛立ちを感じる。
絶対に自分の方が正しいはずなのに、菊池の態度は聞きわけのない子供に対するそれだ。
しかし怒りをなんとかなだめて、勤めて冷静に話そうと努力する。
自分の欠点は、頭に血が上りやすいところじゃないかと、最近ちょっと思い始めたところだ。

「で、だな」
「うん」
「俺は考えた!何がいけないのか!お前のそのこっ恥ずかしい態度はどこからくるのか!」

仁王立ちで滔々と語り始めた橋本と、少し面倒くさそうに頷いて聞いている菊池。
そして隅っこ座りながら、それを眺めている近藤と鈴木。
近藤は相変わらず沈痛な面持ちで、二人から視線を逸らさないままぼそりと問う。

「………なあ、なんでここにいなきゃいけないんだ?」
「楽しいから!」
「いや、俺は楽しくないんだけど………」
「ほら、菊池が嫌がったら、その腕っ節で抑えつけて!」
「そういう趣味はないんだけど………」
「菊池君がどんな態度にとるのか楽しみじゃない!楽しみでしょ!楽しみに違いないよ!」
「………」

政治家に見習わせたいぐらい、全くぶれない鈴木の態度に、近藤は今度こそ諦めた。
割と真面目なタイプである近藤は、授業をサボるのも居心地が悪いし、友人たちの愁嘆場を眺めているのも落ち着かない。
けれど、言っても無駄なんだなと、静かな心持で受け止めることにした。
いや、言っても無駄なことは分かっていた。
だが、言わずにはいれなかっただけだ。
その間にも橋本の語りは続いている。

「お前の態度はきっと、お前が俺の男だという自信から来ているものだと思う。お前は一方的に俺を女のように見ているんだ。いや、反論はいい。これは無意識の問題だ。俺が女役だからな、お前はそんな錯覚を無意識でしてしまっているんだ」

菊池はただ黙って聞いていた。
とりあえず言いたいことを言いきると、橋本は鋭い眼差しで菊池を見据えた。

「てことで菊池!」
「はい」
「一回ヤらせろ!」

ついに告げた言葉。
あくまでも反抗するならば、本気で無理矢理にでもやろうと橋本は考えていた。
これまでの菊池の恥ずかしい態度はそこから来ているのだと信じて疑わなかった。
きっとヤっちまえば、少しは自分への接し方が変わると信じた。
途中で美術室から紐テープとガムテープを持ってきた。
いざとなったら鈴木と近藤もいる。
どうにかふんじばって、つっこんでしまえばいいと考えていた。
色々根本的な問題とかやりたいことがずれていることには、気付くことはできなかった。

「いいよ」
「まあ、嫌っていうのは分かるがな、不公平だろ。元々一回俺がヤらせたらヤるって……」
「だからいいって」
「え?」

何を言われたのか分からず、橋本は動きを止めて目を瞬かせる。
菊池は相変わらず冷静な態度で、橋本を見つめていた。

「………菊池?」
「何?」
「………俺の言ってること分かる?」

思わず恐る恐る確かめてしまう。
菊池は何言ってんだという呆れた顔で、眉を顰める。

「ヤりたいんだろ?」
「いつもみたいにヤるって意味じゃねーぞ?」
「分かってるよ」
「俺が男役だぞ?」

あまりにも落ち着き払った態度に、話が通じてないんじゃないかと不安になる。
というか、いつも通り橋本が女役って考えているに違いないとか考えてしまう。
しかし、菊池は丁寧に、ゆっくりと、一語一語はっきりと発音する。

「分かってるって。俺が、女役で、お前がつっこんで、童貞捨てるんだろ?」

視聴覚室内が静まり返る。
橋本は、呆けたようにもう一度聞き返す。

「………え、いいの?」
「だからいいって言ってんだろ。しつけーな。お前ちゃんと聞いてんのかよ」
「え、なんで?」
「なんでって。嫌なのかよ」
「いや、全然嫌じゃないんだけど!」

さすがにうんざりとしたように、菊池が顔を顰める。
しかし橋本には今のやりとりを全く信じることができない。
むしろいよいよ壊れたのかと、菊池の頭が心配になってくる。

「え、どうしたの、菊池。やっぱりおかしくなっちゃった?」
「なんでだよ」
「だって、お前あんなに嫌がって………」

それで長々と無駄に戦い、最後の一線を越えられなかった二人だ。
菊池に至っては、一旦橋本に女をあてがおうとまでしたのだ。
嫉妬深い菊池のこと、今考えれば断腸の思いだったに違いない。
そこまでして嫌がった女役を、今は拍子抜けするほどあっさりとひきうけようとしている。

「いや、結構前から別によかったんだけどさ」
「ええ!?」
「お前何にも言わねーし。女役気に入ったのかと思ってた」
「そんな訳っ」
「ないのか?」
「………いや、まあ、うん。悪くはない」

ヤる前に思っていたより、女役は悪いものではなかった。
性器に対する刺激とはまた違った快感が、前立腺にはある。
男に組み敷かれて支配されるというのも、死ぬほど恥ずかしくて屈辱だが、それがまたなんか気持ち良かったりもする。
しかし、それとこれとは話が別だ。

「でも、男役やりたいってずっと言ってただろ!」
「だからいいってば」
「どうしたんだよ、菊池!お前、男のプライドはどこにいったんだ!」
「お前、ヤりたいのかヤりたくないのかどっちだ」
「すいません、ヤりたいです!」
「じゃあ、いいじゃん」

確かになんも問題はない。
橋本はヤりたくて、菊池は別に嫌がってない。
万々歳だ。
円満解決。
ぐだぐだ言っているのは橋本だけだ。

「いや、でもさ。前すっごい嫌がってただろ」
「うーん」

菊池が少し視線を穴だらけの天井に向けて、考えるように首を傾げる。
瞬きを三回ほどしてから、橋本の眼をじっと見つめる。
そのまっすぐな視線に、橋本は少しだけたじろいだ。

「なんだろうな。結構前から別に嫌とは思ってなかった。お前つっこまれて、結構気持ちよさそうだし、俺も勝手が分かってきたから流血沙汰にはならないだろうし」

俺は実験台か、と橋本はつっこもうとした。
しかしその前に、菊池は続ける。

「それに何より」

少しだけ、目尻を下げる。
それだけで、菊池の甘い顔立ちはより優しく、柔らかい印象へと変化する。

「お前が好きだから、別にどっちでも構わない」

また静まり返る視聴覚室。
口をだらしなく開けた間抜けな顔のまま、固まっている橋本。

「………」
「橋本?」

呼ばれて、びくりと体を震わせる。
それからみるみるうちに、顔が真っ赤になっていく。

「………あ」
「橋本、お前大丈夫?頭とか?」

様子のおかしい橋本に、菊池が心配そうに一歩近づく。
菊池の手が肩に触れる寸前で、橋本は指を一本菊池に付き付けた。

「菊池!」
「うわ、な、なんだよ!」
「いいか、よく聞け!」
「何?」

菊池は驚いて、一歩近づいた足を戻して体を引く。
橋本は菊池を挑むように睨みつける。

「俺も!お前が!大好きだ!」

また沈黙の落ちる視聴覚室。
仁王立ちで、菊池に指を突き付けている橋本。
驚いて言葉を失っている菊池。
そして、隅っこでそれを黙って眺めていた近藤と鈴木。

「………楽しいか、鈴木?」
「………今回の一件については、全面的に僕が悪かったと心から反省する所存です」
「そうか」

自分の非を素直に認めた鈴木に、近藤はこれ以上責めることなくただ頷いた。
目の前では、菊池が心底嬉しそうに破顔して、橋本に抱きついている。
繰り広げられる二人の世界に、胸やけして砂糖を吐きそうだ。
ものすごいデバガメだな、俺たち、と思いながら、軽く目を逸らす。
鈴木も同じように目を逸らしながら、誤魔化すように何かを言い出す。

「………いや、なんか菊池君がここまで開き直るとは思ってなかったからさ」
「あー、なんか、思ったより熱いな。こういう奴だったんだな」
「全く楽しくない。ちくしょう」

本気で悔しそうにつぶやく鈴木。
それに付き合わされた自分の立場はどうなるんだと近藤は考えたが、言っても無駄なので黙っておいた。

「えーと、なんていうか」
「うん」
「この前習ったアレ」
「どれだ」

要領を得ない言葉に、律義に付き合う近藤。
そこで鈴木は思い出して、手を打った。

「偕老同穴の契りって奴だね!」
「ああ」

そういえば古文の時間に習ったなあと近藤が思っていると、鈴木が嬉しそうに先を続ける。

「お互いの穴に埋めてハッピーみたいな!」
「お前は辞書を引いてから中国人に謝れ」

目の前では更にラブシーンが繰り広げられそうになっている。
このまま行くと、十八禁展開にまで発展しそうだ。
横では馬鹿が馬鹿なことを言っている。

「………橋本、菊池、俺たち出ていくからその先はそれからにしてくれ」

心底心にダメージを負った近藤の、疲れ切った言葉が視聴覚室に静かに響いた。


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