結局スパニッシュオムレツ以外は、義也には甚だ不本意ながらおいしかった。
むっつりとしまま、お弁当をしまう。
桜は隣で水筒からお茶を注いでいた。

「はい、どうぞ」
「……お前水筒まで持ってきてんの?」
「ええ、経済的ですから」

だいぶぬるくはなっているが、また十分温かいお茶をゆっくりとすする。
食後のほうじ茶は、心を和ませた。

「そういえば、お前貧乏なんだっけ」
「ええ、そりゃあもう」

なぜか自慢げに胸をはって言い放つ桜。

「それで親父に拾われたんだっけ」

それが義也の悪夢の始まりだった。
しかし、桜はその言葉にくすりと笑う。

「ふふ、確かに私を助けてくれることもありますが」
「…?」
「義也さんのためなんですよ」
「はあ?」

桜がいるのが義也のため?
むしろ害にはなっているが、義也のためになっていることは何一つとしてない。
桜は穏やかに微笑むと、自分の分のお茶をすする。

「義也さん、昔兄妹が欲しい、って言ったことがあったでしょう?」
「はあ?」
「お母様が亡くなられてしばらくして」

そういえば言ったことがあるような気がする。
母がなくなって、とても寂しかった。
父は仕事で忙しく、いつも家で一人ぼっちだった。
それで頼んだことがあるような気がする。
兄妹が欲しい、と。

「ある、けど…」

まさか。

「水無瀬のおじ様、義也さんに喜んでもらおうと必死なんですよ。義也さんが何をすれば喜ぶのか分からないんですって」

顔が熱をもち、赤くなってくるのが分かった。
何やってんだあの馬鹿親父。

「義也さんがかわいくてしょうがないんですね」
「……うるさい」

顔に血が上ってるのが見られたくなくて、うつむけた。
幸い桜はつっこんでこない。

「おじ様とお話する時は、いつも義也さんのことばかりでした。後は、奥様のこと」
知っている。義彦は今でも死んだ義也の母を心から想っている。
「義也さんは、私が家に入ってくるのは嫌でしょう?」
「……最初からそういってんじゃねえか」

義也は不機嫌そうにうつむいたまま、ぼそりと返す。
少し声に迫力を欠いていたが。

「お母様がいた頃と、家を変えたくないんでしょう。模様替えとか、一切しないって聞きました」
「………」
「義也さんも、お母様のこととても大切に想っているんですね。素敵です」
「………」
「ごめんなさい。次住む所が決まったら、すぐ出て行きますから」
「………」
「でもマザコンって結構、離婚理由の上位らしいんで、気をつけてくださいね」
「やかましい!!!」

その後、しばらく無言のまま二人はお茶を啜っていた。
それはそんなに、嫌な空気でもなかった。
もう少しで予鈴がなるという時間に、義也が感傷的な雰囲気を壊すように口を開いた。

「しっかし、親父はお前にべらべらとしゃべるんだな」
「ええ、おじ様おしゃべりだから」
「お前の親父と友人だって言ってたっけ。お前の家とかで?」
「あ、いえ。私の前のバイト先が主ですね」
「………お前のバイト先?どこだよ?」
「それはちょっと法に触れちゃいそうなんで、ここでは口にできません」
「何やってんだあの親父ー!!!!!」



***




つつがなく、平和に昼休みは過ぎていった。
義也と桜は、昼休みも終わりに近づき教室に戻ることにした。
下駄箱に向かうために校舎の脇を通りすぎようとした時、カタンと小さな物音がする。
義也が何気なく音のした上の方向を向くと、3階の教室あたりから何かが落ちてくる。
その落下地点の真下にいるのは、桜だ。

「ちっ」

小さく舌うちすると急いで桜に飛びつき、自分ごと前に倒れこんた。
がしゃん、大きな音がしてそちらを振り向けば、割れてぐしゃぐしゃになった植木鉢。
義也の背筋に寒気が走る。
あたっていれば、ケガではすまなかったかもしれない。
もう一度上を向くと、人影が見えた気がした。
しかし太陽から刺しこむ光で、またたきした後には消えていた。
気の、せいか。
もう一度よく目をこらそうとすると、義也の体の下から頼りない声が聞こえる。

「あのー、義也さん」
「え、うわ、あ!」

咄嗟のこととはいえ、下に引いていたのは桜だった。
しかも抱え込むように抱きしめている形だ。

「いえ、押し倒されるのはいいんですけど、学校で○○○○ですか?ギャラリーに見られると燃えるタイプだったり?」
「誰がだー!!!!」

まっすぐに義也を見上げてとんでもないこと言い出す桜。
義也は慌てて飛びのくと、落ちてきた植木鉢を指差す。

「あれが!落ちて来たんだよ!」

桜はゆっくりと身を起こすと、義也の指差した方を見る。
少し首をかしげると、そちらへ向かった。

「ああ、これは危ないですね。あたっていたら下手したら死んでますね」

桜は砕けた植木鉢の破片を拾い上げ、太陽に反射させるように検分した。
そしてなぜか恥ずかしげに、頬に手を当てて顔を赤らめる。

「恥らうシーンじゃねえだろ!」

桜は先ほどの義也のように上を見上げ、そして辺りを見渡した。

「危ないですね。上の教室の窓、出っ張ってますし、管理はちゃんとしててもらわないと。危うく大事故になるところでしたね」
「……事故なのか」
「事故ですよ」

にっこりと微笑みながら頷く。
いつもながらのおっとりとした仕草だ。
義也はその様子に肩から力を抜いた。

「そう、だよな」
「そうですよ」
「ああ」

そうして制服についているほこりやら草やらをはたくと、二人一緒にもう一度歩き始めた。
途中で、義也はもう一度後ろを振り返った。
3階の窓には、何も見えなかった。



***




きーんこーんかーんこーん。
日に何度も鳴り響く、スピーカからのチャイム。
今日のすべての授業が終了した。
クールでいつでも不機嫌な義也の、本日のただならぬ様子にクラス中の目が注目してたりもしたが、なんとか今日は終了した。
5限は体育で、男女別の授業だ。
少なくとも粘着質な女子の目が減っただけでも、義也にはありがたかった。
更衣室にて着替え、藤と一緒に教室に帰ってくる。
藤はずっと桜との関係について根彫り葉彫り聞いていた。
義也はこの上なく正直に事実を話していたのに、納得しない。
いい加減うんざりしていた。
藤の話を適当に聞き流しながら教室の戸をがらりと開ける。
そこには、今日は体育に参加しないで諸手続きを行っていた桜の姿あった。
義也を見て、嬉しそうににっこりと微笑む。
それに不機嫌な一瞥で返そうとして、義也の動きが止まった。

「て、うわ、どうしたの!」

続いて入ってきた藤が桜を見て大声を出した。
桜の長めでやぼったい印象を与えていたセーラー服のスカートの丈が、膝上よりはるかに上になっている。
何かで無理やり切られたような、不自然な裾で。

「はい、何がでしょう?」
「そのスカート!どうしたの!破れてるよ!」

桜は藤の焦った様子にああ、と頷く。

「これですか。私ったらドジで……。破けてしまいました」

スカートの裾を持ち上げて、照れたように顔を赤らめる。

「破けたって……なんか他に着る物にないの!?」
「うーん、転校してきたばかりですからね、他にないですね」

あくまでおっとりと照れたように女性らしく頬に手を当てる桜は、いつもどおりだ。
そこでようやく義也が口を開いた。

「て、お前!そんな格好で恥ずかしくないのかよ!一応女だろ!」

桜はにっこりと微笑むと、もう一度スカートの裾を持ち上げる。

「大丈夫です。今日の下着は結構かわいいですから。幅広い層に支持される、純白レースシルクです」
「そうじゃねー!!!!」

桜に近づき全力で頭をはたく。
乱れた髪を押さえるように、桜は髪に手を当てた。

「え、だめ、ですか?」

義也を頼りなげな上目遣いで見上げ、不安そうに首を傾げる。

「義也さんもしかしてスカートの下はブルマ派ですか!?あ、それともスパッツ派!?ご、ごめんなさい言ってくれればすぐに好みのものに!」
「だから違う!!!!」
「あ、俺はちなみにバックプリントかシマパン派ー!」
「お前も答えてるんじゃねえ!!!」

桜と藤に、それぞれ一発づつくらわす。
続けざまの攻撃に、肩で息をしている。

「まあ、もう少しで制服も出来ますし、ちょっとの間ですから。それにこれくらいの長さは普通でしょう」
「長さは普通だが、そんな裾のスカートはありえない!」
「えーと、流行を先取り、とか」
「ふざけんな」

義也の隙のない言葉に、桜は困ったように眉を寄せる。

「でも私、換えの制服ないんですよ。夏服とか、中学校の制服は家計に困った時に…」
「分かった。とりあえずこれはいとけ」

桜が何かを言おうとする前に、手に持っていたジャージを差し出す。
長身でスタイルのいい義也のサイズだから、かなり大きいはずだがないよりはましだ。

「え…?」
「見てるこっちがイライラするんだよ」

そういって無理やりジャージを持たせる。
桜は一瞬躊躇っていたが、素直に受け取った。
優しく穏やかに微笑む。

「ありがとうございます」
「さっさと返せよ」
「はい。義也さんの体育の後の脱ぎたてジャージですか」
「匂いをかぐなー!!!!!」
「ふふ、ちょっとした冗談ですよ」
「お前の冗談は笑えねえ!!」

どうにか他のクラスメートが来る前に桜はジャージに着替えることが出来た。
結局、桜のスカートの異変の理由は聞けずじまいだ。
何人かは、桜が明らかにサイズの合っていないジャージを着ていることに首をひねっていたが、突っ込む人間はいなかった。
藤が義也をちょんちょんとつつく。

「いやん、優しいじゃない義也君。愛ね!」

一発どついて黙らせた。

「義也さん、今日夕食は召し上がりますか?」

隣から、小さな声で問われる。
義也はそちらを見ないまま、小さく頷いた。
視界の隅で、桜が嬉しそうに笑うのが分かった。



***




義也がバイトから帰ってくると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。
街灯に照らされたアスファルトが、鈍く光っている。
割と高級住宅地である自宅に、疲れた体を引きずって辿り着いた。
留守にしているか、義也よりも帰宅の遅い父しかいない家は、いつも暗い。
しかし今日は、玄関先に明かりがつき居間からも温かい光がこぼれている。
玄関の前に立つと、なにやらいい匂いがした。
煮込み料理の、匂いだ。

「ただいま」

鍵を外して、習慣で小さく帰宅の挨拶をしながら入る。
いつもなら闇に溶けるだけのその言葉だが、今日は帰ってくる言葉がった。

「おかえりなさい!」

パタパタとスリッパの音をたてながら、明るく澄んだ声が響く。
義也は、なぜだが胸の辺りが痛くなった。
小さな影が、玄関のすぐ横にある扉から飛び出てくる。
義也は知らず知らずのうちに頬を緩めて、その姿を見た。

「て、なんのつもりだー!!!!!!」

そこにあったのは、素肌にレースのかわいらしいエプロンをした桜の姿。
いわゆる、裸エプロン。

「どうでしょう。男の人は喜ぶとよく伺うんですが」

お玉片手にいつものようににっこりと微笑む。

「ふざけんなー!!!!」

義也は持っていたバッグを力いっぱい投げつけた。


義也の悪夢は続く。






BACK   TOP   NEXT