「友ちゃん、好きです」

それは、もういつからか思い出せもしない昔から繰り返された言葉。
いつでも傍にあって、いつだって与えられた言葉。
俺にとっては当然なもので、日常で、その言葉の重みなんて、考えたこともなかった。

それは、俺に与えられて当然なもの。
この女は、俺の傍にいて、当然のもの。

みのりが傍にいる日常。
それが、俺にとって、自然なことだった。



***




いつからみのりが傍にいたかなんて、あまり覚えてない。
気付いたらそこにいた。
それが自然になるぐらい、そこにいた。
今考えると、少し怖いぐらい、それが普通だった。

ウザくて、面倒くさくて、たまにかわいくて楽しい。
正直、みのりを『女』として意識したことなんてない。
繰り返される告白は、風の音と同じようなもの。
いつもは気にならない。
たまにうるさくて、たまに心地いい。
気が向いたらからかって遊ぶ。
傍に纏わりつかせることにそこまで拒否感もなかった。
懐かれるのは、そう悪い気はしない。
友達やカノジョと遊ぶ時はついてこないし、わがままも言わない。
ただ好きだと繰り返すだけ。
気を使わないでもいいし、邪険にもできた。

よく言えば、妹みたいなもの。
悪く言えば、ペットだ。
じゃれ付いてくる仕草がかわいくて、たまに構う。
そんなもの。

みのりは、俺にとってそんな存在だった。



***



「今まで、ありがとね、友ちゃん」


俺が始めて『みのり』を認識したのは、その時。
その言葉を告げられて、初めてあいつを1人の人間として意識した。

それは、もういつからか思い出せもしない昔から繰り返された言葉。
いつでも傍にあって、いつだって与えられた言葉。
俺にとっては当然なもので、日常で、その言葉の重みなんて、考えたこともなかった。

それなのに、その言葉が表すものは、別離。

俺の傍にいるはずのものが、離れていこうとしている。
勝手なことをしている。
こいつは、俺の傍にいることが、当然なのに。

その感情は、イラつき。
怒り。
裏切られた、という失望。

飼い犬に、手を噛まれた。


「ありがとう、友ちゃん、好きでした」


繰り返された告白が、過去形になる。

そんなのは想像もしていなかった。
そんなことは俺は、許していない。
誰の許可を得て、俺を諦めているんだ?
お前は、俺を好きでいることが当然なくせに、何を、俺から離れていこうとしているんだ?


「それじゃあね。ばいばい」


今まであんなに粘着に纏わりついていたくせに、あっさりと微笑んで。
駆け出していく背中。

かわいがっていたペットに裏切られた。
許せなかった。
追いかけて、殴りつけたいような衝動。

かわいがってやってたのに。
纏わりつかせてやっていたのに。
俺の後をついてきているのを、許してやっていたのに。

なんでそんな簡単に、俺を諦めているんだ。



俺は、みのりが許せなかった。



***



カノジョもいたし、他にやることもいっぱいあった。
みのりへの怒りは消えないけど、どうでもいい、って気になった。

離れるなら離れればいい。
勝手に纏わり着いて、勝手に離れて、なんて身勝手な奴。
せいせいした。
長年のストーカーから解放された。
これで終わりだ。
そんな風に思っていた。

思い込もうとしていた。

けれど、徐々に浮き彫りになる、物足りなさ。

「友ちゃん、好きです」

そう繰り返す言葉。
少し舌たらずで、頭悪そうで、甘い声。
半歩後ろを追いかけてくる、小走りの足音。
気まぐれで振り向くと、いつでも息せき切って、それでも嬉しそうに笑う小柄な影。

そんな、いつでも傍にあったものが、ない。
ないことに、違和感を覚えてくる。
だんだんと大きくなっていく、空虚感。

カノジョは勿論好きだったし、友達と遊ぶ時はみのりの存在を忘れた。
それでも、その違和感は徐々に大きくなって。
みのりがいない日常が落ち着かなくなる。

繰り返された日常が、突然消える。
いつもあったものが、近くにない。

みのりがいない生活なんて、考えたこともなかった。
なくなった時、どうなるかなんて、考えたことが、なかった。



***



「あの子、お前のこと諦めたんだ」
「あ?」
「いつもお前にくっついていた子」
「知らねえ」

みのりの名前を聞くと、イラついた。
家で、親からその名前が出たときは、切れた。
人を苛立たせることしかできない、あんな裏切り者。

たまに出される、その話題がとんでもなく腹立たしかった。

「もったいね、結構かわいいのに」
「は、みのりが?」
「かわいいじゃん。ていうかどんどんかわいくなってくよな」
「……あいつがぁ?」
「お前を諦めたみたいだから、特攻しようかって奴いるらしいぜ?」
「………」
「まあ、ちょーっと愛がディープで怖いけど、一途っていっちゃ、一途だしな」
「ストーカーだぜ?」
「お前がめっちゃひどかったから、同情票も集まってんだよ。健気で可哀想ってな」
「あいつウザイじゃん」
「言うほど纏わりついてないじゃん。朝ぐらいだし。すっげお前に気つかってたよ、カノジョ。俺もマジ可哀想ってたまに思った」
「…………」
「確かにちょっとウザイけどねー」

途端に生まれる、独占欲。
人が欲しがると、ゴミでも惜しくなる。
ましてみのりは、俺のものだ。
人のものになるなんて、許せない。

俺から離れていって、他の奴のものになる。
そんなことは、許せなかった。

だから、声をかけてやった。
100歩どころか、1万歩ぐらい譲ってやって。
カノジョとも別れたし。
暇つぶしにいいかなって。
俺から、声をかけてやった。
もう一度、俺にすがるなら、それでいい。
許してやる。
そんなことを思って。

けれど。

けれど、声をかけた途端、あいつは、逃げた。
多分笑顔を作ろうとしたんだろう。
顔を引き攣らせて、唇を震わせて、それでも無理で。
ずっと、俺を追いかけていた、小柄な影。

それが、俺の姿を見て、逃げ出した。

言葉がでなかった。
追いかけることもできなかった。
みのりへの怒りが消えていく。

代わりに浮かんできたのは、じっとしていられないほどの焦り。
罪悪感。自分への苛立ち。

そして、やりきれない後悔と恥ずかしさ。



俺は、あいつの何を、見ていたんだ。
もしかして、ずっと、あんな顔をさせていたのか。



あんな、今にも、泣き出しそうな、途方にくれたような顔。



ずっと泣きたかった?
ずっと隠していた
俺を、本当に、好きだった?

みのりの気持ちなんて、考えたこともなかった。
あいつが、どんな気持ちで毎回告白してたかなんて、これっぽちも考えてなかった。
あいつが俺の傍にいることは、本当に自然すぎて、それが当然のものだと思っていた。

好きになるって気持ちは、俺にもわかる。
人並みに、人を好きになった。
それが叶わなかった時の痛みと辛さと哀しさも、分かる。

ただ、それを、みのりが感じているとは、思ったことがなかった。

何度振られても笑顔なあいつを、軽薄な奴だと思ったこともある。
真剣さがない、となじったこともある。

可愛がってやってた?
誰がだ?

俺に好きな女の子ができた時から、あいつは距離を置くようになった。
繰り返される告白は相変わらずだけど、カノジョといるときは付きまとわないし、一緒に遊ぼうということもなくなった。

一緒の高校にくるって言われた時も、何も感じなかった。
それが当然のことだと思っていた。
一生懸命頑張った、といわれても、俺は、褒めてやったりしただろうか。
あいつが頭悪いの知ってるくせに、どれだけ努力したか、見ていただろうか。

あいつの行動を、言葉を、意味を、少しでも考えてやっていたことが、あったか?

ペットみたいだ?
ペットのほうがまたマシだ。

ペットは可愛がられる。
飼い主は、ペットを褒める。かわいがる。
俺は、それすらしていない。
何がペットだ。
何が当然のことだ。

俺は、みのりを、なんだと思っていたんだ?

真剣にふってやってさえいない。
もう付きまとうな、といった覚えもない。
俺を諦めろ、ときっぱりと突き放したこともない。
俺はあいつと向き合ったことがないんだ。
あいつを、人間として、みたことがなかったんだ。

無条件に俺を慕うあいつが気持ちよくて、優越感がくすぐられて。
突き放してやることすら、しなかった。

叫びたくなった。
恥ずかしくて、消えてしまいたかった。
情けなくて、泣き出しそうだった。

何よりみのりに、謝りたかった。

ようやく気付いた。
気付いてしまった。

ああ、最低だ。
最低なのは、俺だ。

俺はなんて、最低な奴。

お前のくれるものの、重みをこれっぽちも、分かっていなかった。
正直、あいつが俺の何に惚れてるのかさっぱり分からない。
趣味が悪いというか、気がしれない。

あいつに優しくしてやったことなんてない。
あいつを喜ばせるようなことをやってやったことなんてない。

俺がしてきたのは、あいつを傷つけることだけ。



***



だから、卑怯だって、分かっていても、謝りたかった。
そんなの俺の自己満足だって分かっていても、傷つけた分を謝りたかった。

いや、違う。
許して欲しかった。
俺を許してほしかった。
そして引き止めたかった。
みのりを。

もう一度、俺を好きだと言って欲しかった。
笑顔を見せて欲しかった。
隣にいて、欲しかった。

自分勝手にも、ほどがある。
これだけ酷いことをしておいて、今更惜しくなって手を伸ばす。
なんて最低。

それでも、みのりは許してくれた。
俺を今でも、好きでいてくれた。

俺のつたなく軽薄な謝罪を、聞いてくれて、受け入れてくれた。

あの喫茶店で泣き出したみのりに、申し訳なくて、仕方がなかった。



***



「みのり、手」

そう言うと、みのりは必ず驚いたような顔をする。
俺が、そんなこと言うとは思わなかったというように。
何度言われても、慣れないというように。

そして1テンポおいてから、恐る恐る手を伸ばす。
とても幸せそうに、微笑みながら。

それを見るたびに、胸が締め付けられる。

ごめん。
ごめんな。

「友ちゃん、好きだよ」
「そっか」
「うん」

そしてやっぱり、幸せそうに笑う。
その笑顔が、何よりも俺を苦しめる。

ごめん。
ごめんな。

小さな頼りない手を、強く握る。
寄り添う、温かい体温。

今までのカノジョは勿論好きだった。
付き合ったことを、後悔なんてしていない。
そりゃ後悔するような付き合いもあったけど、それでもなかったことにしたいとは思わない。

それでも、お前のその笑顔を見るたびに後悔する。
お前をずっと苦しめてきたことを後悔する。
もっと早く、お前に気付きたかったと、思う。

「あ、そういえば、この前行こうって言ってたイベント終わっちゃったね」

みのりがそんなことを言った。
お互いの都合がなかなかつかず、流れてしまった約束。

「また来年もやるだろ。来年一緒に行こう」
「………」

みのりは頷かない。
ちょっと寂しそうに、それでも嬉しそうに微笑むだけ。

みのりは先の約束はしない。
1年後も一緒だなんて、思っていない。

みのりは、俺を信じていない。

ごめん。
ごめんな。
俺は、どれだけお前を傷つけたんだろう。
どれだけの約束を、破ったんだろう。

「3267回」

ぽつりと、みのりが何かを言った。

「またか、なんなんだ、それ?」

たまにみのりの口から漏れる数。
それはだんだんと減っていく。
なんだか不安になる、カウントダウン。
なんの数か聞いても、みのりが答えることはない。
微笑んで、手を握る。

「えへへ、秘密。友ちゃん好きです」
「うん」
「好きです」

繰り返される告白。
俺に惜しげもなく与えられていた、大切な言葉。
沢山の想い。

ごめん。
ごめんな。
お前を、見ていなくてごめん。
お前の告白を、ないがしろにしてごめん。

ごめん、みのり。

小さな手。
頼りない手。
少し舌たらずで、頭悪そうで、甘い声。
半歩後ろを追いかけてくる、小走りの足音。
振り向くと、いつでも息せき切って、それでも嬉しそうに笑う小柄な影。

お前が信じてくれるまで、俺はこの手を放さない。
お前が頑張ってくれた分、俺も努力し続ける。

お前がくれた想いを、俺がいつか返すことができるだろうか。

ごめん。
ごめんな。

想いをくれて、ありがとう。
告白してくれて、ありがとう。
見捨てないでくれて、ありがとう。
勇気を振り絞ってくれて、ありがとう。

「好きです、友ちゃん」

俺も、お前が、大好きです。





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