「調子に乗ってんじゃないわよ!」

学校内を駆け巡っていた義也が体育館裏に辿り着いた時、そんな女の声が聞こえてきた。
人気なく静かな場所にふさわしくない、甲高く険のある声。
耳障りな女の、声。

義也が声を辿って行くと、そこには想像通りの光景があった。

揃いも揃って派手で目立つタイプの少女が3人ほど。
笹岡と、その取り巻き達だ。
あまり女に興味のない義也だが、この少女達はよく周りにいたので覚えてる。

そして、真ん中にいるのは、髪をゆるく2つ結った地味な印象の少女。
桜だ。

「義也に近づくんじゃねえよ、ウザいんだよ、お前」
「マジウゼえ。ブスが調子乗ってんじゃねえよ」
「ありえないよね。水無瀬、すげー嫌がってんじゃん」

それは確かだ。
確かに心から義也は嫌がっている。
その言葉には深く頷く。

けれど、それは少女達に言われるものではない。

「あんた金がなくて、義也んちに居座ってんだって?いつ時代の話だよ」
「うけるし。金ないとかって、ほんと笑える。自分の体使って稼げよ」
「ねー、人に迷惑かけちゃいけませんよー」

少女達は綺麗な顔でくすくすとかわいらしく笑いながら、大人しげな少女を取り囲む。
男からはあまり理解のできない執拗さと陰湿さで。

この少女達がこういう面を持っていたことは薄々感じていた。
けれど改めて目の当たりにすると、その醜悪さに吐き気がしそうだった。
いくら桜が嫌いだといってもこんな場面をただ見ていることはできない。
桜が攻撃されているのは、紛れもなく義也のせいでもある。

胸のムカつきが我慢できそうにない義也は、出て行くタイミングを見計らう。
しかし義也が行動する前に、黙ってただ立ちすくんでいた少女が口を開いた。
この場にはそぐわない、穏やかな表情で。

「皆さん、本当に義也さんがお好きなんですねえ」
「は、何言ってんの?お前はさっさと義也んちから出てってウリでもやってろよ」

耳を塞ぎたくなるような汚い言葉。
けれど桜は動じた様子もなく、いつもどおりのどこか儚い少女らしい笑みを浮かべている。

「でもやっぱり、やっていいことと悪い事って、あると思うんです」
「はー?」
「人のスカート切ったりとか、画鋲入れたりとか、生ゴミを机にばら撒いたりとか」
「ばっかじゃないの?どこに私達がやったっていう証拠があるのよ?」

嘲り笑う少女達。
義也がとうとう我慢できなくなって足を踏み出そうとしたその時。

「はい、ここに」

にっこりと笑ってスカートのポケットから何かを取り出す地味な少女。
取り出したものは、数枚の写真。
穏やかな微笑はそのままに、一枚一枚写真を少女達に見せる。

「こちらがスカートを取り囲んでる貴方達の写真。そしてこちらが上履きに画鋲を入れている写真。こっちが生ゴミを集めている時の写真。ご苦労様ですねえ。わざわざ自分達で集めたんですか。どうりで香水に混じって微妙な香りがするわけですね」

にこにこにこにこ、邪気がなく、女らしい微笑み。
対して、3人の少女の表情と動きが凍りつく。

「な、あんた…」
「ちょ……」

「あ、で、こちらはおまけの品なのですが」

思い出した、というように今度は反対側のポケットから同じように写真を取り出す。

「こちらが水谷さんがドラックストアで万引きしている現場。で、こちらが金沢さんが犬のフンを踏んでしまって半泣きになってる時の写真。そしてこちらが笹岡さんが………」

なにやら薄暗くピントの合っていない写真を次々と取り出す。
その時になってようやく、向かい合っていた少女達が動いた。

「ふざけんな!!」

笹岡は丹念に手入された爪を振りかざし、桜の両手から写真を奪い取る。
そのままの勢いで、華奢な手からは想像がつかない力で写真の束を破り捨てた。
すべてを破り去り、肩で息をしながら桜を指差す。

「わあ、すごい握力ですね」
「これで証拠なんてねーだろ!」
「ああ、残念ながらネガが残っています。後デジカメにデータも。動画もありますし」
「てめー!!!!」

そうして笹岡がついに桜に手を振りかぶる。
その手が桜の頬を力いっぱい打とうとしたその時。

「あ、今も勿論撮影中です」

桜は一つも動じずにこにこと笑っている。
しかしその言葉で、笹岡の動きは止まった。

「いたいけな転校生と、素行の派手な学生。数々の証拠。さて、どうなされますか?」
「と、撮ってるって、な、何言ってるのよあんた」
「先ほどから皆さんが私を取り囲んで、少々穏やかではないお話をされていたことは、最初から最後まで、全部記録してある、ということです」

やはり笑顔を崩さない桜。
見ている義也は、もはやそちらのほうが薄ら寒い。
先ほどまで余裕を見せていた3人の少女は、焦りを浮かべ辺りを見回す。

「ちょ、どこにもそんなのないじゃない」
「隠し撮りですから。見つかったら意味がないです」
「ハッタリかましてんじゃねえの、この女」
「そう思うのならどうぞ、私を殴るなり罵るなり鞭打つなりロウソク垂らすなりお好きに」

動揺の一つも見せない桜に、少女達はそれが真実であることを知る。
先ほどとは打って代わって、互いを見合い不安げな顔を見せる。
笹岡だけはいまだ唇をかみ締め、桜を射殺しそうなほどの視線の強さを見せていたが。

「来年は受験ですし、大変ですよね。内申書とか。ああ、そしてこちらの秘蔵写真を皆さんの親御さんにお見せしたら、ご両親は大変心配されるかもしれませんね」
「ちょ、やめてよ!」
「え、やだ、ねえ、笹岡どうしよう。あれ、あれパパに知られたら」
「ねえ、ユキ、ユキ」
「うるさいわね!」

桜がちらりと胸ポケットから取り出した写真を見ると同時に、ざわめく3人。
再度ポケットにしまいなおすと、桜はにっこりと笑う。

「ああ、そんな心配なさらないでください。たまたま撮ってしまっただけですから」
「ね、ねえどうしたらいい?謝るから、ねえ」

一番気弱そうな金沢が、小さな体に取りすがり哀れっぽく頼み込む。

「おい金沢!」
「だって、私ヤダよ!最初からユキがやれって言ったんじゃん!」
「てめえ、今更何言ってんだよ」
「わ、私だって困る。あんなのバラされたら……」
「水谷!」
「笹岡だって困るでしょ!あんた来年推薦狙ってるんだし」
「う………」

仲間内でごちゃごちゃと騒ぎ合う少女達を、桜は変わらない穏やかな顔で見つめる。
仲間割れの輪から飛び出して、金沢が桜の腕に取りすがった。

「ね、ねえ。本当にごめん。ねえ、どうしたらいい?」
「あらあら」
「……わ、私も謝る。なんでもするから。だから、その写真はお願いだから……」
「まあまあ」
「…………」
「そうですね。私だって皆さんを別に追い詰めたいわけじゃないんですよ。そんな顔しないでください。皆さんお綺麗なんだから、笑顔がお似合いですよ」
「じゃ、じゃあ!」
「先ほど皆さんが言っていた通り、私貧乏なんですよ」
『え!?』

唐突な話題転換に素っ頓狂な声を上げる少女達。
桜はやんわりと金沢の腕を払うと、儚げで女らしい柔らかな仕草で髪を押さえる。

「昔から、水心あれば魚心ともいますし」
「どういう意味……?」
「皆さんが、私の窮状を思いやって、助けてくださると嬉しいな、という話です」
『…………』
「皆さん本当にお綺麗ですし、いくらでも稼げるでしょう」

桜はそう告げて、顔面蒼白な少女達に柔らかく微笑みかける。

「あほかー!!!!!」

そこで、心からの叫びが場を切り裂いた。

「とか言ってしまうと、そこで隠れている義也さんに嫌われてしまいますから、冗談です」

割って入るタイミングを逃し、黙って成り行きを見守っていた義也だが、ついに我慢できずに突っ込みを入れてしまう。
しかし桜は突然の義也の登場にも動じずにこにこと笑っていた。

「お前は何を考えてる!」
「いやですよ、義也さん。ほんの冗談です」
「だからってな!」
「こういう場合は、徹底的につぶしておいて、もう逆らおうなんて気を起こさないようにするのが効果的なんですよ」
「なんの知識だ!」
「私のつたないバイトの経験で得た知識です」

何を言っても相変わらず暖簾に腕押しな桜に、頭痛が増す義也。

「……だいたい、その写真はどこで手に入れたんだ」
「ああ、これですか」
『ああああああ!!!!』

胸ポケットから写真を取り出そうとした瞬間、少女達が声を上げる。

「あら、いけないいけない」
「お前、絶対わざだろ……」
「いやですね、人聞きの悪い。これはですね、盗撮マニアのレギュラーストーカー2号佐藤さん(仮名)が撮ってくださったもので」
「またあいつらなのか……」
「情報収集能力が卓越しているレギュラーストーカー1号山田さん(仮名)が情報を集めてくださって、追跡能力が長けているレギュラーストーカー3号の小林さん(仮名)が後を附けてくださったんです」
「…………」
「あの方たち、こういう時はとても頼りになるんですよ。義也さん、人気がおありになるし、こういうこともあるかと思って皆さんに頼んでおいて」
「ストーカーを利用してるんじゃねえ!!!ていうかなんだそのフォーメーションは」
「ふふ、義也さんたら。これぐらい役に立つような人たちじゃなったら、跡を付回させたりするわけないじゃないですか」
「計算づくか、すべて計算づくなのか……」
「なーんちゃって、冗談ですよ、冗談」
「なんちゃってとか言うな。きもい。誰が信じるか」

更に増す頭痛に顔をしかめ、義也は後悔の海に沈んでいた。
こんな女を、心配なんてするんじゃなかった、と。
その時、しばらく蚊帳の外にいた少女達が動いた。

「ね、ねえ水無瀬……」

義也はすっかり存在すら忘れていた3人を思い出し、険しい目でそちらへ向く。

「水無瀬、その……」
「義也………」
「こいつほどじゃないけど、お前らもたいがい最低だよな」
「………っ」

その綺麗な二重の目で睨みつけると誰しも怯んでしまいそうなほどの凄みがあった。
義也は汚いものでも見るかのように、顔をしかめる。
そんな顔をしても、整った顔は崩れない。

「わ、わたしたち、よ、義也のためを思って……」
「誰が頼んだんだよ。お前らいつもこんなことしてたのか?」
「ち、ちが………」
「群れて1人を囲んで、汚いにもほどがある」

どこか潔癖なところのある義也に、容赦はない。
3人の少女はうろたえ、顔をくしゃりとゆがめる。
最初に涙を目尻に浮かべたのは、笹岡だった。

「もう俺に近寄るなよ。お前らみたいのはだいっきら」

嫌いなんだよ、と言い切ろうとした瞬間、義也の頬に軽い痛みが走った。

「だめですよー、義也さん」
「っ、てめえ何しやがる!」

それはほんの軽い衝撃で、痛くともなんともない。
しかし桜に殴られたという精神的ショックで、義也は目を険しくする。
誰もが無条件で謝ってしまいそうな威圧感を、けれど桜は穏やかにいなす。

「そんなこと言っちゃ駄目ですよ、義也さんだけは」
「なんでお前にそんなこと言われなくちゃならねえんだ!」
「この人たちは、義也さんが好きだからです」
「そんなの俺には関係ない!」

激する義也を、桜は困ったように笑って首を振る。
悪戯をした子供をしかる母親のように。
その柔らかなたしなめに、義也は眉を寄せる。

「確かにこの人たちのやったことはいけないことです」
「そうだろ。お前もだけどな」
「卑怯でえげつなくてばばっちくて最低で醜くて人間として考えられないことです」
「………おい」
「けれど、義也さんが好きだという、その気持ちは本物なんです」
「…………」
「好きな人が出来たら、ちょっと無茶なことでもやってしまいます。醜い感情だって持ってしまいます。この人たちは、普通の人たちより性格が悪くて根性が捻じ曲がってるだけなんです」
「お前、フォローしてねえだろ」

義也のところどころの突っ込みは綺麗にスルーして、桜は女らしく首を傾げて微笑む。

「でも、義也さんにそんな姿を知られた時点で、この人たちは十分罰を受けました」
「…………」
「だって、あんな姿見たらこの人たちを義也さんが選ぶなんて、万が一にも、いえ百億分の1にも、地球が逆回転してもありえません」
「………いや、そうだけど、ちょっとお前ひど……」
「だからこの人たちは、十分に罰を受けているんです。もう責めないであげてください」
「だからお前はこいつらをかばいたいのか突き落としたいのかどっちだ」

そこまで言った時、笹岡が目尻にためていた涙をこぼし始めた。
釣られて、金沢もしゃくりあげる。

「うっうぅぅ」
「ごめっ、ごめんなさい……っ」

笹岡は立っていられなくなったのか、しゃがみこんで顔を覆った。
その様子は、先ほどまでの勝気な少女とも思えない。
水谷は、どうしたらいいのか分からない様子で立ちすくんで辺りを見回している。

「うっ…ひくっ…」

いつも表情豊かに女王様然としている美少女のその姿は、みじめったらしく哀れで、ちっぽけだった。
桜は笹岡の隣に座り込むと、その頭を胸に抱きかかえるように撫でる。

「せっかく綺麗なのに、泣いたら台無しですよ」
「うーっ……」

いやいやするようにかぶりをふって、桜から逃れようとする。
それでも桜は力強く、優しくその髪を撫で続ける。
水谷が、立ったままぼそりと口を開いた。

「笹岡、ずっと水無瀬のこと、好きだったんだよ。水無瀬につりあう女になりたいって、ずっと頑張ってた」
「ちょっと、想いが強すぎたんですね。貴方はとても綺麗ですよ。やり方をちょっと間違えてしまいましたが」
「えっく……う、ううう」

穏やかで女らしい桜の声。
それは傷ついたものを癒すような、不思議な優しさがあった。
そして、笹岡は桜の胸に顔を埋めて泣いた。



***




「なんか、疲れた………」

放課後、2人は並んで帰途についていた。
義也は昼休みを結局オーバーして授業を遅刻した上に、昼食をとり損ねて疲労が頂点に達していた。
桜は疲れた様子もみせず、相変わらずにこにこと歩いている。

「……しかし、人って見かけによらないんだな」
「笹岡さんのことですか?」
「……ああ」

もうちょっと、相手をしてやればよかったかと思った。
そうすれば、彼女の感情もあんな方向に向くこともなかったのだろうか。
その笹岡を受け止めた桜にも、ちょっとだけ見方が変わっていた。

「ああいう群れてるお山のリーダータイプは、一度プライドとか価値観とか打ち砕くと、後はもろいんですよー」
「は?」
「虚勢をいっぱいに張って頑張ってるタイプですからね、実は誰かに頼りたいんですよ。一回なつかせると、後は楽ですよ」
「おい……?」
「かわいいですよねえ、笹岡さん」
「………」
「クラスでもリーダータイプですし、何かとこれから仲良くしていきたいです」
「やっぱりすべて計算づくかー!!!!」



義也の長い足から繰り出される回し蹴りが、桜に綺麗に決まった。






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