最近、変だ。 私はとってもおかしい。 前の私には考えられない、心も体もどこかネジが一本外れてしまったかのようだ。 「はあ」 机に突っ伏してため息をつくと、向かいの席に誰かが座る。 そして優しく穏やかな声が、心配そうに聞いてきた。 「どうしたの、三田?」 「あー、藤原君………」 優しい人は心配そうに顔を曇らせて私の顔を覗き込んでくる。 私は体を起こして、肘をついて顔を手に乗せる。 「また、野口のこと?」 「………まあ」 「大変そうだな」 藤原君はくすくすと、困ったように笑う。 全く大変そうとは思ってないだろう。 まあ、美香に何度も言われるように、ただの痴話喧嘩にしか見えないのかもしれないけれど。 でも、こっちは至って真剣に悩んでいるんだ。 「………あいつって、どうしてあんなにひねくれてるのかな」 「………うーん」 「藤原君は一緒にいて、疲れない?」 「たまに腹立つことあるけど、でも、やっぱりあいつといると、楽かな。ズバズバ言ってもらえるの、楽」 前にもそんなこと言ってたけど、この人、本当に実はドMなんだろうか。 まあ、優柔不断でいまいち決まらない人だからな。 美香が好きなのも、美香が強いから、だっけ。 やっぱりドMだ。 「最近気付いたんだけど、あいつ好きな人ほど苛めるよな」 「ええ!?」 「あ、気付いてなかった?」 「ていうか今更気付いたの!?」 「ええ!?」 今度は藤原君が驚いたように大きな声を上げる。 この人はどんだけにぶいんだ。 あいつのアレをなんだと思ってたんだ。 「あいつが藤原君のこといじるの、愛情表現じゃん!」 「そうだったの!?」 今まであいつにいじめられていたの、愛情表現だと気づいてなかったのか。 それでもあいつと一緒にいたって、本当に懐広い人だなあ。 やっぱりドMだ。 「………なんか、藤原君って………」 「な、何?」 「いや、うん。いいと思う。私藤原君のそういうところ好きだよ」 「何だよ、その諦めはいった慰め!」 こりゃ美香も野口も、かわいくて仕方ないだろうなあ、この人。 私は、藤原君は本当にずっと完璧な男の子だと思っていた。 頭良くて、運動神経良くて、優しくて、頼れて、非の打ちどころのない理想の彼氏。 この人のこんなところ、気付かなかったな、あの頃は。 その時点で、私の恋はうまくいかなかったのかもしれない。 「………俺、そんなに、鈍いのかな」 「うん」 言いきると、藤原君は肩を落としてもごもごと口の中で何かを言っている。 背が高い男前なのに、なんだろうこの小動物のようなかわいらしさは。 ああ、血統書つきのわんこっていうのは、やっぱり印象変わらないかも。 「大丈夫、皆、藤原君のそんなところ大好きだから」 「………」 「野口のアレも、藤原君が好きだからだから」 へこんでいるから思わず慰めてしまう。 なんか、友達になってからの方がずっと、この人とは仲良くなれた気がする。 変な意味ではなく、こういうところ、好きだ。 前の完璧な彼氏よりも、ずっと親しみが沸く。 「でも、じゃあ、野口は、三田のこと大好きなんだな」 「は?」 「あいつが今一番苛めてるの、三田だろ?」 そんな素敵な笑顔で言う台詞か。 無邪気にそういうこと言っちゃうところが、この人の駄目で可愛いところなんだろうなあ。 「どうしたの?」 「………ものすっごい、複雑な気分」 私の表情が曇ったのが分かったのだろう、首をかしげている。 確かに野口が一番今いじってるのは、私なんだろうな。 最近は藤原君よりいじられてるって、思う。 あいつの愛情表現は歪み過ぎてる。 なんでこんな彼氏に苛められなきゃいけないんだろう。 なんで苛められてるって言われて、喜んでるんだろ。 私、大丈夫か。 「私、野口に、好かれてるのかな」 「それは間違いないよ」 本当に、野口は私が好きなのかな。 単にからかってるだけじゃないのかな。 所詮三番目。 所詮、そこそこ好きな女。 「ね、藤原君、私、かわいいかな」 つい、またこの人に聞いてしまう。 自分に自信がない。 自信を持ちたい。 そしたら野口の言葉になんか、振り回されたりしないんだろうな。 こんなぐちゃぐちゃな気持ちになんか、ならないんだろうな。 藤原君は一瞬面喰ってから、でも穏やかに微笑む。 「かわいいよ」 「女としての魅力、あるかな」 「いっぱいあるよ」 美香に言われても劣等感を抱くだけ。 野口は言ってなんてくれない。 この人の言葉が、一番耳に心地いい。 一番、心にすとんって入ってくる。 少しだけ、いじけた心がじんわりと癒される。 「………うん、ありがと」 自然と頬が緩んでお礼を言う。 すると、藤原君もにっこりと笑ってくれた。 「あ、また浮気だ」 「うわ、野口!」 そしていつかと同じように、後ろから購買にジュースを買いにいっていた野口が現れる。 いちご牛乳を啜りながら、無表情に私たちを見下ろしている。 「どうして俺に聞かないかな、そういうことは」 「あんたに言っても、絶対ムカつくだけだから」 「そんなことないよ」 にっこりと笑って、首を振る。 どう笑っても性格の悪さがにじみ出るな、こいつは。 「ね、野口、私、かわいい?」 「絶対に肯定しか返ってこないような藤原に言っちゃうセコイ性格が心底かわいい」 ああ、そうだよ。 藤原君ならきっと褒めてくれるだろうなって思ってたよ。 悪かったな、セコくて。 「女としての魅力、あるかな」 「足と腰は引きしまってていいと思う。でも色気はない。後胸もない」 「いっぺん死ね、このエロ眼鏡」 ああ、やっぱり聞くんじゃなかった。 こいつには人を褒めるってことができないに違いない。 そういう機能がついてない。 ああ、でもこの前家でご飯食べた時はお母さんの料理ほめちぎって、お母さんを舞い上がらせていた。 たまにはその愛想を私に使え。 「正直に言ってるだけなのに」 「たまにはお世辞でもいいから褒めてみろ」 「わかった。じゃあ、もう一回」 「野口、私かわいい?」 「すごいかわいいよ」 真剣に目を見つめられて、言われた。 じっとそのまま視線を合わせ続ける。 うん、駄目だ。 「嘘くせえ」 「どうしろと」 こいつに褒められても絶対に信じられない。 駄目だ。 むしろ何か企んでるとしか思えない。 「あはは」 急に向かいから笑い声が聞こえる。 藤原君はにこにこしながら微笑ましそうに私たちのやりとりを見ている。 「………藤原君」 「お前ら、面白いなあ」 面白いのは、藤原君だけだ。 いや、野口も面白がっているのだろうか。 とにかく私は何も面白くない。 「野口も、たまには素直になれよ」 「俺はお前と違って、心の底から素直だけどね。お前は例えかわいくなくてもうっかりかわいいって言っちゃうもんな。流されてずるずる付き合うような男だし」 「う」 途端に笑いを引っ込めて、しゅんと肩を落とす藤原君。 ああ、もうトラウマになってるな、これ。 私も複雑な気分ではあるが、これ以上藤原君をいじめる気はない。 大好きな人だった。 今も大切な、友人だ。 この人のおかげで、私は少し、強くなれた。 「もう気にしてないよ、藤原君」 「………三田」 「お前も、いい加減そのネタひっぱるのやめろ」 睨みつけると、エロ眼鏡は小さく肩をすくめた。 こいつは本当に藤原君をいじめるのが大好きだな。 この変態。 「三田」 藤原君はちょっとダメージを受けながら、それでも小さく笑った。 「でも、三田がかわいいのは、本当だから」 「………ありがとう」 ああ、もうきゅんと来るなあ。 いじめられすぎた心には、こんな些細な褒め言葉が染み入る。 本当に優しい人だ。 藤原君、やっぱりいい人だ。 「三田は、藤原にはかなり優しいよな」 「そう?」 野口が無表情で、私たちを見下ろしてる。 どうせ、ヤキモチとか焼いたりは、しないんだよな。 何せ、藤原君を信用しているから。 「ベタ甘」 「だって藤原君優しいし、かっこいいし、誰かと違って、私のことかわいいって言ってくれるし」 お前とは、全然違う。 少しは私に優しくしてみろ。 少しはヤキモチぐらい焼いてみろ。 「三田、俺は心配です」 「何がだよ」 「ヤる目的で近寄ってきた男が、優しくて甘い言葉吐きまくるイケメンだったら、三田は簡単に落ちちゃいそう」 「………」 「あんたって自分がないから。処女だけは守ってね」 いつものひどい暴言。 死ね、この変態っていつものように言おうとした。 「………っ」 それなのになぜか、言えなかった。 信用されてないような言葉が、胸に突き刺さった。 確かに私は弱くて、自信がなくて、甘い言葉にふらふらする。 確かに、捨てられたくないからなんでもしてしまうような馬鹿女だ。 でも、好きでもない人と、そういうことをしようとは思わない。 「三田!?」 「あ、な、なんで」 藤原君の焦ったような声。 なぜか目が熱くなって、こらえようと思う暇もなく涙が滲んでくる。 こいつの言葉でなんか、泣くつもりはないのに。 何こんなところで泣いてるんだ。 恥ずかしい。 悔しい。 本当に最近の私はおかしい。 感情の制御が、出来ない。 完全に情緒不安定だ。 「………三田」 「ち、ちが!これは違う!」 野口が立ったまま私の顔を覗き込んでくる。 そっと、その細い指で涙を拭う。 「………や」 野口が、じっと私の顔を見ている。 「泣き顔がゾクゾクする」 「いっぺん本気で死んどけこのボケ!!」 私は立ちあがって、薄い腹に思い切り蹴りを叩きこんだ。 野口はその場で腹を抑えてうずくまる。 手加減はしなかった。 「野口!?」 「………っ、……モロに、みぞおち、入った」 焦ったような藤原君の声。 珍しく苦痛を滲ませる野口の声。 それらを背中に、私は顔を拭って教室から逃げ出した。 他の誰かに見つかる前に、心を落ち着かせよう。 ああ、学校ってなんでどこに行っても人がいるんだろ。 一人になりたい。 誰にもこんな顔、見られたくない。 涙は止まったけど、きっと情けない顔をしてるんだろう。 「いた」 けれどすぐに冷たい手に後ろから腕を掴まれる。 くそ、もっと本気で殴っておけばよかった。 すぐには歩けないぐらい、ダメージを与えておけばよかった。 「うっせ、死ね、どっか行け」 「泣いてる?」 「泣いてない」 本当にもう涙は止まっている。 ただ、胸が苦しくて、痛くて、悔しくて、哀しいだけだ。 なんでこんな奴の言葉に、こんな振り回されなきゃいけないんだ。 なんでいっつもいっつも、こいつは私は振り回すんだ。 「ちょっと失礼」 ぐいっと引っ張られて、空いていた理科室に引きずり込まれた。 なぜか抵抗が出来なくて、私はされるがままに引き込まれる。 明りのついてない薄暗い教室で、入った途端後ろから抱きしめられる。 「ごめんね。あんたが藤原を褒めるからヤキモチ焼いた」 「………嘘だろ」 「本当」 嘘だ。 絶対嘘だ。 こいつが、普通にヤキモチなんて、焼くはずがない。 「こっち向いて」 体を無理矢理ひっくりかえされて、野口と向き合う形になる。 こんな非力な男、本気で抵抗したらどうとでもなるだろうに、抵抗できない。 なんでなんだろう。 どうして私はこんな弱くなっているんだろう。 「泣いてる。かわいい。ごめんね」 冷たい手が、私の顔を挟み込む。 目尻にたまっていた涙を拭うように、キスをされる。 頬に、瞼に、何度も何度もキスを落とされる。 「かわいい」 「………」 胸がキリキリキリキリ引き絞られる。 病気かもしれない。 きっと私は病気なんだ。 頭が熱くて、真っ白で、何も考えられない。 喉が渇く。 風邪の時のように、眼球が押されるような痛みを感じる。 「俺のせいで泣く三田とか、最高に興奮する。ムラムラする。押し倒したい。もっと泣かせたい。痛がって泣きわめく顔が見たい」 野口が、触れるだけのキスを沢山して、うわ言のように繰り返す。 触れた体は、冷たい。 ああ、私の体が熱いから、余計に冷たく感じるのか。 「………変態」 「うん。若干変態よりです」 「………」 「早く三田の中に、入りたいな。想像しただけでイっちゃいそう」 「………」 「三田、大好きだよ」 おかしい。 おかしいおかしいおかしい。 絶対におかしい。 なんでこんな言葉で嬉しくなるんだ。 なんでこんなことで、怒りが収まってしまうんだ。 体が熱い。 頭が真っ白になる。 喉が渇く。 もっとくっついていたい。 もっと抱きしめて欲しい。 もっと抱きしめたい。 キスしたい。 こんなの、おかしい。 |