恥ずかしい、本当に恥ずかしい。 恥ずかしくって、苦しい。 みじめだ。 あんな大人な男の人に、子供っぽいヤキモチ焼いて馬鹿にされた。 ブスな私が、いじましくキャンキャン吠えて、さぞみっともなかっただろう。 恥ずかしい、悔しい、いたたまれない。 さっきの自分をなかったことにしたい。 どうして、いつもいつも、私はみじめなんだろう。 藤原君に恋した時もそうだった。 美香みたいになれなくて、嘘の言葉にしがみついて、みっともなく足掻いて。 いつもいつも、私は恥ずかしい。 自分が嫌になってくる。 もっと自信を持って、かっこよくなりたい。 美香みたいにかっこよくてかわいくて自分を持ってる人間になりたい。 美香だったらきっと、あの人にだって対等にやりあえたんだろう。 悔しい、恥ずかしい。 恥ずかしい私。 なんでいっつもいっつも、失敗ばっかり。 もう恋なんてしたくない。 もう野口なんてどうでもいい。 もうこんな思い、したくない。 どうしたら自分に自信が持てるの。 どうしたらかっこいい、なりたい自分になれるんだろう。 「う、く」 嗚咽が漏れて、苦しくて、立ち止った。 まだ裏路地で人気がないからいいけど、こんな街中で泣きたくない。 これ以上みっともない姿を、人に見せたくない。 情けない姿なんて、見せたくない。 上がった息を整えるために何度も深呼吸をする。 涙が収まるように目をぎゅっと瞑る。 気にするな。 あんな環境がおかしいんだ。 野口が全部悪いんだ。 もういい。 もう野口なんてどうでもいい。 やっぱりただの悪ふざけだったんだ。 あんなにいちゃいちゃして。 抱きたいとか抱かれたいとか。 勝手にやってろ。 私を巻き込むな。 結局今でも忘れられないのか。 どうせ私は3番目に好きな人間だ。 それを見せつけるために、私を呼んだのか。 もう、お前なんてどうでもいいって意味だったのかもしれない。 最低最低最低。 やっぱりあいつは最低だ。 なんで付き合うなんて言っちゃったんだろ。 友達だったなら、こんな思いはしないですんだ。 「三田」 立ち止ったままでいたら、後ろから今は絶対聞きたくない冷たい声が聞こえた。 心臓が跳ね上がって、またさっきのみじめさが蘇ってくる。 大嫌いだ。 こんな男、大嫌いだ。 「泣いてる?」 「泣いてない!」 逃げ出そうとして、でもそんな風に聞かれて咄嗟に言い返す。 野口はちょっと息を弾ませて、二メートル先ぐらいに立っていた。 走ってきたのか。 このいかにも体力なさそうなインドアっぽい男が。 「何!」 「どこ行くの?」 「帰るに決まってんだろ!」 「どうやって」 そう言われて、気付いた。 手ぶらだ。 何も持たずに店から飛び出していたのか。 ああ、本当に恥ずかしい。 なんで何やってもみっともないんだろ、私。 何やっても、何ひとつかっこよく出来ない。 「バッグ。抱えて走るの結構大変だったんだけど」 野口はだるそうに右腕に私のスポーツバッグを抱えている。 確かに部活の道具とか入ってるから重いだろう。 でも、こんなところに連れてきたのあいつだし。 荷物置かせてくれなかったのもあいつだし。 自業自得だ。 「………」 とりあえず財布もケータイもあの中だ。 バッグがなければ帰れない。 「………返せ」 野口は黙って私の方にバッグを差し出す。 それきり動かない。 仕方なく私は野口との距離を近づけるために、ゆっくりと元来た道を歩く。 「………」 後一歩で、野口に触れる距離。 バッグを受け取ろうとして、手を伸ばす。 「うわ!」 すると、バッグを持っていた方とは逆の手で引っ張られた。 そのまま引き寄せられて野口の胸に顔をぶつけて鼻を打つ。 「った」 どさっと音がして、私のバッグがアスファルトに投げ出される。 何しやがるこいつ。 文句を言う前に、バッグを捨てて空いた手が私の顎をとって持ち上げる。 見上げた先には、眼鏡の下の冷たい目。 「やっぱ泣いてる。かわいい」 「な、何しやがる!!」 遅れて文句を言っても、当然ながら野口は動じない。 薄く笑って、私の腰に回した手に力を込める。 「は、離してよ!」 「逃げない?」 「………に、逃げない」 「そう。でも離さない」 だったらなんで聞いたんだよ! 私は背が結構高いから顔の距離が近くて辛い。 心臓がものすごい勢いで早く打ってて、息が止まりそうだ。 「嬉しい」 野口が至近距離で、本当に嬉しそうに細い目を更に細めて笑う。 珍しい素直な笑い方に思わず言葉を失う。 「ヤキモチ焼いてくれた」 「焼いてない!」 「泣いた」 「泣いてない!」 「かわいい」 「かわいくない!」 かわいくなんてない。 私なんて何もかわいくなんてない。 みっともなくてみじめな、野良犬だ。 からかわれてるとしか、思えない。 「私なんて、放っておいて、あの人とえっちなりなんなりすればいいでしょ!」 「どうして?」 「どうせ、あのおっさんが好きなんでしょ!私なんてもうどうでもいいんでしょ!」 好きだとか言ったって、どうせ3番目だ。 本当に好きな人はあの人とか、藤原君とかだ。 私なんて結局暇つぶしだ。 私なんて好きになってくれる人なんていない。 やっぱりいないんだ。 野口は呆れたように肩をすくめる。 「短絡的だな。極端から極端に走る。もっと冷静になれば?」 「うるさい!どうせ馬鹿だよ!もう放っておいてよ!」 もう、これ以上みじめになりたくない。 もう傷つきたくない。 もう叶わない恋はしたくない。 もう、嫌だ。 「放っておきたくない」 なのに野口は離してくれない。 両手を私の背中に回して、自分の体に押しつける。 夏なのになお体温の低い冷たい体。 くっつきすぎて見えなくなった顔は、私の肩に埋められる。 「確かにあいつに会って、やっぱりドキドキした」 「ああ、そう!」 「口説かれたらよろめいちゃいそう」 「なんで、私なんか連れてきたんだよ!勝手にすればいいでしょ!」 そこで小さく野口の体が震えた。 笑ったのか、揺れる息が耳元で響く。 「あんたなら、止めてくれると思ったから」 「はあ!?」 「俺が馬鹿なことしそうになったら、殴ってでも、止めてくれるかな、って思ったから」 なんだそれ。 私を馬鹿にしてるのか。 私をなんだと思ってるんだ。 「俺、もう馬鹿なことしたくないし。今度は穏やかで健全な男女交際したいの」 「………」 「だから、あいつと会ってもあいつを諦められたら、OKかなって思って」 そういう実験は私のいない時にしてくれ。 ていうかそれで諦められなかったらどうするつもりだったんだ。 やっぱり私は捨てられるのか。 とか色々思うのだが、なぜか言葉が出てこない。 「大丈夫だ。今度は引きずられなさそう」 「………」 「あんたのおかげ。あんたが殴って止めてくれたから」 「………あんたをぶちのめせばよかった」 そうだ、あのおっさんを殴るんじゃなくてこいつを殴ればよかった。 こんな馬鹿なことしかしない最低な男をぶん殴ればよかった。 そしたらきっともっとすっきりした。 人を馬鹿にしてるにもほどがある。 「そうだね。今度よろめきそうになったら、俺をぶちのめして止めて。縛って。あんたのものにして」 「変態」 「ヤキモチ焼いて泣いてるあんたにドキドキした」 「だから泣いてない!」 「ヤキモチは焼いた?」 焼いてない。 全く全然これっぽっちも焼いてない。 ただ、あれはムカついただけ。 それだけだ。 それだけなのに、なぜか言葉が出てこない。 「………」 「かわいい」 「うっさい!」 耳元に響く野口の声が、嬉しそうに弾んでいる。 いつも平坦な声が本当に喜色を滲ませているから、なんとなく珍しくて怒りが萎んできてしまう。 なんか、こんな変態に怒っているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。 こいつにマジになるのが、多分馬鹿なのだ。 「かわいい。好き。大好き、三田。もっともっとヤキモチ焼いて。俺を私物化して。みっともなく泣いて喚いて、俺に縋って」 「だからそういう変態発言するな!」 「大好き。ねえ、キスしていい?」 少しだけ体が離される。 ちょっと上にある顔が、私の顔を覗き込んでくる。 小さく首を傾げて子供がねだるように聞いてくる。 「ねえ、キスしたい。していい?」 俯いて楽しそうに細められる目から顔を逸らす。 でも声はやっぱりついてくる。 「ね、三田。お願い」 どうしてこいつはこういう時はこんな子供のようになるのだろう。 縋るような、かわいげのある頼み方。 性質が悪い。 なんだか断ったら私が悪い奴見たいじゃないか。 「三田、キスさせて」 だから、仕方なく小さく頷く。 仕方なくだ、仕方なく。 こいつがどうしてもっていうから仕方なくだ。 「………」 顎がまた持ち上げられる。 目を合わせることはできなくて、ぎゅっと強く目を瞑った。 頬にくるか額にくるか。 意識がそこに集中してしまって、顔が熱くなってくる。 今多分、すっげえ顔赤いんだろうな。 心臓が、痛い。 衣擦れの音がして、野口が近づいてくる気配がする。 「ん?」 そっと、唇に冷たいものが触れる。 柔らかいものが、押しつけられる。 驚いて目を開くと、その瞬間に口になんか入ってきた。 「ぅん!??」 なんか温かくてぬめぬめしたものが口の中を探ってる。 舌で押し返そうとすると、吸い上げられる。 背筋にぞくぞくと寒気が走る。 「んぅ、んー!!!」 我に返って密着した体を押し返そうとするが、細い体はなかなかしぶとい。 くそ、こいつこんな華奢なくせに。 「ん!!」 背中をつーっと撫でられて、竦み上がる。 口の中では相変わらず濡れたものが這いまわってる。 なんかつばが溜まってきた。 気持ち悪い。 「っ!」 手が前に回ってきそうになったところで、足を思い切り踏んづけてやった。 抑えつけられていた手からちょっと力が抜ける。 その隙に思い切り体を引き離した。 「はぁ!」 酸欠になりそうだった。 自由になった口で、思い切り深呼吸する。 溜まってしまった唾液を呑み込む。 う、気持ち悪い。 「痛い」 野口が眉をひそめて不満そうに言う。 親指で拭っている濡れた唇を見て、頭に血が上る。 今、一体、何が起きたんだ。 なんで、なにが、どうして。 「な、あ、な、な!」 「どうした?」 「何しやがる!」 心臓が200メートルは全力疾走した後のように破裂しそう。 顔が熱くて火が出そう。 それなのに野口の態度は変わらない。 冷たい目は、薄く笑っている。 「キス」 「ち、ちが、今のは違う!」 「許可は得たよ?」 「あれは、違う!」 あんなの許可してない。 いつものように頬か額だと思ったのだ。 あんな。 あんな。 あんな。 口の中の濡れた感触が、消えない。 野口のコロンの匂いが、消えない。 舌に乗せられた、柑橘系の味が、消えない。 「う」 なんだかびっくりして混乱して頭がぐちゃぐちゃで。 顔の熱が目に集中していく。 「うぅうう」 「あ、泣いた」 「う、うっさい」 なんで泣いているのか、なんて自分にも分からない。 騙されてびっくりしたのか。 悲しいのか。 悔しいのか。 悲しい。 そうだ。 もしかして、あれは、私のファーストキス。 「うー!」 なんか更に、涙がボロボロと出てくる。 歯を食いしばって止めようとするのに、目から出る水は蛇口が壊れたように溢れだす。 いやだ。 こいつの前で、こんなことで泣くのは嫌だ。 また馬鹿にされる。 またからかわれる。 「かわいい」 野口が嬉しそうに笑う。 人が泣いてるのに、人のファーストキスを奪っておいて、なんだその態度は。 最低だ。 本当に最低だ。 「ひ、く」 「ねえ、ドキドキする。かわいい」 冷たい指がが私の頬に触れる。 思わず、固まってしまう。 逃げたいのに、怖くて動けない。 野口は楽しそうに私の目を見つめてくる。 「かわいい。本当にかわいい」 こんな状況で言われても、嬉しくない。 こんな裏路地の、寂しい場所。 ムードも何もない。 ファーストキス、なんて、もっと夢を持っていた。 こんなの違う。 「欲情する。セックスしたい。あんたを舐めまわして突っ込みたい。処女膜突き破って痛がる顔見たい」 「近寄るな変態!!!」 て、感傷に浸る暇なく、私は目の前の眼鏡を張り倒して逃げ出した。 急いで距離を取る。 泣いてる隙もない。 変態だ。 どこまでも変態だ。 「も、お前なんて嫌い!」 上擦った声で怒鳴りつけて、逃げ出そうとする。 もう、こいつといたくない。 怖すぎる。 しかし野口は動じない。 地面に落ちていた私のバッグを取って、小さく笑う。 しまった。 「バッグは?」 「よこせ!」 「一緒に帰ろう?」 「嫌だ!」 「じゃあ返さない」 最低だ。 本当に最低だ。 なんなんだこいつ。 ていうかここまで性格悪かったか。 いや、悪かったか。 「返せ」 「逃げないなら」 殴って取り返そうか。 出来るか。 でも、近づくのも怖い。 また捕まったら、何をされるか分からない。 「………分かった」 仕方なく、しぶしぶ頷いた。 どうせ財布もケータイもバッグの中だ。 それに明日もまた部活がある。 バッグを取り返さなきゃ、どうしようもできない。 「でも、1メートル以内に近寄るな!」 「それじゃ手がつなげない」 「つながなくていい!」 何を言ってるんだ。 言葉が通じない。 変態の宇宙人。 「俺はつなぎたい。もう何もしないから」 「お前は人の話を少しは聞け!」 「聞いてるよ。聞き届けないだけで」 「なお悪いわ!」 ヒートアップする私と違って、野口はやっぱり冷静。 チェシャ猫のように意地悪く笑って、私に手を伸ばしてくる。 「ね、手をつないで帰ろう。健全な男女交際したい」 「お前に健全なんて言葉はない!」 「バッグ、俺の家まで持って帰る?」 脅迫じゃないか。 どうしろっていうんだ。 辺りを見回しても、誰もいない。 逃げ出そうにも、逃げられない。 「………」 「さ、どうする?」 この根性最悪野郎! 私に逃げ場なんて、ないじゃないか。 「………何も、しない?」 「しない。約束する」 「信じられるか!」 「でも、どうしようもないよね」 くそ、この最低野郎。 ドS野郎。 「絶対に絶対に、何もするなよ!」 「今日はしない」 今日はってなんだよ、ってつっこみたいがもう埒があかない。 でも約束破ったことは、ないよね。 多分なかった。 それでも躊躇していると、野口が近づいてきて私の手を取る。 逃げる暇なく、冷たい手が私の湿った手が重なる。 どうして私、こんなに汗かきやすいんだろう。 「三田の手、長くて堅くて好き」 「………どうせ、女らしくない」 「そんなところも好き」 野口が楽しそうに冷たく笑う。 軽く手を引いて、歩き出す。 そして確かめるようにもう一度言った。 「大好きだよ、三田」 信じられるか、馬鹿野郎。 |