「……そういえば、なんで俺はお前と仲良く登校しなくちゃならないんだよ」 義也がその事実に気づいたのは、校門まで後100Mというところだった。 隣には髪をいつものようにゆるく二つにゆった地味な印象の少女がいる。 「なんでって…、一緒の家にいるからじゃないですか?」 「そうじゃねえ!俺はお前なんかと一緒に登校したくないんだよ!少しは時間ずらすとかしろよ!」 「やだ、義也さんたら。そんな今更な。もう学校ですよ?」 口元に手を当てて、おっとりと微笑む桜。 邪気がなく、穏やかな女性らしい仕草はいつもどおりだ。 けれど義也には、その仕草すら悪意のあるように感じられて仕方がない。 「だ、だいたいなあ!!!」 もっともな桜の言葉に、義也は頭に血が上る。 思わず言い返そうとしたその時、前方から義也を呼ぶ大声が聞こえた。 「おーい!義也ー!!」 校門前で大きく手を振っているのは、頑張ってはいるもののどこか垢抜けない少年。 義也の数少ない友人と言えるかもしれない、藤だ。 義也がそれに反応する前に、桜がそちらへと駆け寄った。 「おはようございます、藤さん。制服、どうもありがとうございました」 「あ、制服ぴったりじゃん。よかった、姉貴のサイズがあって」 「ええ、本当に助かりました。どうもありがとうございます」 そうして深々と頭を下げる。 昨日、なぜか前の学校の制服を破損した桜は、藤の姉の制服を借りることで事なきを得た。 そのまま学校に行きそうな桜を止めるための、義也の協力もあってのことだが。 「でも、本当にどうしたの、あの制服」 「はい、はさみで紙を切ろうとしてうっかり。私ったらドジで…」 恥ずかしそうに頬に手をあててうつむく桜。 その仕草は、本当に少女らしく初々しい。 「はは、桜ちゃんてドジなんだー。かわいいー」 「やだ、藤さんたら!」 「あの制服がそんな理由なはずがないだろう!!」 なごやかな雰囲気に包まれそうになった空気を、慌てて切り裂く義也。 桜の制服は、かなり短く切り取られていた。 うっかりドジで、なんて理由であそこまで切り取られるはずがない。 昨日から制服の理由を何度も問いただしているが、はぐさかされっぱなしだ。 「お前、昨日すべって転んで釘にひっかけたとか言ってただろうが!」 「あれ、私そう言いましたっけ?じゃあそんな感じで」 「そんな感じでじゃない!!」 せっかくの整った顔を上気させ、全力で突っ込む義也。 桜はそんな義也の剣幕に、困ったように首をかしげた。 「大丈夫ですよ、義也さん。新しい制服については、サブストーカーの鎌田さん(仮名)が作ってくださるって……」 「あいつらから物を貰うな!」 「鎌田さん(仮名)って〜?」 義也の叫びを聞き流し、のんきに尋ねる藤。 「前に私がアニメイベントのバイトをしていた時に話しかけてくださったコスプレの衣装作りの方で…」 「人の話を聞けー!!!!!!」 朝から血圧の急上昇する義也だった。 結局昨日と同じようにはぐさかされたまま、三人で下駄箱まで移動した。 同じクラスのため、下駄箱の位置は三人とも一緒だ。 靴を脱ぎ、上履きに履き替えようとする。 と、下駄箱の扉を開けた桜の動きが止まる。 「おい?」 桜は上履きの底を持つようにして取り出すと、いきなり裏返した。 ぽとぽとぽと。 上履きの中から画鋲がいくつも出てくる。 「お、おい!?」 「だ、大丈夫、桜ちゃん?」 桜はその画鋲を拾い上げ、何事もなかったかのように上履きを履く。 そうして呆然としている男二人を見上げてにっこりと笑う。 「まだまだ甘いですね。確実にダメージ与えたいなら、上履きの中に画鋲を貼り付けなくちゃいけませんよね」 「そうじゃねえだろ!!なんだよ、その画鋲!」 「どうやら学校の備品のようですねえ、返しておかなくちゃ」 「だからそうじゃなくて……」 「あ、予鈴です。早く教室いきましょう」 何事か問おうとする義也と藤を尻目に、桜はぱたぱたとスカートを翻して走り出した。 異変は教室でも続いた。 教室に漂う異臭。 義也の隣の、桜の席の上には生ごみが散乱していた。 昨日から薄々と感じていたことが、だんだんと形になっていく。 誰かが、桜に敵意を持っている。 「おい、お前……」 気遣うように、おそるおそる隣の少女の顔を覗く。 しかし桜は、いつもどおり穏やかな表情を浮かべていた。 「あら、誰かが間違ってゴミをぶちまけちゃったみたいですねえ」 「そうじゃねえだろ!」 おっとりとのんきに首を傾げる桜。 その様子には、ショックを受けたり落ち込んだりする様子はない。 しかし根が潔癖な義也は、怒りがこみ上げてくる。 たとえ桜がどんなに性格が悪くても、たちが悪くても、腹が立っていても、こういうやり方は許せない。 形のいい緑がかった瞳を眇めると、教室を見渡した。 義也の視線が向かうと、教室内の人間は慌てて目をそらした。 どうやら様子を伺っていたようだ。 誰がやったかは分からない。 しかし、もう始業前だというのに、見て見ぬふりをしている、むしろ面白がってすらいるクラスメイトにも腹がたった。 「おい、お前ら…」 声を大きくして、教室内の人間に怒鳴りつけようとした時、隣の桜が一際高い声を上げた。 「ああ、でも困りました。『義也さん』の隣の席の私の席がこんなに生ゴミくさいだなんて…。『義也さん』が授業中さぞかし困りますよね。あっ、『義也さん』の机の方にまでゴミが…。困った『義也さん』を助けてくださる優しい女性はいないんでしょうか…」 心なしか『義也さん』の部分が強調されている。 「お前…?」 桜の行動の意味が分からず、義也は教室を怒鳴りつけようとしたことも忘れて隣を見る。 その瞬間、教室内から大きな声が上がった。 「わ、私が片付けます!」 教室の端に座っている女子生徒だった。 それに続くように、次々に女子生徒が挙手をして立ち上がる。 「あ、ずるい。私もやる!」 「水無瀬君、私が!」 「片付け得意です!」 「花嫁修業してます!」 終いにはクラス中の女子が桜の席に集まってきた。 「皆さん、やさしいんですね。『義也さん』が困るんで、私の席を綺麗にしていただけますか?」 『はいぃ!』 小さな声で、内気そうにおずおずと頼む桜。 大変元気のいい返事が重なった。 「あ、ついでに新しい椅子持ってきてください。それとロッカーの方も埃っぽいんで雑巾掛けよろしくお願いしますね。後、私の教科書が職員室の方に届いてると思うので、それもお願いします。『義也さん』のために」 『はいぃ!』 素早い動きでテキパキと言いつけをこなしていく女子生徒たち。 呆然とそれを見守る義也と藤に、桜が頬を赤らめておっとりと微笑んだ。 「皆さん、いい人ばかりですね」 その後は、それをきっかけにか、女子生徒が桜に近寄ってきた。 転校生という立場にも関わらず、義也に近い立場にあるせいか、桜に近寄る女子生徒がいなかったのだ。 桜はそれに楽しそうに対応している。 義也は色々な意味で大変複雑な気分になりつつ、それを見ていた。 色々問いただしたいことはあるのだが、聞く機会がない。 そして昼休み、また弁当を持ってきたのかと隣を見ると、桜がなにやら手紙を見ていた。 「なんだ、それ」 「さあ、置いてあったので…」 そうしていったん手を離すと、机に置いたまま鋏で封を切り始めた。 「なんだ、その開け方」 切り終わり、封筒を逆さにする。 かつん。 鈍い音をたて、銀色に光るものが机の上に転がり落ちた。 かみそりだ。 「お前それ…」 「ペーパーナイフまでセットで付けてくれたんですね。親切な人ですねえ」 「そうじゃねえだろ!」 話の全く通じない桜に頭を抱えながら、朝から続く悪意をもう一度確認する。 「お前さ、なんかすげえ人に恨みでもかってんじゃねえのか」 お前の性格なら十分ありえると思うんだが。 そう付け加えて、義也は真剣に桜を見る。 桜は手紙を読んでいた。 「恨みですか…。踏み倒した闇金融業者か、セクハラしてきたので骨を5本折ってしまったバイト先の店長か、ちょっと度が過ぎたので裸ネクタイで橋からつるした前レギュラーストーカーの山本さん(仮名)か…」 「……お前はいつ刺されてもおかしくない」 「意地悪ですね、義也さん。私はできるだけ、人様に迷惑かけないように生きてます」 頬を軽くふくらませてすねてみせる。 なんともかわいらしいが、義也はかわいくともなんともない。 桜はそう言うと、柔らかな仕草で立ち上がった。 「あ、これお弁当です。召し上がってくださいね。好き嫌いしちゃだめですよ」 義也の弁当をそっと机に置くと、教室を出ようとする。 「どこ行くんだ?」 「ちょっと所用がありまして、失礼します」 そうして軽く会釈をして、教室を出て行った。 クラスの女子と昼食をとるのかとも思ったが、そうでもないらしい。 義也は目の前に置かれた弁当を見つめる。 落ちてきた植木鉢。 切られたスカート。 画鋲。 生ゴミ。 そして剃刀。 読んでいた手紙についても気になる。 義也が桜を気にする義理はどこにもない。 むしろ迷惑をかけられっぱなしである。 好意なんて、全く持っていない。 しかし…。 目の前に置かれた弁当。 義也の好みに合わせられた食事。 暗い家にともされた明かり。 「ああ…くそ!!」 義也は立ち上がり、乱暴な足取りで教室を後にした。 |