「ごめんね。許して」

最後に鼻先にちゅっと音を立ててキスを落とされる。
そして、目を細めてじっと私を見る。
それは私の気のせいかもしれないけれど、まるで、愛しいものを見るような、優しげな表情。
なんでか、胸がぎゅっと、痛くなる。
哀しくもないのに、感情が高ぶって、涙が出てきそうになる。

「許してね?」
「………」

許せる訳がない。
酷いことを言われた。
いつもいつも、酷いことばっかり。
私を嬲って、こいつは楽しんでる。
獲物を面白半分で弄ぶ、猫のような男。
最低だ。
本当に最低な男だ。

それなのに。
おかしい。
本当におかしい。
どうしてこんなに、胸が痛いんだ。

「そろそろ戻ろうか」
「………」

昼休みはもうそろそろ終わってしまう。
教室に戻らなきゃ。
薄い壁を挟んだすぐ後ろは、ガヤガヤと騒がしい。
いつもは開いてない理科室が開いてるってことは、次の時間に使うのだろう。
いつ誰が入ってくるかも分からない。

「三田?」
「………」

けれど、気が付けば目の前の男の白いシャツを、掴んでいた。
自分でも何をしているのか、分からない。
でも、この冷たい体温が、離せない。

「どうしたの?」
「………」

野口が一旦離した手で、もう一度私の顔を挟む。
目を細めて、私の表情を観察するようにじっと見ている。
恥ずかしい。
悔しい。
けれど、離すことができない。
まだ、足りない。

「キスしていい?」
「………うん」

頷くと小さく笑って、野口は私の顔を引き寄せる。
ちゅ、ちゅ、と音を立てて、額に頬に瞼に髪にキスを落とされる。
何度も何度も、優しいキスをくれる。
それなのに、一番触れて欲しいところには触れてくれない。

「さて、昼休み終わっちゃうよ」

そして、冷静に、無表情のまま、また体を離そうとする。
だから私はまだシャツを離せない。

「どうしたの?」
「………」

どうしたの、なんて私が知りたい。
なんでこの手が離せないのか。
なんで物足りないと思うのか。
なんでもっと触れていたいと思うのか。

「三田、戻れないよ?」
「………わかってんだろ」
「何が?」

野口はチェシャ猫のように笑って、首を傾げる。
絶対分かってるくせに。
こいつは私が頼むのを待っている。
最低な、本当に最低な男。

「この、最低男!」
「うん、俺は最低かも。それで、どうしたの?」
「………っ」

顔を逸らそうとするが、野口の手がそれを阻む。
思いっきり振り払えば、きっとこの手もほどけるだろうに。
なんで、野口にだけは、力が入らなくなってしまうのか。

「授業に遅れるよ?誰か来るかも」

野口が耳元で小さく囁く。
廊下では人の気配がひっきりなしにしている。
少しでも大声を出したら、きっと誰かに聞こえてしまう。
こんなところで、私は何をしているのだろう。
こんなところで、私は何を言おうとしているのだろう。

「三田?」
「………キス、して」

お腹が空いているように、物足りない。
喉が渇くように、欲しがっている。

「したじゃん、さっき」
「………違う!」
「何が?キスが下手だった?ごめんね」

精一杯我慢して譲歩して言った言葉は、笑い交じりに茶化される。
さすがにもう、無理だった。
照れや悔しさや怒りやそんなもので、頭に血が上る。

「………もういい!」
「うわ」
「離せ!」

頭をふって手を振りほどき、薄い胸を押しのけて、野口の腕から逃げようとする。
しかし野口はぎゅっと私に抱きついて、それを封じる。
非力な男だが、さすがに上からの力の方が強いから、暴れても中々振りほどけない。

「離せってば!」
「いやだ」
「うるさい、離せ!あっちいけ!」
「やだ」

子供のように一言で切り捨てて、くすくす笑いながら壁に押し付けられる。
ぎゅうぎゅうと、拘束するように抱きしめられる。

「こんなかわいい三田、もっともっと見ていたい。楽しみたい」
「最低!変態男!」
「うん、変態です」

そして、右手で顎を掴まれて、上を向かされる。
文句を言おうと思った口を、塞がれる。

「ん」

今度はすぐに舌が入ってきた。
私の舌を絡め取り、取れちゃうんじゃないかと思うぐらい、痛いぐらいに吸い上げられる。

「う、ん」

痛くて野口の腕に置いた手に力を込めると、今度は慰めるようにくすぐられる。
つついて、舐めて、くすぐられて、吸い上げられて、掻きまわされる。
口の中を、野口にめちゃくちゃにされる。
ぴちゃぴちゃと頭の中で水の音が響いて、頭が熱くなっていく。
熱に浮かされるように、思考がぼやけていく。
体も熱くなっていく。
触れ合った体が、熱い。

「は、ぁ」
「ん」

何度も角度を変えて、より深く、喉まで侵そうとするように、野口が舌を伸ばしてくる。
息が苦しい。
体に力が入らない。
膝の力が抜けて、ずるずると壁にもたれるように座りこむ。
その間も野口は離れず、キスを解かないまま、一緒に座りこむ。
向かい合うようにして、夢中になって舌を絡める。

「んっ」

最後に、口の中にたまった二人分の唾液を、注ぎ込まれる。
溢れた分が、顎を伝う。
人の体液が口の中にあると思うと、気持ち悪い。
飲みこむことも吐きだすことも出来ずに、口をつぐんでいると、野口の声が耳元で聞こえた。

「飲んで?」
「んぅ」

吐きだすことは許さないと言うように、顎を掴まれる。
口を開くことはできない。
息苦しくて、涙が出てくる。
どうにもできなくて、仕方なくいやいやそれを飲み込む。
こくりと喉を鳴らす音がすると、野口が小さく笑う。

「んん」
「いい子」

嬉しそうな声がして、野口の手が私の髪を優しく撫でる。
気持ち悪くて、吐き気がする。
それなのに、体の熱は消えない。
体の中がぐるぐると、マグマのように熱が駆け廻っている。

「は、あ、はあはあ」

ようやく口を開くことが出来て、酸素を肺に送り込む。
座りこんだまま、何度も肩で息をして呼吸を整える。
飲みこみ切れなくて顎を汚している唾液を、野口が舐め取る。

「あっ」

そのまま湿った生温かいものが、つーっと顎から喉元を伝う。
座りこんで投げ出されていた足に、冷たい手が這う。

「や、……のぐ、ち」
「しー」

いつの間にかくつろげられていたシャツが広げられて、野口の舌が鎖骨を撫でる。
ゾクゾクと腰が重くなって、体が跳ねる。
膝の裏から、太腿の裏までを撫でられる。

「い、やっ」

ブラのすぐ上に、キスを落とされる。
体に力が入らない。
それでもなんとか手を持ち上げて、薄い体を押しのけようとする。

「痛っ」

すると、鎖骨の辺りに鋭い痛みが走った。
反射的に壁にもたれかかっていた体を起こして、何が起こったのかを確かめる。
見降ろした胸元では、眼鏡の奥の冷たい目が楽しそうに私を見上げていた。

「とりあえず、ここまでね。これ以上したら止まらなくなる」
「………っ」

改めて自分の格好を見て、頭が沸騰しそうになる。
いつのまにかシャツは半分まで開けられていて、ブラが丸見えだ。
投げだされた足はだらしなく開いて、スカートが捲れ上がって太腿まであらわになっている。
なにより、鎖骨の辺りにはくっきりと赤い歯型が残っている。
さっきの痛みはこれか。

「………な、な」

何を言ったらいいのか、分からない。
今自分が何をされていたのか分からない。
こんなところで、なんでこんなことになっているのか、分からない。

「かわいい。三田、発情してる」

野口がちゅっとまた鼻にキスをしてくる。
私は慌てて足を戻して、体育座りをするようにして、胸元も隠す。
野口から隠れるように、頭を膝に埋める。

「………変態っ」
「俺も発情してる。秋だしね。発情期だ」

隠れても、逃げても、野口の男にしては少しだけ高い声が耳元に息を吹き込んでくる。
体が熱い。
喉が渇く。
ぐるぐるぐるぐる、体の中が熱い。

「もっともっと味わいたい。食べたい。猫みたいに首筋噛みついて後ろから犯したい」
「変態、変態変態変態っ」
「うん。変態。変態に発情してる三田も、変態」
「………っ」
「ヤりたいって顔してる。メスの匂いがする」
「嘘だ!嘘だ嘘だ!」

野口がくすくす笑う声が、耳元で響く。
さっきまでの私が信じられない。
発情なんて、してない。
もう嫌だ。
こんなの嫌だ。

「そう?そうかもね、嘘かも」

全然信じていない声で、野口が笑っている。
この最低男。
エロ眼鏡。

「………あんたの、せいだっ」
「うん?」

膝に顔を隠したまま、私は目の前の全ての元凶を糾弾する。
私は、こんなじゃなかった。
変だ。
私はすごい変だ。

「あんたのせいで、おかしくなった!私、おかしい!こんなのおかしい!こんな、こんなの変だ!おかしい!」
「おかしいの?」
「おかしい、おかしいおかしい!こんなの変だ!私、こんなの、こんなじゃなかった!なんであんたに振り回されて、あんたの好きなようにされて、こんなっ」

なんで、私はこんなに弱くなったんだ。
なんで、私はこんなにこいつに振り回されてばっかりなんだ。
こいつとキスをしたいと思うなんておかしい。
こいつとくっついていたいなんて思うのはおかしい。

「そっか」

感情のこもらない声が聞こえて、頭に手が置かれた。
怯えるように、私の体がびくりと跳ねる。
こいつに何をされるのか分からない。
怖い。
こいつが怖い。

「うん、そうだね。俺のせい。俺のせいで、三田はおかしくなった」
「………そうだ!あんたが変態なせいで、私まで変になった!」
「うん、そのままもっともっと変になって。俺に染まって、俺のことだけ考えて、俺でいっぱいになって」

宥めるように、髪を弄ばれる。
声が、すぐ耳元で聞こえる。
耳たぶに、野口の息がかかる。

「俺もおかしい。俺も三田でいっぱい。だから、三田も俺でいっぱいになって。ぐちゃぐちゃになって。苦しんで悶えて、のたうちまわって俺を欲しがって」

変態。
本当に変態。
言うことなすこと、どこまでも変態だ。

「優しくする。気持ちよくする。大事にする。抱きしめる。沢山キスする。それで笑って、俺にだけ優しくして抱きしめて。キスを頂戴。俺を大事にして」

怖い怖い怖い。
こいつが怖い。
何をするか分からないこいつが、心底怖い。

「大好きだよ、三田。俺のせいでもっともっとおかしくなって?」

こいつに触れられたらどうなってしまうか分からない自分が、何より怖い。





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