バーテンさんは苦笑したまま、氷だけになってしまった私のグラスを取り上げる。 なんか、ちゃんと飲んだのに喉はカラカラだ。 「お代わり作ろうか。なんでもいい?」 「あ、は、はい」 「じゃあ、今度は良と同じ奴にしよう」 もうなんでもいい。 さっきから味なんてしないし。 とりあえずここから逃げ出したい。 もう、帰りたい。 「背、高くなったな」 隣の男どもは、会話を続けている。 本当に、なんで私ここに連れてこられたんだろう。 からかわれるため? あ、なんかリアルにありえそうで怖い。 野口の考えることは、相変わらず分からない。 「成長期だしね」 「精神的にもちょっとは大人になったか?」 「どう思う?」 さっきと同じ言葉を、今度は野口が悪戯っぽく笑って返す。 それを受けて、ミツルさんも意地悪そうに笑う。 それはなんとなく入り込めない、親密な空気。 なんか、エロい。 野口が特にエロい。 もう、こいつらヨリもどしちゃえばいいのに。 なんで私、こんな変な関係に巻き込まれて、ぐるぐるしなきゃいけないんだろう。 私、ごく普通に、かっこいい男の子に恋してるだけでの、女の子だったのに。 藤原君、へたれだけど、かっこよくて普通だったよなあ。 藤原君に会いたいなあ。 「強がってるガキに見える」 「おっさんはすぐに若者をガキ扱いしたがる」 「悪いな、大人は虚勢を張ってるガキをからかいたくなるもんなんだ」 野口は肩をすくめて、小さく笑う。 ミツルさんはその大きな節くれだった手で、野口の黒くさらさらとした髪をそっと撫でる。 「でも、少しはいい男になったな」 「そう?」 「ああ、もう一度抱きたくなるぐらいには」 飲み物飲んでなくてよかった。 今思い切り吹き出しそうになった。 バーテンさんに助けを求めるように視線を送ると、困ったように笑って首を傾げられた。 ああ、逃げたい。 藤原君、由紀、会いたいなあ。 まともな世界に行きたいなあ。 「それは光栄。俺もあんたを抱いてみたいかな」 「それも楽しそうだな」 え、そういうのもありなの。 野口が女役じゃないの。 このおっさんが女役の場合もありえるの。 分からない。 そっちの世界は分からない。 分かりたくない。 男同士ってどうやるの。 なんとなく想像つく気もするけど、想像したくない。 ああ、でも想像してしまいそうだ。 こんな世界、知りたくないのに。 「まあ、でももう刺されるのはごめんだな」 ミツルさんの嫌味っぽい皮肉に満ちた際どい言葉。 けれど野口もいつものように皮肉げに笑って返す。 「嬉しかったくせに。痛いぐらいがいいんだろ?」 一瞬、ミツルさんが驚いたように目を丸くする。 そして野口を見つめて、息を吐き出すように短く笑った。 「は!本当に、いい感じに成長してるな」 「それはどうも」 髪をいじっていた大きな手は、今度は野口の肩を抱くよう辿って右耳に触れる。 すぐ、私の隣にある野口の右耳に。 爪の形はあまりよくないが、大人っぽい、男の人の手だ。 野口はこういうのが、好きなのかな。 私の手もふしくれだってて、堅いけどさ。 でも、小さい、女の手だ。 「俺が開けたホールだ、懐かしいな」 「だいぶ塞がっちゃったけどね」 そういえば、この人はピアスをしている。 シンプルな、シルバーのピアス。 『昔の男の影響で開けたんだけど、そいつと切れた後にしなくなった』 そんなこと言ってたっけ。 ああ、これもこの人の、影響なのか。 好きで好きで、たまらなかった人。 野口の初恋の、人。 「また、開けてやろうか」 そして、大きな手が野口の耳たぶを弄ぶように引っ張る。 パシ! そこで、店内に乾いた音が響いて、一瞬静まり返る。 「え」 何が起こったのか分からなくて、私はその音を生み出した源を見る。 全員の視線がそこに集まる。 「………あれ?」 ミツルさんの大きな手は行き場をなくして宙を浮いている。 えっと、私の手に軽く衝撃が残ってるってことは。 それは、つまり。 「………」 「………」 「………」 野口と、ミツルさんとバーテンさんの視線が集まっている。 さっきの乾いた音を生み出した、私の手に。 「あ、えっと、その」 なんて言い訳しようか考えていると、ミツルさんの浮いていた手がまた野口の耳に触れる。 また、何も考えることが出来なかった。 パシ! 「………」 「………」 「………」 いや、だって。 なんか、目の前にあったから。 だから。 なんか。 「く」 ミツルさんが手を戻して、口元を抑える。 そして肩を振わせ始める。 最初は小さく、そして徐々に大きく。 「あ、はははははは!」 私の顔はそれに合わせて、どんどん熱くなっていく。 せっかく引いていたのに、手の平にまた汗をかき始める。 「はは、本当に犬みたいだな、この子」 楽しそうに目元に涙すら浮かべて、おっさんが笑っている。 最後の砦のバーテンさんも、くすくすと笑っている。 それに気づいて、もう耐えきれなくなった。 「か、帰る!」 そして椅子から転げ落ちるようにして、店を飛び出した。 |