カウント1。 朝8時6分、次の交差点まで約3分。 几帳面な彼はいつも8時に家を出る。 そうして、8時10分にあの交差点を通る。 だから私のはこのペースで歩けば、彼に会うことが出来る。 背筋が綺麗に伸びた、けれどちょっと右に重心のよった歩き方。 時間通りに見えた姿に、私は自然と頬が強張る。 意識せずに小走りになり、彼の背中を追いかける。 彼は、今日も待っていてくれる。 1か月と5日、待っていてくれた。 これが最後だと思うと、うまく笑える自信がない。 頑張れ、私。 最後まで頑張ろう。 友ちゃんに余計な、罪悪感など抱かせないように。 「おはよう、友ちゃん。好きだよ」 「おはよう」 友ちゃんがうっすらと笑って、私の手を取る。 いつのまにか無表情な顔に、こんなに優しさを滲ませてくれていた。 優しい友ちゃん。 なんて贅沢ものな私。 なんて幸せな私。 右手に感じる温もりに、胸がコトコト揺れる。 大好きな手。 ずっとずっと、大好きだった手。 ずっとずっと覚えておこう。 堅くて長い指をした、大きな温かい手。 足の長さの違いで、私はどうしても、半歩遅れてしまう。 それでも一歩前ではない。 二人並んで歩いている。 隣にいれる幸せ。 隣にいれた幸せ。 引かれる手の先を、視線で辿る。 背筋ののびた背中、私の好きな背中。 ずっとずっと、見てきた背中。 隣にいれた時間でも、この背中が大好きでした。 あなたの背中が、大好きでした。 「あのね、友ちゃん」 「ん?」 「友ちゃんが、大好きです」 「はい、知ってます」 ぎゅっと手が強く握られる。 胸がキリキリキリキリ音を立てて軋む。 目が熱くなってくる。 だめだめ。 今日一日は頑張ろう。 覚えていてくれるかな。 これからきっと友ちゃんはいい大学行って、いい会社に入って、素敵な彼女さんが出来て、幸せな家庭を築いて、かわいい子供なんかできるんだろう。 そんな中、ふと思いだしてくれるといいな。 少しでもいいから、覚えていてほしい。 あんな馬鹿な奴がいたって、覚えていてくれると、いいな。 それが、少しでも楽しい思い出だったりしたら、いいな。 綺麗な思い出になると、いいな。 「それじゃあね」 「じゃあな」 下駄箱で、別れる。 私が勝手にくっついて、勝手に離れるんじゃない。 放課後の約束をして、別れる。 周りの人にも、今はあまりこそこそ何も言われない。 まあ、どっかで言われてるんだろうけど。 でも、許してね。 これも、最後だ。 これで、最後だから、どうか許して。 金曜日で、明日は土曜日でお休み。 今日も、友ちゃんと一緒に帰れた。 隣で歩くのは、ドキドキする。 いつもドキドキしてる。 友ちゃんが、大好きで仕方がない。 ただ一緒にいるだけで、幸せだ。 「一緒に、帰ってくれてありがとうね」 「なんだよ、急に」 「ううん、幸せだなあ、って」 友ちゃんが呆れたように、なんだそれ、と言って笑う。 だってね、嬉しいの。 幸せなの。 とってもとっても幸せだったよ。 どんなに来ないでと願っても、今日は来てしまった。 時間が止まってくれれば、よかったのに。 未来なんていらない。 過去だけでいい。 ただ、一緒に過ごした時を思い出して、来ない明日を夢見たかった。 でも、やっぱり今日は来ちゃった。 時間なんて、止まらない。 当たり前のこと。 だから、この別れも、当然のこと。 1か月と5日、幸せだったな。 とっても楽しかったな。 哀しくて、辛くて、痛かったけど。 でも、楽しかったよ。 友ちゃんを好きでいること、楽しかった。 友ちゃんといれて、嬉しかった。 10000回分、ご褒美をもらった。 10000回の、幸せをありがとう。 苦しくして、息ができない。 前よりも、ずっとずっと、苦しい。 友ちゃんにふられた、10000回のあの時よりも、ずっと苦しい。 考えるだけで、怖い。 この幸せを、失うのが、怖い。 叫びだしたい。 逃げ出したい。 けれど、決めたのだ。 これでいいと、決めたのだ。 これで終わりにすると、ずっと決めていたのだ。 明日は土曜日で、学校はお休み。 ケーキをホールで買ってある。 お気に入りの音楽と、お気に入りのDVDも用意して。 お気に入りのお茶を入れよう。 だから、どんなに泣いても大丈夫。 大丈夫、前も立ち直れた。 だから、今度も大丈夫。 こんなにも幸せだった。 10000回、幸せだった。 だから、きっと、これからも大丈夫。 友ちゃんといれたこの時間があるだけで、それだけでいい。 あの時よりも、陽が落ちるのが早い。 もう辺りはすっかり薄暗い。 あれはもう、半年以上前の話。 夜に染まる空の下、私は大きく深呼吸。 さあ、頑張ろう。 「あのね、友ちゃん」 「どうした?」 友ちゃんが、ちゃんと立ち止まってくれる。 隣に並んでから、立ち止まってくれるようになったね。 私の言葉を、聞いてくれるようになった。 いっぱいいっぱい、聞いてくれた。 ありがとう。 10000回のありがとう。 1か月と5日間、ありがとう。 「友ちゃんが、大好きだよ」 「…………」 「本当にね、大好きだよ」 だから顔を上げて、笑う。 あなたの記憶に残る私は、泣いてばかりのうざい女じゃなければいい。 馬鹿みたいに笑っている私を、覚えていて。 友ちゃんがなんとも言えないような戸惑った顔をする。 薄暗い空の下。 それでも、あなたの顔ははっきり見える。 「みのり」 真面目な顔をした友ちゃんが、かすれた声で名前を呼んでくれる。 名前を呼ばれて、一気に涙が溢れそうになる。 だめだ、こらえろ。 「………みのり」 背の高い友ちゃんが少し腰をかがめて、顔を近付けてくる。 何かと問いかける前に、友ちゃんの鼻が頬にあたった。 唇が、あったかい。 こらえていた涙が、こぼれた。 ああ、もう、これで。 カウント、0。 |