カウント0。




そっと、友ちゃんの顔が離れていく。
私はずっと、目を開けたままだった。
その二重の目も、整えられた眉も、薄い唇も、その全てを覚えておく
全部全部覚えておく。
これが最後の思い出なんて、私はなんて幸せなんだ。

もう、涙をこらえることが出来ない。
ボロボロボロボロ、後から後から、流れてくる。
もう、こらえきれない。
ああ、もう、友ちゃんの馬鹿。
どうして、こんなことするの。

「………泣くなよ」
「え、えへへ、えへへ、ごめんね」

友ちゃん困ったように笑って、私の頬を拭う。
その表情はとっても優しい。
だから、胸が締め付けられて、余計に涙が止まらない。

嬉しくて嬉しくて。
嬉しくて嬉しくて。

悲しくて。

涙は後から後から溢れてくる。
でも、必死でそれを拭って、私は友ちゃんを見上げる。
最後ぐらいは、笑っていたい。
だから、笑って、友ちゃんを見上げる。

「あのね、友ちゃん」
「ん?」

友ちゃんは眼を細めて穏やかな表情をしたまま。
ああ、嬉しいな。
最後に、こんな顔を見てられるのは、嬉しい。

「今まで、ありがとうございました」
「………うん?」

勢いよく頭を下げて、お礼を言う。
また勢いよく頭を上げると、友ちゃんはきょとんとした顔をしていた。

「あのね、もういいよ」
「………何言ってるんだ?」
「もう、私に付き合ってくれなくていいよ」

私、笑えてるかな。
ちゃんと、笑えてるかな。
どうかな。
何度も鏡の前で、練習した。
その成果は出てるかな。

「何言ってんの、お前」
「本当に本当に、ありがとうね。すごいすごい、嬉しかったよ。楽しかったよ。もう十分」

友ちゃんは、怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
その声には、戸惑いが含まれている。

「何言ってんだよ、みのり」
「もう、私なんかに付き合ってくれなくて、いいよ。もう、自由だよ」

私は、ずっと練習してきた言葉を、そのまま紡ぐ。
あ、なんかちょっと偉そうだったかな。
もっと、言い方あったかな。
難しいな。

私の言葉を理解したのか、友ちゃんの顔に怒りが滲んでくる。
眉は寄せられ、口を引き結んでいる。
怖い顔。
怒っている。
………怒ってくれてる。

「………はあ?なんだ、それ、別れるってことか!?」

その言葉に、サイズの違う服を着たような違和感を感じる。
別れるっていうのは、恋人同士で、使う言葉だ。
その言葉は、なんだか私には相応しくない気がした。

「別れる、ていうか、うーんと、もう、私に、付き合ってくれなくても、大丈夫だよ」
「だから、それが別れるってことだろ!?つーかなんだ、それ、大丈夫とか、十分とか意味わかんねえよ!」
「別れる、って言うのは、なんか違うっていうか、私にはもったいないっていうか」

やっぱり、ちょっともぞもぞするから、なんとなく説明してしまう。
友ちゃんは、更に声に険を滲ませる。

「………何、それ。最初から、俺達付き合ってなかったってこと?恋人じゃなかったの?」
「こいびと、みたいなこと、いっぱいしたよ。嬉しかったよ」
「みたいってなんだよ!本当に意味分かんねえよ!言葉通じてないのかよ!」

ああ、友ちゃんが怒っている。
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい。
嫌な思いをさせてごめんなさい。
私なんかに時間を割いてもらって、ごめんなさい。
私なんかが、不快な思いをさせてごめんなさい。

「ごめん、ね。うまく、言えない。ごめんね」
「お前、俺のことが好きなんだろ?ならなんで別れんだよ、意味わかんねえよ」
「大好きだよ。友ちゃんのこと、大好き」

それは何度でも繰り返す。
それだけは、私の中の、大事なもの。
誰に誇ってもいい、誰にも犯されない、たった一つの大事なもの。
私の、本当。

「なら、なんで………」
「だから、ずっと、私なんかに付き合わせるの、申し訳ないよ。私は、もう十分だよ」
「………だから!それが意味わかんねえんだよ!申し訳ないって、なんだよ!俺、お前に付き合ってほしいって言ったよな!?お前頷いたよな!?だから付き合ったんだよな!?ならなんで、俺がお情けで付き合ってるみたいになってるんだよ!」

もどかしそうに、イライラと友ちゃんは頭を掻き毟る。
嬉しい言葉に、止まっていた涙が、また溢れてくる。
なんで、本当に友ちゃんは、こんなにも、私を惹きつけるのだろう。

ごめんね。
そりゃ、わからないよね。
私、勝手なこと言ってるよね。

勝手に告白して。
勝手に満足して。

ごめんね。
本当にごめんね。
でもね。
もう、十分なの。

「えっとね、これはね多分ね、ご褒美なのかなって。10000回頑張ったご褒美だから、10000回いいことあるのかなって。だから終わったら、終わり。ご褒美の時間はおしまい」
「なんだ、それ。なんの宗教だよ!お前、どうしてそう自己完結してんだよ!」

自己完結、か。
ああ、そうだ。
そのとおりだ。
あまりにも的を得た言葉に、少し笑ってしまった。

「ありがとうね、友ちゃん、そんな風に言ってくれて、ありがとう」
「だから!!俺の意志は、どこにあんだよ!俺は、別れたくないんだよ!お前といたいんだよ!………っ」

友ちゃんはそこで、一旦言葉を切った。
苦しそうに、空気を求めて喘ぐように、顔を歪める。
そして、掠れて、吐き出すような声で、言った。

「………、お前が………、好き、なんだよ……っ」

その瞬間に、私の体の中に、熱いものが溢れた。
駆け廻る熱いものは、目から溢れて、零れおちる。
壊れたみたいに、溢れてくる。
もう、止められない。

「………ありがとう」

ずっとずっと、欲しかった言葉。
夢見ていた言葉。
絶対に、手にいれることなんてできないって思っていた言葉。
10000回、期待した言葉。

「………みのり」
「ありがとうね、友ちゃん。私それで、十分。おっきなプレゼントもらっちゃった。だからそれで、十分」

だから、もういい。
これでいい。
これで終わりでいい。

「………お前、俺の言うこと、聞いてねえの?別れたくねえつってんだよ!!」

友ちゃんが、大きな手を、振りかぶる。
殴られるかなって思ったけど、避けようって気はなかった。
それは、当然の罰だから。
むしろ、殴られたかった。
それで友ちゃんの気が少しでも、済むといい。

でも、友ちゃんは振り上げた手をぎゅっと握って、溜息と共に下ろした。
目をつぶって苦々しげに、歯を食いしばる。
低い唸るような声が、聞こえる。

ああ、ごめんね。
本当にごめんね。
そんな顔させたくないの。
そんな顔をさせたい訳じゃないの。

「………どうして、わかってくれないんだよ………」
「………あのね、でもね、友ちゃん、きっと私に飽きるよね」
「………………」

私の言葉に、友ちゃんが顔をあげた。
苦しげな顔のまま、じっと見つめてくる。
その目を、ただ見つめ返した。

「友ちゃんが、彼女さんと付き合ったのは、最長で9ヶ月と13日。私なんて、後1か月もすれば、すぐ飽きちゃうよ」
「そんなこと………」

ないって、言おうとする声を、遮った。
涙は、まだ止まらない。
ああ、最後ぐらいは、笑っていたかったのに。
前も、こんなこと思ったっけ。
本当に進歩ない。

「あるよ。今は単に捨てたゴミが、惜しくなっちゃっただけ。すぐにただのゴミだって気付かれちゃう」
「………なんだよ、それ」
「そうしたら、私ふられちゃう。それはね、いいんだ。それはしょうがない」

ぎゅっと、唇を噛む。
ふられるのはいいんだ。
それは当然だから。
でも、怖いことがあるの。
私は、それだけは、絶対にいやだ。

「でもね、今ね、前よりいっぱいいっぱい、友ちゃんが好き。大好き。本当に好き」

毎日毎日溢れる、好きっていう気持ち。
これ以上好きになんてなれない、て思っても、どんどん好きになっていく。
どこが限界なんだろう。
どこになったらいっぱいになる?
いっぱいになったら、その後は?

「だからね、今度は笑って、ふられる、なんて、できない」

その時の痛みは、前の時なんてものじゃないだろう。
今だって痛い。
覚悟していても、こんなにも痛い。
だから、次ふられるなんて、考えるのも、嫌だ。

「いっぱい泣いちゃう。もしかしたら、すがりついちゃう。そうしたら、友ちゃんに迷惑かけちゃう」

ただでさえストーカー。
ただでさえウザい女。
それなのに、更にウザくて痛い女になる。
これ以上、あなたに嫌われたくはない。

「それで、もしかしたら、本当にもしかしたら」

そして、私を捨てるあなた。
私を嫌うあなた。

そうしたら、私は。

「友ちゃんが、嫌いになっちゃう」

片思いって、辛いけど、気楽。
振り向いてくれるのを期待しながら、どこかで諦めている。
だから、綺麗な思い出に出来る。

「そんなの、嫌なの。友ちゃんを嫌いになんてなりたくない。恨みたくない」
「………それが、理由なのか………」
「うん」
「なんだよ、それ。結局自分の、都合じゃねえか。自分が傷つきたくないから、じゃねえか。俺の意志なんて、どこにも、ねえじゃねえか」
「……………ごめん、ね。振り回して、ごめんね」

友ちゃんは、言葉を失った。
そして、見たこともない表情をした。

それは、泣きそうな、途方にくれた子供のような顔。

胸がぎゅっと、冷たく凍る。
いつも頼りになる、冷静な友ちゃん。
そんな顔をしないで。
私なんかに、そんな顔を、見せないで。

「………俺、結局、お前に信じてもらえなかったって、こと?」
「信じてるよ。友ちゃんのことは、全部信じてる」
「信じてねえよ!」

苦しげに、叫ぶように声を上げる。
震える語尾を、これ以上聞いていたくはない。

「なんでそんな先のこと考えてばっかいんだよ!終わりばっか考えんだよ!まだ付き合って一か月かそこらだろ!お互い好きなんだろ!?なんで、な、んで………」
「ごめんね。本当にごめんね。煩わせてごめんね。もう、私のことなんかで煩わせること、ないから」
「そういうこと言ってんじゃねえって、何度言えば分かるんだよ!俺の話、聞けよ!俺の言うこと、ひとつでも聞いてんのか!?お前が、好きだって言ってんだろ!」

嬉しくて、悲しくて、痛くて、苦しくて、苦しくて、苦しくて。
ああ、このままじゃ、私がすがりついてしまいそうだ。
決心が、鈍ってしまいそう。
それだけは、ダメだ。

「ありがとう。それで十分。じゃあね。ごめんね、本当にありがとう。ありがとう。大好きでした」
「みのり!!」

友ちゃんが後ろから叫ぶ。
だけど私は、逃げ出した。
嫌なの。
ここで、あなたにすがるのは嫌なの。

ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。

うざくってごめんなさい。
我儘でごめんなさい。
ふりまわしてごめんなさい。

ありがとう。
本当にありがとう。
10000回のありがとう。
10000回のごめんなさい。

大好きです。
友ちゃんが大好きです。

だから、もうこれでいい。
これ以上はいらないの。

友ちゃんにふられるのは嫌なんです。
もう痛いのは、いらないの。
あなたを恨みたくなんかない。
あなたを嫌いになりたくない。

ただあなたを好きでいたい。
綺麗な思い出を、残しておきたい。

大好きです。
ずっとずっと、大好きです。

だからもう、いらないの。
思い出さえあればいい。
夢さえ見ていればいい。

辛い未来なんていらない。
優しい過去さえあればいい。



これ以上の、現実はいらない。






もう、カウントは、したくない。






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